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後日談、その7 青井秀雄
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「ねぇ、ビールないの、ビール?」
上がりこんで来るなり、彼女は開口一番にそう言った。
「今から飲むんですか?」
「いいじゃない。なんか、今日は疲れちゃったし」
彼女が家に上がるのは3度目だ。猪鹿村の中でもひときわ目立つ山鹿の家、その隣に青井家の家はある。前村長の山鹿行成が治療で長期入院している間、山鹿の家を使ってもいいと言われた彼女は、自宅の平屋と山鹿の家を行ったり来たりする生活を送っている。
今日は二人で福岡市内まで、第二次移住者説明会に使用する会場の下見へ行った。一人でも良かったのだが、どうしても彼女が見ておきたいと言ったからだ。日が落ちてから帰ってくると、彼女はそのまま私の家に上がりこんできた。
両親を早くに亡くした私は、今はトラという名の老猫と実家に住んでいる。青井家は先祖代々、山鹿家に仕えてきた家系だ。先祖を辿れば、山鹿の一族に辿り着くという。
私自身、この猪鹿村に戻って来るつもりはなかった。多くの若者がそうであるように、村のしきたりとか面倒臭いと思っていた。
だけど、あの人と出会って人生は変わった。
父親の葬儀で何十年ぶりに戻ってきたと言うのに、彼は村人からの非難の視線を全く気にしていなかった。それどころか、涙を見せることなく堂々と喪主を務めた。そして、その葬儀の席で彼は、村の人達に向けてこう言い放ったのだ「私がこの村を変えます」と。
そして、彼は私に自分の会社に来いと声をかけてくれたのだ。
「ねえ、お腹空いたんだけど?」
トラの寝ていたリビングのソファに倒れ込むと、彼のお腹に顔を擦り付けながら彼女が言う。トラは満更でも無さそうな顔で、同意するようにニャアと鳴いた。
「はいはい。少し待っててください。何か作りますから」
確かパスタが残っていたはずだと、冷蔵庫の中を見て食材を確認した。タブレットを取り出すとクックパッドで材料名を入れて検索する。和風パスタが良さそうだ。材料や調理器具をきちんと台所に並べるとエプロンを着け、手順を確認する。
「……あんたってさぁ。ほんと面白いわね」
「な、何ですか。料理は化学実験と同じなんです。きちんと手順を踏まないとですね」
「いや、そんなんじゃなくて、そのエプロン」
「えっ?」
トラ柄の猫のイラストが描かれたエプロンは、母が昔から使用していたものだ。色あせてサイズも小さい。だが、料理をする時は身に着けるのが習慣になっていた。そういえば、誰かに見られるのは初めてだった。
「こ、これは、も、もともとは母のものでっ!」
私の言い訳など気にしない様子で、彼女はトラを抱きかかえて撫で始めた。トラが喉を鳴らす。私は棚からコロコロを取り出すと、そっとソファーの横に置いた。抜け毛の時期にスーツのまま猫を抱きかかえなど……彼女のリスク管理には、まだまだ問題が有るようだ。
時間キッカリで作ったパスタをテーブルのセンター、対面になるように置いたランチョンマットの上に置くと、フォークとスプーンを皿に平行に並べる。寸分の違いもない構成だ。もちろんトラの餌であるシニアフードもきちんと分量を量り、水を取り替えるのも忘れない。
コロコロでスーツについたトラの毛を取り終わると、彼女が椅子に座った。
「実はキリカさんに対して不信任決議を出そうとする動きがあるようなのです」
「不信任決議?」
お腹を満たし満足そうに椅子にもたれている彼女に私は伝えた。村での出来事を村長である彼女に伝える必要が私にはある。
「村議員の3分の2が出席する議会で、4分の3が賛成に回れば、村長を辞めさせる事ができるんです」
「なにそれっ!」
猪瀬京香の秘書であった赤井紀夫が水面下で動いているようだが、その事実は彼女には教えないでいた。それを知れば、彼女は猪瀬京香の事を疑うだろう。おそらくはそれさえも、あいつの策略だ。昔からそうだ。あの男は自分が表に出る事なく、陰謀を巡らすのだ。
「やっぱり、私がこの村の人間じゃないから? あっ、もしかしてバレちゃったの?」
この猪鹿村では、村長になるのは村の人間でなければいけないという暗黙の了解があった。前村長、山鹿行成氏の娘という設定で出馬した彼女だが、選挙戦の途中で村長から、その設定が事実だと言うことを、私は知らされていた。確かに彼女は村の外で育った。だが、村の人間であることに変わりはない。しかも山鹿と猪瀬の血を引く彼女ほど、今の村の代表に相応しい人物はいないのだ。
だが、彼女自身がまだその事を知らない。
「不信任決議は諸刃の剣でもあります。不信任決議を受けた村長は議会を解散する権利が与えられるからです」
「じゃあ、もしも私が不信任決議を受けて、議会を解散させたら。もう一度、選挙をやり直すってこと?」
「その通りです」
議会が解散されれば、現職の村議員達は職を失うことになる。そんなリスクを冒す可能性は低い。今は猪瀬京香が彼女の後見人になるという事で古参の議員達を抑えられている部分もある。
「そんなの、ダメよ」
「どうしてですか?」
「選挙だって、無料でできるわけじゃないし。それに、これから予算審議があるから忙しいって言ってたじゃない。そんな時期に解散しするなんて、村の事はどうなるのよ」
彼女の表情は真剣だった。正直言って驚いた。自分の保身ではなく、本当に村の事を考えているのだ。その成長に私は嬉しくなった。
「なに、どうしたの?」
「いえ、何でもありません。そう言えば、確か冷蔵庫にビールがあったはずです」
「早く言ってよ。飲んでもいいの?」
「ええ、お好きにどうぞ」
彼女は嬉しそうに軽快に椅子を立つと、冷蔵庫を開けた。そこには、先日買ってきたビールと多少のおつまみが入っている。
「発泡酒じゃなくてビールじゃん。しかも、私の好きなやつ!」
もちろん、彼女の為に買って来ていたとは、口が裂けても言えない。いや、言わないつもりだ。
上がりこんで来るなり、彼女は開口一番にそう言った。
「今から飲むんですか?」
「いいじゃない。なんか、今日は疲れちゃったし」
彼女が家に上がるのは3度目だ。猪鹿村の中でもひときわ目立つ山鹿の家、その隣に青井家の家はある。前村長の山鹿行成が治療で長期入院している間、山鹿の家を使ってもいいと言われた彼女は、自宅の平屋と山鹿の家を行ったり来たりする生活を送っている。
今日は二人で福岡市内まで、第二次移住者説明会に使用する会場の下見へ行った。一人でも良かったのだが、どうしても彼女が見ておきたいと言ったからだ。日が落ちてから帰ってくると、彼女はそのまま私の家に上がりこんできた。
両親を早くに亡くした私は、今はトラという名の老猫と実家に住んでいる。青井家は先祖代々、山鹿家に仕えてきた家系だ。先祖を辿れば、山鹿の一族に辿り着くという。
私自身、この猪鹿村に戻って来るつもりはなかった。多くの若者がそうであるように、村のしきたりとか面倒臭いと思っていた。
だけど、あの人と出会って人生は変わった。
父親の葬儀で何十年ぶりに戻ってきたと言うのに、彼は村人からの非難の視線を全く気にしていなかった。それどころか、涙を見せることなく堂々と喪主を務めた。そして、その葬儀の席で彼は、村の人達に向けてこう言い放ったのだ「私がこの村を変えます」と。
そして、彼は私に自分の会社に来いと声をかけてくれたのだ。
「ねえ、お腹空いたんだけど?」
トラの寝ていたリビングのソファに倒れ込むと、彼のお腹に顔を擦り付けながら彼女が言う。トラは満更でも無さそうな顔で、同意するようにニャアと鳴いた。
「はいはい。少し待っててください。何か作りますから」
確かパスタが残っていたはずだと、冷蔵庫の中を見て食材を確認した。タブレットを取り出すとクックパッドで材料名を入れて検索する。和風パスタが良さそうだ。材料や調理器具をきちんと台所に並べるとエプロンを着け、手順を確認する。
「……あんたってさぁ。ほんと面白いわね」
「な、何ですか。料理は化学実験と同じなんです。きちんと手順を踏まないとですね」
「いや、そんなんじゃなくて、そのエプロン」
「えっ?」
トラ柄の猫のイラストが描かれたエプロンは、母が昔から使用していたものだ。色あせてサイズも小さい。だが、料理をする時は身に着けるのが習慣になっていた。そういえば、誰かに見られるのは初めてだった。
「こ、これは、も、もともとは母のものでっ!」
私の言い訳など気にしない様子で、彼女はトラを抱きかかえて撫で始めた。トラが喉を鳴らす。私は棚からコロコロを取り出すと、そっとソファーの横に置いた。抜け毛の時期にスーツのまま猫を抱きかかえなど……彼女のリスク管理には、まだまだ問題が有るようだ。
時間キッカリで作ったパスタをテーブルのセンター、対面になるように置いたランチョンマットの上に置くと、フォークとスプーンを皿に平行に並べる。寸分の違いもない構成だ。もちろんトラの餌であるシニアフードもきちんと分量を量り、水を取り替えるのも忘れない。
コロコロでスーツについたトラの毛を取り終わると、彼女が椅子に座った。
「実はキリカさんに対して不信任決議を出そうとする動きがあるようなのです」
「不信任決議?」
お腹を満たし満足そうに椅子にもたれている彼女に私は伝えた。村での出来事を村長である彼女に伝える必要が私にはある。
「村議員の3分の2が出席する議会で、4分の3が賛成に回れば、村長を辞めさせる事ができるんです」
「なにそれっ!」
猪瀬京香の秘書であった赤井紀夫が水面下で動いているようだが、その事実は彼女には教えないでいた。それを知れば、彼女は猪瀬京香の事を疑うだろう。おそらくはそれさえも、あいつの策略だ。昔からそうだ。あの男は自分が表に出る事なく、陰謀を巡らすのだ。
「やっぱり、私がこの村の人間じゃないから? あっ、もしかしてバレちゃったの?」
この猪鹿村では、村長になるのは村の人間でなければいけないという暗黙の了解があった。前村長、山鹿行成氏の娘という設定で出馬した彼女だが、選挙戦の途中で村長から、その設定が事実だと言うことを、私は知らされていた。確かに彼女は村の外で育った。だが、村の人間であることに変わりはない。しかも山鹿と猪瀬の血を引く彼女ほど、今の村の代表に相応しい人物はいないのだ。
だが、彼女自身がまだその事を知らない。
「不信任決議は諸刃の剣でもあります。不信任決議を受けた村長は議会を解散する権利が与えられるからです」
「じゃあ、もしも私が不信任決議を受けて、議会を解散させたら。もう一度、選挙をやり直すってこと?」
「その通りです」
議会が解散されれば、現職の村議員達は職を失うことになる。そんなリスクを冒す可能性は低い。今は猪瀬京香が彼女の後見人になるという事で古参の議員達を抑えられている部分もある。
「そんなの、ダメよ」
「どうしてですか?」
「選挙だって、無料でできるわけじゃないし。それに、これから予算審議があるから忙しいって言ってたじゃない。そんな時期に解散しするなんて、村の事はどうなるのよ」
彼女の表情は真剣だった。正直言って驚いた。自分の保身ではなく、本当に村の事を考えているのだ。その成長に私は嬉しくなった。
「なに、どうしたの?」
「いえ、何でもありません。そう言えば、確か冷蔵庫にビールがあったはずです」
「早く言ってよ。飲んでもいいの?」
「ええ、お好きにどうぞ」
彼女は嬉しそうに軽快に椅子を立つと、冷蔵庫を開けた。そこには、先日買ってきたビールと多少のおつまみが入っている。
「発泡酒じゃなくてビールじゃん。しかも、私の好きなやつ!」
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