役立たずの雑用係は、用済みの実験体に恋をする。――神域結界の余り者

白夢

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#3 中央教会

32 葡萄酒、幸あれ

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 私はブロウと共に教会内の宿で一泊し、翌日祈祷室へと連れて来られた。

 そこにはガラス製の巨大なバスタブと、そこになみなみと注がれた血のように赤いワインがあった。
 バスタブというよりはプールほどの大きさで、大人が六人ほど入れそうなサイズ。
 それを目を塞いでいる三人の司祭が無言のまま掻き回していた。

「わ、私お酒は苦手なんです……」

 もし飲み干せと言われたらどうしようと、私は怖くて彼を見る。

「大丈夫だよ、別に飲まないからそんな怯えなくても」

 彼は優しくそう言ってくれた。良かった、飲まなくていいんだ。

 朝一で着せられた服はちょっと私には似合わなかったが、儀式のためにみんな着せられる服だから大丈夫だと、彼はそう言った。

「では、お前は出て行って下さい」

 という丁寧なのか無礼なのかよく分からない司祭様の台詞で彼は部屋から追い出され、私は一人個室に取り残される。
 部屋にいるのは高位の司祭と見られる女性と、先ほどまでくるぐるワインをかき混ぜていた三人だけだ。

 女性は目から下を薄い布で覆っていて、その表情は分からない。

「ではどうぞ、池に身を預けて」

 言われるがまま、私はその赤いワインに裸足の指先を差し込んだ。

 水よりも重くまるで凝固しそうな血液みたいに生温く重いそれに、ビクッとなって体が止まる。

「入りなさい」

 女性は繰り返すばかりで、私は意を決して差し込んだ指先で底を探した。
 そして恐る恐る体重を預け、もう片方の足も引き入れる。

 ワインの深さは私の腿あたりまであって、バスタブの見た目より少々深い。
 部屋は明るいのにまるで底が見えず、それが余計に怖い。

「中心に向かい、身を沈めなさい」

 私は言われるがままに、ワインの中心辺りを探してゆっくりとその場に座った。

 肩のあたりまでずぶりと浸かり、その重さに息を呑む。

 これはワインではないのだろうか。私は考え始める。
 色から私はワインだと思ったのだけれど、そういえば無臭だし、特別な液体なのかもしれない。

 女性は私から視線を外して祈り始めた。

「首の血を捧げよ、天の使者より守り給え」

 控えていた三人が、再びぐるぐると液体をかき回し始める。
 ほとんど全身が浸かっているせいか、その勢いに呑まれそうになってなんとか踏ん張った。

「罪の人を罰し、穢れの人を救うことを誓う」

 正直すごく怖い。
 でも、信じることは大切だ。

 しばらくそうしていると、突然全身に痛みが走った。

「うっ!」

 耐えられないほどの痛みというわけではないけれど、無視できるほど優しい刺激というわけでもない、ただぴりぴりとした痛み。
 唐辛子のソースに指先を浸したような。

「大丈夫ですか、お姫様?」
「えっ?」

 私は天井を見上げた。

 そこにはクロさんがいて、こちらを見て笑っていた。

「お、お久しぶりです……」
「これはこれは、面白い。第一声がお久しぶりとは、大層大それたお方ですねぇ」
「何か御用ですか?」

 私は、女性の邪魔にならないように小声で彼女に尋ねた。
 彼女は部屋の天井付近を重力を無視して浮遊していて、にたにたと笑んでいる。

「痛くないですか?」
「えっ?」
「痛いでしょう、お姫様にとっては傷口を焼かれるような痛みを感じているはずです」
「いえ、そんな焼けるほどでは……」
「意地を張ることはないんですよ、痛いでしょう?」
「いえ、別にそこまでではありません」
「いやそんなはずはないです。私めには分かるんですよ」
「私は平気です」
「いやそんな馬鹿な」

 どうやら彼女は私のことを相当心配しているらしかった。
 しかし私も私で、そんなことはないと押し問答を繰り返す。

「……まあ、苦しんでいらっしゃらないなら何よりですよ。全く」

 彼女は珍しく笑みを崩して、少し考える。
 しかしすぐにまた薄い笑みを貼りつけた。

「これじゃあまるっきり、茨の姫ですねえ。眠り姫だなんてとんでもない」
「何の話ですか?」
「何でもありませんよ、お姫様。それにしてもお姫様は、人様の目をお気になさらないんですねぇ?」
「そんなことはありませんが」
「気になるなら、人前では私めとはお話にならない方がよろしいかと存じますが? 事実先輩はそうなさっていらっしゃいますしねぇ……さて、もうそろそろ退散いたしますよ。では」

 私が瞬きした隙に、彼女は簡単に消えてしまった。

 私がふと水面に目を落とすと、その色はワインなんかとは見間違うはずもないほどに、真っ赤に濁っている。

 血の海。
 見たこともないけれど、悪魔の国はきっとこんな色をしているに違いないと思った。

「……こちらに来なさい」
「はい」

 気がつけばぴりぴりした痛みは消えてなくなっていて、私は言われた通りに立ち上がった。
 液体は驚いたことにとぷんと音を立てて私の足下に落ちて、濡れることすらない。

「以上で終了です。ルシファー様に幸あれ」
「あ、はい……さ、幸あれ……」

 見よう見まねで言ってみると、女性は布越しににこっと笑ってくれた。
 優しい笑顔に、つられて私も微笑んだ。
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