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〇後日談、その3 雨雲晴哉

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「おい、じいちゃん。どこまで登るんだ?」

 年齢を感じさせない足取りで、爺ちゃんは道なき道を通り山を登っていく。登り慣れた道なのだろう、そこに迷いはない。おそらく山頂付近だと思う。大きな岩の前に来ると爺さんは両手を合わせてしゃがみ込むと、歌いだした。

 それは不思議な歌だった。何を言ってるかわからない。節回しは民謡にも感じられるが、そうではない。
 何となく、邪魔をしてはいけない空気だったので。歌い終わるまで後ろで待った。いつの間にか、自分もその岩に向かって手を合わせていた。

「爺ちゃん。その歌は?」
「村に伝わる祈りの歌ばい」
「祈りの歌……そうか、オラショか!」
「オラ?」

 ラテン語で祈祷文という意味のオラシオに由来するオラショは、戦国時代に伝わった讃美歌が隠れキリシタン達の中で受け継がれる中で、変容していったものだ。元々がラテン語の讃美歌なので、言葉の意味は失われている。400年前の楽曲なので、現在のキリスト教圏ですら残されていない。

「オラショは祈りを捧げる歌だろ。てことは、ここは誰かの墓ってことか?」

 猪鹿村を作ったのは猪瀬、山鹿の両家だということは以前聞いた。ということは、どちらかの墓なのだろうか。そう訪ねると、爺さんはゆっくりと首を横に振った。

「わしらは、ここを守る為にこの村で生きておる。それが、先祖から続く教えじゃ」
「いったい、誰の墓なんだ?」

 爺ちゃんは再び首を横に振った。余所者には、そこまで教えてはもらえないのか、もしくはこの爺さんも知らないのか。

「なあ、この村を開いたのは猪瀬、山鹿の両家なんだろ?」
「この村の成り立ちにかかわったのは3人と言われておる。猪瀬彦左衛門、山鹿小十郎、そして、わしの先祖じゃ」
「猪瀬と山鹿の他にもう一人いたのか……どうして?」

 猪瀬と山鹿の両家は村の有力者として、現在まで残されているのに対してこの爺ちゃんの家は違うのかが気になった。それを察したのか、爺ちゃんは声も無く笑うと。

「わしの先祖が望まんじゃったんじゃ。奥ゆかしい方じゃったのじゃろう」
「……なぁ、爺ちゃん。俺、この村に来てから気づいたんだけどさ。この村って神社も寺もないだろ」
「ほぉ」
「寺が無いってことはさ、檀家制度の外にあったってことだろ」
「そうじゃな」


 檀家制度とは、江戸幕府が宗教統制政策として生まれた制度だ。武士、町民、農民、全ての身分の者は必ず寺院に所属し、檀家となることを決められた。寺院の住職は彼らに檀家であるという寺請証文を発行した。それが今でいうところの住民票代わりとなった。寺院に属していない者、犯罪等を犯し檀家を追い出されたものは、住民票が無い者とされ、人に非ざるもの「非人」と呼ばれた。

「この村は、いつまで隠れ里だったんだ?」
「どうじゃろう。わしが子どもの頃は、隠れてはおらんやったばい」
「こんな山の中とは言え、そんなに長い年月、隠れ続けられるわけもないし、明治にはキリスト教は解禁されたんだから、隠れ続ける必要もなかったわけだろ」


 明治6年、政府は諸外国からの要請にこたえる形で、キリスト教を解禁した。約250年続いた禁制が解かれたのだ。つまり、その時にこの村は隠れ里である必要性は無くなった。普通に考えれば、明治になって幕藩体制が崩れた後、この村も行政単位に組み込まれたと考えられる。

「隠れ里として檀家制度の外にいたってことはだ……」

 村の人達は「非人」と見られた。つまり、被差別部落としての扱いを受けたのだ。

「なるほどなぁ。250年間の間隠れてて、キリスト教が解禁されたと思ったら、今度は被差別部落として、差別が待っていたのか。そりゃあ、村の人間もひねくれるわ」
「わしらは虐げられるのに、慣れてしまったのかもしれんの。それが、若いもんには堪えられんやったとやろ」

 そこで、ふとした疑問が受かんだ。どうしてこの爺さんは、俺だけを、ここに案内したのだろう。

「なぁ、爺ちゃん。どうして、俺をここに連れてきたんだ?」
「雨雲晴哉。F大学人文科の助教授らしいのぉ。伝説や歴史に詳しく、若いのに有望じゃと」
「まさか、調べたのか?」
「ググったんじゃ。孫の相手じゃけん、調べとけって婆さんに云われてのぉ」
「はっ? どういうことだ?」
「婿に来るって、約束したとやろ?」
「してないし!」

 あの婆さんの孫が村のテレワーク事業でUターンしてきたとは聞いていたが、いつのまにそんな話になっていたとは。

「お主が蝶野の家を継ぐなら、わしが知っとるこの村の全てを、教えてやるんじゃがな」
「取引かよ!」
「わしが言うのもなんじゃが、孫は器量良しのよか女子じゃぞ、それにの、婆さんには内緒じゃが、Eカップじゃぞぉ」

 孫娘の胸のサイズを知ってるなんて、どんだけエロじじいだよ。

 山を降りる間ずっと、爺さんの孫自慢を聞かされたのは、言うまでもない。

 
 一度くらい、会ってみようかな。

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