新説 六界探訪譚

楕草晴子

文字の大きさ
上 下
29 / 133
4.第二界

10

しおりを挟む
 ぽかんとしていると目が合った。
「まひろくん、おでこどうしたの!?」
 セーラー服の安藤さんに反応して体がびくっと震える。
 しまった。ちょっとちびった。
「さっき向こうでこけたときに落ちてたガラスで切ったんだ。
 おい、これ使え」
 コウダの流れるような嘘と一緒に鞄から出されたタオルは、そのまま俺に渡された。
 そんな光景を後目に『くつした』は悠々と立ち去っていく。
「押さえて。もうちょっと強めに。…病院だなこりゃ」
 『ガラス』で切ったのは額だけではなかった。
 見ると靴のつま先もちょっと切れている。靴下が見えた。
 立てるかと言われるがまま立ち上がる。
 股が気持ち悪いし恥ずかしい。
 手首の紐はいつの間にか取ってくれていたようだ。
 安藤さんにコウダが何か一言しているのが目に映った。
 俺んちなのにコウダに連れて行ってもらう恰好でやっと玄関に上がり、引き出しの脇から保険証を、いつもの場所から買い物用の現金を引っ張り出す。
 救急車? ほどではないから…。
 多少もったいないタクシー代を買い物予算から払って病院へ。
 しっかり傷口を押さえていたから出血は少なくて済んでいるようだが、それでも病院の救急窓口で多少目立っている。
 平日の夜にところどころ赤いタオルで頭を押さえた子供と大人が来たらそりゃそうだ。
 保護者の方ですかと聞かれると、コウダは叔父ですと答えた。
「いいの?」
 気になってかろうじて言葉を紡ぐ。
 そう、さっき安藤さんにもコウダは見られていた。
「その場しのぎができればいい」
 後始末は俺持ちかよ。
「俺が『こっち』を出れば1日経たずに全員都合よく忘れてくれるから」
 本当に都合がいい。
 じゃあ俺は忘れないのはどういう理屈だ。
 聞くために口を開く気力がない。
 額は当然のように縫われた。跡が残るかどうか微妙なところとのこと。
 痛かった。
 切られたときは痛いと思わなかったのに。人間器用で現金なもんだ。
 病院を出て家に帰るとさすがに薄暗くなってきていた。
「今日はゆっくり休め」
 あの手引きにもそう書いてあったな。
 真っ直ぐ向かった冷蔵庫から麦茶を次いで、グラスから一気に飲み干す。
 汗やら血やらその他ちょびっとやら、水分が抜けた分喉カラカラ。
 速攻で二杯目に突入。
 ふぅ。
 しかしとんだ遠足だった。
 初回にして手引きに書いてあったやっちゃダメなことの結構な数を実践でやらかしたな。
「コウダ、ありがとう」
 忠告をおとなしく聞き入れてたらだいぶ楽だったところもあったろう。
 舐めプして最悪の展開になったのは100%俺のせいだった。
 コウダがかぶりを振る。
「戦利品も持ってこれてないし」
 おもむろにコウダが鞄をあさりだした。
 取り出したのはあのバラ一輪。
 学校の先生が指示棒を持ってもう一方の手でその先端を弄ぶのと同じように花に触れる。
 そして手のひらにたたきつけるような動作をすると、茎がたわむことも花びらがバラバラになることもなく、硬くなった花はコウダの手のひらでとんとんと穏やかな音を立てた。
「プロを舐めるな」
 ドヤ顔が決まってる。
 ずっと隣にいたし、どこかのタイミングからはずっと手に持っていたはず。
 全く気付いてなかった。
「それに」
 一気に真顔に戻る。
「あとまだ最低4回はあるから」
 それな。
 思い出さないようにしてたのに。
「小指あるか」
 左手を見る。
 先っぽまである。
 足元を見る。
 影がある。俺の上半身は腕と脇の間のわずかな隙間もわかるくらいはっきりと蛍光灯の光を遮ってダイニングテーブルに俺の姿を映し出した。
 コウダもそれを確認すると、水曜日の同じ時間にまた来ると会釈して玄関を出ていった。
 出て行ったのを見送った玄関のその場所から動く気力が出ない。
 安藤さんのいた猫スポットから家、病院と移動しているのだが、病院で縫われているところ以外の移動の記憶が曖昧だ。
 まあいい。とにかく、1回目は終わったのだ。
 立ち尽くして茫然としていると、安物の掛け時計が規則正しくちゃきっちゃきっと音を立てる。
 秒針を動かすその音は、体の欲求をむくむくと膨らませた。
 便所。
 ちびっただけで出し損ねたのを放出すると、空いたところに何か入れたい気になってきた。
 トイレを出てダイニングに一歩進むたびに気持ちが強くなる。
 腹減った! 
 いつもの3割増しぐらいの空腹ぶりだ。
 冷蔵庫、なんか、あったっけ。
 明日、弁当、どうしよう。
 ありものでチャーハンを作る気力が残っていることに、出来上がった皿を見て自分でビックリした。
 いつもより量の多いチャーハンはカレーのスプーンから俺の口へするする吸いこまれた。
 旨い。
 よかった。
 我ながら旨いとか思える現在があってよかった。
 残りのチャーハンを弁当箱二つに詰める。
 隙間は明日の朝出勤前の親父が――恐らくあのヨシイのミートボールときゅうりで――埋めてくれるだろう。
 えっちらおっちら台所を片付け、のろのろと洗面台に向かう。
 二階の部屋まで着替えを取りに行く気力がない。
 いつもと違いめんどくさいって理由じゃない。シャワー浴びて上の部屋に上がったら明日まで下に降りることなく布団に沈み込むのが明白だからだ。
 洗面台で額の白い脱脂綿をとると、髪の毛の付け根を挟んで縦にあの刀とよく似た形に湾曲した傷がある。
 傷に沿って髪の毛も剃られたため、見たことない形でハゲた恰好だ。
 かっこわりぃ。
 首から下だけシャワーを浴びながら、この後しばらく傷が治るまで顔を洗うのが面倒になることに思い至ってげんなりする。
 あ、これか。これが『げんなり』か。
 あれ、でも『うんざり』でもいいのか? 
 いつぞやの国語の先生のわからない説明は、突然思い出した今日もやっぱりわからない。
 もういいやどっちでも。
 シャワーを浴びて脱脂綿をつけなおす。
 ダイニングテーブルに病院の領収書と事情を書き置きをしたのが、その日まともに頭を働かせた最後の瞬間だった。
 部屋に上がってジャージを着て布団に倒れこむ。
 前回実績からこうなることを予想して、出かけるときに布団敷いといて大正解。
 一応時間をキッズケータイの画面で見るとまだ20時半。
 本当に時間たってないんだなーと思うのと、寝落ちするのは同時だったようだ。
 親父が帰ってきたのにも気づかなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃんでした。 実際に逢ってみたら、え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこいー伴侶がいますので! おじいちゃんと孫じゃないよ!

異世界日帰りごはん【料理で王国の胃袋を掴みます!】

ちっき
ファンタジー
異世界に行った所で政治改革やら出来るわけでもなくチートも俺TUEEEE!も無く暇な時に異世界ぷらぷら遊びに行く日常にちょっとだけ楽しみが増える程度のスパイスを振りかけて。そんな気分でおでかけしてるのに王国でドタパタと、スパイスってそれ何万スコヴィルですか!

異世界無知な私が転生~目指すはスローライフ~

丹葉 菟ニ
ファンタジー
倉山美穂 39歳10ヶ月 働けるうちにあったか猫をタップリ着込んで、働いて稼いで老後は ゆっくりスローライフだと夢見るおばさん。 いつもと変わらない日常、隣のブリっ子後輩を適当にあしらいながらも仕事しろと注意してたら突然地震! 悲鳴と逃げ惑う人達の中で咄嗟に 机の下で丸くなる。 対処としては間違って無かった筈なのにぜか飛ばされる感覚に襲われたら静かになってた。 ・・・顔は綺麗だけど。なんかやだ、面倒臭い奴 出てきた。 もう少しマシな奴いませんかね? あっ、出てきた。 男前ですね・・・落ち着いてください。 あっ、やっぱり神様なのね。 転生に当たって便利能力くれるならそれでお願いします。 ノベラを知らないおばさんが 異世界に行くお話です。 不定期更新 誤字脱字 理解不能 読みにくい 等あるかと思いますが、お付き合いして下さる方大歓迎です。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

僕の前世は異世界の凶悪な竜だったみたいだけれど。今は異世界日本でお好み焼き屋を呑気に営業しています!

かず斉入道
ファンタジー
第3回カクヨミコンテスト・ラブコメ部門・中間選考作品の改修版です。カ クヨムさまと小説家になろう様の両投稿サイトでPV数80万突破した作品の改修版で御座います。 主人公大島新作は自身の幼い頃からの夢である。祖母が経営をしていた広島お好み焼き屋の看板を受け継ぎ。 お店の看板娘になるような麗しい容姿の妻をお嫁さんにもらい。ラブラブしながら二人三脚で仲良く商いをする為の夢の第一歩として、35年の住宅ローンを組み、いざお店。広島お好み焼き屋を始めたまでは良かったのだが。 世の中はそんなに甘くはなく。 自身の経営するお店さつきにはかんこ鳥が鳴く日々が続く。 だから主人公新作は段々と仕事の方もやる気がなくなりお店の貸し出し若しくは、家の売却を思案し始める最中に、彼の夢枕に異国情緒溢れる金髪碧眼の少女が立ち、独身の彼の事を「パパ」と呼ぶ現実か、夢なのか、わからない日々が続き始めるのだった。

グーダラ王子の勘違い救国記~好き勝手にやっていたら世界を救っていたそうです~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
ある日、ティルナグ王国の自堕落王子として有名なエルクは国王である父から辺境へ追放を言い渡される。 その後、準備もせずに木の上で昼寝をしていると、あやまって木から落ちてしまう。 そして目を覚ますと……前世の記憶を蘇らせていた。 これは自堕落に過ごしていた第二王子が、記憶を甦らせたことによって、様々な勘違いをされていく物語である。 その勘違いは種族間の蟠りを消していき、人々を幸せにしていくのだった。

転生したら侯爵令嬢だった~メイベル・ラッシュはかたじけない~

おてんば松尾
恋愛
侯爵令嬢のメイベル・ラッシュは、跡継ぎとして幼少期から厳しい教育を受けて育てられた。 婚約者のレイン・ウィスパーは伯爵家の次男騎士科にいる同級生だ。見目麗しく、学業の成績も良いことから、メイベルの婚約者となる。 しかし、妹のサーシャとレインは互いに愛し合っているようだった。 二人が会っているところを何度もメイベルは見かけていた。 彼は婚約者として自分を大切にしてくれているが、それ以上に妹との仲が良い。 恋人同士のように振舞う彼らとの関係にメイベルは悩まされていた。 ある日、メイベルは窓から落ちる事故に遭い、自分の中の過去の記憶がよみがえった。 それは、この世界ではない別の世界に生きていた時の記憶だった。

ガチャと異世界転生  システムの欠陥を偶然発見し成り上がる!

よっしぃ
ファンタジー
偶然神のガチャシステムに欠陥がある事を発見したノーマルアイテムハンター(最底辺の冒険者)ランナル・エクヴァル・元日本人の転生者。 獲得したノーマルアイテムの売却時に、偶然発見したシステムの欠陥でとんでもない事になり、神に報告をするも再現できず否定され、しかも神が公認でそんな事が本当にあれば不正扱いしないからドンドンしていいと言われ、不正もとい欠陥を利用し最高ランクの装備を取得し成り上がり、無双するお話。 俺は西塔 徳仁(さいとう のりひと)、もうすぐ50過ぎのおっさんだ。 単身赴任で家族と離れ遠くで暮らしている。遠すぎて年に数回しか帰省できない。 ぶっちゃけ時間があるからと、ブラウザゲームをやっていたりする。 大抵ガチャがあるんだよな。 幾つかのゲームをしていたら、そのうちの一つのゲームで何やらハズレガチャを上位のアイテムにアップグレードしてくれるイベントがあって、それぞれ1から5までのランクがあり、それを15本投入すれば一度だけ例えばSRだったらSSRのアイテムに変えてくれるという有り難いイベントがあったっけ。 だが俺は運がなかった。 ゲームの話ではないぞ? 現実で、だ。 疲れて帰ってきた俺は体調が悪く、何とか自身が住んでいる社宅に到着したのだが・・・・俺は倒れたらしい。 そのまま救急搬送されたが、恐らく脳梗塞。 そのまま帰らぬ人となったようだ。 で、気が付けば俺は全く知らない場所にいた。 どうやら異世界だ。 魔物が闊歩する世界。魔法がある世界らしく、15歳になれば男は皆武器を手に魔物と祟罠くてはならないらしい。 しかも戦うにあたり、武器や防具は何故かガチャで手に入れるようだ。なんじゃそりゃ。 10歳の頃から生まれ育った村で魔物と戦う術や解体方法を身に着けたが、15になると村を出て、大きな街に向かった。 そこでダンジョンを知り、同じような境遇の面々とチームを組んでダンジョンで活動する。 5年、底辺から抜け出せないまま過ごしてしまった。 残念ながら日本の知識は持ち合わせていたが役に立たなかった。 そんなある日、変化がやってきた。 疲れていた俺は普段しない事をしてしまったのだ。 その結果、俺は信じられない出来事に遭遇、その後神との恐ろしい交渉を行い、最底辺の生活から脱出し、成り上がってく。

処理中です...