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#4 湖

34 悪意、見送り

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 冬が過ぎ、春になると、空には霞がかかって白くなった。

 私は彼に部屋を施錠する方法を教えてもらって、時たま研究所の敷地内へと外出するようになった。

 私にとっては素敵な春だけど、残念ながら彼にとってはそうではないらしい。
 いつもの出勤時間になっても、彼はベッドの中に蹲っていることが多くなった。

「大丈夫ですか?」
「……大丈夫だよ。ごめん」

 彼は力なく微笑んで、どうにかベッドから這い出す。
 しかしそのまま床にぺちゃんと潰れてしまう。

「ごめん……今日はご飯作れない……」
「お気になさらないでください。お休みになられますか?」
「いや、仕事行く……仕事……頑張る…………頑張らないと……」
「お休みなさったらいかがですか?」

 ただでさえ白い肌は血の気が引いてさらに青白く、不健康に見える。
 私は心配だったが、彼は虚空を睨みながら呻いている。

「頑張る……頑張らせてください……頑張りたいです……」
「先輩は勤勉ですねえ、有口無行ですがね」
「大丈夫大丈夫大丈夫俺は大丈夫」
「はは。大丈夫だというのに、それなのにまるで轢かれた蛙みたいですねえ、ねえそうでしょ。先輩ってば本当無様で笑えますよ、笑うしかありませんよ」
「やめてくださいクロさん」

 ここ数日で、私は嫌でも彼女の、彼との関係を理解しなければならなかった。

「先輩、ねえ先輩、死んじゃおうよ死にましょうよ。死ぬのが一番いいですよ、そうでしょう?」
「ブロウ、今日は休みましょう? お疲れになっています」

 私は彼女の声をかき消すようにして彼に言って、その手を握った。
 しかし彼は、私を振り払う。

「大丈夫だよブライド、ありがと。俺頑張るから大丈夫」
「そうですよ先輩頑張りましょう。先輩は頑張る以外に取り柄がないじゃないですか。頑張っても人並みになれないのに」
「ブロウ、あなたはとても疲れているんですよ。私は貴方が心配です」
「大丈夫だよ、大丈夫だから気にしないでブライド。行ってくる」
「あ……」

 結局彼は体を引きずりながら真っ青な顔で出勤してしまった。
 心配で後を追おうかとも思ったけれど、あまり付きまとうと「頼りない」とクロさんから責められてしまう。

 私は彼の後姿を見送った。

 彼女は私を無視して彼に冷たい声で悪意を囁き、彼はそれに耳を塞いでいるけれど完全に塞ぎきることはできない。大声で誤魔化そうとするけれど、それすらも難しい。

 彼女は彼へ向かう悪意そのもので、それは驚くほどに純に黒い。

 彼は彼女のことを「見た目が黒いからクロと呼んでいる」と言っていたけれど、彼女はまさに、人間の黒い部分を寄せ集めたような女性だ。

 悪意、悪意、ただひたすらに純粋で無垢な悪意。
 彼女はまるで、子供の心を模した悪魔のようだ。

 何故彼に執着するのかは分からない。
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