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追いかけて
23_3_金色の光る泡を3
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会長たちがいることも忘れて、俺は孝哉を抱きしめた。
「孝哉、孝哉……」
この腕の中に孝哉がいる。
追いかけていた記憶の中だけでも溢れていた愛しさが、肌から伝わるその存在の確実さによって倍増する。
言葉は出ない。
会いたかった、触れたかった、その思いが強過ぎて、何から言えばいいのかがわからなかった。ただ、ひたすらにその名前を呟くのが精一杯で、それ以外の言葉を忘れてしまったかのように何も言えなくなってしまった。
「……隼人さん」
耳にその声が響いた。俺は音が好きだ。好きな音を出すための努力は惜しまないし、そのために使う時間そのものが生き甲斐だ。そして、今俺を呼ぶ声は、俺があの踊り場で一言で恋に落とされてしまうほどに、好む音をしていた。
「ごめんね」
でも、この音そのものの魅力が俺にそう思わせているわけではないことも、今はもうわかっている。俺がこの音をこれほどまでに好んでいるのは、それを奏でる体の持ち主が俺を思って愛してくれることを知っているからだ。
そして、その男と二人で鳴らす音は、何よりも自分を幸せにしてくれると言うことも知っている。そういう、音にまつわるそれ以外の要素の全てが合わさって、全てを愛しく思える。
その音を奏でるのが新木孝哉だからこそ、俺はこれほどまでに満たされるんだ。
「ごめんね、こんな痩せちゃって……」
孝哉は俺の肩や腕を触り、今回の件がどれほど俺の体に負担をかけたのかを知ろうとした。手のひらでそれを確かめては、後悔の息を吐く。自分がしてしまったことの残酷さを目の当たりにして、顔色を青く変えていった。
それを見ていると、この半年間忘れ去っていた自分らしさというものが、まるで当たり前のようにするっと戻ってくる。食事も摂れなくなるほどに衰弱していたくせに、目の前で狼狽える恋人を少しでも安心させてあげたいという気持ちが、ふつふつと湧き上がってきた。
「相手が狂ってたんだ。ああするしかなかったんだろ? 仕方ねーよ。それに……」
俺は孝哉の右手をとり、その指先を開いて手のひらを確かめた。あの日、俺のタバコで孝哉の手のひらは焼かれた。あの鼻の奥にこびりついて消えない匂いが、その記憶だけは薄れさせてくれなかった。
「お前だって苦しんだんだろ? いなくなってからも、いなくなる前も。俺はそれをどうしてやることも出来なかった」
右手の中央に、引き攣れたような痕がある。決して綺麗では無いけれど、それはきちんと治ってはいた。それでも、確実に焼かれた痕があり、そこに痛みと苦しみがあったという事実は変わらない。
「こんなことまでさせて……」
おそらくこれは罰だったんだろう。
他に手が無かったとはいえ、俺を壊すということを最終的に決めたのは、紛れもなく自分自身なのだと考えたのだろう。だから、俺だけに痛みを負わせないようにしようとして、自分にも罰を与えた。それがこの傷の理由だったんだろうと、今なら思う。
あの時俺からタバコを奪い取った後の行動は、何度思い返してみても不自然なものだった。しっかり握り込んで離さなかったのだから、どう考えても意図的に手を焼いたとしか思えない。
俺を壊すのだから、それと同等の罰を自分に架さなければ気が済まないのに、具体的にそれをどうしようか決めあぐねていた。そんな時に俺が隣でタバコに火をつけてしまった。それを見て、あの小さいながらも凶暴な火の塊で、自分の手を焼こうと考えてしまったんだろう。
そうすることで手の自由を完全に奪い、自分から歌を取り上げた。火傷という傷と、生きがいを失うという心の傷。大きな罰を二つ背負うことで、俺への贖罪としたかったのだろう。
「ずっと歌ってないんだろう? この手じゃピックも握れないんじゃないのか。そうじゃなくても、俺が一緒にいないと歌えないくせに……」
「うん。歌えなかったね」
痩せてしまった俺とは対照的に、孝哉はむしろ少し体格が良くなっていた。筋肉量が上がったようで、顔つきもやや精悍になっている。ただ、その体には、その形いっぱいになるほどの後悔の念を詰め込んであるようで、初めて会った日と同じように、今にも消えそうな脆さが滲み出ていた。
「……また死にたくなったのか?」
キャンディブルーのストレートだった髪が、シルバーブロンドの巻き毛に変わっている。抱きしめた感覚が、これまでよりがっしりしている。
「何度かあったよ。でも、もう大丈夫だから」
それでも、俺の腕の中にいるのは間違いなく、孝哉だ。唯一無二の声を持ち、俺の感情をかき乱す香りを持っている。
そして、何よりも孝哉といる時にしか見えないものが見えている。俺にとって孝哉が特別なのだと実感した、あの不思議な現象。体を包み込む、あの金色の光る泡だ。
「俺ね、思い出したんだ。音楽が取り戻せてなかった時でも、唯一生きていこうと思えた瞬間があったってこと。隼人さん、覚えてる? 俺が、生きていくのに十分な理由だって言ったこと。それが何だったのか」
孝哉は俺の髪を手で梳いた。そして、張り付いていた髪を耳にかけ、涙を手で拭っていく。そういえばハンカチを受け取っていたのに、それをテーブルの上に置いたままにしてしまっていた。
「理由? なんだったっけ」
キャンディーブルーのニットにしがみついたまま、思い出せないふりをしてみる。でも、本当はその答えはわかっている。ただ、それを即答することで、俺がそのことを覚えていると思われてしまうのが、どうにも恥ずかしかった。
「うん。初めて会った日に救急車乗ったでしょ。足折って。病院についてから、俺が先に降りるときに言ったんだよね」
そう言われて、今度はようやく思い出したように振る舞う。本当は、一度だって忘れた事はない。それを言われた時、胸が高鳴ったのが忘れられないのだから。今思い返してみると、あの時すでに俺は孝哉を好きになっていたのだろう。そう思わずにいられないくらいに、あの言葉は嬉しかった。
「俺のお世話をするだけで、生きていく理由としては十分って言ってたやつか?」
そう問いかけると、孝哉は眩しそうに目を細めた。
「うん。だから、それを叶える日が来るまでは、絶対に死んじゃダメだって、必死で自分に言い聞かせながら毎日を過ごしてたよ」
そう答えると、真っ白な肌をほんのりと赤く染めていった。
「孝哉、孝哉……」
この腕の中に孝哉がいる。
追いかけていた記憶の中だけでも溢れていた愛しさが、肌から伝わるその存在の確実さによって倍増する。
言葉は出ない。
会いたかった、触れたかった、その思いが強過ぎて、何から言えばいいのかがわからなかった。ただ、ひたすらにその名前を呟くのが精一杯で、それ以外の言葉を忘れてしまったかのように何も言えなくなってしまった。
「……隼人さん」
耳にその声が響いた。俺は音が好きだ。好きな音を出すための努力は惜しまないし、そのために使う時間そのものが生き甲斐だ。そして、今俺を呼ぶ声は、俺があの踊り場で一言で恋に落とされてしまうほどに、好む音をしていた。
「ごめんね」
でも、この音そのものの魅力が俺にそう思わせているわけではないことも、今はもうわかっている。俺がこの音をこれほどまでに好んでいるのは、それを奏でる体の持ち主が俺を思って愛してくれることを知っているからだ。
そして、その男と二人で鳴らす音は、何よりも自分を幸せにしてくれると言うことも知っている。そういう、音にまつわるそれ以外の要素の全てが合わさって、全てを愛しく思える。
その音を奏でるのが新木孝哉だからこそ、俺はこれほどまでに満たされるんだ。
「ごめんね、こんな痩せちゃって……」
孝哉は俺の肩や腕を触り、今回の件がどれほど俺の体に負担をかけたのかを知ろうとした。手のひらでそれを確かめては、後悔の息を吐く。自分がしてしまったことの残酷さを目の当たりにして、顔色を青く変えていった。
それを見ていると、この半年間忘れ去っていた自分らしさというものが、まるで当たり前のようにするっと戻ってくる。食事も摂れなくなるほどに衰弱していたくせに、目の前で狼狽える恋人を少しでも安心させてあげたいという気持ちが、ふつふつと湧き上がってきた。
「相手が狂ってたんだ。ああするしかなかったんだろ? 仕方ねーよ。それに……」
俺は孝哉の右手をとり、その指先を開いて手のひらを確かめた。あの日、俺のタバコで孝哉の手のひらは焼かれた。あの鼻の奥にこびりついて消えない匂いが、その記憶だけは薄れさせてくれなかった。
「お前だって苦しんだんだろ? いなくなってからも、いなくなる前も。俺はそれをどうしてやることも出来なかった」
右手の中央に、引き攣れたような痕がある。決して綺麗では無いけれど、それはきちんと治ってはいた。それでも、確実に焼かれた痕があり、そこに痛みと苦しみがあったという事実は変わらない。
「こんなことまでさせて……」
おそらくこれは罰だったんだろう。
他に手が無かったとはいえ、俺を壊すということを最終的に決めたのは、紛れもなく自分自身なのだと考えたのだろう。だから、俺だけに痛みを負わせないようにしようとして、自分にも罰を与えた。それがこの傷の理由だったんだろうと、今なら思う。
あの時俺からタバコを奪い取った後の行動は、何度思い返してみても不自然なものだった。しっかり握り込んで離さなかったのだから、どう考えても意図的に手を焼いたとしか思えない。
俺を壊すのだから、それと同等の罰を自分に架さなければ気が済まないのに、具体的にそれをどうしようか決めあぐねていた。そんな時に俺が隣でタバコに火をつけてしまった。それを見て、あの小さいながらも凶暴な火の塊で、自分の手を焼こうと考えてしまったんだろう。
そうすることで手の自由を完全に奪い、自分から歌を取り上げた。火傷という傷と、生きがいを失うという心の傷。大きな罰を二つ背負うことで、俺への贖罪としたかったのだろう。
「ずっと歌ってないんだろう? この手じゃピックも握れないんじゃないのか。そうじゃなくても、俺が一緒にいないと歌えないくせに……」
「うん。歌えなかったね」
痩せてしまった俺とは対照的に、孝哉はむしろ少し体格が良くなっていた。筋肉量が上がったようで、顔つきもやや精悍になっている。ただ、その体には、その形いっぱいになるほどの後悔の念を詰め込んであるようで、初めて会った日と同じように、今にも消えそうな脆さが滲み出ていた。
「……また死にたくなったのか?」
キャンディブルーのストレートだった髪が、シルバーブロンドの巻き毛に変わっている。抱きしめた感覚が、これまでよりがっしりしている。
「何度かあったよ。でも、もう大丈夫だから」
それでも、俺の腕の中にいるのは間違いなく、孝哉だ。唯一無二の声を持ち、俺の感情をかき乱す香りを持っている。
そして、何よりも孝哉といる時にしか見えないものが見えている。俺にとって孝哉が特別なのだと実感した、あの不思議な現象。体を包み込む、あの金色の光る泡だ。
「俺ね、思い出したんだ。音楽が取り戻せてなかった時でも、唯一生きていこうと思えた瞬間があったってこと。隼人さん、覚えてる? 俺が、生きていくのに十分な理由だって言ったこと。それが何だったのか」
孝哉は俺の髪を手で梳いた。そして、張り付いていた髪を耳にかけ、涙を手で拭っていく。そういえばハンカチを受け取っていたのに、それをテーブルの上に置いたままにしてしまっていた。
「理由? なんだったっけ」
キャンディーブルーのニットにしがみついたまま、思い出せないふりをしてみる。でも、本当はその答えはわかっている。ただ、それを即答することで、俺がそのことを覚えていると思われてしまうのが、どうにも恥ずかしかった。
「うん。初めて会った日に救急車乗ったでしょ。足折って。病院についてから、俺が先に降りるときに言ったんだよね」
そう言われて、今度はようやく思い出したように振る舞う。本当は、一度だって忘れた事はない。それを言われた時、胸が高鳴ったのが忘れられないのだから。今思い返してみると、あの時すでに俺は孝哉を好きになっていたのだろう。そう思わずにいられないくらいに、あの言葉は嬉しかった。
「俺のお世話をするだけで、生きていく理由としては十分って言ってたやつか?」
そう問いかけると、孝哉は眩しそうに目を細めた。
「うん。だから、それを叶える日が来るまでは、絶対に死んじゃダメだって、必死で自分に言い聞かせながら毎日を過ごしてたよ」
そう答えると、真っ白な肌をほんのりと赤く染めていった。
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