新説 六界探訪譚

楕草晴子

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6.第三界

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 周りの歓声から自分の体だけ切り離され、荒野に置き去りにされたような感覚に陥る。
 なんだそれ。
 そんな俺の気持ちを察したわけはないんだけど、突然パブリックビューングの映像が途絶えた。
 ぱかぱかと黒い画面に1、2度白いアルファベットが映った後、何事もなかったようにテニスの試合映像に切り替わる。
 画面下の黒いバンの中からは挙動不審な痩せっぽちでぎょろ目の少年キャラが、べたべたシールの貼られたノートPCを抱えてドアから身を乗り出し辺りを見回している。
 目当ての誰かを見つけたのか頷いて引っ込んだ。
 恐らくその誰か、あの私服警官キャラ二人だろう。ちょっとチャラそうな男と強面の男が、頭に布をかけた男をタクシーに引っ張っていった。
 一瞬どよめきになっていた歓声が再び息を吹き返す。画面のテニスの試合では、スポーツキャップをかぶった色白の美少年キャラがネット際のボレーをサクっと撃ち返していた。…ったく、佐藤かよ。
 今俺は『このままだと俺が消えちゃう』問題真っただ中なんだからさ!
 そうだ。佐藤の事ばっか考えてる場合じゃない。
 2人も出てきてやばかったって理由はあるものの、さっきから一箇所に止まり過ぎだった。
 てことで。頭パンクしそうなので。
 内面云々の話は保留!
 でも次の実際の進行方向、難しいなぁ。
 コウダも多分迷ってる。
 右の駅方面に行くと女連れの佐藤。左に行くとテニス部の奴らとつるんでた佐藤。高架下は論外。
 その中だと…やっぱこれか。
「コウダ、駅の方に行かない?
  男づれ団体の佐藤よりも、女子連れの方が安全な気がする」
 コウダが迷いを見せながらも頷いた。
「…そう…だな。目をつぶって場面転換させるのは本人が複数いることが分かった今危険すぎるから、仕方無い。そうしよう」
 渋々の体で納得したコウダと二人、駅に向かって歩き出す。
 駅の高架沿いはコンクリートだけど、反対に立ち並ぶ高層ビル側は日陰になっている。
 それを利用してプロジェクションマッピングの画面がいくつも投影されていた。
 映っているのはスポーツの試合。
 もちろん漫画の。
 赤毛リーゼントでバスケットやってるのは…ないけど、代わりに同じ作者の画風で青と黄色の横ストライプのニット帽みたいなのをかぶったやや小柄な男キャラがバスケやってる。
 次はサッカー。古いなぁ。Jリーグ開幕とか言ってる。あの女の子キャラ、『愛子』って呼び捨てされてるし。
 いいなぁ。『中』の佐藤さえ足を踏み入れてない夢の境地だ。
 だからさ。
 そういうののすぐ横の画面に、『おてもとサーブ』とか言いながらケツで割り箸折ってるヤローを映すのは反則だろ。
 全く、うっかり笑いそうになったじゃないか。
 オッサン臭い顔だな、あのキャラ。卓球のラケット握ってるけど、いいのかそれ。
 どうも体操服っぽい。え、もしかして中学生の部活?
 全体的に根暗っぽくてジトッとしたキャラデ。現実こんなもんだろうけど、ちょっとなぁ。
 往来の人はそんな場面もチラ見してるのに、全く平穏な顔で通りすぎる。安藤さんの時と一緒だ。
 あれ、じゃあこれ、もしかして笑ったらゲームセットなんじゃ…。
 年末特番じゃあるまいし、まだ9月だぞ。
 そこまで読み取ったとき、パッと画面が転換した。
 映ったのは…同じ作品。
 くっ…ふッ…
 そこに移されたあらぬ一場面は、俺自身存在を知りもしなかったところにある笑いのツボにジャストミートした。
 軽く前傾姿勢で痙攣を抑える。
 歩く足取りを止めるわけには行かない。
 目に涙が滲む。
 口を開いたらだめだ。
 絶対笑っちゃう。
 あの番組は笑ったらアウトだけど、俺の場合ゲームセット。それも人生の。
 突かれたのは笑いのツボなのに『お前はもう、死んでいる』なんてヤだ!!!!
 息。息つぎは? 苦しい。
 腹筋の動きがさらに呼吸を拒んだ。
 脂汗が滲む。
 鼻で辛うじて小刻みに空気を吸って、わずかな酸素で耐え偲ぶことしばし。
 多少落ち着いてきた。上体をゆっくりと起こす。
 あー、やばかった…。
 自分の身になってみて分かったけど、あの番組、見てる側は超面白くてもやる側は死ぬわ。
 人間がいるのと違って画面見るのは安全かと思ってガン見してたんだけど、やめた方がいいかな。
「サトウくんのことだけど」
 体が反射的にびくっとなる。
 コウダが中で普通に話しかけてくるなんて。また出たのか?
「もしかしたら、親とか身近な人間に似たように使い分けしている人がいるのかもしれない。
  『中』で別人ができているかどうかは別として、人からの見られ方を意識して瞬時に切り替えしているようなタイプはいないわけじゃないから」
 さっきの話のつづきのようだ。コウダ的にも佐藤の『中』はだいぶ特殊なんだろう。
「それってどんな人?」
「ん…難しいな…。
  あえて言うなら、『デキるビジネスパーソン』?
  高給取りで質の良いスーツを着て、スーツケース1つで世界中跳び回って桁違いの商談をまとめてくるような」
 なんかピンとこないなぁ。
 頑張って過去の自分の周りの人間を漁った。が、掘り起こしたその顔は思い出したくもない。
 小学校の授業参観、珍しく来てくれて俺と帰宅途中の親父に向かって、母さんとの離婚を揶揄するようなことを言って意気揚々と立ち去ったおっさん。
 高そうなスーツでぴたっと髪の毛を整髪料で後ろに流し、デカい鼻の穴ーー当時下から見上げてたからーーで香水をほんのり付けていた。あの手の匂いは大の苦手。とっとと消えろと思った覚えがある。
 だから余計ピンとこなかった。
「佐藤はそんな嫌味ったらしいやつじゃない。ほんと、イイやつだって」
 なんでもできて悔しく思うことがないわけじゃないけど、それで上から目線が激しかったり、誰かを攻撃したりは絶対しない。
 あいつは数少ない、手放しでこう評していい人間だろう。『イイやつ』。
「そこがミソなんだ。
  一人の人間が誰からもイイやつになるのは至難の技のはずなんだ。何を良しとするのかが人によって違うから。
  でもさっき言ったようなタイプはそれをやってのけている。
  どうやっているかというと、『あ、』とか『え…』とかっていうほんの相槌程度言葉が多かったり、微妙に身振りや表情が違ったりっていう、何度も比較しないと分からないぐらいちょっとしたところを付き合う相手事に絶妙に変えていく。
  その積み重ねで、キャラの軸の部分はだれから見ても同じサトウくんにもかかわらず『みんなのイイやつ』が出来上がる。反感を持っている人間でさえ、反論できない位のな。
  一つ言えるのは、こういうのができるのは頭がキレるやつ。
  『何言ったらいいんだろう』なんて考えるようなタマじゃない。
  自分の見られ方と見せ方が分かっていて、状況を読み取る能力に長けていて、相手が出してくる言葉や身振りといった情報に対していつも即座に的確な反応を出せる人間だ」
 じゃ、俺には一生無理だな。
 あれ、でも、だとするとこれまでの佐藤が俺達に気付かなかったのは、
「もしかして、俺が対応対象外の佐藤だったのかな」
「ん?」
「これまで出てきた佐藤。
  だからすれ違って顔が見えるところでも向こうが積極的に反応しなかったのかなって」
 コウダが成程なとつぶやいて納得顔になった。
 なんだ。じゃあ、俺対応バージョンの佐藤じゃなきゃほぼほぼ安全ってことじゃんか。
 いるはずの武藤さん連れの佐藤もいまんとこ見当たらないし。
 安堵感は高層ビルに映し出された四角い画面を再び妖しく輝かせた。
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