追いかけて

皆中明

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追いかけて

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「隼人さん、これは一つの提案として聞いていただければと思うのですが、チアグレの隼人として配信をやってみませんか?」

 送迎用の車に乗り込み、車を出しながら仁木さんがそう提案してきた。それは俺の耳に音としては聞こえてきたものの、脳が意味を理解しきれず返す言葉が出てこない。ただぼんやりと車窓から夜の街並みを眺めながら、ネオンに照らされていた孝哉の横顔を思い出していた。

「一人での弾き語りか、もしくはインストでもいいと思うのですが……」

「いや仁木さん、今の俺にはそんなことは出来ませんよ。今の状態で配信なんてやっても、見れくれる人に申し訳なくなるだけです。今の俺のプレイなんて、見てくれてる人がファンじゃなければ、罵られても笑われても仕方がないくらいの出来でしょう? サポートが問題なくやれてるのは楽譜通りに弾いてもそこそこなものになるようにと、そういう細かいところまでを指示してもらってるからですしね。それが出来なくなっていることって結構ダメージ大きくて、だから今旧作の再レックは出来ても新曲は書く事すら出来ないんです。オリジナルをディレクションをすることが今の俺には出来ないんですよ。感情任せに弾くにしても、その感情が動かない。誰かが細かいディレクションをしてくれるなら、その通りに弾くのは可能かもしれないですけどね。でも、それはもう俺の演奏じゃありません」

 身体中が震えるようなセッション……孝哉がいうところの、金色の泡が踵から頭の先まで駆け抜けるような感動を味わう演奏を経験した俺に、それが無くなった状態で前向きな感情を持った普通の演奏を望むなんて、正気の沙汰じゃ無い。

 こういうことは、音楽のことだと理解してくれる人は少ない。でも、それが例えば食道楽の人が病気になって食べられなくなったり、運動好きな人が怪我をしてそれが出来なくなったりするということだと例えると、案外わかってもらえる。今の俺は、まさにその状態なのだ。

 手は動くから弾くことは出来る。練習を欠かさないためにテクニックだけは正確さを増し、日に日に磨き上げられていった。それでも、それをどこでどう盛り込んでいくのかという部分のアイデアが枯渇している。全くと言っていいほどに思いつかなくなってしまったのだ。砂を噛むという表現がこれほどピッタリくるのだなと思うほどに、何をしても心が凍りついたままで、少しも解けようとしない。

 失ったものを補填する事も出来ずに、上がったままのハードルを前にして、どう進んだらいいのかを考える事も出来ないでいる。いつまで経ってもただハードルの前に立ち尽くしているだけで、ハードルが下がってくれないだろうかと願っているような、情けない状態が続いている。

「まずは手を引いてもらいましょうよ。大きな傷を負ったのですから、リハビリは必要です。自分でディレクションが出来そうに無いのでしたら、してもらってもいいと思います。それを頼めそうな人を見つけたんです」

「新しいディレクターをつけるんですか? チルカとは別に?」

「そうです」

 俺が僅かに興味を示したからか、仁木さんはバックミラー越しに俺に笑顔をくれた。下がりっぱなしだった眉が、久しぶりに元気を取り戻す。その姿を見るのは悪くないなと思った。

「それって、今の俺について足りないものがわかる人ってことでしょう? そんな人いますか? 長年プロデュースしてる条野だってわかってないのに。あいつはむしろぶっ壊すだけですからね。でもディレクターさんは毎回変わってたはずですし」

 煌びやかな大通りを抜け、自宅近くの裏通りへと車は流れる。外部のものが簡単に入れない様にと張り巡らされている高い壁と生垣の中には、住人の息が詰まらないようにという配慮から、色鮮やかな庭園が設けられている。この庭園のディレクターは俺と好みが合うのか、ここを通るだけで何度か心を救われたことがあった。
 今はクリスマスが近づいてきている事もあり、ガラス壁を挟んで内部にはポインセチアの赤と白が、外にはヒューケラとシロタエギクの寄せ植えが仲間入りしていた。
 ヒューケラはくすみながらも濃く主張が強めで、その合間に伸びるシロタエギクは、物理的にはそうでは無いにも関わらず、スッキリと真っ直ぐな姿に独特な気品を感じる。そうして強さを表していながらも、どこかに物悲しさを孕んでいるところが、俺の心に何かを納得させるような安心感を与えてくれていた。

「そうですね。条野さんに対峙出来るディレクターさんは中々見つかりません。だからこれまで一曲ごとに変わるという異常な事態が続いていました。でも、そうだとしても作品には一貫性というものが存在する事が出来ると私は思っているんです。隼人さんはここのお庭がお好きでしょう? でも、ここのディレクターさんも実は季節によって担当者が変わるようになっているそうなんです。でも、通年どこかしら似たものがあると思いませんか?」

「それはそうですね。ずっとテイストは似てるというか、一貫したものはあると思います。俺はそれが自分の好みに合ってるんだと思ってます」

「そうですよね。それは、おそらくこの庭園のオーナーさんの好みをディレクターさんが汲みきれているからだと私は思っているんです。これでわかるのでは無いですか? ディレクションというのは、あくまで提案です。それを黙って受け入れるのではなくて、提案されながらも譲れない方向性というものを、ご本人が保つ必要があります」

 庭園を抜けて地下駐車場へと入り、車を止めると指定フロアへと入るためのエレベーターへと乗り込んだ。そして、誰も待つことのない静まり返ったフロアへと向かう。

「信頼出来る方に一旦委ねてディレクションしていただきながら、だんだん感覚を取り戻していくというのはどうでしょうか。そして、その奮闘する様を敢えて配信していただきたいんです。あなたを心配しているファンの方はたくさんいらっしゃいます。批判はもう落ち着いていますけれど、あなたを心配する声はずっと届いていますよ。これまでのかっこいい真島隼人とはイメージが異なるかもしれませんが、リハビリ的に頑張っているよというメッセージを添えていれば、ファンの皆さんも安心できると思うんです」

「出来なくなっている姿を配信するんですか? そんなのミュージシャンとして許されないでしょう。そういう売り方をすると、昔からのチルカのファンはまた怒りませんか? 前と違うのが嫌だって言って」

 俺が抜けた後のチルカは、俺の曲じゃなくなったことで売れなくなったと言われていた。そして、俺が再加入したらまた売れるだろうと踏んだ条野は、自分が切ったメンバーである俺を、臆面もなく引き戻すことにした。そして、いざ俺にアプローチをかけようとした頃に、俺と孝哉が恋仲にあることを知り、それを起爆剤として利用しようとして孝哉を巻き込んだ。

 ただその時、俺たちは誰もそうしない方がいいとは思わなかった。メンバー全員がそうした方がいいだろうと考えて、孝哉は歓迎された。特に色田が孝哉を気に入ったことで、誰も反対することなく再結成話は進んでいった。

 だから、俺たちは今、誰も自分の感覚を信じられなくなっている。まさか自分たちがチルカのためにいいと思って選んだことが、ファンに不評になろうとは、夢にも思っていなかった。そして、だから今でも何も動き出せずにいる。孝哉を取り戻したいとは思っていても、その意思を通すとチルカがどうなるか分からず、何も手を打てずにいるのだった。

「色恋でまともに考えられなくなった隼人がチルカを壊したとまで言われているんです。そんな俺が、まともに演奏も出来なくなっているってわかったら、どうなりますか? もし万が一また誹謗中傷を受けることになると、俺はもう保ちません」

「ですから、一旦責任を他者に預けてみてはどうでしょうか。あなたが自分を信じられなくなっているのなら、あなた以外の人からあなたは素晴らしいのだと教えて貰えばいいのだと思うんです。それも、僕たちのような近い人間ではなく、客観的に実力を見定めることが出来るけれども、全くの他人ではない人物にそれをお願いしていこうと思うんです。それも、その方自身に有無を言わせない実力のある方を選べばどうでしょうか。この人の言うことなら間違いないと思えるほどの実績のある方に認められれば、たとえ外野になんと言われようとミュージシャンとしての揺るぎない自信になりませんか?」
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