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#3 中央教会
30 宝物、憂う
しおりを挟む「……ブロウはちゃんと回復できたのかな?」
「はい、お医者様も大丈夫だと」
「そうか、それならいいんだ。ブライドくん、ブロウを頼むよ。あの子までも失ってしまったら、私は間違いなくおかしくなってしまう……」
「もちろんです、それは、もちろん」
私はそう答える。
するとルシファー様の表情に少しばかり光が射したように見えた。
「君はレビィと……研究所の所長と、面識があったのかな」
「いえ、直接お会いしたことはございませんでした。でも、お顔とお名前は存じ上げております」
「そうか、綺麗な子だろう?」
「えっと……」
私は、記憶の中に入っている所長様のお顔を思い浮かべた。
特徴的なエメラルドグリーンの髪と、蛇のような瞳が特徴的だった。
確かに綺麗な方だった、と思う。
どうやら、ブロウで慣れてしまっているらしい。
「はい、お綺麗な方だったと記憶しております」
「あの子は私の弟なんだよ。生まれた時からずっと、私達で面倒を見てきたんだ。宝石みたいに綺麗な子で、それなのに女の子には興味も示さないで、いつも私の後を追ってきた。まるで鳥の雛みたいに」
ふふっ、とルシファー様は懐かしそうに呟く。
「私はいつまでも、いつまでもあの子と一緒に居たいと願っていたんだ。私が願ったのはただそれだけだった、あの子に望んだのはそれだけだった。それなのに……」
彼は悲しそうだった。
紅茶のカップに口をつけて、そのままテーブルに戻す。
「レビィ、私は……私はあの子の母親と約束したんだ。あの子を守るって、幸せにするって。それなのに、それなのに私は、私は……」
ルシファー様は、傍目には完全に子供にしか見えない。
「いけないね、もう前を向かなければならないのに……すまない、でも理解してくれ。あの子は赤ん坊のころからずっと面倒を見てきた子なんだ。レビィのことはブロウから聞いたかな?」
「いえ、彼はそれほどお話になられません」
私は答えて、するとルシファー様は顔を上げて儚げに微笑んだ。
藍色の髪が小さく顔にかかって、汗なのか涙なのか雫なのか、しっとりと濡れていた。
「レビィはブロウのことをいたく可愛がっていてね、しかし少し、極端なところがある子だったから……ブロウは怖がっていた。いい子なんだけれど。ブロウは自分を責めたりしていないか?」
「……そうかもしれません、でも近頃はお元気ですよ」
「そうかい、それならいいんだ」
ルシファー様はよほど彼のことを心配しているのか、何度も私に「ブロウは元気か」と尋ねた。
私はその度に、そうですと繰り返す。
ただそれだけなのだけど、ルシファー様は「ありがとう」と私に言う。
「何度もごめんね、ブライドくん。話を聞いてくれてありがとう。周囲にはあまり言えないからね、君に話を聞いてもらえて嬉しかったよ」
「そう、なんですか? 私は、ルシファー様は腹心の方に囲まれていらっしゃるのかとばかり……」
「そうだね。私の周りには、いつも私を慕う者がいる。彼らは私を励ましてくれるよ、『元気を出して』『しっかりしてくれ』って……弟を失った兄にかける言葉がそれかと、笑ってしまったよ。彼らは私に悲しむことすら許してくれないんだ。私は人々の理想で居続けなくてはならない。彼らはそれを望んでいる、私の気も知らないで、いつもいつも、身勝手なことばかり。いつもそうだ、他人はいつも……」
苦笑いして、ルシファー様は一口紅茶を飲んだ。「感謝せねば……それが私の仕事なのだから」そう言って彼は悲しそうに言う。
外見の幼さのせいで余計に悲壮だった。
「ごめんなさい、ご気分を害されましたか?」
「気にしないでくれ。鬱憤が溜まっているんだ、それだけだよ。君個人に怒っているわけじゃないし……ごめんねブライドくん」
ルシファー様はそう言って微笑んだ。
「子供らしくない」と私は当然のことを思った。
「私ばかり話してしまったね。君の話も聞きたいな。いつも何をして過ごしているんだい?」
「いつもは……読書です。小説を読みます」
「小説か、何の小説を読むんだ?」
「恋愛小説です」
「恋愛小説か。女の子らしいな」
微笑ましい、とルシファー様はそう言って微笑む。
「ブロウも好きだったんだぞ、恋愛小説が」
「彼もですか?」
「ああ、あの子はロマンチックなところがあるからな。王子様に憧れていた」
「お綺麗な方ですからね、似合いそうですね」
「私のもう一人の弟がジャックと言うんだが、いつも白い馬に乗っていたものだから白馬の王子様と勘違いしていた。ブロウはドレスを着るのが好きな子で」
「えっ、姫側なんですか」
「可愛い子だろう?」
「え、ええ……」
まあ確かに、お姫様でも彼は綺麗だ。恐らく少年時代はそこら辺の女の子より余程可愛い顔をしていただろう。
というか、ルシファー様の弟様なら、白馬の王子様に匹敵する地位と財力を手にしているから、一概に彼の完全な勘違いとも言い切れない。
というかそもそも、彼自身だって十分過ぎるほど白馬の王子様だ。
あとは馬に乗るだけで完成する。
すぐに落馬しそうだけど。
「だから君のような可愛らしい女の子と仲良くなるのが上手だろう?」
私は彼の色々なことを思い返す。
確かに女心は分かっているのかもしれない。
ただ彼は私の目から見ても絶望的に他者との距離の詰め方が変だし、何しろ彼にはクロさんがいる。
だから急に虚空に振り返ることがあるのだ。
慣れている私でもたまに怖い。
「あ、ええ、はい……彼はとても優しい方です」
「ふふ、そうだな。あの子は優しい子だ。変わった子だけど」
ルシファー様はそう言って微笑む。
こてんと首を傾げると風もないのに藍色の髪が揺れて、ひたりと軽く垂れた。
「あの子は良くも悪くも一途な子だからね、恐らく本気で君が可愛いんだろう……本気で恋をするあの子は、他人に全く興味を示さない」
「そうなんですか?」
「その通りだ。異性どころか同性にすら興味を示さなくてな、悪い子に当たると悲惨なことになるんだ……」
ルシファー様は遠い目をした。
あの性格が暴走したらただの悲惨で済むとは思えない。きっと相当ご苦労なさったのだろう。
そもそも私とて、決して「良い子」ではなかっただろうし。
「ブライドくんはとても良い子だよ。こうして私にも優しく接してくれる」
「えっ、あ……そうでしょうか?」
「うむ。君はとても良い子だよ」
ルシファー様は優しく笑って、正面から私を見つめた。
幼い子供のような、円らな瞳が輝いていた。
「あの子もようやく良い子を見つけてくれたと、私はとても安堵したんだよ」
ルシファー様はそう言って笑った。
「私は彼に釣り合いませんよ。彼は綺麗な方ですし、それこそ、王家の方とだって……」
「王族の少女とは、あの子は馬が合わないようでね。それに彼女らと一緒になれば、否が応でも政治的に利用されてしまう。私はあの子を道具にしたくない」
「そう……なんですか」
彼の精神状態はさておき、あんなに顔が綺麗で、家柄もあり、しかも料理も上手なんだから引く手数多だと思ったのだけれど。
精神状態の問題はそれほど大きいだろうか。
「最初はいいんだけどね、最初だけなんだよ」
ルシファー様はとても慈悲深い笑顔でそう仰るので、私は思わずそうなんですよねと肯定しそうになってしまった。
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