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池の主?

水中の魔物

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 傷の癒えたリーシャは普段通りの生活に戻っていた。
 臥せっている間に溜まった家の仕事をこなし、趣味の魔法の研究とクエストに挑みながらその研究の成果を実践。そしてさらには同居することになった竜の兄弟の相手をする。
 毎日がとても忙しく、充実した生活を送っていた。

 そんな日々の、あるすがすがしいほど良く晴れた日の朝のこと。
 窓際に立ったリーシャは太陽の輝く青空を、窓ガラス越しに眺めた。

(こんなにも洗濯物がよく乾きそうな天気だし、日ごろ洗っていない布団やシーツを洗っちゃおっかな)

 思い至るとすぐ、リーシャは自分とノアたち兄弟のベッドのシーツ類を回収し、数週間前に買った洗濯用の、箱の形をした魔道具の中へ入るだけ放り込んだ。

 3兄弟が人の姿に擬態する前、つまりは竜の姿だったころ、洗濯するものと言えばリーシャが自身で来ている衣服だけだった。さほどの量でもなかったので、家の前にある池の側で手洗いをしていた。
 けれど、今は自分の分だけでなく、4人分の洗濯をしなければならない。
 全員分を手洗いするには時間と労力がかかり、効率が悪い。
 そこでリーシャは、その洗濯用に作られた魔道具を購入しようと考えたのだった。
 ちなみに、ちょっと奮発して脱水という機能も付いている魔道具を購入した。時間も労力も浮いて趣味に充てる時間が増え、良い事ばかりだ。

(洗ってくれるだけじゃなくて、ある程度水も絞った状態になるなんて。もっと早く買っておけばよかった……)

 魔道具の中で回転する洗濯物を見ながらちょっとした後悔をするのだった。




 数十分後――

 仕事を終えた洗濯用の魔道具は音を出して止まった。
 その音を聞きつけたリーシャは、洗い終わったシーツを魔道具から籠へと移した。
 干すために外へ運ぼうとして籠を持ち上げると、横から声をかけられた。

「リーシャ、俺が持つよ。これ、外に運べばいいんだろ?」
「ありがと。じゃあ、お願いしようかな」

 リーシャが洗濯物を魔道具から取り出している気配に気づいたルシアが手伝いに来てくれたのだった。
 ルシアは一瞬、リーシャが素直に籠を渡してきたことに驚いた顔をした。けれど、すぐに笑みを浮かべ受け取った。

「今日はやけにあっさりと渡したな。いつもはすっげぇ嫌がるのに」
「だって、今日洗ったのはシーツだもん」
「あー。なるほどな」

 ルシアの言う”いつも”というのは、衣類を洗濯した時のことだ。
 洗濯した衣類が入った籠をルシアに手渡してしまうと、必ず干すところまで手伝われてしまう。
 服だけならともかく、洗濯しているとはいえ下着を見られるのは恥ずかしい。
 そのため、いつもリーシャは籠を渡すのを渋っていた。
 けれど、どんなに抵抗しても、気がつけば籠は手元から消えてしまう。

「別に気にするようなことでもないと思うんだけどな」
「ルシアは気にならなくても、私は気にするの! 普通女の子は男の子に下着を見られるのは嫌なものなの!」

 ルシアの口が嬉しそうに弧をえがいた。

「ふーん。ってことは、リーシャは俺の事人間の雄としてみてくれてんの?」

 リーシャは眉をひそめ、盛大にため息をついてみせた。

「そんなことどうだっていいでしょ。そんなことよりほら、洗濯物干したいんだから、運ぶなら早く運んでよ」
「へいへい」

 リーシャは急かすようにルシアの背中を押しながら外へと向かった。


 外に出ると、ルシアは家の横にある切株の上に籠を置いた。
 その近くには洗濯物を干すために作った、木の棒を地面に突き立ててロープを結び付けただけの簡易的なスタンドが複数立ててある。
 ルシアは籠から1枚のシーツを取り出し、広げるとリーシャの方を見た。

「直接ロープに掛けていってもいいんだよな?」
「うん。向きには気をつけて。タオルみたいに掛けたら地面についちゃうから」
「あいよー」

 リーシャはシーツが地面につかないように気をつけ、背伸びをしながら干し始めた。
 ロープはそれなりの高い位置に結び付けていて、そんなに背が高くないリーシャにとって掛ける作業は一苦労だった。
 対して、身長の高いルシアは何事もないように簡単に掛けている。
 この点に関しては、ルシアの存在はとても重宝していた。
 そんな2人とは少し離れたところにエリアルがいた。しゃがんで池を覗き込んでいる。
 エリアルはリーシャとルシアがシーツを干し始めたのに気付くと、走って2人の元へやってきた。

「ねぇちゃん。僕も手伝う?」
「ありがと。でも大丈夫。見た目ほど数はないから」
「ふーん。じゃあ、大変だったら呼んで? お手伝いするから!」

 エリアルは池の側まで戻ると、再び池の中を覗きはじめた。
 さっきから飽きることなくじっと覗き込んでいる。何を見ているのだろうと思ったリーシャは干す手を止め、エリアルの横まで歩いて行った。そして、一緒になって池の中を覗いてみた。

「さっきから池を覗いて何してるの?」
「お魚がいっぱい泳いでて面白いんだ」

 池は深く、底は見えない。
 光が届くところには、たしかに群れを成した小さな魚や色のきれいな魚が泳いでいた。

「覗くのはいいけど落ちないでよ? 何がいるかわかんないから」
「うん。大丈夫だよ」

 エリアルはそのまま大人しく、池の中を覗き続けた。
 リーシャは洗濯物のところへ戻ると再び簡易スタンドに干し始めた。
 ルシアの手伝いもあったおかげで、干す作業はすぐに終わってしまった。

「ありがとね、ルシア」
「おう」
「ちょっと一息つこうか。お茶入れてあげる」
「マジ? やりぃ!」

 2人は休憩するため家の入り口へと向かった。
 すると突然、エリアルが大声を上げた。

「あっ‼ ねぇちゃん‼ でっかい魚いる‼ 魚‼」

 振り向くとエリアルが目を輝かせてリーシャの事を見ていた。

「え? 大きいって、これくらい?」

 リーシャは両手を広げてみせた。
 そんな大きな魚がいるのなら、リーシャは釣り上げて夕飯の1品にしたかった。夕飯どころか、保存食にすればしばらく食料に困ることはない。
 けれど、エリアルは思い切り頭を横に思いっきり振って、リーシャの示した大きさを否定した。

「ちっがーう‼ そんな大きさじゃなくて、もっともーっと大きいやつ! 蛇みたいに体長いの!」

 エリアルも両手を広げられるほど広げ、その生き物の巨大さを表そうと一生懸命だった。どうやら、両手では表せないほどの大きさの生き物がこの池にいたようだ。
 けれど、そんな生き物がいたとしたら、何年もここに住むリーシャが気配を全く感じたことがないということはないはずだ。

「うーん……さすがにそこまで大きいのは……そんなのがいたらさすがに気づくと思うんだけど……」
「ほんとだもん‼」

 リーシャは何気なく口に出してしまったが、エリアルの声でハッとした。
 エリアルは頬を膨らませ目を潤ませていた。嘘をついていると思われたのがよほど悔しかったようだ。

「いいもん! 今から捕まえてくるから!」

 そう言うとエリアルは服を脱いで素っ裸になった。

「ちょ! エリアル⁉」

 リーシャの叫びを無視し、エリアルは後先考えずに池の中へ勢いよく飛び込んだ。
 それにはリーシャも大慌てだった。

「エリアル戻ってきなさい! 危ないでしょ! エリアルってばぁぁ‼」

 この池にエリアルが言うような大きな生き物がいるのなら、丸のみにされてしまう可能性が非常に高い。

(巨大魚が見間違いだったとしても、もし危ない生物がいたら……水生の魔物がいたら……)

 リーシャはぞっとした。

「どうしよう、ルシア。追いかけたほうがいいよね? あの子まだ擬態を解くことができないんだから!」

 竜の姿に戻れるようになっていれば、いざという時は竜の姿で戦えばどうにかなるかもしれない。
 けれど今のエリアルは竜の姿にはなれない。人間の子供が何も持たず、危険地帯に侵入してしまった状態だ。
 ルシアも慌てているはずなのに、冷静さを装っているのか落ち着き払ったような声を出した。

「そうだな。俺が行ってくる。リーシャはここにいてくれ」
「嫌! 私も一緒に行く!」

 自分が余計なことを言ったせいでこんな事態になったと思っているリーシャは、1人陸地で待つなんてことはしたくなかった。
 ルシアは困った顔をして、焦るリーシャの両肩に手を置いた。

「リーシャになんかあったら、俺も兄貴もエリアルも悲しくなる。だから、頼むからここにいてくれ。な?」

 それはリーシャだって同じだった。
 ルシアだけに行かせて、ルシアとエリアルの2人に何かあったら一生後悔する。そんな思いはしたくなかった。
 それに、リーシャには魔法がある。
 仮にも王都最強と言われるだけの実力がリーシャにはある。いざとなれば魔法を使えばどんな生き物にも勝てる自信があった。
 リーシャはルシアの手を払いのけ、池の方へ走った。

「リーシャ!」

 自分を呼ぶ声を無視して池に飛び込もうした瞬間、池の方からエリアルの声が聞こえてきた。

「ねぇちゃーん! おっきい魚いたよー!」

 見るとエリアルが少し離れた場所の水面に立ち、こちらに向かって手を振っていた。

「エリアル⁉」

 リーシャは目を見開いた。

(一体どういうこと⁉ なんで水面に⁉)

 驚いて見ていると、気のせいか立ったままこちらに近づいてきているような気がした。気がするではなく近づいている。足を動かしていないというのに。
 数分もしないうちに池の端までエリアルは戻ってきた。

「大丈夫⁉ というか何で水面に立ってたの⁉」
「このおじさんが運んでくれたの」
「おじさん?」

 エリアルは池を指差していた。

(池の中の、おじさん?)

 水面を見ると巨大な何かの影があった。魚にしては胴がかなり長い。
 エリアルが岸に上がると、その何かは池の中から顔を出した。
 その大きさに驚き、リーシャは後ずさった。

「⁉ なっ、なにこれ⁉ 魔物⁉」

 その生き物はナマズのような顔をしていた。顔だけの大きさでリーシャの身長ほどはある。胴は頭とのバランスから言うと、ナマズより圧倒的に長い。魔物の類だろう。
 予想だにしていなかった生き物にあっけに取られていると、池から顔を出したそれは口を開いた。

「やあやあ、こんにちは人間のお嬢さん。それとよくわからない生き物のお兄さん。私の名前はスコッチ。よろしくね」
「しゃべったぁ⁉」

 普通、魔物は人の言葉は話せない。ましてや水中で生きる魔物が人の言葉を話せるなんてありえないことだ。
 リーシャが驚いて目を丸くしていると、スコッチと名乗る魔物が口を開いた。

「そりゃあ、長く生きてたらしゃべれるようになるし、人の言葉だって覚えるさ。それになんたって私は頭がいいからね」

 スコッチはエヘンと、自慢げに言った。
 最近は竜のルシアたちが人間に擬態できるという事実が発覚して驚いているのに、さらに知られざる事実が発覚したリーシャの頭の中は真っ白になっていた。
 リーシャはハッと我に返ると、その魔物に話しかけてみた。

「えっと……いつからここに住んでいるんですか? 全く気付かなかったんですけど……」

 スコッチはそりゃそうさと、ハハッと笑った。

「私はお嬢さんがここに家を建てるずっと前からこの池に住んでいたよ。お嬢さんの魔力が大きいのはわかってたから、顔合わせたら殺されちゃうかもしれないって思って池の底でおとなしくしてたんだよね。けど最近、なんだかよくわからない気配が居着いたから気になって、様子を見に上がってきたんだよ。そしたらこの子に見つかってしまったみたいで。いやぁ、焦ったよね」

 なかなか気の良いナマズ風の魔物のようだ。全く敵対視されているような感じはない。

「それなら、なっ、なんでわざわざ私に姿を見せたんですか? エリアルに見つかっても、そのまま池の底にいれば会わなくてすんだのに」

 今まで殺されないようにと隠れていたのに、リスクを冒してまで姿を現した理由がわからない。
 スコッチは、そうなんだけどねと頷いた。

「この子すごいよねぇ。かなり深いとこまで追ってきちゃって。さすがに危ないから水面まで連れてきてあげたんだよ。その時に気づいたんだ。人間じゃないこの子たちを手元に置いているんだ。もしかしたら私とも仲良くしてくれるんじゃないかってね。私も話をしてくれる相手、ほしかったから。魚たちは私を怖がって逃げちゃうし、ずっと1人で」

 表情は読み取りづらいけれど、どことなくそわそわしているようだった。

「仲良くしてくれるかい?」
「は、はぁ」
「堅苦しいのは無し。もっとフレンドリーにいこうよ。ね?」
「う、うん」

 スコッチはとても嬉しそうに口を開けた。
 限られた池という空間。どこにも行くことはできず、小さな生き物たちは、彼を恐れ近づかない。
 彼はずっと孤独だったのだ。危険を冒してまでも誰かとつながりを持ちたいと思えるほどに。
 わずかな希望に掛けたのだろう。
 リーシャは、今後自分の首を絞めることになるかもしれないとわかっていたけれど、スコッチが少しでも孤独でなくなるのならと、彼との縁を断ち切ることができなかった。
 スコッチが突然思い出した、と口を開いた。

「そうだ! 仲良くしてくれる記念にお嬢さんにアレをあげよう。池の底で眠ったままじゃアレも何の価値もないだろうからね」
「アレ??」

 リーシャは首をかしげた。
 スコッチはちょっと待っててと言い残し、ウキウキしながら池の底へと潜っていった。
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