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終幕
カフェバー「ムーンサイド」
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「ありがとうございましたーっ!」
ランチタイム最後の客を、俺は笑顔で送り出した。
ドアにかけてあるプレートを「営業中」から「休憩中」へとひっくり返し、店内へ戻る。
きれいに空になった食器をトレイにまとめてカウンターへ運ぶと、店長が流し台へと移動させる。
お座敷様効果で大行列のお客さん達をなんとかさばき終わり、心地よい疲れと達成感……今日もしっかり腹ペコだ。
ドアの開く音がして、制服姿の万里が入って来る。
「ただいま~」
「おかえり、今日は早いんだな」
「テスト期間に入ったから」
店長が厨房から顔を覗かせた。
「万里くん、おかえり。ちょうど今から都築くんのお昼なんだけど、一緒に食べる?」
「うん、お腹へった」
万里と並んでカウンターの椅子に腰かける。
「万里、テストどうだった?」
「ぜーんぜんダメ。特に数学が、もうワケわかんない……都築、後でちょっと教えてよ」
「えぇっ!? 無理無理! 俺も数学はめちゃくちゃ苦手だったし……」
話していると店長がまかないを運んできてくれる。
俺たちの前に置かれたのは……、
「親子丼! あぁ~、ウマそう~っ! いただきまーす!」
「ん、おいしそう……いただきます」
二人同時に手を合わせ、食べ始める。プリプリの鶏肉は煮込む前にちょっと皮目を炙ってあって香ばしい! 甘い出汁の香りと、見るからにふわふわトロトロの半熟卵……三つ葉の緑が彩りも鮮やかで……
「俺、三つ葉きらーい。草はいらない、都築にあげる」
万里は三つ葉を箸で摘まんで、俺の丼に移動させてくる。
「草って言うな! って、こら! ちゃんと自分で食え!」
店長が緑茶を淹れてきてくれる。俺と万里、それぞれ専用の湯呑だ。
俺の隣の席にもウサギ柄のマグカップが置かれる。クリームたっぷりのココアはお座敷様用だ。今日のランチタイムも商売繁盛ありがとうございました!
三つ葉に顔をしかめている万里に、店長は笑みを漏らす。
「万里くんは好き嫌い激しいから、工夫し甲斐あるよ……昨日なんか、細かく刻んだピーマンをハンバーグに仕込んで食べさせたんだよ」
「店長、……幼稚園児の母親みたいになってますよ」
「普通に食べちゃった……」
ちょっと拗ねたように顔をしかめる万里だが、親子丼はしっかり食べている。
「あ、でも……今日の分の書き取りはちゃんと終わらせた。サンスクリット語とヒンディー語」
飯粒を口元にくっつけたまま、万里はちょっと得意げに言う。
「は? なんだそれ? 私立の高校って英語以外にそんなもん習うのか?」
俺の問いに、店長が小さく吹き出す。
「そんなわけないだろ、書き取りは僕からの課題だよ。ヘブライ語は万里くん自分で勉強してたけど、残りの二つも使えるようになれば、読める文献や資料が一気に増えるからね」
万里が湯呑に手を伸ばす。万里専用の湯呑には、可愛いカエルのイラストが入っていた。
小学生が使うような絵柄の湯呑で茶を飲んでる奴が、サンスクリット語だのヒンディー語だの言ってるなんて……シュールだ。
万里は茶をすすって、ほっと一息つく。
「……梵字は分かるからサンスクリット語はなんとかなりそうだけど……ヒンディー語が難しい」
「できればラテン語も勉強させたいんだよねぇ……そうしたら、うちのマンションにある書物はだいたい読めるようになるし……」
「ほ、ほんとにっ!? じゃあ、頑張る!!」
なんだなんだ? 万里の興味をそそる本がそんなにあるのか?
てか、祓い屋って……語学の勉強から、なのか? しかも、そんなにたくさん?
……俺には無理だ。
二人の話を聞いてるだけで、頭が痛くなりそうだ。
「あ、忘れるとこだった……」
何やら思い出したように、万里は鞄から紙を一枚取り出した。見れば「進路希望調査書」と書いてある。
「クラスで出してないの俺だけらしくて、明日には出せって先生言ってた」
店長は、ふむ……と、軽く首を傾げて考える。
「何か、希望あるの?」
「管狐のこと、もっと勉強して……管匠になれたらいいなと思ってたけど。こないだ尾張サンが教えてくれたイギリスの魔術学校への留学も面白そう」
俺は思わずガタガタッと椅子から立ち上がった。
「ま、まさか! そんな学校あるんですか!? 本当に!?」
俺の食いつきに、店長は軽く目を瞬かせた。そしてすぐにジト目になる。
「言っとくけど、『魔法学校』じゃなくて『魔術学校』だからね。都築くんが思ってるほどファンタジーでもメルヘンでもないから。すごーく地味な学校だよ。しかも、万里くん……あっちに行ったら老若男女にモテモテだろうし、一人で行かせるのはちょっと心配だな……」
完全に、親目線――……っ!!
というか、管匠にしろ魔術学校留学にしろ……そんなこと進路希望調査書に書けるのか?
それを受け取った時の担任教師の表情を想像し、俺はちょっと可哀そうになった。
万里は楽しそうに笑う。
「……面白そうなことが多くて、困る」
万里はプリントをカバンにしまい、再び親子丼を食べ始めた。
店のドアが開いた。
俺は慌てて入り口へと声をかける。
「営業時間は、まだ――……って、アレク!」
「祓いの仕事が思ったより早く片付いたから、休憩させてもらおうと思ってな。美味そうなもん食ってるじゃないか」
アレクは勝手知ったるといった様子で万里の隣に座る。
カウンター越しに、店長がアレクに声をかけた。
「アレクも親子丼、食べるか?」
「あぁ、昼は食って来たからいい。ジンジャーエールもらえるか?」
「分かった」
シュワシュワと炭酸の泡が立ち昇るジンジャーエールに、ちょこんと可愛いミントが乗ったグラスを、店長はアレクの前に置いた。
一口飲んで、ふぅ……と息を吐いたアレクは、親子丼をはぐはぐ食べる万里を微笑ましく見守っている。
「おじゃましま~す」
「こんにちは」
再び店のドアが開き、セーラー服の千代ちゃんと百園さんが入って来た。
「今日テスト期間最終日だから、遊びに来ちゃった……尾張さん、ミルクティーを二つお願い」
「いいけど、新作デザートのスフレも味見してくれる?」
「えっ? いいの? ラッキー!」
店長は二人のケーキセットを用意しに厨房へと入って行く。
千代ちゃんと百園さんは万里を見つけ、興味津々といった様子で近づいた。
「これが噂の万里くん? 本当に橘くんと同じ顔してるのね」
「でも、寝ぐせとか……口元にご飯粒ついてて、橘さんとは違って可愛いイメージですね」
百園さんに言われて見れば、確かに……万里の髪は寝ぐせがピョンと跳ねてるとこがあり、食べ方も橘ほど行儀良くない……というか、下手だ。やたらと飯粒をこぼす……誰が掃除すると思ってんだ、まったく。
それにしても、同じ顔でも雰囲気や仕草でずいぶん違うものだなと感心してしまう。
店長がケーキセットを運んでくると、女子二人は奥のソファコーナーに移動した。
ゆっくり寛ぎながら女子トークで盛り上がっている。
「失礼します」
またドアが開いた。入って来たのは――……、
「えっ? 橘?」
「皆さん、お久しぶりです」
橘は礼儀正しくペコリと頭を下げ、店長へと近づいた。
持っていた紙袋の一つを差し出す。
「万里がお世話になっています。これ、お爺様――…あ、いえ、先代からです」
「ありがとう」
店長は受け取った紙袋の中を覗いた。
「あぁ、羊羹だね……ちょうど皆いるし、さっそくいただこうか。橘くんも一緒にどう?」
おぉ! 憧れの京都和菓子!
前に橘が持ってきてくれた栗ようかんも、めちゃくちゃ美味かったな……。
しかし、橘は店長の誘いに首を振った。
「すみません、これからお仕事なんです。万里に渡す物があって寄らせていただいただけなので、すぐに失礼します」
「俺に渡すもの?」
箸を置き、「ごちそうさま」と手を合わせた万里が椅子から立ち上がる。
橘は万里に近づき、持って来たもう一つの紙袋を渡した。
「これ、万里が読みたいって言ってた文献……蔵で探してきたよ」
「ありがとう……」
紙袋を受け取った万里は中を覗き込み、嬉しそうに礼を言った。
「読んで分からないとこあったら……LIMEしていい?」
「うん」
二人の間に流れる、ほんわかした雰囲気……LIMEもしてるのか、うん! いいことだ!
店のドアが開き、オジサン陰陽師が顔を覗かせる。
「お話し中、失礼致します。京一様、そろそろ移動を……」
「あ、はいっ!」
橘は慌てて返事をし、改めて俺たちを見渡して深々と頭を下げた。
「それでは、失礼します!」
「仕事、頑張れよ!」
俺が声をかけると、アレクや千代ちゃん達からも「またな」とか「頑張って!」と声が上がる。
橘はそれはもう嬉しそうに笑った。
「はい!」
橘が出ていき、しばらくすると百園さんのスマホが鳴った。
百園さんはすぐに通話に出る。
「あ、十和子先生! はい、今からですか? 大丈夫です、すぐに行きます!」
話しながら、百園さんは立ち上がりカバンを手にした。通話を切るなり、早足で出口へと向かう。
「すみません、私も失礼します! 尾張さん、スフレ美味しかったです。ごちそうさまでした!」
百園さんにも皆から「がんばれ~!」などと声がかかる。
慌ただしく百園さんが出ていくと、店内はちょっと落ち着いて、皆がゆったりと寛ぎだす。
店長は百園さんのケーキプレートを片付けながら、小さく苦笑した。
「まったく……うちは今、営業時間外なのに……人の出入りが多いな」
愚痴ってる割に、店長はずいぶん楽しそうだ。
千代ちゃんはソファでゆっくりとミルクティーを味わい、アレクはカウンターでジンジャーエールを口に運ぶ。
万里は、さっそく橘から借りた文献とやらをパラパラめくりだした。
事務所の方から電話の着信音が聞こえ、店長が対応へ向かった。
新しい『仕事』の依頼だろうか……。
俺は自分と万里の二人分の丼を厨房へと運び、綺麗に洗って片づけた。
店内へ戻ると、ちょうど店長が事務所から出て来る。
「都築くん、祓いの仕事だよ。すぐに来て欲しいらしい。出かける準備してくれる?」
「はいっ!」
俺が返事をすると、店に居た全員が動き出した。
千代ちゃんがカバンを手に立ち上がる。
「じゃあ、私は帰るわね……お仕事、頑張って!」
アレクは残っていたジンジャーエールをグイッと飲みほした。
「ちょうど車で来てるから、送って行こう」
読んでいた文献をパタンと閉じた万里は、大事そうにカバンにしまう。
「俺も行くー!」
カフェバー「ムーンサイド」は今日も大繁盛!
そして、祓い屋「ムーンサイド」にも次々依頼が舞い込んでくる。
今回の依頼でも、俺は泣いて笑って走って叫んで転げまわり……そりゃもう大変な目に合うのだが、それはまた別の話。
~END~
ランチタイム最後の客を、俺は笑顔で送り出した。
ドアにかけてあるプレートを「営業中」から「休憩中」へとひっくり返し、店内へ戻る。
きれいに空になった食器をトレイにまとめてカウンターへ運ぶと、店長が流し台へと移動させる。
お座敷様効果で大行列のお客さん達をなんとかさばき終わり、心地よい疲れと達成感……今日もしっかり腹ペコだ。
ドアの開く音がして、制服姿の万里が入って来る。
「ただいま~」
「おかえり、今日は早いんだな」
「テスト期間に入ったから」
店長が厨房から顔を覗かせた。
「万里くん、おかえり。ちょうど今から都築くんのお昼なんだけど、一緒に食べる?」
「うん、お腹へった」
万里と並んでカウンターの椅子に腰かける。
「万里、テストどうだった?」
「ぜーんぜんダメ。特に数学が、もうワケわかんない……都築、後でちょっと教えてよ」
「えぇっ!? 無理無理! 俺も数学はめちゃくちゃ苦手だったし……」
話していると店長がまかないを運んできてくれる。
俺たちの前に置かれたのは……、
「親子丼! あぁ~、ウマそう~っ! いただきまーす!」
「ん、おいしそう……いただきます」
二人同時に手を合わせ、食べ始める。プリプリの鶏肉は煮込む前にちょっと皮目を炙ってあって香ばしい! 甘い出汁の香りと、見るからにふわふわトロトロの半熟卵……三つ葉の緑が彩りも鮮やかで……
「俺、三つ葉きらーい。草はいらない、都築にあげる」
万里は三つ葉を箸で摘まんで、俺の丼に移動させてくる。
「草って言うな! って、こら! ちゃんと自分で食え!」
店長が緑茶を淹れてきてくれる。俺と万里、それぞれ専用の湯呑だ。
俺の隣の席にもウサギ柄のマグカップが置かれる。クリームたっぷりのココアはお座敷様用だ。今日のランチタイムも商売繁盛ありがとうございました!
三つ葉に顔をしかめている万里に、店長は笑みを漏らす。
「万里くんは好き嫌い激しいから、工夫し甲斐あるよ……昨日なんか、細かく刻んだピーマンをハンバーグに仕込んで食べさせたんだよ」
「店長、……幼稚園児の母親みたいになってますよ」
「普通に食べちゃった……」
ちょっと拗ねたように顔をしかめる万里だが、親子丼はしっかり食べている。
「あ、でも……今日の分の書き取りはちゃんと終わらせた。サンスクリット語とヒンディー語」
飯粒を口元にくっつけたまま、万里はちょっと得意げに言う。
「は? なんだそれ? 私立の高校って英語以外にそんなもん習うのか?」
俺の問いに、店長が小さく吹き出す。
「そんなわけないだろ、書き取りは僕からの課題だよ。ヘブライ語は万里くん自分で勉強してたけど、残りの二つも使えるようになれば、読める文献や資料が一気に増えるからね」
万里が湯呑に手を伸ばす。万里専用の湯呑には、可愛いカエルのイラストが入っていた。
小学生が使うような絵柄の湯呑で茶を飲んでる奴が、サンスクリット語だのヒンディー語だの言ってるなんて……シュールだ。
万里は茶をすすって、ほっと一息つく。
「……梵字は分かるからサンスクリット語はなんとかなりそうだけど……ヒンディー語が難しい」
「できればラテン語も勉強させたいんだよねぇ……そうしたら、うちのマンションにある書物はだいたい読めるようになるし……」
「ほ、ほんとにっ!? じゃあ、頑張る!!」
なんだなんだ? 万里の興味をそそる本がそんなにあるのか?
てか、祓い屋って……語学の勉強から、なのか? しかも、そんなにたくさん?
……俺には無理だ。
二人の話を聞いてるだけで、頭が痛くなりそうだ。
「あ、忘れるとこだった……」
何やら思い出したように、万里は鞄から紙を一枚取り出した。見れば「進路希望調査書」と書いてある。
「クラスで出してないの俺だけらしくて、明日には出せって先生言ってた」
店長は、ふむ……と、軽く首を傾げて考える。
「何か、希望あるの?」
「管狐のこと、もっと勉強して……管匠になれたらいいなと思ってたけど。こないだ尾張サンが教えてくれたイギリスの魔術学校への留学も面白そう」
俺は思わずガタガタッと椅子から立ち上がった。
「ま、まさか! そんな学校あるんですか!? 本当に!?」
俺の食いつきに、店長は軽く目を瞬かせた。そしてすぐにジト目になる。
「言っとくけど、『魔法学校』じゃなくて『魔術学校』だからね。都築くんが思ってるほどファンタジーでもメルヘンでもないから。すごーく地味な学校だよ。しかも、万里くん……あっちに行ったら老若男女にモテモテだろうし、一人で行かせるのはちょっと心配だな……」
完全に、親目線――……っ!!
というか、管匠にしろ魔術学校留学にしろ……そんなこと進路希望調査書に書けるのか?
それを受け取った時の担任教師の表情を想像し、俺はちょっと可哀そうになった。
万里は楽しそうに笑う。
「……面白そうなことが多くて、困る」
万里はプリントをカバンにしまい、再び親子丼を食べ始めた。
店のドアが開いた。
俺は慌てて入り口へと声をかける。
「営業時間は、まだ――……って、アレク!」
「祓いの仕事が思ったより早く片付いたから、休憩させてもらおうと思ってな。美味そうなもん食ってるじゃないか」
アレクは勝手知ったるといった様子で万里の隣に座る。
カウンター越しに、店長がアレクに声をかけた。
「アレクも親子丼、食べるか?」
「あぁ、昼は食って来たからいい。ジンジャーエールもらえるか?」
「分かった」
シュワシュワと炭酸の泡が立ち昇るジンジャーエールに、ちょこんと可愛いミントが乗ったグラスを、店長はアレクの前に置いた。
一口飲んで、ふぅ……と息を吐いたアレクは、親子丼をはぐはぐ食べる万里を微笑ましく見守っている。
「おじゃましま~す」
「こんにちは」
再び店のドアが開き、セーラー服の千代ちゃんと百園さんが入って来た。
「今日テスト期間最終日だから、遊びに来ちゃった……尾張さん、ミルクティーを二つお願い」
「いいけど、新作デザートのスフレも味見してくれる?」
「えっ? いいの? ラッキー!」
店長は二人のケーキセットを用意しに厨房へと入って行く。
千代ちゃんと百園さんは万里を見つけ、興味津々といった様子で近づいた。
「これが噂の万里くん? 本当に橘くんと同じ顔してるのね」
「でも、寝ぐせとか……口元にご飯粒ついてて、橘さんとは違って可愛いイメージですね」
百園さんに言われて見れば、確かに……万里の髪は寝ぐせがピョンと跳ねてるとこがあり、食べ方も橘ほど行儀良くない……というか、下手だ。やたらと飯粒をこぼす……誰が掃除すると思ってんだ、まったく。
それにしても、同じ顔でも雰囲気や仕草でずいぶん違うものだなと感心してしまう。
店長がケーキセットを運んでくると、女子二人は奥のソファコーナーに移動した。
ゆっくり寛ぎながら女子トークで盛り上がっている。
「失礼します」
またドアが開いた。入って来たのは――……、
「えっ? 橘?」
「皆さん、お久しぶりです」
橘は礼儀正しくペコリと頭を下げ、店長へと近づいた。
持っていた紙袋の一つを差し出す。
「万里がお世話になっています。これ、お爺様――…あ、いえ、先代からです」
「ありがとう」
店長は受け取った紙袋の中を覗いた。
「あぁ、羊羹だね……ちょうど皆いるし、さっそくいただこうか。橘くんも一緒にどう?」
おぉ! 憧れの京都和菓子!
前に橘が持ってきてくれた栗ようかんも、めちゃくちゃ美味かったな……。
しかし、橘は店長の誘いに首を振った。
「すみません、これからお仕事なんです。万里に渡す物があって寄らせていただいただけなので、すぐに失礼します」
「俺に渡すもの?」
箸を置き、「ごちそうさま」と手を合わせた万里が椅子から立ち上がる。
橘は万里に近づき、持って来たもう一つの紙袋を渡した。
「これ、万里が読みたいって言ってた文献……蔵で探してきたよ」
「ありがとう……」
紙袋を受け取った万里は中を覗き込み、嬉しそうに礼を言った。
「読んで分からないとこあったら……LIMEしていい?」
「うん」
二人の間に流れる、ほんわかした雰囲気……LIMEもしてるのか、うん! いいことだ!
店のドアが開き、オジサン陰陽師が顔を覗かせる。
「お話し中、失礼致します。京一様、そろそろ移動を……」
「あ、はいっ!」
橘は慌てて返事をし、改めて俺たちを見渡して深々と頭を下げた。
「それでは、失礼します!」
「仕事、頑張れよ!」
俺が声をかけると、アレクや千代ちゃん達からも「またな」とか「頑張って!」と声が上がる。
橘はそれはもう嬉しそうに笑った。
「はい!」
橘が出ていき、しばらくすると百園さんのスマホが鳴った。
百園さんはすぐに通話に出る。
「あ、十和子先生! はい、今からですか? 大丈夫です、すぐに行きます!」
話しながら、百園さんは立ち上がりカバンを手にした。通話を切るなり、早足で出口へと向かう。
「すみません、私も失礼します! 尾張さん、スフレ美味しかったです。ごちそうさまでした!」
百園さんにも皆から「がんばれ~!」などと声がかかる。
慌ただしく百園さんが出ていくと、店内はちょっと落ち着いて、皆がゆったりと寛ぎだす。
店長は百園さんのケーキプレートを片付けながら、小さく苦笑した。
「まったく……うちは今、営業時間外なのに……人の出入りが多いな」
愚痴ってる割に、店長はずいぶん楽しそうだ。
千代ちゃんはソファでゆっくりとミルクティーを味わい、アレクはカウンターでジンジャーエールを口に運ぶ。
万里は、さっそく橘から借りた文献とやらをパラパラめくりだした。
事務所の方から電話の着信音が聞こえ、店長が対応へ向かった。
新しい『仕事』の依頼だろうか……。
俺は自分と万里の二人分の丼を厨房へと運び、綺麗に洗って片づけた。
店内へ戻ると、ちょうど店長が事務所から出て来る。
「都築くん、祓いの仕事だよ。すぐに来て欲しいらしい。出かける準備してくれる?」
「はいっ!」
俺が返事をすると、店に居た全員が動き出した。
千代ちゃんがカバンを手に立ち上がる。
「じゃあ、私は帰るわね……お仕事、頑張って!」
アレクは残っていたジンジャーエールをグイッと飲みほした。
「ちょうど車で来てるから、送って行こう」
読んでいた文献をパタンと閉じた万里は、大事そうにカバンにしまう。
「俺も行くー!」
カフェバー「ムーンサイド」は今日も大繁盛!
そして、祓い屋「ムーンサイド」にも次々依頼が舞い込んでくる。
今回の依頼でも、俺は泣いて笑って走って叫んで転げまわり……そりゃもう大変な目に合うのだが、それはまた別の話。
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