役立たずの雑用係は、用済みの実験体に恋をする。――神域結界の余り者

白夢

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#3 中央教会

28 常識、知らない世界

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 彼といることは多くの場合とても楽しいのだけれど、たまに違和感を感じるときがある。
 私は彼と一か月ほど一緒にいて、その正体を掴みかけていた。

「本当可愛いな、お前って。一生見てても飽きないんだけど……」

 私は食事を食べ終えて、テーブルの前の椅子に座って本を読む。
 彼は、わざわざクッションを持ってきてくれて、私の正面に座る。

「……そうですか?」

 私は、目の前に頬杖をついて私の方を見ている彼を見た。
 カップの中のココアは、半分くらいになって淀んでいる。

「ああ、そうだよ。どんだけ見てても飽きない」
「私は一生も眺めていては飽きてしまいます」
「そうなの?」

 彼は気分を害した風もなく、クスクスと嬉しそうに笑った。

 彼の表情は良く変わり、見ていて飽きない。
 それにしたって、一生もこうして眺めていたらさすがに飽きると思う。
 ましてや私は感情の起伏が小さい方で、浮かべるのは専ら仏頂面ばかりだ。

「俺は飽きないよ、お前可愛いもん」
「やっぱり、貴方の美的感覚はどうかしていますね」
「んなこと言うなよ。お前のこと好きな俺が馬鹿みたいじゃん」

「馬鹿みたいですよ。貴方は」
「酷いな、ブライドは」

 そういいながらも、彼は至極楽しそうに微笑んでいる。
 私は文字を読もうとするけれど、視線が気になって上手くいかない。

 結局私はパタンと本を閉じて、綺麗に澄んだ彼の目を見つめた。
 よく見ると、その整った顔にはうっすらと隈ができている。

「近頃、眠れていないんですか」
「そんなことないよ。また徘徊とかしてたか、俺?」
「いえ、そうではなく……隈があったので」
「隈? 光の加減でそう見えるだけじゃねーのか?」

 そう言って、彼は横を向いたり、上を向いたりする。
 確かに角度によっては見えなくなるけれど、それだけではないと思った。
 でもそれを言い張るだけの根拠も理由も、私にはない。

「……眠るといえば、貴方は何故いつもソファで寝るんですか?」
「え? そりゃ、ベッドにお前が寝てるからだよ」
「だからよく眠れないんじゃないですか? 私は昼間にいくらでも寝られますし、夜は貴方がベッドを使ってください」
「そんなことさせられるかよ。それにお前、ソファなんかで寝ると体痛くなるよ?」
「それは貴方も一緒じゃないですか。それに、私は床でだって寝られますよ」
「いや、それは本当駄目だって。女の子を床に寝させるのはちょっと……」
「働きにお出になっているのは貴方なんですから」
「いや、本当良くないって。そういう亭主関白みたいなのは」
「今は老若男女平等の時代じゃないですか。私だけを贔屓するのは間違っています」

 彼とはよく、こういう風に言い合いになることが多い。

 大抵の場合、彼は私のことを紙でできた細いネックレスみたいに扱う。
 私は引っ張ったくらいじゃ千切れたりしないのに。

 私はむしろ彼のことが心配だ。
 強そうに見えて、彼には弱いところがある。私には笑って見せていても、ふとした瞬間に俯いている。

「そうだ、私と貴方が一緒に寝ればいいんです」
「……は?」
「お互い大柄というわけではありませんしね。問題解決です」

 恐らく寮の中でも上等な部類であろうこの部屋のベッドサイズは一人部屋にも関わらずのダブルサイズで、しかもとても柔らかい。
 私は素晴らしい名案だと自分でも感心してしまった。

「そもそもダブルサイズなのに、一人で占領するなんて良くありませんでした。気づけなくてすみません」
「え、いやいや、ちょっと待ってそうじゃなくて、え? いや待って、あ、う、うんあーそうか、そっかぁうん……お前はその、何も思うところはないの?」
「何言ってるんですか。付き合って一か月ですよ。もうそろそろ刺激もなくなってきた頃じゃありませんか」
「またお前は小説から余計な知識を……俺は未だに朝起きて寝顔見て興奮するくらいには刺激的な日々を送ってるんだよ?」
「えっ、そうなんですか?」

 私は意外に思って、そう聞き返す。

「好きな子が自分の部屋で寝てたら興奮するだろうが! 男はそういう生き物なんだよ仕方ないだろ!」

 彼は顔を真っ赤にしてそう喚く。
 ちょっと可愛い。

「ああ、まあ、それはいいんですけど……興奮なさるんですね」
「え? 何それ、なんでそんな意外そうなの?」
「その、私……こんなに好き好き言いながら一か月も手を出さないなんて、患っていらっしゃるのかなとばかり……でも良かったです。私の早とちりだったんですね」
「そんな気を遣ってくれてたの?」
「ええ、まあ……」
「なんか涙出てきそう。何の涙かは分からないけど」
「でもそれなら、どうして貴方は私に何もしないんですか?」
「そりゃあ、大事にしたいからだよ。体目当ての男だなんて思われたら嫌だし、まず信頼関係を築きたいなって……ほら、俺っていつも絶倫クソビッチって罵られるから」

 彼は苦笑いして、人差し指の爪で自分の頬を引っかいた。
 ぱりぱりと乾いた音がして、薄い粉みたいな皮膚が舞う。彼は乾燥肌だ。

「そんなことを言われるんですか?」
「うん、そんなこと言われるの。なんでかな? 俺ってそんな軽そうに見える?」
「見えます」
「どうしようブライド、俺死にたいんだけど死んでいい?」
「正直、半分くらい外で発散しているのではないかと思っていました」
「また泣きそうなんだけど……」
「ですが、それ以外にどういう方法があるんですか?」
「気合いだよ」
「気合いでどうにかなるんですか?」
「なるよ。世の中大抵のことは気合いでどうにかなる」
「なりませんよ。気合いだけでどうにかしようとするから、死にたくなるまで追い詰められるんじゃないですか?」
「なあブライド。知らないと思うから教えとくけど、メンヘラは正論が嫌いなんだ」
「だから私を頼ってくださいと申し上げているじゃありませんか」
「だから、それにはまず信頼関係が必要だろ、信頼を築いた上で……」
「私は貴方を信頼していますよ。信頼していないのは貴方の方じゃありませんか」
「そんなことないって、俺はちゃんとお前のこと好きだしさ」
「ええ、貴方は私が好きです。でも、私を信頼していません」

 私は立ち上がって、本棚に向かい、手に持った本を棚に戻す。

「私を信頼しているなら、もっと私に対して、無遠慮になるはずです」
「そうじゃないだろ、好きな人を大切にしたいのは誰だって同じで……」
「ええ、その通りです。よく分かっていらっしゃるじゃありませんか」
「だから俺はお前に優しくするんだよ、何にもおかしくないだろ?」
「おかしいです」
「なんで? その、そりゃ期待に全部応えられるかって言ったらそうじゃないと思うけど、俺は俺なりに頑張ってるつもりだし、そんな否定されるとさすがに傷つくっていうか……」

 彼は立ち上がって、少し悲しそうにした。
 そしてそのまま、私の飲みかけのココアを片付けようとする。

「どうして貴方ばかり私に優しくするんですか? 貴方は私に優しくしたいかもしれませんが、私だって貴方に優しくしたいです」

 私は彼の手を掴んで止めてそう言った。

「いや、それはほら、俺が付き合ってくれって言ったわけだし……」
「貴方は言いましたよね? 『好きな人を大切にしたいのは誰でも同じ』と」
「言ったけど、それは……男の性みたいなもので……」
「貴方は時折、性別というものに対して特別な拘りを見せますね」
「あー、いや、うん……そうかもしれないけどさ……」
「だったら、私にも貴方を大切にさせてください。いつまでもお客様扱いはイヤです」
「ああ、うん……そう、うん……一緒に寝る、あーそうか、うん……」
「そうですよ」

 私は首を傾げて、彼にそう言った、彼は私のマグカップを流水で洗って、几帳面にタオルで拭いて棚に戻した。

 間違っているのは、私の方なのだろうか。
 私は時折そう思う。
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