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猪鹿村日記 その2
しおりを挟む会社に自分の居場所を見失った私は、結婚しますと嘘をついて会社を辞めた。
退職したことを当時付き合っていた彼に告げると、すぐに別れを切り出された。
「まだ結婚とか考えられない」というのが理由だった。
会社を辞める為の方便だと言ったが、相手にされなかった。
別れてから二週間後、噂で彼に新しい女ができたことを知った。何のことはない、私と別れる為の方便だったのだ。
私は人間不信になった。仕事を辞めてから、失業保険を貰いながら、家に引きこもった。
失業保険の期限も迫り、さすがに職を探さなければいけないと考えていた時、引きこもった時に始めたネットゲーム仲間に相談した。お互いに顔も知らない、ゲーム内でモンスターを狩るだけの仲間だったが、思ったよりも親身になってくれた。私がライターをしていたと聞くと、クラウドワーカーという生き方もあると教えてくれた。
「文章が書けるんだったら、いくらでも仕事のやりようはあるぜ」
「でも、書けるっていっても、何か賞とか貰ったことがあるわけでもないし。ただ、書くのが好きだってくらいだけど」
「それで充分だろ。俺なんて読書感想文なんかでも苦痛だったもんな。文章書くのが好きってのは、それだけでも技術だし、才能だよ」
才能という言葉を使われたのは、生まれて初めてだった私はそれだけで調子に乗ってしまい、クラウドワーカーという働き方に挑戦してみようと思った。
クラウドワーカーとはインターネット上での仲介サービスを通じて業務単位で行われるアウトソーシングを仕事にすることだ。日本では「クラウドワークス」「ランサーズ」という二つの会社が有名だ。
例えば、「美容に関する記事」などを指定された文字数で書き上げ、クライアントに送る。その記事の出来に向こうが了承すればギャランティが送られる。そのうちの何割かは仲介手数料として、会社側に取られる仕組みだ。
正直言って相場はかなり安い。通常の5分の1かひどいのになると10分の1だ。金額が大きな案件は、コンペ方式になっていてクライアントから採用された人にのみ支払いが行われるため競争率が高い。せっかく書いても一銭にもならない事も多々ある。
現在1000万人以上いると言われるクラウドワーカーだが、それだけで生活している人はほんの僅かしかいないらしい。多くは副業としての小遣い稼ぎか、ただ登録だけしてる人だ。それでも、パソコンとネット環境あればどこでも仕事ができるし、何より煩わしい人間関係がないのが有難かった。
最初はタスクと呼ばれるブログ記事などを書き始めた。一つ書いて数十円、よくて数百円にしかならなかった。それから、キュレーションサイトと呼ばれるまとめサイトの記事を書く仕事を見つけた。時事ネタや、芸能ネタなど指定された内容の記事を与えられたフォーマットに合わせて書く仕事だ。文字単価は0.5円ほどだったが、フォーマットがあるので、慣れたら数をこなせるようになった。
それでも、月に稼げる金額は生活が成り立つほどではなく、残りは残っていた貯金を切り崩した。女の一人暮らしで、趣味はゲームくらいしかないので家賃と水光熱費、食費くらい稼げればよいのだが、問題は通信費だった。
クラウドワーカーにとって、ネット環境は必須だ。しかし、逆に言えばネット環境さえあれば住む場所にこだわらなくて良いのが、クラウドワーカーの利点でもあった。
家賃と通信費が無料であれば、生活も楽になる。何より、市内に住み続ける理由もない。
猪鹿村は四方を山に囲まれてはいるが、場所的には車で行けば福岡市内から一時間もかからない。
ただし、車であればだ。公共の交通機関は電車はもちろん、バスすら通っていない。
かなり無理をすれば自転車で行けるかもしれないが、峠を越えなければいけない。免許を持たない身にとってはこの村に移住するという事は、その土地に閉じ込められると言って過言ではなかった。
それでも仕事はできるし、買い物だってネット通販がある。趣味のネットゲームは場所を選ばないし、飲みに行く友達だって別にいない。私は、その場で移住説明会への参加を申し込んでいた。
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