17 / 51
#2 部屋の中
16 教えてほしい
しおりを挟む
誰よりも嘆いたのはジャックさんだった。
広範囲の捜索にも関わらずレビィは見つからず、ほとんど遺書に記されたように崖から身を投げたのだろうということから、その体は海底に沈むか、遥か海の彼方まで潮に流されたのだと思われた。
俺はルシーと、昔のように教会に身を寄せてこの数日を暮らした。
遺体が見つからなかったので、葬儀すらできなかった。
俺はただ呆然として、洗練された白い床を、浮遊するみたいに歩いた。
視界は白く滲んでいて、ぼんやりと自分が自分であることすら分からないままに、消えそうになっていた。
「ブロウ」
優しい声がした。
座りなさい、と優しい声は俺に言った。
背後にあったソファに崩れるように座ると、ルシファーはいつもと同じように微笑む。
しばらく沈黙が続いた。
ルシーはただ隣にいて、急かすでもなく俺の手をそっと握っていた。
「ねえルシー、レビィは……」
掠れた声で絞り出すようにそれだけ言うと、堰を切ったように涙が溢れた。
塩に噎せて吐き出せば、激痛が胸を切り裂いていく。
「……あの子は、水が苦手な子なのに」
穏やかな声だった、いつもと変わらない優しい声。
俺はハッとして、ルシファーが俺から手を離して、自分の服を強く握りしめていることに気づいた。
「ルシー……」
ルシファーの笑顔は苦しそうだった。
内に隠した悲しみを湛えた瞳は誤魔化すみたいにするでもなく、ただ淡々と、淡々と苦しみに耐えていた。
「私は、心からあの子を愛していた。どんなに手のかかる子だったとしても、その思いが変わるはずがない……でも私はあの子に、それを伝えることができなかった」
ルシーは声を震わせた。
ルシーは悲しそうに言った。
ただ、悲しそうに。誰を責めるわけでもなく、ただ苦しそうにそう呟いた。
「私はあの子に何をしてあげられただろうね。苦しみ続けるあの子を、大丈夫というのを無理にでも救い上げてやれば……そうすればあの子は、あるいは今、私に笑いかけてくれていたのかもしれない。あの子が、そういう子だというのは分かっていたんだ。分かっていたはずなのに……」
ルシーは苦しそうに吐き出して、嗚咽を漏らした。
俺は悲しむ権利がないような気がして、何も言えなかった。
「あの子は優しい子だった。優しくて、本当に優しくて、私はその優しさに甘え過ぎてしまった。あんなにいい子を……ねえレビィ、私は君の母になんと詫びればいいんだ? 必ず幸せにすると誓ったのに。私は……」
ルシーは俯いて、涙を流した。
いっそ大声で泣き喚けばいいのにと、俺ですら思うほどに苦しそうだった。
レビィは使徒であった父親が外で作った子供らしい。
母親が父親に彼の存在を知らせたかどうかは定かではないが、少なくともルシーとジャックは父親の葬儀のときにレビィを抱いた女性が現れたことで、初めてレビィの存在を知った。
それからは、レビィは兄であるルシーとジャックさんに育てられたのだそうだ。
だから二人にとっては、レビィは我が子も同然だったのだと思う。
「……ブロウ、ちょっといいか?」
振り返ると、そこにはジャックさんがいた。
この数日で、酷く老けたように見える。
顔色は真っ青で、泣き腫らして目は真っ赤だったし声も震えていた。
それでもジャックさんは気丈に笑おうとして、失敗していた。
「レビィが飛び降りたらしき場所に、ブロウに宛てた遺書が置いてあった。本人の物かどうか分からなかったから鑑定にかけて、それから俺が読んで、それで断定できたからお前に渡すよ」
ジャックさんはそれだけ言って、すぐに踵を返した。俺は彼が心配だった。
「ねえ、ジャックさん、大丈夫……?」
「……大丈夫?」
ジャックさんは自嘲するように呟いた。
「レビィは俺の、世界でたった一人の弟だ。それが、それがこんな終わり方があるか?
「話してたんだ、ついこの間まで俺はレビィの声を聞いてたんだ、それなのに、夜が明けて今朝、もう二度と会えないなんて、俺は……俺は気が狂いそうだよ。
「なあそうだろブロウ。だって信じられるか? 俺は……俺は何かできたんじゃないかってずっと、ずっとレビィのことが……大丈夫だと思うか? ああ、俺が死んで、俺が死んでレビィが帰って来るなら俺は、俺は、レビィ、どうして、俺は、俺を殺してくれ……」
ジャックさんは苦しそうに泣き崩れる。
遺体こそ見つからなかったが、レビィの生存は絶望的で、そして前線に立って捜索していたジャックさんが帰って来るなり空を揺らすほど泣き叫んだのに、まだ諦めないでなんて残酷なことは言えなかった。
「ジャック、滅多なことを言うな」
それでもルシーは、ジャックさんを叱責した。
それが正しいことなのか、俺には分からなかった。
「そうだな……ごめん兄さん、俺もどうかしてるみたいだ……」
ジャックさんはよろめきながら、自室に閉じこもる。
俺は、ゆっくりと封の切られた手紙を取り出した。
[624/3/14
ブロウ・レディ・ルシファーへ
レヴィアタン・アグリス・フェスタニオより
君は、私が何故去るのかと疑問を抱くかもしれないな。
私は偏に、為すべきことを終えたために去る。
だから、私の死を悲しむことはない。
私は全てに満足した。これ以上に、私が生きる理由はない。
私に感謝するな。私を尊ぶな。私を想うな。私を悲しむな。
私のことを考えるな。
君には他に考えることがある。
ただ今を生きろ。]
「……」
俺はレビィに、全てを見透かされてるようで、全てを把握されてるようで、それはいっそ俺自身よりも深く、レビィは俺のことを知っていると思っていた。
でもそうだ、俺はレビィを驚くほど知らない。
何故あんなにルシーに執着していたのかも知らないし、何故ジャックさんと仲が悪いのかも知らない。
こんな紙切れ一枚じゃ、俺なんかにはレビィの真意は分からない。
レビィはどうして、最後の最後にこんな無茶を言うんだろう。
レビィのことを考えないことなんてできない。できるはずがない。
できない。
できない。
できないよレビィ。
助けて。俺のできないことは、いつもレビィが教えてくれたでしょ?
レビィが死んだらどうするかなんて、俺は聞いてない。
ねえ、教えてよレビィ。
レビィ……
広範囲の捜索にも関わらずレビィは見つからず、ほとんど遺書に記されたように崖から身を投げたのだろうということから、その体は海底に沈むか、遥か海の彼方まで潮に流されたのだと思われた。
俺はルシーと、昔のように教会に身を寄せてこの数日を暮らした。
遺体が見つからなかったので、葬儀すらできなかった。
俺はただ呆然として、洗練された白い床を、浮遊するみたいに歩いた。
視界は白く滲んでいて、ぼんやりと自分が自分であることすら分からないままに、消えそうになっていた。
「ブロウ」
優しい声がした。
座りなさい、と優しい声は俺に言った。
背後にあったソファに崩れるように座ると、ルシファーはいつもと同じように微笑む。
しばらく沈黙が続いた。
ルシーはただ隣にいて、急かすでもなく俺の手をそっと握っていた。
「ねえルシー、レビィは……」
掠れた声で絞り出すようにそれだけ言うと、堰を切ったように涙が溢れた。
塩に噎せて吐き出せば、激痛が胸を切り裂いていく。
「……あの子は、水が苦手な子なのに」
穏やかな声だった、いつもと変わらない優しい声。
俺はハッとして、ルシファーが俺から手を離して、自分の服を強く握りしめていることに気づいた。
「ルシー……」
ルシファーの笑顔は苦しそうだった。
内に隠した悲しみを湛えた瞳は誤魔化すみたいにするでもなく、ただ淡々と、淡々と苦しみに耐えていた。
「私は、心からあの子を愛していた。どんなに手のかかる子だったとしても、その思いが変わるはずがない……でも私はあの子に、それを伝えることができなかった」
ルシーは声を震わせた。
ルシーは悲しそうに言った。
ただ、悲しそうに。誰を責めるわけでもなく、ただ苦しそうにそう呟いた。
「私はあの子に何をしてあげられただろうね。苦しみ続けるあの子を、大丈夫というのを無理にでも救い上げてやれば……そうすればあの子は、あるいは今、私に笑いかけてくれていたのかもしれない。あの子が、そういう子だというのは分かっていたんだ。分かっていたはずなのに……」
ルシーは苦しそうに吐き出して、嗚咽を漏らした。
俺は悲しむ権利がないような気がして、何も言えなかった。
「あの子は優しい子だった。優しくて、本当に優しくて、私はその優しさに甘え過ぎてしまった。あんなにいい子を……ねえレビィ、私は君の母になんと詫びればいいんだ? 必ず幸せにすると誓ったのに。私は……」
ルシーは俯いて、涙を流した。
いっそ大声で泣き喚けばいいのにと、俺ですら思うほどに苦しそうだった。
レビィは使徒であった父親が外で作った子供らしい。
母親が父親に彼の存在を知らせたかどうかは定かではないが、少なくともルシーとジャックは父親の葬儀のときにレビィを抱いた女性が現れたことで、初めてレビィの存在を知った。
それからは、レビィは兄であるルシーとジャックさんに育てられたのだそうだ。
だから二人にとっては、レビィは我が子も同然だったのだと思う。
「……ブロウ、ちょっといいか?」
振り返ると、そこにはジャックさんがいた。
この数日で、酷く老けたように見える。
顔色は真っ青で、泣き腫らして目は真っ赤だったし声も震えていた。
それでもジャックさんは気丈に笑おうとして、失敗していた。
「レビィが飛び降りたらしき場所に、ブロウに宛てた遺書が置いてあった。本人の物かどうか分からなかったから鑑定にかけて、それから俺が読んで、それで断定できたからお前に渡すよ」
ジャックさんはそれだけ言って、すぐに踵を返した。俺は彼が心配だった。
「ねえ、ジャックさん、大丈夫……?」
「……大丈夫?」
ジャックさんは自嘲するように呟いた。
「レビィは俺の、世界でたった一人の弟だ。それが、それがこんな終わり方があるか?
「話してたんだ、ついこの間まで俺はレビィの声を聞いてたんだ、それなのに、夜が明けて今朝、もう二度と会えないなんて、俺は……俺は気が狂いそうだよ。
「なあそうだろブロウ。だって信じられるか? 俺は……俺は何かできたんじゃないかってずっと、ずっとレビィのことが……大丈夫だと思うか? ああ、俺が死んで、俺が死んでレビィが帰って来るなら俺は、俺は、レビィ、どうして、俺は、俺を殺してくれ……」
ジャックさんは苦しそうに泣き崩れる。
遺体こそ見つからなかったが、レビィの生存は絶望的で、そして前線に立って捜索していたジャックさんが帰って来るなり空を揺らすほど泣き叫んだのに、まだ諦めないでなんて残酷なことは言えなかった。
「ジャック、滅多なことを言うな」
それでもルシーは、ジャックさんを叱責した。
それが正しいことなのか、俺には分からなかった。
「そうだな……ごめん兄さん、俺もどうかしてるみたいだ……」
ジャックさんはよろめきながら、自室に閉じこもる。
俺は、ゆっくりと封の切られた手紙を取り出した。
[624/3/14
ブロウ・レディ・ルシファーへ
レヴィアタン・アグリス・フェスタニオより
君は、私が何故去るのかと疑問を抱くかもしれないな。
私は偏に、為すべきことを終えたために去る。
だから、私の死を悲しむことはない。
私は全てに満足した。これ以上に、私が生きる理由はない。
私に感謝するな。私を尊ぶな。私を想うな。私を悲しむな。
私のことを考えるな。
君には他に考えることがある。
ただ今を生きろ。]
「……」
俺はレビィに、全てを見透かされてるようで、全てを把握されてるようで、それはいっそ俺自身よりも深く、レビィは俺のことを知っていると思っていた。
でもそうだ、俺はレビィを驚くほど知らない。
何故あんなにルシーに執着していたのかも知らないし、何故ジャックさんと仲が悪いのかも知らない。
こんな紙切れ一枚じゃ、俺なんかにはレビィの真意は分からない。
レビィはどうして、最後の最後にこんな無茶を言うんだろう。
レビィのことを考えないことなんてできない。できるはずがない。
できない。
できない。
できないよレビィ。
助けて。俺のできないことは、いつもレビィが教えてくれたでしょ?
レビィが死んだらどうするかなんて、俺は聞いてない。
ねえ、教えてよレビィ。
レビィ……
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?
春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。
しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。
美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……?
2021.08.13

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる