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第一章 『女王から大王への私信』

第一章5『側仕えの印』

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 (らしくないな……)

 上段に有らせられる姉上も、その横で澄ました顔でいる王筆も此奴こやつを見て焦っている。

 脇息に肘をついて、二の間に小さく座る少年につまらなそうな顔を向けた搤剩あくじょわは一段また上に鎮座する姉を見比べてため息を吐いた。

「姉上、此奴こやつが新しい側仕えですか……」

弦峰げんぽう家の銀目ぎんもくと申します水月の君。」

「それは聞いている。一つ歳が下だな、それに背も小さいではないか。側仕えとしては小間使い程度だな」

 此奴と言われて、名を強調すれば背の小ささを指摘される。

「申し上げますが、背は素足で立てば僕の方が少しばかり上でございます」

 不満に軽口を叩けば壇上から冷たい視線が注がれる。

「……控えよ。搤剩様は王子でいらっしゃる、そのような戯言を申すな」

 銀目の頭上から金蓮が冷たく言い放った。元々和やかではない空気がさらにピンっと張り詰める。

 押し黙った銀目を横目に搤剩は立ち上がり、美しい鴨の羽色の袍を翻すと真っ直ぐ、御簾の先に向き合った。

「もう要件はよろしいな姉上?」

 按俊あんじゅ女王は薄い御簾からもう一度、銀目を一瞥してうちぎから木箱を取り出して金蓮に渡した。

「良い。身の回りの世話は銀目に一任するゆえ、懸帯かけおびを忘れぬように身につけよ。」

 按俊の声は琴音のような穏やかさがあったが聞き魅入られる前に銀目は半ば投げつけられるように金蓮から受け取ったヒノキの香りが鼻をくすぐる木箱を開けようと指に力を込める。

「水月の君専属の側近という印だ。忘れるでないぞ愚弟よ……」

 宮廷に仕える貴人が身につける上物に目を輝かせていた銀目は低い小声で告げられた方に顔を上げると金蓮は再び、御簾の隣に澄ました顔で腰掛けていた。

「何をしている、早く来い。」

 呆気に取られる暇もなく今にも部屋から出て行こうと背を向けた搤剩を追いかける様に銀目は素早く懸帯を肩から腰に垂らして、一礼してから廊下に出た。

「お待ちください水月の君!」

 慌てて追いかけて来た銀目にゆっくりと歩いていた足を止めて、顔だけ振り向いた。

 妙見国の王族、瑞家に受け継がれる夕陽のような赤い髪とひそめた眉や睫毛は紛れもなく目の前の少年が王子という事を表していたが新緑の瞳は、そんな事を思う銀目を明らかに億劫な感情を宿している。

「お前が遅いのだ……姉上からの命で仕方なくお前を私の私邸に住まわせるが――」

 突き放すような口ぶりと不愉快そうな表情に銀目は背筋を正す。

「くれぐれも怪しい行動はするなよ。」

「かしこまりました。ところで水月の君――」

「その敬称で呼ぶな、若様でいい。」

 出鼻をくじかれた銀目は前を歩く搤剩の服装に目を向けて首を傾げながら改めて口を開いた。

「狩衣に身を包んでいらっしゃいますが、これから外に行かれるのですか?」

 長い透廊は寝殿の正反対に位置する奥側に続いてはいるが、貴族の動きやすい服に身を包んだ主に問いながら銀目は気づいた。

「あの、若様は私邸と申しましたよね? 宮殿に住まわれていないのですか?」

 湧き上がる不安に早口になってしまうが止める者はもういない。

「そもそも、相月の君の王筆が僕の姉上だからと言って早々に側近の印を渡してしまうのは信用されすぎではないでしょうか? 僕は誰かに仕えた事など一度もな――」

「黙れ、耳障りだ。一度しか私は物事を言わないから耳穴開いてよく聞け」

 後悔した頃には遅く、開いた口をゆっくり閉じて銀目は言葉を飲み込んだ。

「私の身の回りの世話をする側近は二人だけ……護衛の裕史ゆうしとお前だけだ。何かあれば裕史に聞けばいいが、宮殿においては金蓮を捕まえて聞け。」

「えっと……え?」

 数回瞬きを交えての困惑顔を無視して歩き始めた主をゆっくり追いながらも銀目の頭では到底、理解が追いつかなかった。

(王家の王子で在らせられる水月の君に世話係がいない?)

 否、今は当の本人が唯一の世話係となっていたが銀目はそんな事よりも謎に包まれた主に不安しか湧かない。

 王都の家では父が大将軍を務めている貴族という事もあるが、銀目にも世話係は5人と居て炊事洗濯すべて任せていたし階級のある家に産まれたのなら必ずそうなるのが当たり前。

 しかし、搤剩は2人のみと言った。それも今まさに採用されたも同然の少年を含めて2人と。

「文句があるなら姉上や兄上に辞職を申し上げるのだな……」

 遠くからほくそ笑むような主の声に銀目が袍服の裾を蹴り上げるようにして後を追い、死に物狂いで走ったせいで耳までもが真っ赤になっている。

「まさか! 僕が辞めるなど……滅相もない事でございます!」

「そうか、それは頼もしいな。ここからが私のけやき乃殿だから焦らなくても仕事は山ほどあるぞ」

 背筋がヒヤッとしたのも束の間、大層な軋り音をあげてひらかれた瞬間によもぎの風が開かれた扉の向こうから吹き込んで銀目の前髪をさらっていく。

「せいぜい命大切に働くんだな。あとは頼んだ裕史、こちらが姉上が寄越した子だ」

 裕史と呼ばれた青年は扉の向こうに行儀良く立っており、日に焼けた浅黒い肌もあいまって背負う弓矢が似合っていた。

「おかえりなさいませ、若様。あとはお任せくださいませ」

 そのまま搤剩は銀目に一瞥もせず、奥に消え去り残された銀目は顔をしかめ思わず鼻を塞いだ。

 蓬の香りが濃くなるばかりか透廊から見下ろせるのは剥き出しの崖から流れる滝――背後で閉じられた扉からは想像もつかない絶壁を壁のない透き廊を挟むようにして広がっている――むしろ崖から伸びる透廊は橋のようになっており、欄干から下は広く深い谷となっていた。

「若様は1人が好きだからなぁ、俺は北軍出身の裕史だ長く付き合えると喜ばしい」

 中央宮廷に仕える貴族とは違う、ハキハキとした歯切れの良い口調に武人特有のそれが裕史には感じられる。

「弦峰家出身の銀目と申します、北軍のお噂は父から聞いております……」

 差し出された手を握り返して挨拶を済ませると連れて行かれたのは荒れ果てた部屋で入るのも躊躇するほど、本やら紙やらが散らばっている。

「若様は博士から学びを受けているが、片付けは苦手でね……ここをしっかりと整理整頓して欲しいが頼めるか?」

 壁に沿うように本棚が並び、中に並んでいるはずの本がくすんだ黄赤色の床に無造作にあちらこちら置かれている。

「かしこまりました。」

 銀目は早速の初仕事に袖のつゆを絞り、長くなった露先を結んで腕を伸ばして取り掛かろうと本を手に取ったが裕史はその場から動かず不思議に思い首を傾げると首を横に振られた。

「残念だが、これで全てではない。これから若様と外出するのでそれまでに郵政署から若様宛の頼りを受け取って来る事」

「郵政署でございますか?」

 場所くらいは昨晩ざっくりと書物で覚えてはいるが、今来た道を作法を省いて走っても四半刻はかかる正殿門近くまで行かなくてはならない。

「分かりました! では先に部屋の片付けから……」

 大将軍家のぼんくらアホ次男としてのんびり暮らしていた銀目は半ば諦めて、やけっぱちに気合を入れ直すが再び裕史は痛ましそうに銀目を見下ろした。

「あれ……まだありますか?」

「もちろん、沢山あるのだ。この部屋には書房からお借りしている資料もあってな、判子が表紙に押されているゆえ分かるとは思うがそれを返してきてくれ。あと、正殿の食堂で貴方あなたの夕食を持ち帰ると良い。ついでに俺のも同じ物を頼む、それから」

 銀目はこめかみと喉の奥がつっかえる感覚に頭を抑えた。今日から側仕えの銀目をさすがに酷使しすぎと考えたのだが裕史の口は閉じることはない。

 郵政署の官吏と書房の官吏に文を届けてくれ、部署が記されているから間違う事はないだろう。

 一刻後にはけやき乃殿の厠番が来るから紙の補充を頼んでくれ。

「……以上でございますか」

「そうだ。若様は忙しくてな……悪気はないんだぞ?」

 裕史は肩をすくめて見せたが銀目の絶望感の矛先はこの場にいない搤剩に向かう。

「ちなみにおかえりはいつ頃になりますか?」

「二刻半くらいだな。若様は側仕えに同じことを頼んでいるから日暮れまではせいぜい頑張れ」

 すべてを一人で済ませられる案件ではない。そう銀目も分かってはいるし裕史でさえ悪びれた表情になっている。

 この間も刻一刻と時間はなくなると考えながらも早速、本の整理を始める銀目だったが裕史が居なくなった頃を見計らって大きく息を吐いた。
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