役立たずの雑用係は、用済みの実験体に恋をする。――神域結界の余り者

白夢

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#2 部屋の中

16 教えてほしい

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 誰よりも嘆いたのはジャックさんだった。

 広範囲の捜索にも関わらずレビィは見つからず、ほとんど遺書に記されたように崖から身を投げたのだろうということから、その体は海底に沈むか、遥か海の彼方まで潮に流されたのだと思われた。

 俺はルシーと、昔のように教会に身を寄せてこの数日を暮らした。
 遺体が見つからなかったので、葬儀すらできなかった。

 俺はただ呆然として、洗練された白い床を、浮遊するみたいに歩いた。
 視界は白く滲んでいて、ぼんやりと自分が自分であることすら分からないままに、消えそうになっていた。

「ブロウ」

 優しい声がした。
 座りなさい、と優しい声は俺に言った。

 背後にあったソファに崩れるように座ると、ルシファーはいつもと同じように微笑む。

 しばらく沈黙が続いた。
 ルシーはただ隣にいて、急かすでもなく俺の手をそっと握っていた。

「ねえルシー、レビィは……」

 掠れた声で絞り出すようにそれだけ言うと、堰を切ったように涙が溢れた。
 塩に噎せて吐き出せば、激痛が胸を切り裂いていく。

「……あの子は、水が苦手な子なのに」

 穏やかな声だった、いつもと変わらない優しい声。
 俺はハッとして、ルシファーが俺から手を離して、自分の服を強く握りしめていることに気づいた。

「ルシー……」

 ルシファーの笑顔は苦しそうだった。
 内に隠した悲しみを湛えた瞳は誤魔化すみたいにするでもなく、ただ淡々と、淡々と苦しみに耐えていた。

「私は、心からあの子を愛していた。どんなに手のかかる子だったとしても、その思いが変わるはずがない……でも私はあの子に、それを伝えることができなかった」

 ルシーは声を震わせた。
 ルシーは悲しそうに言った。

 ただ、悲しそうに。誰を責めるわけでもなく、ただ苦しそうにそう呟いた。

「私はあの子に何をしてあげられただろうね。苦しみ続けるあの子を、大丈夫というのを無理にでも救い上げてやれば……そうすればあの子は、あるいは今、私に笑いかけてくれていたのかもしれない。あの子が、そういう子だというのは分かっていたんだ。分かっていたはずなのに……」

 ルシーは苦しそうに吐き出して、嗚咽を漏らした。
 俺は悲しむ権利がないような気がして、何も言えなかった。

「あの子は優しい子だった。優しくて、本当に優しくて、私はその優しさに甘え過ぎてしまった。あんなにいい子を……ねえレビィ、私は君の母になんと詫びればいいんだ? 必ず幸せにすると誓ったのに。私は……」

 ルシーは俯いて、涙を流した。
 いっそ大声で泣き喚けばいいのにと、俺ですら思うほどに苦しそうだった。

 レビィは使徒であった父親が外で作った子供らしい。
 母親が父親に彼の存在を知らせたかどうかは定かではないが、少なくともルシーとジャックは父親の葬儀のときにレビィを抱いた女性が現れたことで、初めてレビィの存在を知った。

 それからは、レビィは兄であるルシーとジャックさんに育てられたのだそうだ。
 だから二人にとっては、レビィは我が子も同然だったのだと思う。

「……ブロウ、ちょっといいか?」

 振り返ると、そこにはジャックさんがいた。
 この数日で、酷く老けたように見える。
 顔色は真っ青で、泣き腫らして目は真っ赤だったし声も震えていた。

 それでもジャックさんは気丈に笑おうとして、失敗していた。

「レビィが飛び降りたらしき場所に、ブロウに宛てた遺書が置いてあった。本人の物かどうか分からなかったから鑑定にかけて、それから俺が読んで、それで断定できたからお前に渡すよ」

 ジャックさんはそれだけ言って、すぐに踵を返した。俺は彼が心配だった。

「ねえ、ジャックさん、大丈夫……?」
「……大丈夫?」

 ジャックさんは自嘲するように呟いた。

「レビィは俺の、世界でたった一人の弟だ。それが、それがこんな終わり方があるか?
「話してたんだ、ついこの間まで俺はレビィの声を聞いてたんだ、それなのに、夜が明けて今朝、もう二度と会えないなんて、俺は……俺は気が狂いそうだよ。
「なあそうだろブロウ。だって信じられるか? 俺は……俺は何かできたんじゃないかってずっと、ずっとレビィのことが……大丈夫だと思うか? ああ、俺が死んで、俺が死んでレビィが帰って来るなら俺は、俺は、レビィ、どうして、俺は、俺を殺してくれ……」

 ジャックさんは苦しそうに泣き崩れる。
 遺体こそ見つからなかったが、レビィの生存は絶望的で、そして前線に立って捜索していたジャックさんが帰って来るなり空を揺らすほど泣き叫んだのに、まだ諦めないでなんて残酷なことは言えなかった。

「ジャック、滅多なことを言うな」

 それでもルシーは、ジャックさんを叱責した。
 それが正しいことなのか、俺には分からなかった。

「そうだな……ごめん兄さん、俺もどうかしてるみたいだ……」

 ジャックさんはよろめきながら、自室に閉じこもる。
 俺は、ゆっくりと封の切られた手紙を取り出した。


[624/3/14
 ブロウ・レディ・ルシファーへ
 レヴィアタン・アグリス・フェスタニオより

 君は、私が何故去るのかと疑問を抱くかもしれないな。
 私は偏に、為すべきことを終えたために去る。
 だから、私の死を悲しむことはない。
 私は全てに満足した。これ以上に、私が生きる理由はない。
 私に感謝するな。私を尊ぶな。私を想うな。私を悲しむな。
 私のことを考えるな。
 君には他に考えることがある。
 ただ今を生きろ。]


「……」

 俺はレビィに、全てを見透かされてるようで、全てを把握されてるようで、それはいっそ俺自身よりも深く、レビィは俺のことを知っていると思っていた。

 でもそうだ、俺はレビィを驚くほど知らない。

 何故あんなにルシーに執着していたのかも知らないし、何故ジャックさんと仲が悪いのかも知らない。
 こんな紙切れ一枚じゃ、俺なんかにはレビィの真意は分からない。

 レビィはどうして、最後の最後にこんな無茶を言うんだろう。

 レビィのことを考えないことなんてできない。できるはずがない。
 できない。
 できない。
 できないよレビィ。
 助けて。俺のできないことは、いつもレビィが教えてくれたでしょ?
 レビィが死んだらどうするかなんて、俺は聞いてない。
 ねえ、教えてよレビィ。
 レビィ……
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