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あの場所で
20_1_八階外階段の踊り場で1
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「仁木さん! お願い!」
色田が閉めたドアに向かって、孝哉は叫び続けた。痛みを感じなくなるほどの強いパニックを起こしてしまったのか、力任せにドアを叩き、喉が裂けそうなほどの大声を上げている。
プロのボーカリストであれば絶対にしないであろうことを、アマチュアの頃から声を響かせることに生きがいを感じている男が、躊躇いもなく選んでいる。
それはつまり、本能からの行動だということだろう。思考を奪われるほどに必死に、ただひたすらに居場所を奪われることを拒んでいるのだ。
「やめろ孝哉。いい加減にしないと右手も壊れるぞ」
会議室のドアを叩き続けた右手は無惨にも皮膚が裂け、その行動を止めようとしても、血で滑ってしまってそれすら難しい。完全なパニックに陥った成人男性を俺一人で止めるには力が足りず、俺自身も何度も殴られて唇を切ってしまった。
「何やってんだよ、隼人! 早く止めねえと孝哉大怪我するぞ!」
ドアの向こう側から色田がそう叫ぶ声が聞こえてきた。そんなことは俺にだってわかっている。一刻も早く止めてあげたいと思いながらも、どうしたものかわからずに悩んでいると、突然爆音で誰かのスマホに着信音が鳴り始めた。
リノリュウムの貼られたコンクリートは、音の吸収が苦手だ。響いたらそのままの勢いを保ち、上へ下へと暴れ始める。音の大きさと乱れに驚いたのか、びくりと一瞬孝哉の動きが止まった。俺はその隙を突いて孝哉をドア前から引き剥がした。
「ちゃんと掴まっとけよ!」
ふと思い立ち、孝哉を背負って外階段へと向かった。何事かと覗き見している事務所のスタッフたちを尻目に、ブーツの踵を鳴らして廊下を駆け抜けていく。そのまま階段を登り、広い踊り場のある八階を目指した。
二人分の体重を乗せた足を必死になって前へと進める。一歩間違えれば二人とも落ちてしまうんじゃないかという心配が、恐怖心を煽り立てた。それでも、今は孝哉を落ち着かせることだけを考えようと、ぎりぎりと歯を食いしばって気を逸らした。
ただひたすらに、上へと向かう。俺の知る限りで最も孝哉が無心になれる場所、八階外階段の踊り場へと向かった。そこは俺たちが出会った場所、飛び降りて死のうとしていた孝哉を見つけた場所だ。
「あーキッツ! ほら、ここに座れ。タバコ吸うから付き合えよ」
ここには、他の階よりも少し広めの踊り場に、吸い殻入れのある喫煙スペースがある。世が喫煙者に厳しくなろうとも、音楽業界の裏方たちにはまだスモーカーは多い。上がその数を減らそうと躍起になったとしても、無理をさせるとパフォーマンスの低下が著しいということがわかったようで、この八階にだけそのスペースを残すことになった。
俺たちが所属している事務所の関係者と、同じビルにある小さなスタジオの関係者が、ここを憩の場としてやって来るため、普段はかなり人が多い。それにも関わらず、今日は誰もいなかった。今ここには、俺たち二人しかいない。
俺は、運ばれている間にやや落ち着いた孝哉の、その派手な色の髪を手で梳いた。そして、ポケットから水色の鮮やかなロリポップキャンディを取り出す。それを孝哉の手にそれを握らせると、「ほら、いつもの」と言った。
孝哉はそれを受け取ると、キャンディーブルーの髪の隙間から俺の目を覗く。その視線が、チラリと俺の右目の傷を捉えるのがわかった。
「ちょっと落ち着こうぜ」
ポケットから取り出したタバコに火をつけ、軽く息を吸い込む。細くて紙一枚に遮られただけの空間の中は、みっしりと詰まった刻みと空気が混ざり、ジリっという音を立てて真っ赤に燃え上がった。その熱の中心がわずかに顔を出したと思えば、それは瞬時に冷えて白い灰へと変わっていく。孝哉は、いつもその過程を眺めながら、
『隼人さんがタバコ吸ってる姿って、その燃え方すら儚く見せるんだよね。いつもそれが不思議なんだ』
と言う。そして、その間自分はずっとソーダ味のロリポップキャンディを舐めていて、
『同じ時間を楽しむならコレが一番なんだよ』
と笑っている。俺はそういう時の孝哉を結構気に入っていて、今や自分がタバコを吸うときは、俺から孝哉にその飴を渡すようになっていた。気がつくといつも身につけているショルダーバッグには、右目のために持ち歩く目薬とシガーケース、ライター、そしてこの飴が常に入っている。
「俺のタバコに付き合うなら、それが一番なんだろう?」
そう問いかけると、孝哉は自分の髪と同じ色に輝くそれを見つめてふわりと笑い、包み紙を開きながら消え入りそうな声で「うん」と答えた。
薄い紙が開かれて現れた小さな空間に、鮮やかなブルーのころんとした飴玉が見える。いつもであれば、それを嬉しそうに口に含む孝哉は、今は眉根を寄せて飴を噛み砕きそうな顰めっ面をしていた。
色田が閉めたドアに向かって、孝哉は叫び続けた。痛みを感じなくなるほどの強いパニックを起こしてしまったのか、力任せにドアを叩き、喉が裂けそうなほどの大声を上げている。
プロのボーカリストであれば絶対にしないであろうことを、アマチュアの頃から声を響かせることに生きがいを感じている男が、躊躇いもなく選んでいる。
それはつまり、本能からの行動だということだろう。思考を奪われるほどに必死に、ただひたすらに居場所を奪われることを拒んでいるのだ。
「やめろ孝哉。いい加減にしないと右手も壊れるぞ」
会議室のドアを叩き続けた右手は無惨にも皮膚が裂け、その行動を止めようとしても、血で滑ってしまってそれすら難しい。完全なパニックに陥った成人男性を俺一人で止めるには力が足りず、俺自身も何度も殴られて唇を切ってしまった。
「何やってんだよ、隼人! 早く止めねえと孝哉大怪我するぞ!」
ドアの向こう側から色田がそう叫ぶ声が聞こえてきた。そんなことは俺にだってわかっている。一刻も早く止めてあげたいと思いながらも、どうしたものかわからずに悩んでいると、突然爆音で誰かのスマホに着信音が鳴り始めた。
リノリュウムの貼られたコンクリートは、音の吸収が苦手だ。響いたらそのままの勢いを保ち、上へ下へと暴れ始める。音の大きさと乱れに驚いたのか、びくりと一瞬孝哉の動きが止まった。俺はその隙を突いて孝哉をドア前から引き剥がした。
「ちゃんと掴まっとけよ!」
ふと思い立ち、孝哉を背負って外階段へと向かった。何事かと覗き見している事務所のスタッフたちを尻目に、ブーツの踵を鳴らして廊下を駆け抜けていく。そのまま階段を登り、広い踊り場のある八階を目指した。
二人分の体重を乗せた足を必死になって前へと進める。一歩間違えれば二人とも落ちてしまうんじゃないかという心配が、恐怖心を煽り立てた。それでも、今は孝哉を落ち着かせることだけを考えようと、ぎりぎりと歯を食いしばって気を逸らした。
ただひたすらに、上へと向かう。俺の知る限りで最も孝哉が無心になれる場所、八階外階段の踊り場へと向かった。そこは俺たちが出会った場所、飛び降りて死のうとしていた孝哉を見つけた場所だ。
「あーキッツ! ほら、ここに座れ。タバコ吸うから付き合えよ」
ここには、他の階よりも少し広めの踊り場に、吸い殻入れのある喫煙スペースがある。世が喫煙者に厳しくなろうとも、音楽業界の裏方たちにはまだスモーカーは多い。上がその数を減らそうと躍起になったとしても、無理をさせるとパフォーマンスの低下が著しいということがわかったようで、この八階にだけそのスペースを残すことになった。
俺たちが所属している事務所の関係者と、同じビルにある小さなスタジオの関係者が、ここを憩の場としてやって来るため、普段はかなり人が多い。それにも関わらず、今日は誰もいなかった。今ここには、俺たち二人しかいない。
俺は、運ばれている間にやや落ち着いた孝哉の、その派手な色の髪を手で梳いた。そして、ポケットから水色の鮮やかなロリポップキャンディを取り出す。それを孝哉の手にそれを握らせると、「ほら、いつもの」と言った。
孝哉はそれを受け取ると、キャンディーブルーの髪の隙間から俺の目を覗く。その視線が、チラリと俺の右目の傷を捉えるのがわかった。
「ちょっと落ち着こうぜ」
ポケットから取り出したタバコに火をつけ、軽く息を吸い込む。細くて紙一枚に遮られただけの空間の中は、みっしりと詰まった刻みと空気が混ざり、ジリっという音を立てて真っ赤に燃え上がった。その熱の中心がわずかに顔を出したと思えば、それは瞬時に冷えて白い灰へと変わっていく。孝哉は、いつもその過程を眺めながら、
『隼人さんがタバコ吸ってる姿って、その燃え方すら儚く見せるんだよね。いつもそれが不思議なんだ』
と言う。そして、その間自分はずっとソーダ味のロリポップキャンディを舐めていて、
『同じ時間を楽しむならコレが一番なんだよ』
と笑っている。俺はそういう時の孝哉を結構気に入っていて、今や自分がタバコを吸うときは、俺から孝哉にその飴を渡すようになっていた。気がつくといつも身につけているショルダーバッグには、右目のために持ち歩く目薬とシガーケース、ライター、そしてこの飴が常に入っている。
「俺のタバコに付き合うなら、それが一番なんだろう?」
そう問いかけると、孝哉は自分の髪と同じ色に輝くそれを見つめてふわりと笑い、包み紙を開きながら消え入りそうな声で「うん」と答えた。
薄い紙が開かれて現れた小さな空間に、鮮やかなブルーのころんとした飴玉が見える。いつもであれば、それを嬉しそうに口に含む孝哉は、今は眉根を寄せて飴を噛み砕きそうな顰めっ面をしていた。
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