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#1 実験体
01 モーニングコール
しおりを挟むいつも以上に、最悪の目覚めだった。
「吐く吐く、いやこれマジで吐く。あーもうなんだこの眠剤は!」
怒りに任せて枕元の瓶を投げつけると、それは床に突き刺さり、ゴトンと鈍い音を立てた。
俺は呻きながら、どうにか薄目を開けて時計の針を目で追った。
視界が歪む。短針と長針がいまいち同じ長さに見えて仕方ない。
「あー、七時……か? いや、五時だな」
始業は九時だ。精一杯ダラダラ歩くとして、あと三時間は暇を潰さなければならない。
いや、その前に吐き気だけどうにかしたい。この気持ち悪さのまま就業が開始されたら仕事が増える。
「吐こう……もう吐いて楽になろう……」
朝っぱらから汚い話だ。
しかしやっと失恋の傷も癒えたらしい。それだけは歓迎できた。
こうやって冷静になってから考えると、アレは酷い奴だった。
何か意見すれば罵倒され、真冬だろが容赦なく叩き出されたし、いくら貢いだかはちょっともう忘れたい。
いつも俺の恋愛はそんな調子で、付き合うのはいつも似たり寄ったりのクズばかり。
どうして俺は同じパターンに何回も引っかかるんだろうと思うと、多分俺は純粋な被害者ってわけじゃないんだろうなとすら思ってしまう。
便座に突っ伏しながらボロボロ流れる涙だって、別に悲しいわけじゃないのに溢れてくる。
俺に向けられる暴力は、多分それと同じだ。
そんな取り留めのないことと一緒くたに、まるっと吐きまくってスッキリして、うがいをしてから歯を磨き、時計を見ようとして気づいた。
部屋の受話器が鳴っている。
相手は容易に想像できた。
俺にこんなものかけて来るのは、治安を守る方々を除けば世界で二人だけだからだ。
『起こしたか? おはようブロウ』
案の定それはその二人の内の一人だった。
「おはようジャックさん。もう起きてたよ。ジャックさんこそ、何の用?」
『そりゃ災難だったな。俺はたまたま早く目覚めちゃってさ。お前の声が聞きたかったから、かけちゃった』
てへ、とジャックさんは年甲斐にもなく言ってケラケラ笑う。
もっとも、見た目にはジャックさんは俺よりだいぶ年下に見える。
実際の年は知らない。少なくとも俺より上だ。
『どうだ? 最近調子は?』
「平気だよ。大丈夫」
『大丈夫、かぁ。俺としては、ちょっと心配なんだけどなー、そう言われちゃうと』
「大丈夫じゃない方がいいの?」
『大丈夫に越したことはねーんだよ。ま、元気そうで良かった。声もだいぶ明るいしな』
ジャックさんは俺なんかに、まるで本当の家族みたいにそう言ってくれた。
俺には本当の家族なんか居たことないから、それがどんなものなのかなんて知らないんだけど。
『ところでさ、ブロウ。お前、最近レビィに会った?』
「そりゃあ、上司なんだからほとんど毎日会ってるよ」
『おー、そっかそっか。レビィの様子って、どんな感じだ?』
「どんな感じって……いつも通りだけど。なんで俺に聞くの?」
『ほら。レビィは、俺やルシーにあんま本音を言おうとしないからさ。それに、いっつも一人で無茶するだろ? 兄貴としては心配なんだよ』
ジャックさんはそう言うが、レビィに対して、いつも無茶をするという印象は俺にはない。
彼はいつも冷静沈着で、無表情で、感情で動くタイプではない。
さっきは俺の声が聞きたいとか言っていたジャックさんが、本当に聞きたかったのは実の弟の声だったらしいと分かり、俺は少しだけ悲しくなった。
「俺には本音なんて、もっと言わないよ……俺、レビィに嫌われてるし」
『そうか?』
とジャックさんは意外そうに言った。
『レビィはお前のこと可愛がってると思うぜ』
「ことあるごとに罵倒されてるよ。俺が悪いんだろうけど」
『あー……うん、そうだな』
ジャックさんもさすがにフォローできなかったらしい。
電話越しにも、その苦笑が見えるようだ。
『レビィはちょっと……言い方がきつい時があるよな。だけど本当、わざとじゃないんだよ。だからお前もあんまり気にしないでやってくれ』
「大丈夫だよ」
本当は大丈夫でもなんでもないんだけど、超社会不適合者の俺は家族のコネがないと生活もままならないので我慢している。
ジャックさんの管轄は軍だし、ルシファーの管轄は教会だから、もう研究所しか選択肢がない。
考えてみれば、生まれてすぐに親に捨てられ、見世物小屋で働かされ、挙句に捨てられ、成人後は就職すらできないクソビッチだなんて、ルシファー抜きにしたら俺の人生は完全に終わっている。
『レビィによろしくな、ブロウ。愛してるぜ。じゃあな』
「分かった。……ジャックさん、ありがと」
ジャックさんは見た目も口調も怖いが、心は優しい。
俺のことも可愛がってくれている。
いつまでも子供扱いなのはちょっとどうにかして欲しいけど。
俺は見損ねた時計を見た。
潰すべき暇は、あと三十分くらいあった。
「あー……もういいか、行こう。どうせ起きてるだろ」
などとブツブツ言いながら、俺はシャツに袖を通した。
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