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第二十八話:後輩と家の前で
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紗香に彼女が出来たと報告してから二週間ほど経った。
実のところ、あれからまともに会話出来ていない。
会うことは会う。
同じ大学に通っていて、同じ講義を複数受けているのだから当然だろう。
しかしなんというか……避けられている。
先週はまだマシだった。
隣に座ることはやめたものの、講義室に着いたときには挨拶と軽い雑談を交わすことは出来た。
しかし講義が終わると、いつもならゆっくりと支度して帰っていたのが、雑踏に紛れるようにして終了と同時に姿を消すようになってしまった。
そして今週に入ってからはもう完全に没交渉だ。
講義開始ギリギリに来て、終了と同時に消える。
こちらを一瞥すらしなくなった。
わざわざ連絡をとるほどの出来事はないものの、おおよそ〝友達〟どころか〝顔見知り〟……もしくはそれ以下になってしまったというのが、正直な感想だ。
さすがに俺もそんな紗香に何を言うことも出来ず、あの最後の涙の意味を訊けずにいた。
「智樹くん? どうかしました?」
気がつけば、藍那が覗き込むようにして俺を見ていた。
今は家に来ていた彼女を家まで送っていくところだ。
さすがに毎度泊めるというのも節度が無さすぎるだろうし、うちに来たときにはいつもこうして送っている。
それに正直なところ、泊め続けていたらいつ何の拍子に理性のタガが外れてしまうか、わかったものではない。
さすがに気持ち悪いだろうし、本人には言ってないけど。
「――ん、いや? なんでもないよ」
「そう? ならいいんですけど……」
否定する俺に、藍那もそれ以上突っ込んで訊いては来なかったものの、表情で訝しんでいるのがわかる。
こうなった俺が話さないことはわかっているのだろう。なんだかんだ、藍那とも長い付き合いだし。
「もし何か悩んでるとかだったら、いつでも聞きますからね」
「ああ。サンキューな。けど、大したことじゃないから大丈夫」
まさか〝彼女〟相手に言える内容のわけもなく――それ以前に、一緒にいるのに他の女のことを考えているなんて失礼極まりないことだろう。
普段は意識して意識しないようにしているんだけど、夜風にあてられて気が緩んでしまったらしい。
さて、切替え切替え。
△▼△▼△
「じゃあ智樹くん、またね!」
「ああ、またな」
数分も歩けば藍那のアパートの前まで着く。
何度となく誘われてはいるものの、未だ入ったことはない。
「おやすみなさいっ」
「おやすみ」
いつも通りの挨拶を交わす。
そしてさよならだ。
――と、普段ならここですぐに藍那は家に入っていくのだが、今日は少し様子が違った。
扉の前で突っ立ったまま、なかなか中に入ろうとしない。
「――どうした?」
「んー。んー。んー……っと…………」
気まずそうに目を逸らす藍那。
だが身体はこちらに向けたまま、両の手を持て余すかのように、指同士を絡めたり離したりしている。
「…………?」
再び、「どうかしたか」と訊ねようとしたその瞬間、藍那が何かを決心したかのように、俺の目をじっと見つめた。
吸い寄せられるように見た、綺麗なまん丸の上目遣いのブラウンの瞳が、何度となく瞬いた。頬が僅かに上気しているように赤みを帯びている気がする。
そしてスッと――その目が静かに閉じられた。
――――あ……。
これは……。あれか……。
さすがの俺でも、藍那が今何を求めているかはわかった。
仮とはいえ、付き合って二週間も経つのだ。
確かにそのくらいのステップには進んでもいい頃なのかもしれない。
この関係でどこまでが許容できてどこからが駄目なのかは、人によって基準が全く異なるところだろうが、こういうことをしてきた以上、藍那としてはこのラインはオッケーということなんだろうな。
まあ俺としてもこれをすること自体、悪い気はしない。
藍那に抱くのは恋愛感情と呼ぶには少々足りない――その萌芽のようなものではあるものの、日が経つにつれてどんどん俺の中で存在感を増しているのは間違いない。
たぶん、いつか好きになれる。それもきっと、そう遠くない未来に。
そう思ったから……。
俺は藍那の後ろの扉に左手を着き、顔を近づけ――
「――――痛……ったぁ……っ!」
――たところで、空いていた右手で輪っかを作り、藍那のおでこをパチンと弾いた。
「な……何するんですかぁ!」
藍那は涙目でこちらを睨んでいる。
そりゃそうだろうな。
藍那からしてみたら、近づいてきたのは気配でわかっただろうし、突然梯子を外されたようなものだ。
「そういうのは、ちゃんと付き合ってからな」
「…………ちぇ。――わかりましたよ、もう。でも、なにもデコピンまですることないじゃないですかっ」
「ははは。ドキドキしたか?」
「……智樹くんのバカ。もう知りませんっ」
藍那はそう言うと、素早く背後の扉を開錠して中へと入っていった。
閉まる直前、こちらに向かって「べっ」と舌を出すことを忘れずに。
――ちょっとまずかったかな。
そう思いつつ頭を掻いて立ち去ろうとすると、俺のスマホがメッセージの到来を告げた。
『おやすみなさい。またね』
たったそれだけだ。
だけど、藍那がそれほど怒っていないことは充分に伝わってきた。
だから俺も『おやすみ』とだけ返して、帰路に就く。
――本当は。
本当は、するつもりだった。直前まで。
ただほんの一、二秒。唇を重ねるだけの軽いキス。
そのくらいならしてもいいかなと思った。
けれど、出来なかった。
どうしてもあの紗香の様子が、頭から離れてくれなかった。
そんな状態で藍那とキスなんてしてはいけないと思った。――思ってしまった。
「……やっぱり、もう一度話そう」
誰に聞かせるでもなく呟く。
このままでは前に進めない。
藍那との関係も。
そして、紗香との関係も。
紗香は嫌がるかもしれない。
というより、多分嫌がるだろう。
だけど、そうするしかないんだ。
女々しいと言われるかもしれない。
だがどうしてもこの状態のまま、この二年間の全てを捨てて新しい思い出を作り出すための一歩を踏み出すことは、今の俺には到底出来そうになかった。
実のところ、あれからまともに会話出来ていない。
会うことは会う。
同じ大学に通っていて、同じ講義を複数受けているのだから当然だろう。
しかしなんというか……避けられている。
先週はまだマシだった。
隣に座ることはやめたものの、講義室に着いたときには挨拶と軽い雑談を交わすことは出来た。
しかし講義が終わると、いつもならゆっくりと支度して帰っていたのが、雑踏に紛れるようにして終了と同時に姿を消すようになってしまった。
そして今週に入ってからはもう完全に没交渉だ。
講義開始ギリギリに来て、終了と同時に消える。
こちらを一瞥すらしなくなった。
わざわざ連絡をとるほどの出来事はないものの、おおよそ〝友達〟どころか〝顔見知り〟……もしくはそれ以下になってしまったというのが、正直な感想だ。
さすがに俺もそんな紗香に何を言うことも出来ず、あの最後の涙の意味を訊けずにいた。
「智樹くん? どうかしました?」
気がつけば、藍那が覗き込むようにして俺を見ていた。
今は家に来ていた彼女を家まで送っていくところだ。
さすがに毎度泊めるというのも節度が無さすぎるだろうし、うちに来たときにはいつもこうして送っている。
それに正直なところ、泊め続けていたらいつ何の拍子に理性のタガが外れてしまうか、わかったものではない。
さすがに気持ち悪いだろうし、本人には言ってないけど。
「――ん、いや? なんでもないよ」
「そう? ならいいんですけど……」
否定する俺に、藍那もそれ以上突っ込んで訊いては来なかったものの、表情で訝しんでいるのがわかる。
こうなった俺が話さないことはわかっているのだろう。なんだかんだ、藍那とも長い付き合いだし。
「もし何か悩んでるとかだったら、いつでも聞きますからね」
「ああ。サンキューな。けど、大したことじゃないから大丈夫」
まさか〝彼女〟相手に言える内容のわけもなく――それ以前に、一緒にいるのに他の女のことを考えているなんて失礼極まりないことだろう。
普段は意識して意識しないようにしているんだけど、夜風にあてられて気が緩んでしまったらしい。
さて、切替え切替え。
△▼△▼△
「じゃあ智樹くん、またね!」
「ああ、またな」
数分も歩けば藍那のアパートの前まで着く。
何度となく誘われてはいるものの、未だ入ったことはない。
「おやすみなさいっ」
「おやすみ」
いつも通りの挨拶を交わす。
そしてさよならだ。
――と、普段ならここですぐに藍那は家に入っていくのだが、今日は少し様子が違った。
扉の前で突っ立ったまま、なかなか中に入ろうとしない。
「――どうした?」
「んー。んー。んー……っと…………」
気まずそうに目を逸らす藍那。
だが身体はこちらに向けたまま、両の手を持て余すかのように、指同士を絡めたり離したりしている。
「…………?」
再び、「どうかしたか」と訊ねようとしたその瞬間、藍那が何かを決心したかのように、俺の目をじっと見つめた。
吸い寄せられるように見た、綺麗なまん丸の上目遣いのブラウンの瞳が、何度となく瞬いた。頬が僅かに上気しているように赤みを帯びている気がする。
そしてスッと――その目が静かに閉じられた。
――――あ……。
これは……。あれか……。
さすがの俺でも、藍那が今何を求めているかはわかった。
仮とはいえ、付き合って二週間も経つのだ。
確かにそのくらいのステップには進んでもいい頃なのかもしれない。
この関係でどこまでが許容できてどこからが駄目なのかは、人によって基準が全く異なるところだろうが、こういうことをしてきた以上、藍那としてはこのラインはオッケーということなんだろうな。
まあ俺としてもこれをすること自体、悪い気はしない。
藍那に抱くのは恋愛感情と呼ぶには少々足りない――その萌芽のようなものではあるものの、日が経つにつれてどんどん俺の中で存在感を増しているのは間違いない。
たぶん、いつか好きになれる。それもきっと、そう遠くない未来に。
そう思ったから……。
俺は藍那の後ろの扉に左手を着き、顔を近づけ――
「――――痛……ったぁ……っ!」
――たところで、空いていた右手で輪っかを作り、藍那のおでこをパチンと弾いた。
「な……何するんですかぁ!」
藍那は涙目でこちらを睨んでいる。
そりゃそうだろうな。
藍那からしてみたら、近づいてきたのは気配でわかっただろうし、突然梯子を外されたようなものだ。
「そういうのは、ちゃんと付き合ってからな」
「…………ちぇ。――わかりましたよ、もう。でも、なにもデコピンまですることないじゃないですかっ」
「ははは。ドキドキしたか?」
「……智樹くんのバカ。もう知りませんっ」
藍那はそう言うと、素早く背後の扉を開錠して中へと入っていった。
閉まる直前、こちらに向かって「べっ」と舌を出すことを忘れずに。
――ちょっとまずかったかな。
そう思いつつ頭を掻いて立ち去ろうとすると、俺のスマホがメッセージの到来を告げた。
『おやすみなさい。またね』
たったそれだけだ。
だけど、藍那がそれほど怒っていないことは充分に伝わってきた。
だから俺も『おやすみ』とだけ返して、帰路に就く。
――本当は。
本当は、するつもりだった。直前まで。
ただほんの一、二秒。唇を重ねるだけの軽いキス。
そのくらいならしてもいいかなと思った。
けれど、出来なかった。
どうしてもあの紗香の様子が、頭から離れてくれなかった。
そんな状態で藍那とキスなんてしてはいけないと思った。――思ってしまった。
「……やっぱり、もう一度話そう」
誰に聞かせるでもなく呟く。
このままでは前に進めない。
藍那との関係も。
そして、紗香との関係も。
紗香は嫌がるかもしれない。
というより、多分嫌がるだろう。
だけど、そうするしかないんだ。
女々しいと言われるかもしれない。
だがどうしてもこの状態のまま、この二年間の全てを捨てて新しい思い出を作り出すための一歩を踏み出すことは、今の俺には到底出来そうになかった。
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