追いかけて

皆中明

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追いかけて

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 ねえ、隼人さん。
 あの日俺が言ったこと、覚えてますか?

 俺にとって弾き語りは、生きていく上での全てでした。自分が生み出した音の中に立って、その音の放つ輝きに包まれて、やっと幸せを感じられた。そして、それさえあれば良かったんです。本当に、音楽が全てだった。
 
 あの日、あの場所であなたに声をかけられるまでは。

 生まれて初めて、音楽以外のものに執着しました。音楽以外のものを手放したくないと初めて思ったんです。あなたを失うくらいなら、あなたと共に奏でる音楽を失うくらいなら、俺は音楽の全てを失ってもいいとすら思っていました。

 だから、別に俺がチルカを辞めても良かったんです。でも、俺がチルカを辞めた後に、条野さんがやろうとしていることを、どうしても阻止したかったんです。だからどうか許してください。

 俺はあなたを壊します。

 ……あなたを守るために。



『うん、オッケーです。隼人さんの分は今日はこれで終了です。お疲れ様でしたー』

 最後に弾いた弦の響きが空気の中へと溶けて消えるまで、どうにか俺は耐え抜いた。コントロールルームにいる和気さんからの終了の声に一気に緊張の糸が途切れた体は、ギターを抱えたまま手も出せずに床へと向かって崩れ落ちていく。

『隼人さん! 危ない!』

 エネルギーの切れた頭は、トークバックから聞こえてくる和気さんの声にようやく我にかえり、ギターが床に当たる寸前でどうにか膝をつくという判断下すことができた。それによって楽器の破損と俺自身の怪我という最悪な事態は免れることが出来た。
 それでも反応が遅れたために打ちつけた膝の痛みはかなり強く、立ち上がるためには椅子に掴まらざるを得ない。ボディを背中側へ回して椅子の背を掴み、しがみつくようにして立ち上がる。まるで老人のような姿に、思わず自ら嘲るような笑いを漏らした。

「あー、すみません。大丈夫です。危なかったけど」

 分厚いガラス窓の向こうから心配そうに俺を見ている和気さんへそう答えるも、こっちのマイクレベルはゼロの状態になっている。俺の声は彼には聞こえるはずもない。そんなことが瞬時に判断出来ないほどに、俺は疲れ切っていた。

「隼人、大丈夫か?」

 レコーディングが立て込んでいて碌に眠れず、青白い顔のままブースから這い出てきた俺に、色田が心配そうに訊く。狼狽えながらも、よろめく俺を気遣って、背中にのしかかっているギターを代わりに運んでくれた。

「おー色田、はよ。お前来るの早くない? 歌録りって夜からじゃなかったか?」

 色田の声にそう返しながら、俺は防音扉のグレモンハンドルを回そうとした。しかし、その硬さと重さに今の俺の力では全く歯が立たない。遊びの部分しか動かせず、その場で四苦八苦する羽目になった。
 ブースからコントロールルームの方へと出てくる時にもこのハンドルを回しているわけだけれど、その時は下へ下ろすだけだから多少体重をかければすぐに回る。しかしそれを閉めるとなると話が違う。小刻みに揺れる手には、それを持ち上げてロックをかけるまでの力はもう残っていない。ハンドルを眺めたまま、薄く長いため息を吐くことしか出来なかった。

「あー、もう握る力が残ってねーぞ」

 そう零しながらも、気を取り直してもう一度ハンドルを引き上げようと試みる。僅かに動く気配があるものの、あのガチャンとしっかり嵌まり込む音がするまで動かすには程遠い。
 見かねた色田が手を伸ばして来て、代わりにハンドルを回してくれた。コントロールルーム内にガチャンという重い金属音が響き渡る。ようやく定位置へと戻ったハンドルに安堵していると、色田が背中に手を添え「お疲れ」と声をかけてくれた。

「サンキュー」
 
 それに対して軽い口調で返してはみるものの、俺は胸の中にベッタリと張り付いている寂しさが、さらに厚みを増していくのを感じていた。この重い扉によって突如生まれた境界線は、まるで俺と孝哉の気持ちの境界を表しているように思えてしまったのだ。

「お前さあ、ハンドルも回せねーなんて、よくそんな状態で演奏が出来るな。それだけが不思議なんだよ。レベルも落ちてないみてーだし。ちゃんと食ってスタミナつけろよ。お前、碌に食って無いだろう?」

「……全く食って無いわけじゃねーよ。ちゃんとっては言えないかも知んねーけど、まあまあ食ってはいる。大丈夫だから、心配すんな。ありがとうな」

 そう言って強がってはみても、ついさっき感じた胸の痛みへの苦悶が顔に出ていたのだろう。色田は、今にも泣きそうな顔をして俺を見つめ、何かを言おうと肩を掴んだ。
 しかし、どうやらその言いたいことよりも気になることが出来たらしく、大きく目を見開いて息を呑んだ。

「お前……なんだよこの痩せ方。本当に一人で大丈夫なのか? あれから半年は経ってるんだぞ。仕事にはギリギリ問題がないからって事務所は何も言ってないらしいけど、俺たちは心配で仕方ねーんだよ。いくら孝哉がいなくなってショックだからって、お前がこんな風になることをあいつが望んでるわけ無いだろ? あいつに心配かけるようなことすんなよ」

 そう言って、俯いて下ばかりを見ている俺の目を、至近距離から睨みつけるように覗き込んで来た。
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