上 下
84 / 419
ターニングポイント

穏やかな夜(1)

しおりを挟む
「ただいまぁ」

 返事が返ってくるはずのない家の中に、リーシャの声が響いた。
 もうこの家に戻ってこられないかもしれないと半ばあきらめていたため、こうして「ただいま」と言って戻ってくることができたことに、リーシャは心からほっとしていた。
 数か月前の1人でただなんとなく暮らしていた頃のリーシャはこの家の事は、「住めなくなるならまた探せばいいか」程度にしか思っていなかった。魔法を暴走させ、吹き飛ばしてしまう可能性も頭に入れ、受け入れていた。
 けれど、ノアやルシア、エリアルと生活するようになり、これまでなんとも思っていなかった物に少しずつ執着心が芽生え、今では失うことなど考えられなくなっていた。
 こんな事態になって、その変化にやっと気が付いたのだった。
 リーシャは帰るや否や食卓の椅子にドサッと腰を下ろした。
 
「疲れたぁぁぁぁ! ……で、3人とも。結果的にはいい方に転んだだから良かったけど、何で来たの? 隠れててって言ったのに」

 リーシャは机に頬を張り付け、3兄弟の事を見ながら言った。
 力の抜けたリーシャの反対側にある椅子に座ろうとしていたノアが当然のように言葉を返した。

「いつまで隠れていろとは言われていなかったが」
「いや、まぁ、言ってなかったけどさぁ……見つかったらまずいって話してたんだから……そこは……」
「俺たちの育ての親は無鉄砲な奴だ。そんな親に育てられた俺たちがそれを察したとして、素直に聞くと思うか?」
「それは……」

 おそらくノアは日ごろの愚痴を込みで言っている。
 心当たりがありすぎ、言い返しようのないリーシャは口を閉じた。
 言い返せないことが悔しくてリーシャが眉間に皺を寄せていると、目の前のテーブルの上にお茶の入ったカップが置かれた。ルシアが4つのカップにお茶を注ぎ、それぞれの前に置いているところだった。
 そしてリーシャの正面の椅子に座ると、上機嫌で口を開いた。

「でもさ、よかったじゃねぇか。これで安心して、堂々と王都に出入りできるんだ。まあ、今までも堂々と出入りしてたけど。けど、今度は何にも隠したりする必要もないし、今までより気持ち楽じゃね?」

 リーシャは首を横へ振った。現状はそう簡単なものではないのだ。

「まだ安心はできないよ。国王様に認められたとはいっても、王都の人たちが受け入れてくれるかどうかっていうのとはまた別問題だから。いきなり襲われるなんてことは無いと思うけど、大半の人に距離置かれるのは間違いないと思う。それって嫌じゃない? 私は嫌なんだけど……」

 リーシャは周りから拒絶されたり腫れ物に触るような扱いをされたりする事を恐れている。
 嫌だとは思っていても、ノアたちだけではなく自分までその対象にされる可能性は非常に高い。
 おそらくその辺りも、あの抜かりのないフェンリルがうまく手を回してくれるのだろうけれど、負の感情はそう簡単に消えてくれるものではない。目の当たりにしたことのあるリーシャは、十分にそれを理解していた。
 そんなリーシャの苦悩をよくわかっていないエリアルは、自分なりにリーシャを励まそうと精一杯に言った。

「大丈夫だよ! リーシャねぇちゃんとも、すぐにこうやってお話できるようになれたんだから! きっと他の人ともすぐに仲良くなれるよ!」
「うーん。すぐには無理かなぁ」
「えー、なんで?」
「たとえば……エリアルはこの前の竜と戦った後、別の竜が仲よくしようよっていきなり言ってきたら仲良くできる?」

 エリアルは何故その話が出てきたのだろうと言いたげに、きょとんとしていた。そして、その思わぬ質問に真剣に考え始めた。

「んー……どうだろ。その竜も、ねぇちゃんのこといじめてくるんじゃないかって思っちゃうかも。すぐに仲良しは難しいかなぁ」
「でしょ? 王都の人たちも、ずっと竜は怖い生き物って思ってたんだから、エリアルたちが悪いことしてなくても怖いって思っちゃうんだよ」
「そっかぁ……」

 エリアルは俯いた。
 もし犬のように耳と尻尾が生えていれば、耳は下を向き、尻尾も垂れ下がっていただろう。
 落ち着いた様子でカップに口をつけていたノアがエリアルへと視線を映した。

「すぐには無理だろうが、何とかなるだろう」
「ねぇちゃんとはすぐ仲良しになれたのにね」
「リーシャが早々に俺たちを受け入れられたのは、こいつが変わり者だった。それだけだ」

 思わぬ悪口にリーシャは慌てて反論した。

「何それ⁉ ひどくない⁉ っていうか信じてくれって必死だったから信じてあげたのに‼」

 リーシャには自分が変わり者だという自覚は一応ある。自覚はあれども、自分以外から指摘されるのは不快なのだ。
 そんな荒ぶるリーシャの気を逸らそうと、ルシアが話に割って入った。

「まぁまぁ、落ち着けよ。それよりさぁ、俺、腹減ってきんだけど。夕飯にしねえ?」
「僕、今日はもう動きたくないよ。今から作るのめんどくさい」

 エリアルは机の上に伏せて、立ち上がることを拒否した。
 空はすでに暗闇が覆っている。いつもならもうすでに夕食は済ませている時間だ。
 リーシャは空腹を自覚すると、いつも料理を担当しているエリアルの代わりに腰を上げた。

「じゃあ、私が簡単に作る。エリアルみたいには作れないけど、それでいい?」
「ん。じゃ、俺も手伝う」

 リーシャが準備し始めると、ルシアが横に並んで手伝い始めた。
 調理の手伝いをほとんどした事のないルシアにどこまで任せてよいかわからなかったため、リーシャはとりあえず火の番を任せることにした。
 しかし焼くという事すら慣れない作業だったのか、ルシアは火の加減を見事に間違え、出来上がったものは炭。結果、夕食はさらに遅い時間になってしまった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

純潔の寵姫と傀儡の騎士

四葉 翠花
恋愛
侯爵家の養女であるステファニアは、国王の寵愛を一身に受ける第一寵姫でありながら、未だ男を知らない乙女のままだった。 世継ぎの王子を授かれば正妃になれると、他の寵姫たちや養家の思惑が絡み合う中、不能の国王にかわってステファニアの寝台に送り込まれたのは、かつて想いを寄せた初恋の相手だった。

王女、騎士と結婚させられイかされまくる

ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。 性描写激しめですが、甘々の溺愛です。 ※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。

異世界召喚されたけどヤバい国だったので逃げ出したら、イケメン騎士様に溺愛されました

平山和人
恋愛
平凡なOLの清水恭子は異世界に集団召喚されたが、見るからに怪しい匂いがプンプンしていた。 騎士団長のカイトの出引きで国を脱出することになったが、追っ手に追われる逃亡生活が始まった。 そうした生活を続けていくうちに二人は相思相愛の関係となり、やがて結婚を誓い合うのであった。

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

獣人の里の仕置き小屋

真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。 獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。 今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。 仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...