燈火が消える前に

蒼良

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5,森の毒リンゴ

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ぽつんぽつんと水が降ってきて、そしていつのまにかザーザーと音をたてはじめた。木の葉はざわめき、濡れた木々は不気味な光沢を放った。黒光りするそれは、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出した。夜の森は、いつだって人間が気軽に入ってはいけない場所であった。それでも、そんな森に小さな幸せを抱えながら暮らす「人間」がいた。

女の子は灯のぼんやりとした部屋で窓の外を見つめていた。窓は風の勢いに任せてがたがたと震えた。
兄が優しく女の子の頭をそっと撫でた。

「怖がらなくて、大丈夫だよ。寝むればこんな嵐も一晩のうちに消えてなくなるさ」

「本当?でも、ばあばが言っていたわ。雨が降った日には人間が何かした時だって。また誰かが、森の神を怒らせるようなことをしたのかしら」

兄は微笑んで、そっと女の子の手を取り、ベッドへと誘導した。天蓋付きのお姫様ベットのカーテンをそっと開けると、色とりどりのぬいぐるみたちが姿を現した。

「ばあばの言ったことを信用しすぎてはいけないよ。ばあばは少し変わった人だから」

「でも、ばあばはこの森を司る神に会ったことがあるって」

兄は、ぬいぐるみを1つ手に取ると、そのぬいぐるみをまじまじと見つめた。そして、ふっと頬の筋肉を緩めると、ベッドに入った女の子にそっと布団を掛けた。

「ばあばがそんな話をしていたのかい?なら、一つ僕もお話をしようか」

「お話?」

「ああ、僕がこの森に来る前のお話さ」

兄はそう言うと、ぽつりぽつりと話し始めた。



僕は人間の世界で生活していたことがある。かつては、多くの者たちが自然と共生して生きていた。手でモノを作り、そのモノで狩猟や釣りを行い、そして生きていた。そのうち、小さな集団ができ、やがてその集団は「村」と呼ばれるものとなった。村はたくさんあり、村同士は、助け合う時もあれば、食料が不足すると争うこともあった。

僕の住んでいた村にはある、有能な青年がいた。青年は、その村で最も聡明で容姿も良くて、何より狩りが上手かった。そんな青年のことをいつしか村の子供から大人まで全員が慕うようになっていた。

ある時、その村で青年をリーダーにしようという話し合いが起こった。誰もがその提案に賛成した。そして、青年はみんなの期待を受けてその大役を引き受けることとなった。青年が仕切る村は、どんどん栄えていった。作物もよく獲れたし、狩りも毎回成功した。食糧には何一つ困らなかった。多くの村人たちは、その生活に満足し毎日青年を取り囲んでは談笑にふけった。しかし、そんな豊かな村は度々いろんな村から標的にされた。ある時には食料を奪おうと他の村から盗人が現れたし、ある時には、村人を脅してくる輩もいた。その度に、青年は知恵を振り絞って解決してきた。

青年の隣の村には青年と同じ年の村長を務める男がいた。この男の村はいつも食料に困り、男はいつも村人たちから強制的な搾取を行っていたため、村人たちは逃げ出すことばかり考えていた。そうして、その男の村人たちはある日、その村から抜け出して青年の村に避難してきたのである。

青年は、話を聞くと逃げてきた村人たちを自分の村に住まわせることとした。逃げてきた村人たちは頭を深々と下げ、その日は青年の家に泊まった。

あくる日、隣の村の村長は、村人たちが消えていることに気づき、青年の村に訪ねてきた。青年は、村長に頭を下げるとこう言った。

「立ち話もなんですから、どうぞ私の家におあがりください」

村長は怪訝な顔をしつつも、その言葉に従った。

「あなたの村人は、私の村にいますよ」

青年は何一つ隠すことなく、村長の目を真っすぐ見てそう言った。

「彼らがそうしたいと望んだのですから、私からしたら何も断る理由もありません」

村長はその言葉を聞くと耳まで真っ赤になった。

「あなたの言っている意味が分からない。あちらの村の長は私で、村人は私が支配しているのだ。彼らにどの村がいいかを決める権利などない」

「そうでしょうか。しかし、ここは私の村です。いくらあなたの村人とはいえ、こちらに入ってきた以上、そして私が村人として認めた以上、あなたは彼らを奪い返すことはできません」

その言葉を聞くと、一人でやってきていた村長は憤って踵を返して帰っていった。

隣の村からやって来た村人たちは、そんな青年の姿を目の当たりにし感銘を受けた。それ以降、隣村に青年のうわさが流れ、多くの村人たちが青年の村へとやって来た。


それから半年の月日が流れた。隣村の村人は20人ほどになり、小規模となっていた。青年の村には隣村や各村から移住する人が増え、一つの国ともいえる共同体を結成していた。

そんなある日の晩、青年の家の門がトントンと叩かれた。青年は、寝床についていたが、むっくりと起き上がると、戸へと向かった。戸にはうっすらと黒い人影が一つあった。

「どちら様ですか」

「夜分遅くにすいません、泊まるところがないので泊めてもらえませんか」

か細い声がそう答えた。青年は少しためらいながらもゆっくりと戸を開けた。そこには、藁を被った男がたたずんでいた。

青年は一目見て、その男が隣村の村長であると悟った。しかし、青年はあえて口にしなかった。青年は、男を何の迷いもなく、居間へと通した。

「どこか旅でもしているのですか」

「ええ、この向こうに年老いた両親がいましてね」

村長はか弱い声でそう答えた。

「そうですか。ああ、そうだ何か口にしますか?」

「…実はここ数日何も食べていなくて」

「じゃあ、用意するので待っていてくださいね」

青年はそう言って、村長から背を向けた。その時、青年はさっと村長が動いたのを見逃さなかった。しかし、青年は何の処置も取らずに、村長の思うままになることを決めたのである。

「よく、騙されてくれたな」

村長は青年の背後にまわり、低く唸るような声でそう言った。青年は喉元に刃物が光っているのを一瞥すると息をついた。そして、冷静にたずねた。

「私を殺すおつもりですか」

「それ以外何がある」

「そうですか、なら勢いで殺すのはやめておいた方がいいと思いますよ」

村長は一瞬たじろいだ。青年はそんな村長を見て微笑んだ。

「あなたが欲しいのは名声でしょう?ならば、私を今ここで刃物で殺せばこの村の者は全員あなたを憎みますよ。いいことを教えてあげましょうか。私が自ら命を絶ち、その後継者としてあなたを指名する文書を残せば、あなたは名声を得ることができ、村の長になれます」

「ならば、早くそうしろ」

青年は刃物を持つ手が震えている村長を見て、ゆっくりとこう言った。

「わかりました。そうしましょう。ただし、あなたにこの村を渡すには一つ守っていただきたいことがあります。村人を苦しめないこと。それだけです」

「うるさい、早く文書を書け」

村長は青年に紙を出させ、そして筆を取らせた。青年はきれいな文字ですらすらと何の迷いもなく、文字を書いた。湿気のせいか、その文字は滲んでいた。

青年は書ききると、そっと狩りのためのトリカブトの毒の入った壺をとりだした。村長はじっとそんな青年を見つめた。

青年はその壺から液体を勺ですくい上げた。液体は隙間から漏れていた月明かりに照らされ不気味な色を放った。青年は何のためらいもなくそっとそれを口に運んだ。液体はゆらゆらと揺れてぽたぽたと数滴したたり落ちた。それは、青年には不気味な色ではなく、なぜか美しく光り輝いているように見えた。青年はその情景を一時楽しみ、そして口を開けるとさっと勺を傾け、一気に流し込んだ。黒々とした液体は青年の身体の中に入り込み、そして隅々まで循環して、青年はやがて動かなくなった。

青年が亡き後、村長は晴れて名声と大きな村を手に入れた。しかし、村長は全く、青年の望みを守ろうとはしなかった。村人は搾取に苦しめられ、青年と過ごした日々を思い返した。そして、青年の墓を毎日のように拝んだのである。

そのせいだろうか、青年はやがて森の中に生を受けることとなる。村長が村人を苦しめれば、大雨が降り、災害がおきるようになった。その災害を受け、かつての青年の村はぼろぼろとなった。村人たちは村長の目を盗んで、また違う地へと逃れていった。その際、村人たちは青年の墓も一緒に移動させた。彼らにとって青年は永遠の長であった。




スース―と安らかな吐息を聞いて、兄は話すのをやめた。女の子は気持ちよさそうに眠っていた。

いつの間にか、嵐は過ぎ去っていた。まだ雨は降っているようであったが、静かな夜であった。

兄は、手に抱えたぬいぐるみをそっと持ち上げた。赤い食べかけのリンゴのぬいぐるみは、女の子がプリンセスに憧れて兄にせがんだものだった。

兄はそっと女の子の傍らにぬいぐるみを置いて、立ち上がると窓辺へと足を運んだ。窓の外は漆黒で、木の葉が薄い明かりを受けて黒光りしていた。耳を澄ますと、雨音がかすかに聞こえ、角度を変えれば暗い中で線を描く水の情景が見えた。

これは何度もこの場所で巡り合ってきた情景であった。

その情景を見るたび、兄はそれがあの黒々とした液体に思えてしまうのである。そして、こうも思うのである。

もし、童話のように『「真実の愛」が人を目ざませるものであるならば』と。
『こんなに村人から思われているのであれば、いつかは「人間」に戻れるのではないか』と。



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