追いかけて

皆中明

文字の大きさ
上 下
14 / 58
俺を救う人

8_3_スワングダッシュ3

しおりを挟む
「お前が弾き語りを出来ないのは、左手が使えないからなんだよな? だから、俺がお前の左手になってやるよ。右手は自分でやれ。手持ち無沙汰だろうから、俺の手首を押さえてポジショニングしてろよ」

「は!? そんなの、どっちもやりにくいに決まってる……」

「お前、死のうとしてただろ?」

 そう返してきた隼人さんの声は、さっきまでより少しだけ冷たかった。いや、冷たいというよりは、厳しかった。ただ、そこには間違いなく深い愛情の存在も感じられる。

 それに、多分初めてだった。あの日の俺のことを、まっすぐ聞かれたことはなかったように思う。

 こんなにはっきりと「死のうとしていた」という言葉を使った。そのことで、この提案が安易なものでは無いことはわかった。

「あの日……でしょ?」

「おう。俺たちが出会った日な」

 そう言いながら、左手でコードを押さえ続けている。C、F、G……基本のスリーコード。ゆっくり何度も繰り返されるその動作は、ギターを始めて練習した日のことを思い出しているようだった。

「この格好で弾くのがどんなにやりにくくてもさ、生きがいなくして死にたくなるほど辛いのに比べたら、楽じゃねえか? これでお前が歌えるなら、やってみる価値はあるだろう? 俺の骨折療養生活のお返しだとでも思ってさ。あなたのために協力致しますよ」

 そう言って少しだけおどけて笑ってくれた時、この人は神様なのかと思った。死のうとしていた俺を助け、自分が怪我をしたのに、俺のことは一切責める事はなかった。その上、俺のトラウマの克服を手伝うという。

「なんでそこまでしてくれるの……」

 どう考えても、めんどくさいことだろう。あれだけ自由に弾けるのに、俺の左手だけをやるなんて。右と左で別の人間がやれば、タイミングだって合わせられるかどうかわからない。

「お前がスワングダッシュが好きだって言ってくれたからだよ」

「え? どういうこと?」

 隼人さんは悲しそうに笑うと、Tシャツの襟元をぐいっと引っ張って胸元を見せてくれた。そこには、夥しい量の火傷の跡があった。

「何それ……」

「お前、チルカモーショナのファンだったんだろ? じゃあ聴いた事ないか? デビュー直前にギターボーカルの交代があった事。その交代の理由が、バンド内での暴力沙汰だったこと。ギターボーカルが、右目の眼球破裂で人前に立てなくなったこと」

 そう言って、人差し指でトントンと右目を見るように促してきた。

「こ、これ……義眼?」

「そう、義眼」

 もう一ヶ月以上一緒にいるのに、今まで全然気が付かなかった。隼人さんの右目は、義眼だった。右にかけて長くなっているアシンメトリーの前髪で、わかりにくくしてあるようだ。

 俺はその目の近くの傷跡に手を触れた。縫ったような跡がいくつかある。それにすら、気がついていなかった自分に、正直なところ驚いていた。

「……眼球破裂って、何されたの?」

「普段から俺に火傷させるようなやつだったんだけど、激昂した時にマイクぶん投げられた。それが少しだけ当たって、それだけで眼球破裂。破裂って言ってもパーンって飛び散ったとかじゃないぞ? 治療は出来たんだよ。これ、コンタクトみたいなやつだからな。でも、ほとんど見えてないし、暗闇だと全く見えない。だから、ライブに出られなくなったんだ」

 チルカモーショナはデビュー直前に、メインギターとコーラスを担当していたハヤトが脱退していた。期待の大型新人だと言われていたバンドだったけれど、デビュー前に作られていた曲しか売れず、今はほとんどランキングにも登ってこない。

 時折、スワングダッシュが誰かの紹介でバズってランクインしたりするけれど、それはハヤトが作った曲だった……。

「隼人さんて、あの、ハヤトなの? チルカモーショナの?」

「そうだよ。ファンなら早く気づけ。……まあ、俺当時金髪だったしな。メイクもしてたし。気づきようがないだろうけど……」

「でも、さっき音でもしかしてって思ったんだ! だって、ライブで聴いたそのままだった。音源も同じ熱量だった。でも、まさか本物だとは思わないだろ……嘘だろ、俺、あのハヤトの世話してんのか……」

 困惑している俺を見て、隼人さんはまた楽しそうに笑った。すごく愉快そうに笑うから、俺もそれを見て嬉しくなった。

「ファンだった男の腕の中で、ギター一緒に弾きながら歌えんだぞ? 幸せじゃねーか?」

 そう言ってニヤリと笑った。少しカッコつけすぎたのか、照れが現れていて、それが俺には可愛らしく見えた。

「ぷっ! 何照れてんの……。そうだね、本当に幸せだよ。うん、練習しよう!」

「うし、じゃあまずはイントロの……」

 思いがけず出会った人が、憧れのミュージシャンだった。その人が、自分の生きがいを取り戻す手伝いをしてくれるという。

——なんて幸せなんだ。

 俺は、心底そう思った。

 今から鳴らすワンコードに、これからの人生が素晴らしいものになるという期待を、乗せずにはいられなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

素直じゃない人

うりぼう
BL
平社員×会長の孫 社会人同士 年下攻め ある日突然異動を命じられた昭仁。 異動先は社内でも特に厳しいと言われている会長の孫である千草の補佐。 厳しいだけならまだしも、千草には『男が好き』という噂があり、次の犠牲者の昭仁も好奇の目で見られるようになる。 しかし一緒に働いてみると噂とは違う千草に昭仁は戸惑うばかり。 そんなある日、うっかりあられもない姿を千草に見られてしまった事から二人の関係が始まり…… というMLものです。 えろは少なめ。

「恋みたい」

悠里
BL
親友の二人が、相手の事が好きすぎるまま、父の転勤で離れて。 離れても親友のまま、連絡をとりあって、一年。 恋みたい、と気付くのは……? 桜の雰囲気とともにお楽しみ頂けたら🌸

Endless Summer Night ~終わらない夏~

樹木緑
BL
ボーイズラブ・オメガバース "愛し合ったあの日々は、終わりのない夏の夜の様だった” 長谷川陽向は “お見合い大学” と呼ばれる大学費用を稼ぐために、 ひと夏の契約でリゾートにやってきた。 最初は反りが合わず、すれ違いが多かったはずなのに、 気が付けば同じように東京から来ていた同じ年の矢野光に恋をしていた。 そして彼は自分の事を “ポンコツのα” と呼んだ。 ***前作品とは完全に切り離したお話ですが、 世界が被っていますので、所々に前作品の登場人物の名前が出てきます。***

離したくない、離して欲しくない

mahiro
BL
自宅と家の往復を繰り返していた所に飲み会の誘いが入った。 久しぶりに友達や学生の頃の先輩方とも会いたかったが、その日も仕事が夜中まで入っていたため断った。 そんなある日、社内で女性社員が芸能人が来ると話しているのを耳にした。 テレビなんて観ていないからどうせ名前を聞いたところで誰か分からないだろ、と思いあまり気にしなかった。 翌日の夜、外での仕事を終えて社内に戻って来るといつものように誰もいなかった。 そんな所に『すみません』と言う声が聞こえた。

代わりでいいから

氷魚彰人
BL
親に裏切られ、一人で生きていこうと決めた青年『護』の隣に引っ越してきたのは強面のおっさん『岩間』だった。 不定期に岩間に晩御飯を誘われるようになり、何時からかそれが護の楽しみとなっていくが……。 ハピエンですがちょっと暗い内容ですので、苦手な方、コメディ系の明るいお話しをお求めの方はお気を付け下さいませ。 他サイトに投稿した「隣のお節介」をタイトルを変え、手直ししたものになります。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

彼はオタサーの姫

穂祥 舞
BL
東京の芸術大学の大学院声楽専攻科に合格した片山三喜雄は、初めて故郷の北海道から出て、東京に引っ越して来た。 高校生の頃からつき合いのある塚山天音を筆頭に、ちょっと癖のある音楽家の卵たちとの学生生活が始まる……。 魅力的な声を持つバリトン歌手と、彼の周りの音楽男子大学院生たちの、たまに距離感がおかしいあれこれを描いた連作短編(中編もあり)。音楽もてんこ盛りです。 ☆表紙はtwnkiさま https://coconala.com/users/4287942 にお願いしました! BLというよりは、ブロマンスに近いです(ラブシーン皆無です)。登場人物のほとんどが自覚としては異性愛者なので、女性との関係を匂わせる描写があります。 大学・大学院は実在します(舞台が2013年のため、一部過去の学部名を使っています)が、物語はフィクションであり、各学校と登場人物は何ら関係ございません。また、筆者は音楽系の大学・大学院卒ではありませんので、事実とかけ離れた表現もあると思います。 高校生の三喜雄の物語『あいみるのときはなかろう』もよろしければどうぞ。もちろん、お読みでなくても楽しんでいただけます。

年越しチン玉蕎麦!!

ミクリ21
BL
チン玉……もちろん、ナニのことです。

処理中です...