山鹿キリカの猪鹿村日記

伊条カツキ

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後日談、その6 猪瀬京香

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 30年前、私は山鹿行成と駆け落ち同然に村を飛び出した。その時、私のお腹には彼の子が宿っていた。

 《猪鹿交わらず》この猪鹿村ではそう言われ、猪瀬家と山鹿家の人間が交際することは禁じられていた。こんな小さな村だ。村人のほとんどは、何らかの形で猪瀬家か山鹿家と関わっている。私自身、子どもの頃から父親から口煩く言われたものだ「山鹿の人間には近づくな」と。

 そんな私が彼と初めて深く言葉を交わしたのは、小学生の終わりだった。体調を崩し寝込んだ父の代わりに、お祈りに行った時だ。母は心配して止めたが、いつもの道だから大丈夫だと説得して、一人で山へ入った。ところが、天気が急変し山中は霧に包まれた。

 方向を見失い、道に迷った私を助けてくれたのが当時中学生だった彼だった。私と違って、彼は猪瀬家に対して何も含みを持っていないようだった。両家は互いに嫌っていると思っていた私には意外だった。二つ年上の彼はとても大人に見えた。

 大学に進学した時、初めて親元を離れて大学の女子寮に入った。彼と偶然再会したのは、友達に連れられた飲み会の席でだ。お互い村から離れていた事もあり、私達は猪瀬と山鹿である事を忘れ恋に落ちた。

 ある日、彼は山鹿の後継者として、なぜ猪瀬家と山鹿家の交際が禁じられているかを教えてくれた。

 猪鹿村には2つの古文書が残されており、猪瀬家と山鹿家に伝わっている。その古文書は、一つだけでは意味をなさない。二つが揃い、それに蝶野家が介在することで、始めて羽金山の埋蔵金の場所がわかるようになっているそうだ。

 私自身、単なる伝説にすぎないと思っていた羽金山の埋蔵金。それは猪鹿村に危機が訪れた際にのみ、使用される決まりになっているそうだ。なぜ、そんな事になったのか。

 猪鹿村はその400年の歴史の中で、幾度か危機を迎えた。始めの危機は江戸時代に起きた天明の飢饉だ。そのさい、村を救うために埋蔵金が使用された記録が残されている。

 問題はその時に起きた。埋蔵金に目が眩んだ山鹿家の男が金を独り占めしようとしたのだ。幸い、その行為は未然に防がれ男は村を追放された。

 その後、そのようなものが出ないように、埋蔵金の在処を知る猪瀬と山鹿は、蝶野家に監視を頼んだ。そして、村の危機が訪れた時にのみ、両家は協力するという教えが其々の家の後継にのみ残されることになった。そして、時代が経つと山鹿と猪瀬の見せかけの軋轢は周囲の村人に事実として、村の常識としてすり込まれていった。

 彼がどうしてそんな事実を知っているのか不思議で、聞いてみた事がある。すると、彼は早くに父親から教わったとの事だった。彼の父親もまた、猪瀬家の女性に恋焦がれていたらしい。だが、その思いは遂げられることはなかった。大昔の先祖が決めた決め事に、今を生きる僕らが従う必要はないんだと、彼は言った。

 それでも、私達の関係は村では秘密だった。大学を卒業した私達は、家を継ぐために村に戻ることが決められていたのだ。

 携帯電話など無かった時代だ。村で二人きりで逢うことは困難だった。そこで私達は逢瀬の合図を決めた。始めて二人が深く会話を交わした時と同じく、羽金山に霧がかかる時が私達が二人きりになれる合図だった。
 毎回逢えるわけではなかったが、私達はそこで逢瀬を重ねた。

 私が妊娠していた事がわかり、二人で村を飛び出した私達は、山鹿の遠い親戚だという老夫婦のもとに身を寄せた。彼らは私が猪瀬の人間だと知って驚いたが、優しく接してくれた。

 そして、彼女が生まれた。私達は二人が出会った場所。霧の香る羽金山からとって、名前をキリカと名づけた。不自由ながらも、私達は幸せだった。

 キリカが二歳になった時だ。彼は大学時代の仲間と共に、ベンチャー企業を立ち上げると奔走して、何日も帰って来ない日が続いた。そんな時、猪瀬家に長年仕えてきている赤井家の人間が私に接触してきた。ずっと私を探していたのだという。彼は私が村を出た後、母親が病で臥せっていると教えてくれた。

 私は娘を連れて一度村に戻ることを彼に相談した。そんな私の言葉に、彼は猛反対した。山鹿の血を引く猪瀬の娘が、村でどういう扱いを受けるのか。彼は村に戻るのなら、私一人で戻るようにと言った。彼は私に迫ったのだ。親を取るか、娘を取るのかだと。私達は何日も喧嘩を繰り返し、お互いに疲弊していった。
 
 すぐに帰って来るからとキリカを老夫婦に預け、私は村に戻った。私を迎えた父は、何も言わなかった。そして私を待っていたのは、瘦せ細り変わり果てた母の姿だった。私は自分が犯した過ちを悔いた。母は病床でも山鹿に対する悪口を私に浴びせた。今にして思えば、彼女なりに悔いを紛らわす行為だったのかもしれない。

 母の看病の為、村の滞在が一日、また一日と伸びた。村に公衆電話は無く、携帯電話も無い時代、母親の手前、電話をかけることもできず、娘を預けた老夫婦に手紙を書くのが精いっぱいだった。

 そのまま数か月後、母は亡くなった。葬儀に来た当時の村長である山鹿行雄は目を腫らしながら、私に封筒を渡してきた。その中には彼の印が押してある離婚届が入っていた。


 私は、溢れてくるものを止められなかった。そのまま、桐谷さんに全てを告げた。彼女は私の話を頷きながら、真摯に受け止めてくれた。長年詰まっていたものが、吐き出されると、少し胸が軽くなった。

「……猪瀬さん」

 彼女は私の両手を握ってきた。そして言った。

「終わらせましょう、私達で。全てを明らかにさせて」






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