追いかけて

皆中明

文字の大きさ
上 下
45 / 58
追いかけて

21_1_場所1

しおりを挟む


 ねえ、隼人さん。
 あの日俺が言ったこと、覚えてますか?

 俺にとって弾き語りは、生きていく上での全てでした。自分が生み出した音の中に立って、その音の放つ輝きに包まれて、やっと幸せを感じられた。そして、それさえあれば良かったんです。本当に、音楽が全てだった。
 
 あの日、あの場所であなたに声をかけられるまでは。

 生まれて初めて、音楽以外のものに執着しました。音楽以外のものを手放したくないと初めて思ったんです。あなたを失うくらいなら、あなたと共に奏でる音楽を失うくらいなら、俺は音楽の全てを失ってもいいとすら思っていました。

 だから、別に俺がチルカを辞めても良かったんです。でも、俺がチルカを辞めた後に、条野さんがやろうとしていることを、どうしても阻止したかったんです。だからどうか許してください。

 俺はあなたを壊します。

 ……あなたを守るために。



『うん、オッケーです。隼人さんの分は今日はこれで終了です。お疲れ様でしたー』

 最後に弾いた弦の響きが空気の中へと溶けて消えるまで、どうにか俺は耐え抜いた。コントロールルームにいる和気さんからの終了の声に一気に緊張の糸が途切れた体は、ギターを抱えたまま手も出せずに床へと向かって崩れ落ちていく。

『隼人さん! 危ない!』

 エネルギーの切れた頭は、トークバックから聞こえてくる和気さんの声にようやく我にかえり、ギターが床に当たる寸前でどうにか膝をつくという判断下すことができた。それによって楽器の破損と俺自身の怪我という最悪な事態は免れることが出来た。
 それでも反応が遅れたために打ちつけた膝の痛みはかなり強く、立ち上がるためには椅子に掴まらざるを得ない。ボディを背中側へ回して椅子の背を掴み、しがみつくようにして立ち上がる。まるで老人のような姿に、思わず自ら嘲るような笑いを漏らした。

「あー、すみません。大丈夫です。危なかったけど」

 分厚いガラス窓の向こうから心配そうに俺を見ている和気さんへそう答えるも、こっちのマイクレベルはゼロの状態になっている。俺の声は彼には聞こえるはずもない。そんなことが瞬時に判断出来ないほどに、俺は疲れ切っていた。

「隼人、大丈夫か?」

 レコーディングが立て込んでいて碌に眠れず、青白い顔のままブースから這い出てきた俺に、色田が心配そうに訊く。狼狽えながらも、よろめく俺を気遣って、背中にのしかかっているギターを代わりに運んでくれた。

「おー色田、はよ。お前来るの早くない? 歌録りって夜からじゃなかったか?」

 色田の声にそう返しながら、俺は防音扉のグレモンハンドルを回そうとした。しかし、その硬さと重さに今の俺の力では全く歯が立たない。遊びの部分しか動かせず、その場で四苦八苦する羽目になった。
 ブースからコントロールルームの方へと出てくる時にもこのハンドルを回しているわけだけれど、その時は下へ下ろすだけだから多少体重をかければすぐに回る。しかしそれを閉めるとなると話が違う。小刻みに揺れる手には、それを持ち上げてロックをかけるまでの力はもう残っていない。ハンドルを眺めたまま、薄く長いため息を吐くことしか出来なかった。

「あー、もう握る力が残ってねーぞ」

 そう零しながらも、気を取り直してもう一度ハンドルを引き上げようと試みる。僅かに動く気配があるものの、あのガチャンとしっかり嵌まり込む音がするまで動かすには程遠い。
 見かねた色田が手を伸ばして来て、代わりにハンドルを回してくれた。コントロールルーム内にガチャンという重い金属音が響き渡る。ようやく定位置へと戻ったハンドルに安堵していると、色田が背中に手を添え「お疲れ」と声をかけてくれた。

「サンキュー」
 
 それに対して軽い口調で返してはみるものの、俺は胸の中にベッタリと張り付いている寂しさが、さらに厚みを増していくのを感じていた。この重い扉によって突如生まれた境界線は、まるで俺と孝哉の気持ちの境界を表しているように思えてしまったのだ。

「お前さあ、ハンドルも回せねーなんて、よくそんな状態で演奏が出来るな。それだけが不思議なんだよ。レベルも落ちてないみてーだし。ちゃんと食ってスタミナつけろよ。お前、碌に食って無いだろう?」

「……全く食って無いわけじゃねーよ。ちゃんとっては言えないかも知んねーけど、まあまあ食ってはいる。大丈夫だから、心配すんな。ありがとうな」

 そう言って強がってはみても、ついさっき感じた胸の痛みへの苦悶が顔に出ていたのだろう。色田は、今にも泣きそうな顔をして俺を見つめ、何かを言おうと肩を掴んだ。
 しかし、どうやらその言いたいことよりも気になることが出来たらしく、大きく目を見開いて息を呑んだ。

「お前……なんだよこの痩せ方。本当に一人で大丈夫なのか? あれから半年は経ってるんだぞ。仕事にはギリギリ問題がないからって事務所は何も言ってないらしいけど、俺たちは心配で仕方ねーんだよ。いくら孝哉がいなくなってショックだからって、お前がこんな風になることをあいつが望んでるわけ無いだろ? あいつに心配かけるようなことすんなよ」

 そう言って、俯いて下ばかりを見ている俺の目を、至近距離から睨みつけるように覗き込んで来た。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

黄色い水仙を君に贈る

えんがわ
BL
────────── 「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」 「ああ、そうだな」 「っ……ばいばい……」 俺は……ただっ…… 「うわああああああああ!」 君に愛して欲しかっただけなのに……

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

学園と夜の街での鬼ごっこ――標的は白の皇帝――

天海みつき
BL
 族の総長と副総長の恋の話。  アルビノの主人公――聖月はかつて黒いキャップを被って目元を隠しつつ、夜の街を駆け喧嘩に明け暮れ、いつしか"皇帝"と呼ばれるように。しかし、ある日突然、姿を晦ました。  その後、街では聖月は死んだという噂が蔓延していた。しかし、彼の族――Nukesは実際に遺体を見ていないと、その捜索を止めていなかった。 「どうしようかなぁ。……そぉだ。俺を見つけて御覧。そしたら捕まってあげる。これはゲームだよ。俺と君たちとの、ね」  学園と夜の街を巻き込んだ、追いかけっこが始まった。  族、学園、などと言っていますが全く知識がないため完全に想像です。何でも許せる方のみご覧下さい。  何とか完結までこぎつけました……!番外編を投稿完了しました。楽しんでいただけたら幸いです。

なんか金髪超絶美形の御曹司を抱くことになったんだが

なずとず
BL
タイトル通りの軽いノリの話です 酔った勢いで知らないハーフと将来を約束してしまった勇気君視点のお話になります 攻 井之上 勇気 まだまだ若手のサラリーマン 元ヤンの過去を隠しているが、酒が入ると本性が出てしまうらしい でも翌朝には完全に記憶がない 受 牧野・ハロルド・エリス 天才・イケメン・天然ボケなカタコトハーフの御曹司 金髪ロング、勇気より背が高い 勇気にベタ惚れの仔犬ちゃん ユウキにオヨメサンにしてもらいたい 同作者作品の「一夜の関係」の登場人物も絡んできます

まだ、言えない

怜虎
BL
学生×芸能系、ストーリーメインのソフトBL XXXXXXXXX あらすじ 高校3年、クラスでもグループが固まりつつある梅雨の時期。まだクラスに馴染みきれない人見知りの吉澤蛍(よしざわけい)と、クラスメイトの雨野秋良(あまのあきら)。 “TRAP” というアーティストがきっかけで仲良くなった彼の狙いは別にあった。 吉澤蛍を中心に、恋が、才能が動き出す。 「まだ、言えない」気持ちが交差する。 “全てを打ち明けられるのは、いつになるだろうか” 注1:本作品はBLに分類される作品です。苦手な方はご遠慮くださいm(_ _)m 注2:ソフトな表現、ストーリーメインです。苦手な方は⋯ (省略)

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる

クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

処理中です...