積年日々チョコレート

ちえ。

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雨降って、ならぬ

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若杉わかすぎって、甘いものあんまり食べないって聞いたから。これ、チョコレートの代わり」

 大学の構内で、義理チョコならぬプレゼントの包みを差し出す女の子に、礼を言って受け取った。
 甘いものは好きな方だと思う。だけど、正直、尚が作ってくれる以上に必要かというとそれはいらない。甘いものが苦手という誤解は、こういう時に便利で否定していない。女友達なんかは気を遣って、食べ物以外に変換してくれるから。
 今年もバレンタインは、ちょっぴり実用的な小物を収穫しながら近づいていた。


 2月13日。今年のバレンタインは週末で、もうイベントは終了感が漂っていた。
 まあ、俺にとってはわりとどうでもいい事だったりする。
 明日を過ぎたら尚のデザートがチョコ縛りじゃなくなるだけの違いだし。
 チョコでもチョコじゃなくても美味いのだから何の問題もない。


 なんて、気楽に過ごしていた今日。
 凍えるような寒さに、雪解けのぬかるんだ道。
 朝からアルバイトに行けば、ちょっとしたトラブルで転んでしまい泥を浴び。
 汗と泥を滴らせて帰路についたならば、洗い流すとでも言うかのように空から水が降ってきた。

「あーーっ、―――!!!」
 悲鳴と共に、頭上でぼんっ、とものがぶつかった音。
 思わず足を止めてしまい見上げると、壁にぶつかってホームランよろしくバインドしていくじょうろが視界を掠めると共に、なみなみと注がれていたらしい中身がもれなく俺へと降ってくる。
 激しいシャワーでも浴びたかのように、一瞬息が詰まる滝のような流水。

 なんだこれ。

 機能停止した頭で呆然としていると、慌てて階上から駆け下りてきた犯人に平謝りされた。
 遠くに転がるじょうろを見れば、あれが降ってきて大怪我しなくてよかったな、だなんてちょっと怖い想像が駆け巡り。
 怪我がなかっただけましだったと、安堵に息を吐いて涙目の女性を大丈夫だと慰めた。
 今日は、どうもついていないらしい。そう苦笑してその場を後にした。


 そして、10分が経ち。
 俺は後悔と身の危険に苛まれながら走っていた。

 今朝まで雪が降っていた寒空の下でずぶ濡れで。現場で驚きすぎて放出されたアドレナリンが薄まってくるのと同時に、凍えそうに寒い事に気がついたのだ。
 もう、歯の根と言わず、指先、なんなら体幹まで震えるくらいにガッチガチだった。
 家まではそんなに距離がある訳じゃない。とにかく走って暖をとりつつ駆け込んでしまえば温まる事はできる。
 いつぶりの全力疾走だっただろう。あがる呼吸も気にならないくらいに、走り抜けた。

 ようやく見えたゴールの扉を潜る。
 濡れた洋服を玄関で脱ぎ捨てて、パンイチで脱衣所へとダッシュ。急いでパンツを脱ぎ捨てて風呂へと駆けこんだ。


 風呂の扉を開いて初めて、浴槽の中で目を丸くしてこちらを見ている尚の存在に気付いた。
 気付いたけど、それどころじゃない。
 すぐさまシャワーを浴びながら、震える身体を温める。
 俺のただならぬ様子に、尚がおずおずと背中から声をかけてきた。
「泰知……だいじょうぶ?」
「ああ、ちょっと空から水が降ってきて凍死するかと思った。ゴメン、尚。風呂に割り込んで。でもちょっと温まらせて」

 温かい湯を浴びて、冷え切った肌が痛いくらいにじーんと疼く。
 縮こまった全身の筋肉から少しばかり力が抜けて深く息を吐き出したものの、まだまだ身体は冷え切っていた。
 ざっと身体を洗い流して、尚の向かい、浴槽へと身を沈める。
 尚が両膝を抱えて場所を開けてくれたから、ファミリータイプの浴槽にはなんとか大の男二人が上手に収まった。

 肌の表面が、ピリピリ痛いやら、なんだか痒いやら。
 そんな不快感と暫く戦っていたが、身体が温まっていくと次第に薄れてきた。
 そこで、初めて顔を上げて尚を見る。
 かなり図々しいことをしてしまったな、と今更ながらに思った。

 視線が絡んだ瞬間。
 尚はそわそわと目を彷徨わせた。
「ああ、本当にゴメンな。なんかさあ、頭上からじょうろに降られたみたいで。モノが当たんなくてよかったけど、びしょ濡れ。凍るかと思った」
 ばつが悪くて苦笑して説明すると、尚は両膝を抱えた腕に顎先を埋めてから小さく頷く。
「そうなの…?怪我、しなくてよかった。……けど、たいへんだったね」
 戸惑ったままの声で、尚が言葉を連ねる。

 立ち込める湯気と、身体を覆う湯が心地良い、温かい空間で。
 尚の頬も耳も真っ赤に染まって、困ったように眉尻を下げているのにも関わらず、彷徨う瞳はじんわりと熱に浮かされて蕩けそうな色を浮かべていた。

 思わず、自然と手が伸びた。
 ぴくりと肩を揺らした尚の、濡れて癖が薄くなった黒髪を撫でる。
 ほぅ、っと心をざわめかせる吐息の音が耳に届いた。

 甘い。
 尚の身に沁みついた甘い匂いが立ち込めているようで。
 湯の中で色付いている肌や、ぎゅっと閉ざした腿、落ち着かない腰元を見てひどく心が煽られた。

 そして、なんだかしっくりと、理解して受け止めてしまった。心の奥底から湧き上がる歓喜とともに。


 お前俺の事好きだろ、って言ったら、尚はどうなるんだろう?
 これ以上、真っ赤になってとろとろになんの?

 ああ、染め上げたい。

 ざぶりと音を立てて、膝をついて手を伸ばす。
 驚いたように顔を上げた尚の後ろ頭を捕えて、そっと唇を重ねた。
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