役立たずの雑用係は、用済みの実験体に恋をする。――神域結界の余り者

白夢

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#3 中央教会

33 水没、あく抜き

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 彼は私を、行きと同じように部屋まで連れて帰った。

 私は疲れ果てて、ぐったりとベッドに飛び込む。
 ぼふっと音が鳴って埃が舞った。

「お疲れ様、ブライド。大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。少し疲れただけですから……休めばすぐに元気になれます」
「シャワー浴びなくても大丈夫か?」
「ええ……明日でいいです」
「汗で濡れてて可愛い。足を舐めたい。舐めて綺麗にしてあげたい」
「……」

 極めて正直なのは彼のいいところでもあり、悪いところでもある。
 今の様子がどうにもおかしいのは、多分疲れているからだと思う。

「ああめちゃくちゃ可愛い。汗の匂いまでいい匂いなんだけど」
「隠し事のできない病気なんですか、貴方は」
「えっ? 俺なんか言った?」

 ふざけているのだとしたら趣味が悪いけど、ふざけていなかったとしたらちょっと怖い。

 こういうところが彼の恋愛が上手く行かない原因だろう。
 私はもう慣れたけど。

「……やっぱり、シャワー浴びます」
「それなら風呂沸かそうか?」
「大丈夫です、浴びてすぐに出ます」
「そうか? 服の換え用意しとくな」
「分かりました」

 そう、心の声さえ漏れなければ彼は別にそこまで悪い人ではない。
 漏れてすら、別に悪い人というわけではない。
 軽い恐怖と気持ち悪さがあるだけで、決して悪人ではない。

 私は蛇口を捻って、頭の上からシャワーを浴びた。
 お湯は黒い髪に染みて、ぽたぽたと顔に滴っていく。
 彼に教えられたとおりに石鹸を選んで、全身を洗い始めた。

「……」

 浴室には鏡が備え付けられている。
 私はそれを一瞥して、すぐに目を背けた。私は彼ほど美しくない。

「やあやあ、お姫様」
「クロさん、お召し物が濡れますよ」
「お気遣い、どうもありがとうございます」

 決して広くない浴室の中の浴槽の、その縁に立ってクロさんは微笑んでいる。
 私は腕を擦って石鹸を泡立てながら、彼女にそう言った。

「お姫様はお美しいですよ、ええ」
「貴女もお世辞を言うんですね」
「世辞というわけではありません。先輩よりは綺麗だと思いますよ、私めから言わせていただきますと。少々人の感性からはズレてるかもしれませんがね」

 私は、彼女が私の服を着ていることに気が付いた。
 どうしてそんなことをしているのかは分からないが、つまり彼女は、私の服を濡らしているらしい。
 酷い嫌がらせを見た。

「貴女は人ではないんですか?」

 今更咎めてもどうにもならないので、私は諦めてそう尋ねる。

「まあそうです、お姫様には分かっていらっしゃると思いますが」

 彼女は降参ですと言うように両手を頭の横に上げて不敵にニヤリとはにかんだ。
 矛盾を孕んだ表情を浮かべるのも、彼女の個性。

 私は自分の平らな胸元を、ちょっとした苛立ちと共にごしごし擦った。

「私はそれほど賢くありませんよ」
「いいえ、賢明でいらっしゃいますよ。私めに言わせていただけるならば、大賢者そのものですとも」
「貴女の言うことは、何もかも空虚ですね」
「これはこれは、手厳しいお姫様ですねぇ」

 私は太腿を撫でた。白い泡が、力を失うみたいに肌と混ざって濁る。

「貴女は何故彼を責めるんですか?」
「何故でしょうねえ」
「それが貴女の存在意義だからですか」
「そう思われますか?」
「分からないから聞いているんです」
「そうですよ……と、お答えしておきましょうかねぇ」

 彼女は相変わらず、飄々として掴みどころのない返事を繰り返す。

 私は最後に全身の泡を流すために、再びシャワーのお湯を出した。
 ざああ、と轟音が鳴り響いて私が全身を流し終わったとき、彼女はもう跡形もなく消えていた。
 私は彼女の立っていた浴槽の淵をなんとなく眺めて、それから脱衣所に戻った。

 そこには彼がいて、丁度私の服を棚に置いているところだった。
 クロさんのせいで、びしょ濡れになった服の代わりだろう。

「あ……」

 彼は私と目が合って、そのまま天を仰いで倒れた。

「……」

 私は服を着て、製氷室から氷を取り出し、彼の首筋に氷を当てた。
 彼は「ひみょんっ」っという力の抜けるような悲鳴と共に飛び上がり、目を覚ました。

「本当にごめんわざとじゃないんだ、その、ちょっと体調が悪くて。体調が悪くてさ、あはは。うん。ねえブライド、ちなみになんだけどパンツの中とか見てないよね?」
「見ていませんが」
「ほんとごめん、うん、本当にごめん」
「いいですよ、そんなに気にしていません」

 彼は深々と頭を床に押し付ける。やめてくださいと起き上がらせると、彼の鼻から血が垂れた。

 倒れた時に打ったのだろうか。
 仰向けに倒れたはずだけど。

「ごめん、ついでにブライド、ちょっと俺のことを階段だと思って踏んでみてくれないか?」
「急にどうしたんですか、私は貴方を足蹴にするほど怒っていませんよ。タイミングが悪かっただけではありませんか」
「本当にごめん、俺はこんな人間で恥ずかしい」
「お疲れなら早くおやすみになった方がいいですよ」
「うん、抜いたらすぐ寝るよ。おやすみブライド、まだ夕方だけど」
「はい、おやすみなさい」

 料理の下ごしらえでもするのだろうか。
 疲れているだろうに、彼は本当に働き者だ。

 私はベッドの中に潜り込んで、闇に向かって呟いた。

「……おやすみなさい」
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