15 / 35
3章 森でのくらし
14話
しおりを挟むヴィアは、息をひとつ吸い込んだ。
相変わらず魔法使いは一言も発さず、振り返ることさえなかったけれど、構うことなくヴィアは口を開く。
「彼女は、このままずっとあの姿のままなのか? すべてを忘れたまま……魔法が解けることは、ないのか」
ヴィアは、レイルーンが猫の姿なのは魔法使いの力によるものなのだと考えていた。
森に棲む、世界にたった一人だけの魔法使いは、強大な力でどんな願いも叶えられるといわれている。だから、人を猫にするのだって簡単なのだろうと、そう思っていたのに。
魔法であって、魔法ではない。そんな謎かけのような回答は、結局よく分らなかったけれど、重要なのは彼女が人の姿に戻れるのか否か、ということだ。
無論、猫のままでも彼女を幸せにする覚悟はあった。
過去の記憶がなかろうと、人の姿ではなかろうと、守り、愛して、幸せにする。むしろ、過去を覚えていない方が、彼女はもっと幸せになれるかもしれない。
痛みと孤独と、悲しみばかりの過去をすべて白紙に戻し、新しい人生を創る。その方が、幸せになれるのかも、しれないけれど。
それではだめなのだと、彼の心の奥が、責め立てるから。
だからこその問いに、魔法使いは手の中のカップを見下ろして、ためらうように沈黙した。耳に痛いほどの森閑の中で、時間さえ止まったのではないかと思えたころ、魔法使いは唐突に立ち上がる。
カップを置き、誘われるように窓の前に立ち止まると、徐にヴィアを見据えた。
「魔法とは何か、知っているか」
突然の言葉に、ヴィアは片眉を上げた。
そんなこと。子供だって知っているだろうと表情で語る。
「人の身体に宿る魔力を、意志の力で具現化したものだろう」
人が宿す魔力は小さすぎるから、小さな明かりを作るとか、生活のちょっとした手助けをする程度しかできないけれど。魔法使いのように、箒で空を飛んだりするのも、みんな魔法だろう、とヴィアは当然のように答えた。
「それもまた、魔法だ」
低い声で、魔法使いは表情を変えないまま言う。
「それは正解であり、間違いでもある。――魔法とは即ち、願い」
「願い?」
「人の。生きるもの全ての願い。それが『魔法』となる」
私はその願いを手助けしているにすぎない。そう告げて、空気を掬うように握りしめれば、ぱきんと音が響いて「星くず」が生まれる。手の中で淡く光るそれに目を落とし、何も言わずに零していく。
ひらひらと落ちていく欠片を、ヴィアはぼんやりと見送った。その視線に気づいているのかいないのか、もう一度「星くず」を零す。
「猫から聞いただろう。『星くず』もまた、魔法の欠片だ」
生きるものの悲しみが固まり、そして空気に溶けると優しさになるもの。だから夜は悲しくて優しい。
魔法が願いで、「星くず」が魔法だと云うなら、悲しい心が優しさを願う。それが、「星くず」という魔法なのか、とヴィアはようやく理解した。
理解、したからこそ、ヴィアは深く息を吐き出し、ひた、と魔法使いを見る。
「レイルーンが猫になったのは、猫となって城を出て、森ですべてを忘れて生きているのは……彼女の『願い』だったと、そう、言うのか?」
きつく眉根を寄せて、痛みに瞑目するヴィアが、絞り出すように言う。
魔法使いは、肯定も否定もしない。ただ黙ってヴィアの方を向き、そうして見据える目はヴィアの心の奥底までもを見透かしてしまいそうな程に、深かった。
(願い。彼女が、願ったというのか)
ヴィアは唇を噛んだ。
彼女の悲しみも苦しみも、心の傷だって、すべてを受け止める覚悟がないわけではなかった。けれど、自分がこれからしようとしていることが、正しいのか、彼女の為になることなのか――そう考えて、ゆるく首を振る。
何があろうと、現状に甘んじるわけにはいかないのだと、そう決めたのは自分だった筈だ。そう、言い聞かせるように心で思い、顔を上げた。
結果がどうあれ、ひとつ大切なことがわかったのだから、もうそれでいいと思う。
レイルーンが猫になったのは、魔法使いの力によるものではなく。そして――彼女は、「連れさらわれた」わけでも、なく。
それだけ分かれば、十分だ。そう思うことにした。
「ひとつ……聞かせてほしい」
思考を完結させて、ヴィアは魔法使いを見つめて声をかけた。
彼は、ただ興味なさ気な視線をヴィアに投げてよこしただけだった。だから、ヴィアはそのまま口を開く。
「彼女を連れて帰っても、いいのか。それで、君は後悔しないのか?」
二年を彼女と暮らしてきた魔法使いだから、自分が連れて帰っていいのかと、そう問うヴィアに、魔法使いは無表情のまま小さくため息を落とした。その瞳に感情を読み取ることはできなかったけれど、次の瞬間にはじかれたようにドアの方を振り返ったその瞳には、はっきりと驚きが浮かんでいた。
魔法使いの視線を追ってみたドアは、僅かに開いていた。この部屋に入ってきたときに、確かにしっかり閉じたはずなのに、どうしてあいているのだろう。その疑問は、ドアの隙間から覗いた顔によって、どこかへ吹き飛んだ。
魔法使いもヴィアも、互いに言葉もなくそれを見つめ――不意に、魔法使いは身をひるがえして、窓から空を見上げた。
おずおずと彼を見上げる猫と、それに背を向ける魔法使い。ヴィアは、なにも言えずにソファーに座って、それを見つめていた。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる