廊下に立ってなさい

けろけろ

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廊下に立ってなさい

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 俺は決して優等生の部類ではない。煙草を吸うから、風紀の副委員長だなんで柄でもない。
 ただ、勉強だけは結構真面目にやっていた。動機は不純で、担任の絵里香先生が喜んでくれるから、ただそれだけ。自慢の生徒だよ、などと軽い口調が聞こえれば、しんどい勉強も頑張る事ができた。
 しかし。
「褒められるだけじゃ、何の進展もねぇんだよなぁ……」
 いつしか俺の想いは恋心だと気づいたけれど、だからといって事態が進むわけでもない。先生と生徒とか、高校生だから未成年で淫行とか、色々障害が多すぎて眩暈がしそうだ。
「はぁ……」
 暑さのせいかここの所、誰も来ない屋上で、俺は煙草をくゆらせる。考えるのは先生の事ばかり。もうすぐ学年も変わってしまうし、そうなったら先生は担任を外れるかもしれないし、悪くすれば他所の学校に転任なんて話も出るかもしれない。残念ながら、その場合は追いかけることがかなりの確率で不可能だ。
「先生に会う理由が無くなっちまうなぁ」
 かち、と何本目かの煙草に火を点けたところで予鈴が鳴る。
「おっといけねぇ、次は現国だ」
 俺は教室に向かって走り出した。



 担任であり現国担当の絵里香先生は、可愛いけれど割と不真面目だ。自習も多いし授業の半分は喋らずにプリントなんかをやらせている。質問は受け付けてくれるので、俺は自然な感じで先生に寄っていき、あれやこれやと尋ねていた。この瞬間が一番近づける。特に答えを教えてくれる時は、他の生徒に聞こえないよう囁く距離で。先生のシャンプーがいい匂いだ。
「えーと、これで解った? 新田くん」
「はいっ」
 心の中は「ちくしょうプリントが完璧に終わっちまった」という所なのだが、それをおくびにも出さず、俺は自分の席に着く。まぁいい。このプリントも先生の自筆なので貴重な品だ。今日は更に説明の為に文字を書いてくれたので嬉しい。持って帰って大事にファイリングしようなどと考える。
 暇になった俺は、こっそりと先生を覗き見た。他の生徒の質問に答えているから隙だらけ。でもまぁ念のため、現国の教科書越しにちらちらと。ああ、先生を見ているだけで、いい気分になってくる。今、この瞬間はこれで満足だ。
 なのに。
 ばちっと音がするくらい、先生と俺の目が合ってしまった。慌てて視線を逸らした俺だが、恐る恐る戻してみるとまた目が合う。先生はにこっと俺を見て笑った。しかもひらひらと手を振ってくる。
(も、もしかして何か感づかれた!?)
 俺は慌てていだだろう。何だか汗が出てるし現国の教科書に載っている文字が滑って目に入らない。ゲシュタルトの崩壊だ。
 俺は突っ伏し冷静になれるよう念じた。だが、次の瞬間一番聞きたくない人物の声が響く。
「新田くーん、廊下に立ってなさい」
「へっ!?」
「聞こえないんですかー? 廊下に立ってなさーい」
 クラスは少々ざわついた。そりゃそうだ。小学生でもあるまいし、廊下に立てだなどと。しかも俺が立たされる理由など無い――と思ったが、そういえば先ほど煙草を吸いまくった事に思い当たった。
(ああそうか! そうだよな! 質問の時、俺がヤニ臭くて、それで!)
 本来は怒られるとドキドキする場面なんだろうが、今はそっちの方が安心だ。理由が見つかって俺は冷静さを取り戻し、がたんと立って廊下へ向かう。

 廊下は授業中なだけあり、誰も居なくて静かだ。教室の壁を背にして立っていると、がらっと戸が開き、掃除用のバケツを二つ持った先生が現れた。姿を見ていると水場に入り、ちゃぷんと音をさせながら戻って来る。
「はい新田くん、これを両手に持つ!」
「は、はいっ」
「なーんでこうなってるか、解ってるよね?」
 ぽんぽん、と先生の手が俺の頭を叩く。なので先生とは距離が近い。心中で悲鳴を上げつつ、俺は声を絞り出した。
「解ります! たっ、煙草、ですよね……! すみませんっ!」
「そうそう、ヤニ臭すぎ、解りやすすぎ。それと──先生のこと、ぎらぎら見すぎ、解りやすすぎ」
「うおっ!」
 危うくバケツを取り落としそうになり、俺は慌てて取っ手を持ち直す。
「図星? 新田くん」
「あっ、あわ、あわわ……っ、そ、そうです俺は先生の事……!」
 ここまで言いかけて気づいた。これじゃあまるで告白だ。どうしよう。どうやったら、ここから誤魔化せるだろうか。
 先生はニヤニヤしながら俺を見ていた。ああ、からかわれてこの恋は終わる。俺の血の気がさーっと引く音が聞こえた。
 しかし。
 次に聞こえてきたのは、思わぬ言葉。
「可愛いねぇ新田くん。普段はきつい目をしてるのに、先生に対してだと甘くなっちゃうんだよねぇ?」
「……はぁ!?」
「先生、本気になっちゃおうかなぁ」
 いい加減なところはあると常々思っていたが、生徒との恋愛を肯定しているようで──俺は素直に驚いた。
 先生は、バケツを持って身動きが出来ない俺の耳にひそひそ声を含ませる。
「大人の色恋ってのはね、新田くんが思ってるよりドロドロしてるよ? それでもいい? 平気かなぁ?」
 俺の返事は決まっていた。でっかい声で言ってやる。
「お願いしますっっ!」
「んー、いいお返事じゃないの」
 先生の唇が俺の唇に触れた。今度はバケツを両方落とし、えらい派手な音と水しぶきが上がる。制服が濡れてしまったが、今はそれどころじゃあない。だくだくと流れる汗、どくどくと鳴る心臓。ああ、それこそ煙草でも吸って落ち着きたい。この状況を理解したい。
 そんな俺に、先生は軽く声を掛けた。
「あーあ、やっちゃったねぇ」
「っ、はい、やっちゃ……いました」
「掃除よろしく。あと──また明日廊下に立たせるから、その時はバケツを落とさないよう気をつけて!」
「はっ、はへ!?」
 また明日、先生と。ここで何かがあるんだろうか。
(あー!! わかんねーよ、そんなもん!!)
 俺はぐちゃぐちゃな思考のまま、教室に入る先生の背中を見送った。それから一呼吸置き、煙草を吸うため屋上へと走る。濡れた制服がとても冷たい。でも、今はそれが有り難かった。
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