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体調不良
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ガリガリガリガリガリガリ……
「こらーっ! エリアル! 壁で爪研ぎしちゃだめだって、何度も言ってるでしょ!」
「……キュウン……」
リーシャが小さな黒竜3匹を迎え入れてから半年。
連れ帰った時は両手サイズだった3匹の成長は早く、今では頭の位置がリーシャの胸の高さになるくらいまでに成長していた。
竜という生き物は本当に賢く、3匹は人の言葉を発することはできないが、人と同じように言葉を理解し、考え、行動することができるようになった。
リーシャが叱っているエリアルというのは、1番小さ黒竜だ。3匹の中で1番の甘えん坊である。
叱られるとわかっているのに壁で爪を研いでしまうのは、リーシャにかまって欲しいがための行動のようだ。
その証拠に、怒られてしょんぼりとしているように見せてはいるけれど、すぐにも飛びかかりたそうにソワソワしながらリーシャのことをチラ見している。
「反省してないでしょ……もーほんとに。もう絶対にやらないでよ」
「キュウ!」
「うわぁっ!」
諦め気味に叱るのを止めると、エリアルはすぐに嬉しそうに両手を広げ、リーシャに勢いよく抱き着いた。これはもう確信犯としかいいようがない。
「わっ、わかったから、遊んであげるから、ちょっと放して!」
「キュウン!」
悪い事をしたら本当はもっときちんと叱るべきなのだろうけれど、エリアルのこの行動が可愛くて強く叱ることができないというのが悩みものだ。
エリアル以外の2匹も個性的に立派に成長している。
2番目に大きな黒竜はルシアと名付けた。とても面倒見の良い竜で、エリアルの遊び相手になっている姿をよく見る。
それにリーシャが荷運びをしていると自分が持つと言いたげに手を差し出してくれたり、狩りの手伝いをしてくれたりもする。もちろん人に見つからないように気をつけて、だ。
そういったルシアの行動に、リーシャは「実は人間が竜の着ぐるみを着ているだけなのでは?」と疑いたくなったことが何度もあった。それくらい優しくて良い子なのだ。
ただ最近、夜中にリーシャが寝ているベッドに潜り込んできたり、何かを訴えたそうにじっと見つめてきたりするので、それは幼い竜とはいえ恥ずかしいから止めてほしかった。
そう思うのはルシアの行動が人間に近いからなのかだろうか。
そして3匹の中で1番体の大きな黒竜がノア。1番の悩みの種がこの竜だ。
何が悩みなのかというと、他の2匹とは違って全く懐いてくれる気配がないことだ。
名前を呼ぶと一瞬ちらっと見てはくれるものの、すぐにそっぽを向いてしまう。
けれどそれはまだ良い方。リーシャがエリアルやルシアにかまっていると、不機嫌そうにやって来て2匹を引き離し、睨むような眼をリーシャに向けて立ち去っていく。
ノアはわけもわからないまま自分たちを親元から連れ去ったリーシャを許せないのかもしれない。そして、そんな嫌いなリーシャにルシアとエリアルが懐いているので、余計に気に食わないと思っているのではないだろうか。
リーシャはノアの敵意のようなものに若干命の危機を感じながらも、なんだかんだ平穏な生活を送っていた。
そんなある日、事件は起こった。
リーシャが昼食を済ませた後、森へ出かけるために動きやすい服へ着替えていると、コンコンッと部屋の扉が叩かれた。
いつものようにルシアが、リーシャの出かけようとする気配に気づいて迎えに来たのだろう。
「ちょっと待って……もういいよ」
服を着替え終わってからノックに応えると、廊下側から扉が開かれた。
そこに立っていたのは思った通り、ルシアだった。
「ルシア、今日も手伝ってくれるの? ありがとね。今日はね、しばらく家に籠りたいから多めに食料を集めようと思うんだ。だから、口が大きめの籠を持って……」
リーシャはルシアの姿に違和感を感じ取った。なんとなくいつもと様子が違うような気がする。
「……って、あれ? もしかしてルシア、体調悪い?」
「グルル……」
ルシアは頭を横に振った。けれど、見れば見るほど明らかに様子がおかしいように思える。
いつもは背を伸ばしてシャキッとした佇まいをしているのに、今日は背中を大きく前に曲げていて、呼吸も荒い。見るからにつらそうだった。
こんな状態のルシアを連れ回すわけにはいかない。
「今日は大人しくしてたほうがよさそうだね。おいで」
リーシャはルシアの手を取ると、黒竜たちのために増築した部屋へ連れて行った。
部屋の扉を開けると、ノアとエリアルが床に寝そべっていた。
はじめは昼寝でもしているのだろうと思ったけれど、すぐにそうではないことに気が付いた。2匹もルシアと同様、つらそうな呼吸をしている。
「ちょっと、大丈夫⁉ 風邪ひいたの? ……って、竜にも風邪ってあるの……?」
困ったことにリーシャには竜の病気のことなど全く分からない。調べようにもそんな文献がそもそも存在していない。
人には近寄らず、近寄れば殺しにかかってくるような力の強い生き物を、力を持たない研究者がどうこうできるわけがないのだ。
とりあえずリーシャは、エリアルの額に手を当て熱がないか確かめようと試みた。
「グルルゥ?」
エリアルは首を傾げ、「なあに?」と言っているような声を出した。
手を当ててはみたものの、やはりリーシャには熱があるのかどうかわからなかった。
よく考えると、日ごろ竜たちの体温など気にしたことなどないので、わかるわけがなかった。
「う~ん……この子たちを置いて出かけるのはなぁ」
生態があまりわかっていない以上、今の竜たちがどういう状態にあるのか全く予測がつかない。傍にいて病状の変化があるごとに対応するのが1番良いはずだ。
けれど、前回森の中から持ち帰った食材はほとんど食べつくしてしまっている。今食糧庫には、今夜3匹の竜の腹を満たせるかどうかというぐらいしか残っていない。
(備蓄を切らさないように、もっとこまめに食料を集めに行けばよかった……)
リーシャがどうしようかと腕を組んで悩んでいると、爪が刺さらないくらいの力でルシアがつんつんと肩を突いてきた。
「グルル」
「どうしたの?」
ルシアは扉の方を指さし、「行け」というように顎をクイっと扉の方へ向けて動かした。
「気にせず行けってこと?」
「グウ」
ルシアは頷いた。
行けと言われても、体調を崩した3匹を置いて出かけるのはためらわれる。傍にいればどうにかなるという保証があるわけでもないけれど。
「でも……出かけてる間にあなたたちに何かあったら……」
「……」
ルシアは何の声も発せず、リーシャのことをじっと見つめた。
夕飯の心配をしているのだろうかと思うくらいには真剣に見つめている。
「今晩、私が我慢したらルシアたちのご飯分はあるよ?」
「……」
そういうわけではなかったらしい。ルシアはリーシャから視線を外さない。
リーシャにはその視線が、大丈夫だから行って来い、と訴えかけているもののように思えた。
もしかしたら、リーシャの重荷になりたくないと思っているのかもしれない。
「はぁ……わかった。行ってくる。行ってくるから」
そう言うとルシアは納得したのか「ガウ」と短く鳴くと、エリアルの側へ行き、寄り添って眠りについた。
まだ小さいエリアルのことが心配のようだ。
リーシャはもう1度3匹の様子を見渡した。
(……ここでぼーっとしていてもしかたない、か。せめて3匹のお腹をいっぱいにできるくらいの食料を集めて、美味しい料理を食べさせてあげよう)
そう思い、リーシャは1人、森へと出かけて行った。
1時間ほど森を歩き回ると、予定していた量とまではいかなかったけれど、3日は凌げるくらいの量の山菜や野生動物が捕れた。
「たったこれだけの量なのに。なんか前より時間がかかってるような……」
最近はルシアが手伝ってくれていたため1人での狩りの感覚が鈍ってしまったのかもしれない。その上、竜の兄弟たちの事が心配であまり集中して探すことができなかった。
とはいえ、少なくとも今日明日食べられるだけの食料は確保できた。
こうして1人になって3匹のことを考えていると、リーシャにとって3匹が大きな存在になっていることに気づいてしまった。
もし体調が悪化して死んでしまったら。そんなことは考えたくもなかった。
「……急いで帰ろう」
一気に体温が下がったような感覚に襲われたリーシャは踵を返し、家に向けて走り出した。
走っている間、3匹の症状が悪化していないか、人間の薬が竜の体に効くのかなど、様々なことをもやもやとした気持ちで考え続けた。
(そんなに遠くまではきていないはずなのに……早く帰らないと)
家にたどり着くまでの時間が異様に長く感じた。
懸命に走り続けて、やっとのことでリーシャは家にたどり着いた。
(ルシアたち、大丈夫かな)
鍵を開けて家の中に入ると、奥から人の話し声が聞こえてきた。
その異様な状況にリーシャの心臓は鼓動を速めた。嫌な汗がにじみ出ているような気もする。
(カギは……かかってた。かけて出た記憶もある。なんで人間の声がするの? まさか強盗?)
リーシャは息をひそめ、会話の内容を聞き取ろうと集中して話し声に耳を傾けた。
「嫌だ嫌だ嫌だ! 今から行くんだ! 早く見せたいんだよ!」
少し幼い声とともに、ドスドスと足踏みをしている音がした。
「いう事聞けって。いきなりこの姿見せたって、ただの不審者にみられるだけだって言ってるだろ。俺達だってわけがわかってないのに。なぁ、兄貴」
「まぁ……そうだな」
「嫌だぁ! にぃちゃんたちのバカァァァ‼」
会話を聞く限り、人数は3人。兄弟のようだ。
会話の意味はよく分からなかった。
取られて困る金品は魔法を使って簡単には取り出せないように仕舞いこんでいるから、その辺りは心配していない。
しかし今は、この家には3匹の竜がいる。
飼育・売買が禁止されているといっても、陰でこっそりと行われているという話を聞く。力の弱い子供の竜は格好の餌食のはずだ。
(声は竜たちの部屋の方から聞こえてくる。やっぱり狙いはあの子たちなんだ!)
3匹の安否を確認するため、リーシャは音を立てないよう気をつけながら声のする部屋へと近づいた。そして再び耳を立て、部屋の中の様子を窺った。
「……なぁ、なんかさっきから部屋の外でなんか気配してる気がするんだけど、気のせいか?」
「いや……気のせいではないだろう」
リーシャの心臓がドクンを大きな音を立てた。
(物音なんてほとんど立てていないのに!)
それなのに存在に気づかれてしまった。相手はそうとうの手練れのようだ。
(一旦外へ逃げたほうが……けど3匹が……)
考えがまとまらず、リーシャはその場からすぐには動けなかった。
「嘘だろ? いつも2、3時間は外出てんのに、何でこういう日に限って早く帰ってくるんだよ!」
「体調を崩してると思っていたんだ。心配して早めに切り上げて帰って来たんだろう」
「え? なになに? もう帰って来たの⁉ やったー‼」
誰かが扉の方に向かって走ってくる音が聞こえてきた。嬉しそうな声を出した人間だろうか。
「おいバカ‼ そんな嬉しそうに行くんじゃねぇ! この状況どう説明するんだよ! というかそのまま行ったら……」
止める声などおかまいなしに勢いよくドアが開け放たれ、何者かがリーシャに飛びかかってきた。
「リーシャねーちゃーん‼」
リーシャは避けることも受け止めることもできず、勢いあるまま大きな音を立て、床に押し倒された。
「ねぇちゃん見てよ。僕、こんな姿になれたんだよ。すごくない!」
リーシャの上に跨って嬉しそうに話しかけてきたのは、大きな目をキラキラと輝かせた、可愛らしい少年だった。
柔らかそうなふわふわした短い黒髪をしている。
一瞬、整った可愛らしい顔が自分の顔を至近距離で覗き込んでいたことにドキッとしてしまった。
しかし、顔から下の姿に気づいた途端に一変し、ぎょっとした。
「ちょ、何で君は服着てないの! 何で素っ裸なの⁉ てゆーか君は誰⁉ だいたい私には弟なんていませーーん‼」
「?」
少年は頭を傾けた。
リーシャ自身も、焦りで自分が何を言っているのかよくわからなかった。
言動はかなり幼いが、見た目はさほど幼くはない印象だ。背はリーシャより少し低いくらい。男の子にしては小柄のような気はする。
そんな異性の裸を見て冷静でいられるわけはなかった。
リーシャが混乱していると、またこちらへ何者かが歩いてくる音がした。
「こら! ったく。だから言っただろうが。とりあえず重たいからのいてやれ、な?」
「はぁい……」
近づいてきた人物の言葉に少年は口をとがらせ、しぶしぶリーシャの上から降りた。
「大丈夫か?」
「は、はい」
声の主が手を差し出しているのが目の端に映った。
掴まれという事なのだろうと思い、その手を取ろうと男を見た瞬間リーシャは悲鳴を上げた。
「キャーーーーーー‼ 変態ーーーーーーーーーー‼」
(なんでこの男も服を着ていないの⁉)
リーシャの悲鳴は、外の木にとまっていた鳥が慌てて飛び去っていくほどの悲鳴だった。
「こらーっ! エリアル! 壁で爪研ぎしちゃだめだって、何度も言ってるでしょ!」
「……キュウン……」
リーシャが小さな黒竜3匹を迎え入れてから半年。
連れ帰った時は両手サイズだった3匹の成長は早く、今では頭の位置がリーシャの胸の高さになるくらいまでに成長していた。
竜という生き物は本当に賢く、3匹は人の言葉を発することはできないが、人と同じように言葉を理解し、考え、行動することができるようになった。
リーシャが叱っているエリアルというのは、1番小さ黒竜だ。3匹の中で1番の甘えん坊である。
叱られるとわかっているのに壁で爪を研いでしまうのは、リーシャにかまって欲しいがための行動のようだ。
その証拠に、怒られてしょんぼりとしているように見せてはいるけれど、すぐにも飛びかかりたそうにソワソワしながらリーシャのことをチラ見している。
「反省してないでしょ……もーほんとに。もう絶対にやらないでよ」
「キュウ!」
「うわぁっ!」
諦め気味に叱るのを止めると、エリアルはすぐに嬉しそうに両手を広げ、リーシャに勢いよく抱き着いた。これはもう確信犯としかいいようがない。
「わっ、わかったから、遊んであげるから、ちょっと放して!」
「キュウン!」
悪い事をしたら本当はもっときちんと叱るべきなのだろうけれど、エリアルのこの行動が可愛くて強く叱ることができないというのが悩みものだ。
エリアル以外の2匹も個性的に立派に成長している。
2番目に大きな黒竜はルシアと名付けた。とても面倒見の良い竜で、エリアルの遊び相手になっている姿をよく見る。
それにリーシャが荷運びをしていると自分が持つと言いたげに手を差し出してくれたり、狩りの手伝いをしてくれたりもする。もちろん人に見つからないように気をつけて、だ。
そういったルシアの行動に、リーシャは「実は人間が竜の着ぐるみを着ているだけなのでは?」と疑いたくなったことが何度もあった。それくらい優しくて良い子なのだ。
ただ最近、夜中にリーシャが寝ているベッドに潜り込んできたり、何かを訴えたそうにじっと見つめてきたりするので、それは幼い竜とはいえ恥ずかしいから止めてほしかった。
そう思うのはルシアの行動が人間に近いからなのかだろうか。
そして3匹の中で1番体の大きな黒竜がノア。1番の悩みの種がこの竜だ。
何が悩みなのかというと、他の2匹とは違って全く懐いてくれる気配がないことだ。
名前を呼ぶと一瞬ちらっと見てはくれるものの、すぐにそっぽを向いてしまう。
けれどそれはまだ良い方。リーシャがエリアルやルシアにかまっていると、不機嫌そうにやって来て2匹を引き離し、睨むような眼をリーシャに向けて立ち去っていく。
ノアはわけもわからないまま自分たちを親元から連れ去ったリーシャを許せないのかもしれない。そして、そんな嫌いなリーシャにルシアとエリアルが懐いているので、余計に気に食わないと思っているのではないだろうか。
リーシャはノアの敵意のようなものに若干命の危機を感じながらも、なんだかんだ平穏な生活を送っていた。
そんなある日、事件は起こった。
リーシャが昼食を済ませた後、森へ出かけるために動きやすい服へ着替えていると、コンコンッと部屋の扉が叩かれた。
いつものようにルシアが、リーシャの出かけようとする気配に気づいて迎えに来たのだろう。
「ちょっと待って……もういいよ」
服を着替え終わってからノックに応えると、廊下側から扉が開かれた。
そこに立っていたのは思った通り、ルシアだった。
「ルシア、今日も手伝ってくれるの? ありがとね。今日はね、しばらく家に籠りたいから多めに食料を集めようと思うんだ。だから、口が大きめの籠を持って……」
リーシャはルシアの姿に違和感を感じ取った。なんとなくいつもと様子が違うような気がする。
「……って、あれ? もしかしてルシア、体調悪い?」
「グルル……」
ルシアは頭を横に振った。けれど、見れば見るほど明らかに様子がおかしいように思える。
いつもは背を伸ばしてシャキッとした佇まいをしているのに、今日は背中を大きく前に曲げていて、呼吸も荒い。見るからにつらそうだった。
こんな状態のルシアを連れ回すわけにはいかない。
「今日は大人しくしてたほうがよさそうだね。おいで」
リーシャはルシアの手を取ると、黒竜たちのために増築した部屋へ連れて行った。
部屋の扉を開けると、ノアとエリアルが床に寝そべっていた。
はじめは昼寝でもしているのだろうと思ったけれど、すぐにそうではないことに気が付いた。2匹もルシアと同様、つらそうな呼吸をしている。
「ちょっと、大丈夫⁉ 風邪ひいたの? ……って、竜にも風邪ってあるの……?」
困ったことにリーシャには竜の病気のことなど全く分からない。調べようにもそんな文献がそもそも存在していない。
人には近寄らず、近寄れば殺しにかかってくるような力の強い生き物を、力を持たない研究者がどうこうできるわけがないのだ。
とりあえずリーシャは、エリアルの額に手を当て熱がないか確かめようと試みた。
「グルルゥ?」
エリアルは首を傾げ、「なあに?」と言っているような声を出した。
手を当ててはみたものの、やはりリーシャには熱があるのかどうかわからなかった。
よく考えると、日ごろ竜たちの体温など気にしたことなどないので、わかるわけがなかった。
「う~ん……この子たちを置いて出かけるのはなぁ」
生態があまりわかっていない以上、今の竜たちがどういう状態にあるのか全く予測がつかない。傍にいて病状の変化があるごとに対応するのが1番良いはずだ。
けれど、前回森の中から持ち帰った食材はほとんど食べつくしてしまっている。今食糧庫には、今夜3匹の竜の腹を満たせるかどうかというぐらいしか残っていない。
(備蓄を切らさないように、もっとこまめに食料を集めに行けばよかった……)
リーシャがどうしようかと腕を組んで悩んでいると、爪が刺さらないくらいの力でルシアがつんつんと肩を突いてきた。
「グルル」
「どうしたの?」
ルシアは扉の方を指さし、「行け」というように顎をクイっと扉の方へ向けて動かした。
「気にせず行けってこと?」
「グウ」
ルシアは頷いた。
行けと言われても、体調を崩した3匹を置いて出かけるのはためらわれる。傍にいればどうにかなるという保証があるわけでもないけれど。
「でも……出かけてる間にあなたたちに何かあったら……」
「……」
ルシアは何の声も発せず、リーシャのことをじっと見つめた。
夕飯の心配をしているのだろうかと思うくらいには真剣に見つめている。
「今晩、私が我慢したらルシアたちのご飯分はあるよ?」
「……」
そういうわけではなかったらしい。ルシアはリーシャから視線を外さない。
リーシャにはその視線が、大丈夫だから行って来い、と訴えかけているもののように思えた。
もしかしたら、リーシャの重荷になりたくないと思っているのかもしれない。
「はぁ……わかった。行ってくる。行ってくるから」
そう言うとルシアは納得したのか「ガウ」と短く鳴くと、エリアルの側へ行き、寄り添って眠りについた。
まだ小さいエリアルのことが心配のようだ。
リーシャはもう1度3匹の様子を見渡した。
(……ここでぼーっとしていてもしかたない、か。せめて3匹のお腹をいっぱいにできるくらいの食料を集めて、美味しい料理を食べさせてあげよう)
そう思い、リーシャは1人、森へと出かけて行った。
1時間ほど森を歩き回ると、予定していた量とまではいかなかったけれど、3日は凌げるくらいの量の山菜や野生動物が捕れた。
「たったこれだけの量なのに。なんか前より時間がかかってるような……」
最近はルシアが手伝ってくれていたため1人での狩りの感覚が鈍ってしまったのかもしれない。その上、竜の兄弟たちの事が心配であまり集中して探すことができなかった。
とはいえ、少なくとも今日明日食べられるだけの食料は確保できた。
こうして1人になって3匹のことを考えていると、リーシャにとって3匹が大きな存在になっていることに気づいてしまった。
もし体調が悪化して死んでしまったら。そんなことは考えたくもなかった。
「……急いで帰ろう」
一気に体温が下がったような感覚に襲われたリーシャは踵を返し、家に向けて走り出した。
走っている間、3匹の症状が悪化していないか、人間の薬が竜の体に効くのかなど、様々なことをもやもやとした気持ちで考え続けた。
(そんなに遠くまではきていないはずなのに……早く帰らないと)
家にたどり着くまでの時間が異様に長く感じた。
懸命に走り続けて、やっとのことでリーシャは家にたどり着いた。
(ルシアたち、大丈夫かな)
鍵を開けて家の中に入ると、奥から人の話し声が聞こえてきた。
その異様な状況にリーシャの心臓は鼓動を速めた。嫌な汗がにじみ出ているような気もする。
(カギは……かかってた。かけて出た記憶もある。なんで人間の声がするの? まさか強盗?)
リーシャは息をひそめ、会話の内容を聞き取ろうと集中して話し声に耳を傾けた。
「嫌だ嫌だ嫌だ! 今から行くんだ! 早く見せたいんだよ!」
少し幼い声とともに、ドスドスと足踏みをしている音がした。
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しかし今は、この家には3匹の竜がいる。
飼育・売買が禁止されているといっても、陰でこっそりと行われているという話を聞く。力の弱い子供の竜は格好の餌食のはずだ。
(声は竜たちの部屋の方から聞こえてくる。やっぱり狙いはあの子たちなんだ!)
3匹の安否を確認するため、リーシャは音を立てないよう気をつけながら声のする部屋へと近づいた。そして再び耳を立て、部屋の中の様子を窺った。
「……なぁ、なんかさっきから部屋の外でなんか気配してる気がするんだけど、気のせいか?」
「いや……気のせいではないだろう」
リーシャの心臓がドクンを大きな音を立てた。
(物音なんてほとんど立てていないのに!)
それなのに存在に気づかれてしまった。相手はそうとうの手練れのようだ。
(一旦外へ逃げたほうが……けど3匹が……)
考えがまとまらず、リーシャはその場からすぐには動けなかった。
「嘘だろ? いつも2、3時間は外出てんのに、何でこういう日に限って早く帰ってくるんだよ!」
「体調を崩してると思っていたんだ。心配して早めに切り上げて帰って来たんだろう」
「え? なになに? もう帰って来たの⁉ やったー‼」
誰かが扉の方に向かって走ってくる音が聞こえてきた。嬉しそうな声を出した人間だろうか。
「おいバカ‼ そんな嬉しそうに行くんじゃねぇ! この状況どう説明するんだよ! というかそのまま行ったら……」
止める声などおかまいなしに勢いよくドアが開け放たれ、何者かがリーシャに飛びかかってきた。
「リーシャねーちゃーん‼」
リーシャは避けることも受け止めることもできず、勢いあるまま大きな音を立て、床に押し倒された。
「ねぇちゃん見てよ。僕、こんな姿になれたんだよ。すごくない!」
リーシャの上に跨って嬉しそうに話しかけてきたのは、大きな目をキラキラと輝かせた、可愛らしい少年だった。
柔らかそうなふわふわした短い黒髪をしている。
一瞬、整った可愛らしい顔が自分の顔を至近距離で覗き込んでいたことにドキッとしてしまった。
しかし、顔から下の姿に気づいた途端に一変し、ぎょっとした。
「ちょ、何で君は服着てないの! 何で素っ裸なの⁉ てゆーか君は誰⁉ だいたい私には弟なんていませーーん‼」
「?」
少年は頭を傾けた。
リーシャ自身も、焦りで自分が何を言っているのかよくわからなかった。
言動はかなり幼いが、見た目はさほど幼くはない印象だ。背はリーシャより少し低いくらい。男の子にしては小柄のような気はする。
そんな異性の裸を見て冷静でいられるわけはなかった。
リーシャが混乱していると、またこちらへ何者かが歩いてくる音がした。
「こら! ったく。だから言っただろうが。とりあえず重たいからのいてやれ、な?」
「はぁい……」
近づいてきた人物の言葉に少年は口をとがらせ、しぶしぶリーシャの上から降りた。
「大丈夫か?」
「は、はい」
声の主が手を差し出しているのが目の端に映った。
掴まれという事なのだろうと思い、その手を取ろうと男を見た瞬間リーシャは悲鳴を上げた。
「キャーーーーーー‼ 変態ーーーーーーーーーー‼」
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