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ルシファー
それは兄弟の日常だった
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ルシファーは、地面に届かない両足をふらふらと彷徨わせる。鏡面の如く磨きあげられたタイルに、その影が揺れた。
「兄さんは家族を大切にするからだと思うぜ」
ジャックは彼にそう答えた。
しかしルシファーは、親愛なる弟の言葉にも表情を曇らせる。
彼があまりにも深く苦悩していることは、誰の目にも明らかだった。
「……あの子は私を信用してくれない」
「信用してるさ。俺には分からなくもない。ただ兄さんに心配かけたくないんだよ」
「それだけだと思うか? あの子が、私に悩みを打ち明けない理由は?」
「そうさ。それ以外に何があるんだ?」
ジャックは厚い踵でカコンと床を蹴った。
軽快な音は、水音とともに静かな空間に広がり、引き延ばされて消える。
ルシファーは幼い顔に、より暗い影を浮かべた。
「……今や私は一国の支配者となってしまった。私はただ、あの子の良い父でありたかっただけなのに。レビィのことだってそうじゃないか。私は、私はただ私の弟に自由に生きて欲しかった。幸せな毎日を送って欲しかった。それだけなのに、どうしてこうなってしまったんだ?」
「幸せさ。俺もレビィも、あの可愛いブロウもな」
ジャックは紅茶を片手にそう笑って、兄を慰めたが、ルシファーは呻き声を上げた。
その表情は晴れない。
「あの子たちを見て、本当にそう言えるかジャック? まるで覚めない悪夢の中にいるみたいに苦しんでるのに?」
「悪夢だろうがなんだろうが、幸福なのには変わりない」
苛立ったのだろうか。いっそ叱るように、ジャックは言った。
ルシファーはようやく少しだけ笑みを見せた。そうだなと口の中で呟く。
「私は精一杯やったよ。この教会が王城となって、もう久しい。私達はなんの不自由もなく暮らしてゆけるようになった」
「五十年経っても見た目には幼児にしか見えないもんな、兄さんは。崇められるのも頷ける話だよ。俺だって、もし兄さんの弟じゃなかったとしたら、熱心な信者の一人だったに違いないぜ」
ジャックはそこで一旦言葉を切った。
手元のカップを傾け、彼は行儀悪く喉を鳴らした。
しかしルシファーはそんなジャックを咎めることもなく、空になったカップを再び満たす。
「ああ、そうだ。私ほど糸の長い者は、歴史上類を見ない。私は怖くて仕方がないんだ」
「怖い? 何が? 兄さんが恐れるのは、夜中にトイレに行くことくらいだろ?」
ジャックはそう言って茶化したが、ルシファーはまた呻いた。
ジャックはしまったという風に苦笑いした。苦悩するのが兄の趣味なのだと、理解はしていたが決して歓迎しているわけではない。
「ブロウもレビィも、私の両腕で抱えられるほど小さかったあの子たちが成長していく様を見るのは幸せではあったが、同時に不幸でもあった。あの子たちは成長すると同時に、酷く思い悩み、苦しむようになってしまった」
「兄さんほどじゃねぇよ」
ジャックは皮肉めいたことを言ったが、ルシファーは気に留めず、何も言わなかった。
溜め息と共に、ジャックは最後にするつもりでカップを手に取った。
「そりゃ、俺だって我が子のように可愛がってきたあいつらの苦しんでるとこなんざ、できることなら見たくねぇよ。特に近頃はレビィが心配だ。あの可愛いレビィに何かあったら……俺は生きてられるかな」
ジャックは小さな静寂と共に、指先でスコーンを摘んだ。
ルシファーは微笑んでいた。なんでも話してごらんなさいと言わんばかりだ。
全く、ルシファーは苦悩することは自分の特権だと勘違いしている。
ジャックは何か言われる前に、紅茶を飲み干した。
「ま、俺達は双子で、糸が繋がってるんだ。この結界の中では、兄さんが生きてる限り俺は死なない。俺だけは兄さんの側にいるぜ。二人に何があっても、どんなに思い悩んでても、どんな結果を迎えたとしても。双子の呪いって言われてるくらいなんだからな、間違いねーよ」
ジャックがそう言うと、ルシファーは少しだけ楽しそうに笑った。
その表情は憂いを払いきれていなかったが、それでも明るかった。
「そうだな。お前が誰かの恨みを買って国を追われるようなことにならなければ」
「おい、笑えねえこと言うなよ兄さん。ただでさえ、研究所の奴らに目の敵にされてるってのに」
「研究所の?」
「そうそう、レビィの奴がやってるところだ」
「出入りしているのか?」
「ま、それなりにな。ブロウもいるし、あの二人を心配してんのは兄さんだけじゃないってことだよ」
「……そうか」
ルシファーは少しだけ考えるような素振りを見せた。
ジャックは、カップを置くと同時に立ち上がった。
「そうだな!」
そしてルシファーは、幼い声を上げて笑った。
さらさらと砂のように、変わらず水は流れていた。
「兄さんは家族を大切にするからだと思うぜ」
ジャックは彼にそう答えた。
しかしルシファーは、親愛なる弟の言葉にも表情を曇らせる。
彼があまりにも深く苦悩していることは、誰の目にも明らかだった。
「……あの子は私を信用してくれない」
「信用してるさ。俺には分からなくもない。ただ兄さんに心配かけたくないんだよ」
「それだけだと思うか? あの子が、私に悩みを打ち明けない理由は?」
「そうさ。それ以外に何があるんだ?」
ジャックは厚い踵でカコンと床を蹴った。
軽快な音は、水音とともに静かな空間に広がり、引き延ばされて消える。
ルシファーは幼い顔に、より暗い影を浮かべた。
「……今や私は一国の支配者となってしまった。私はただ、あの子の良い父でありたかっただけなのに。レビィのことだってそうじゃないか。私は、私はただ私の弟に自由に生きて欲しかった。幸せな毎日を送って欲しかった。それだけなのに、どうしてこうなってしまったんだ?」
「幸せさ。俺もレビィも、あの可愛いブロウもな」
ジャックは紅茶を片手にそう笑って、兄を慰めたが、ルシファーは呻き声を上げた。
その表情は晴れない。
「あの子たちを見て、本当にそう言えるかジャック? まるで覚めない悪夢の中にいるみたいに苦しんでるのに?」
「悪夢だろうがなんだろうが、幸福なのには変わりない」
苛立ったのだろうか。いっそ叱るように、ジャックは言った。
ルシファーはようやく少しだけ笑みを見せた。そうだなと口の中で呟く。
「私は精一杯やったよ。この教会が王城となって、もう久しい。私達はなんの不自由もなく暮らしてゆけるようになった」
「五十年経っても見た目には幼児にしか見えないもんな、兄さんは。崇められるのも頷ける話だよ。俺だって、もし兄さんの弟じゃなかったとしたら、熱心な信者の一人だったに違いないぜ」
ジャックはそこで一旦言葉を切った。
手元のカップを傾け、彼は行儀悪く喉を鳴らした。
しかしルシファーはそんなジャックを咎めることもなく、空になったカップを再び満たす。
「ああ、そうだ。私ほど糸の長い者は、歴史上類を見ない。私は怖くて仕方がないんだ」
「怖い? 何が? 兄さんが恐れるのは、夜中にトイレに行くことくらいだろ?」
ジャックはそう言って茶化したが、ルシファーはまた呻いた。
ジャックはしまったという風に苦笑いした。苦悩するのが兄の趣味なのだと、理解はしていたが決して歓迎しているわけではない。
「ブロウもレビィも、私の両腕で抱えられるほど小さかったあの子たちが成長していく様を見るのは幸せではあったが、同時に不幸でもあった。あの子たちは成長すると同時に、酷く思い悩み、苦しむようになってしまった」
「兄さんほどじゃねぇよ」
ジャックは皮肉めいたことを言ったが、ルシファーは気に留めず、何も言わなかった。
溜め息と共に、ジャックは最後にするつもりでカップを手に取った。
「そりゃ、俺だって我が子のように可愛がってきたあいつらの苦しんでるとこなんざ、できることなら見たくねぇよ。特に近頃はレビィが心配だ。あの可愛いレビィに何かあったら……俺は生きてられるかな」
ジャックは小さな静寂と共に、指先でスコーンを摘んだ。
ルシファーは微笑んでいた。なんでも話してごらんなさいと言わんばかりだ。
全く、ルシファーは苦悩することは自分の特権だと勘違いしている。
ジャックは何か言われる前に、紅茶を飲み干した。
「ま、俺達は双子で、糸が繋がってるんだ。この結界の中では、兄さんが生きてる限り俺は死なない。俺だけは兄さんの側にいるぜ。二人に何があっても、どんなに思い悩んでても、どんな結果を迎えたとしても。双子の呪いって言われてるくらいなんだからな、間違いねーよ」
ジャックがそう言うと、ルシファーは少しだけ楽しそうに笑った。
その表情は憂いを払いきれていなかったが、それでも明るかった。
「そうだな。お前が誰かの恨みを買って国を追われるようなことにならなければ」
「おい、笑えねえこと言うなよ兄さん。ただでさえ、研究所の奴らに目の敵にされてるってのに」
「研究所の?」
「そうそう、レビィの奴がやってるところだ」
「出入りしているのか?」
「ま、それなりにな。ブロウもいるし、あの二人を心配してんのは兄さんだけじゃないってことだよ」
「……そうか」
ルシファーは少しだけ考えるような素振りを見せた。
ジャックは、カップを置くと同時に立ち上がった。
「そうだな!」
そしてルシファーは、幼い声を上げて笑った。
さらさらと砂のように、変わらず水は流れていた。
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