追いかけて

皆中明

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追いかけて

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「隼人さん、リビングまで行けますか? 実は先ほどお話ししたディレクターの方に、ここで既にお待ちいただいているんです。その方は、あなたのこれまでの音楽人生をずっと見ていた方でして、同時に孝哉さんのことをよくご存知でもあります。そして、私が大好きなシンガーのお父様でもあるんです」

 硬い廊下に両膝から思い切りしゃがみ込んだため、パンツの膝あたりに血が滲み始めた。それをじっと眺めていても、対して痛みを感じることはない。ただ、ウールの生地に赤いシミがじわじわと広がり始めたことで、痛みがあるはずだと認識した脳から、その感覚を少しだけ分けてもらっているというような、奇妙な感覚はあった。

「……孝哉をよく知る人? あいつの知り合いって優太くんくらいしか知りませんけれど、他に親しい方がいるんですね。でも、その方がなんで俺の音楽人生を知ってるんですか? チルカの古参のファンの方ってことですか?」

 仁木さんは訝しむ俺の表情を眺めながら、嬉しそうにくすりと声を漏らした。明らかに何かしらのいいことがあるのだとその顔は言いたがっている。気持ちが弾んでいるのが、全く隠せていなかった。

 彼はそのままの笑顔を保ったまま、徐に俺の膝の下に腕を通して勢いよく俺をおぶった。

「よいしょ」

 そしてその優しい手で俺の手首をギュッと掴むと、ゆっくりと立ち上がる。そうして、救助活動でよく見るような、傷病者を搬送するスタイルで俺を奥へと連れて行こうとした。

「すみません、許可を取らずにおぶってしまいました。でも、急いだほうがいい気がしたので。今少しだけ隼人さんの目に活力が戻ったように見えました。なので、急ぎましょう」

 弾んだ声で新木家の廊下を颯爽と歩く。俺を背負っているにも関わらず、機敏で流麗な動きを保ったまま段々と歩を速めていった。

「さっきまで話していた時とまるで雰囲気が違いますけど、そんなにいいことが待ってるんですか?」

「少なくとも私はそう思っていますし、あなたにとってもそうであってほしいと願っています」

 俺はその仁木さんの変貌ぶりに言葉を失って、ただ黙ったまま背負われていた。

 そして見えて来たリビングの扉のガラスには、車椅子のハンドルとタイヤ部分が僅かに見えていた。肘掛けに当てられている手の様子からすると、相手はどうやら年配の男性らしい。

 仁木さんは扉の前で俺を下ろした。そして、重厚なガラスと木で出来た味のある扉を軽くノックする。

「すみません、お待たせいたしました、会長」

 彼には珍しく、返答も待たずに性急な様子でリビングへと声をかけた。そこには、思った通りに老齢の男性が待っていた。

「ああ、仁木くん。すまないね、急に時間が空いたものだから」

「いえ、こちらこそありがとうございます。お二人にとっていいお話になるといいのですが」

 仁木さんが会長と呼んだその男性は、上質そうなスーツを着て、足が弱っているようではあるけれども姿勢良く車椅子に座っていた。
 柔らかく耳あたりのいい声で話しながら、時折その声と同じようにふわりとした笑顔を浮かべる。上品で穏やかそうな、俺とは無縁の世界の住人のように見えた。
 そして、その隣には秘書らしき男性が一人控えている。その男性はキリッと表情を引き締めていて、一見すると厳しそうにも見えたのだが、俺と目があった瞬間に、深く穏やかで包容力に満ちた笑顔を見せてくれた。
 そして、いつまでも仁木さんと雑談を続けている会長を嗜めるように、

「会長、憧れの真島隼人さんですよ。お恥ずかしいのでしょうが、いい加減に話しかけてあげて下さい。あのままでは手持ち無沙汰で困ってしまわれますよ」

 と、声をかけた。会長と呼ばれたその男性は、秘書にそう言われて渋々仁木さんとの会話を切り上げると、ひどく照れながらもようやく俺の方へと視線を合わせてくれた。

「うっ、わ、わかった。しかしなあ、緊張するんだ。俺の憧れの人だからなあ」

 何度も視線を合わせては逸らしている。面白い人だなあと思いながら相手が浮かべた照れ隠しの笑みを見て、俺は久しぶりに心の底から驚くことになった。

「え……?」

『隼人さん』

 耳の奥に孝哉の声がこだまするような感覚に襲われた。そして、思わず驚きの声を漏らしてしまう。俺のその反応を見た会長は、それが嬉しかったのだろう、さらに一段階ギアを上げたような破顔をして見せた。

「真島隼人さん、いやー会いたかったんだ。やっぱり君はかっこいいなあ。私は君の大ファンなんだよ。チルカモーショナがデビューする前からずっとね。君の作った曲とギターが大好きでね。何度かライブにも行ったんだよ。それでもこうして会う機会はなかなかなくてねえ。ずっと躊躇っていたのだけれど、今回は権力を行使して急遽会わせてもらうことにしたんだ。仁木くん、急なわがままを聞いてくれてありがとう。さあ、座ってくれ。森村、あの子から預かっているものを持ってきてくれないか」

 会長は緊張しているのか一気に捲し立てたかと思うと、また恥ずかしそうにニコリと笑った。

——やっぱり、似てるな……。

「はい。失礼します……?」

 混乱しながらも、言われた通りに椅子を引いた。居候とはいえ、自分が暮らしている家で他人から自分の席を勧められる。妙な気分ではあるけれども、なぜか俺はそれを当然のように受け入れていた。
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