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1.二つ目を超えて
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義理の姉である咲世子さんが居なくなった。既に四週間も経つ。警察は事件と事故の両方で捜査、兄さんも髪を振り乱しつつ探していた。でも見つからない。手掛かりも無い。
だから僕は「計画的な失踪、もしくは自殺なのでは?」などと思い始めていた。でも、そうだとしたら、謎は少し深まる。咲世子さんは表向き、家庭の時間を大切にする兄さんと一緒に暮らし、幸せな日々を送っていたからだ。
表向き、などと言ってしまうのには、ちょっとした理由がある。実は僕も咲世子さんの事が好きだった。いや、今でも好きらしい。長い黒髪に白い肌、清楚な雰囲気を絶やさない咲世子さん。僕は少し自覚するのが遅く、その頃には二人がくっ付いていただけだ。なので、表向きは――なんていう言葉が出てくる。裏なんか多分無いのに。
それはさて置き。
咲世子さんは兄さんのものだけれど、僕だって彼女が心配な事に変わりは無い。だから自分なりに咲世子さんを探していた。こつこつと、彼女が行きそうな場所を訪ねて回る。
そんな、ある夜の事だった。僕は大通りでドン! という音を聞き、何だろうと思って見てみたら交通事故、しかも轢き逃げという卑劣な行為を目にしてしまう。逃げようとした車は既に確保されており、運転席の犯人も通行人に取り押さえられていた。
その間、被害者への懸命な救護が続いている。でも、桃色の肉が大量に散乱しているので「多分ダメだな」と悟るしかない。
やがて救急車と警察が来た。僕も含め目撃者は簡単な事情聴取を受ける。僕は返答しながら、まだ残る人間の肉を見ていた。
(けっこう鮮やかな色をしているんだな、なんだか予想と違う……)
僕は交通事故という非日常で、普通の感覚を失っていたのだと思う。でなければ、事情聴取が終わって、鑑識が入り現場にカバーを掛けても、人間の肉片を見つめ続けるなんてあり得ない。
そこに、いかにも怪しげな人物が現れた。成金風のファッションをしたおじさんで、髪はオールバックでテカテカしている。背はだいぶ低い。そうして杖を持ち、ぎらっとした大きな腕時計を見せながらニヤニヤしていた。
「……もしもし、人間の肉に興味はありますか? いや、その視線、絶対に興味がありますね?」
「ええと、僕は別に……」
「今なら特殊なお肉がお買い得ですよ。サヨコとかいう美しい女性の……美味しそうな響きだと思いませんか?」
それを聞き、僕は小男の胸倉を掴んだ。そのまま警察の目が届かない路地へ連れていく。
「さっきサヨコと言ったな?」
「は、はい……!」
一分前まで余裕だった小男は、すっかり震え上がっている。まぁ胸倉を掴んだまま持ち上げられているし、僕の表情もがらりと変わったので致し方ない。僕は腕力だけには自信があった。喧嘩でも負けた事がない。
「案内しろ。間違った場所に連れて行ったら、どうなるか判るな?」
「はい!」
僕の本気を見て取ったのか、小男は尿を垂れていた。
そうして連れてこられた場所は、路地の中の路地を歩き、しかも地下に隠れたドアの前。看板や表札などは無い。小男が杖で四回ドアを叩くと、扉はぎいっと開いた。
中は冷凍庫多めの、街のお肉屋さんという感じだった。ただ、僕が殺気立っているので雰囲気は最悪だ。小男を持ち上げているから、奥から厳つい人間も現れた。僕がそちらへ小男を投げると、乱暴さに驚いている。
「僕は場合によって貴方がたを殺すかもしれない。死にたくなければ大人しくしていろ」
これで全員が静かになった。というか、店主らしき人間以外は厳つい男も含め、サッと逃げていく。
「さぁ、咲世子さんの肉はどこですか?」
僕は店主だろうゴムのエプロンをした男に訊ねる。すると店主は、とある冷凍庫を指さした。僕は一気に緊張する。もしかして、いや間違いであって欲しい。
でも、ショーケースの中には咲世子さんの笑顔の写真があった。それはシール状になっていて、肉が並んだ白いトレイの透明フィルム部分に貼ってある。『この人のお肉です』なんて下らない宣伝文句と共に。
「……店主、これは本当にこの女性の肉か?」
「は、はい、証拠ならここに!」
店主が出してきたのは、咲世子さんのワンピースと靴。確認のためワンピースの匂いを嗅げば――いつもの華やかな香水の匂いがしたから、彼女のものだ。僕はワンピースと靴を受け取る。間違いなく咲世子さんの遺品だから。
これ等は僕を逆上させる出来事だが、店主はまだ気づいていないらしい。
「……人肉売買は楽しそうだなぁ」
僕が話を聞き出すため、ふわっとした雰囲気に緩める。すると店主は誤解したのか、嬉しそうに笑んだ。
「この商売は良いですよ~、こうやってお客様に喜ばれて。そんなにその女の肉が欲しいようなら全部差し上げますので、客引きの不躾はご勘弁を」
「この商売が良い? じゃあお前も肉になれ」
僕の中の感情が、超えてはいけない一線を超えてしまう。
だから、その辺にあった冷凍の肉の塊で、何発も店主の頭を殴った。客引きの頭も殴った。怒りにまかせての出来事だったが、案外あっけなく二人とも倒れ、ぴくぴくと痙攣している。僕は冷たい瞳で痙攣と呼吸が止まるまで見下ろした。
「これで少しは街が綺麗になる」
僕は咲世子さんの肉を、あるだけレジ袋に入れていった。そうして目立たないよう、何回か家と肉屋を往復して運び切る。僕のアパートまでは十二分くらいだろうか。往復で二十四分だから、けっこう時間が掛かってしまった。
(はぁ、疲れた)
僕は最後の肉を手に、玄関のドアを開ける。レジ袋を下ろすと、咲世子さんの肉を解かさないよう冷凍庫に入れた。残念ながら冷凍庫に入らないものは冷蔵部分に収納する。その途中で、パックのフィルムに貼ってある二枚目のシールが見えた。
(部位別に分かれてるんだな……何が『咲世子バラ肉千九百八十円』だ!)
もしもコレが嘘だとしたら、どんなにいいだろう。
僕はベッドの上に腰掛け、隣に咲世子さんのワンピース、床に靴を逆さにして置いた。まるで咲世子さんが傍に居るような気分になる。でも、彼女は――。
(はぁ、今は何も考えられない)
僕は精神的にも肉体的にも疲れてしまい、そのまま横になろうとする。
そこで緊張感か一気に解けた。僕の額に冷や汗が浮き、気分も悪くなってトイレで何度も嘔吐する。
(今日、僕は咲世子さんの肉を手にした。人間も殺した……)
咲世子さんの探索には一応のケリがついたけれど、僕が望んでいたものとは程遠かった。出来れば特別な感じで「弟くんには見つかっちゃったね」みたいに言って欲しかったし、兄さんと何かトラブルがあるのなら一緒に暮らしたって良かった。でも、その彼女はただの肉に。
僕はうがいしてから口元を拭い、冷凍室の中をもう一度見る。そこには白いプラスチックのトレイが二十個以上積んであり、冷蔵室のものと合わせたら二~三十キログラム程度になりそうだった。独り暮らしなので、逆に冷凍室が大きい物を買っておいてよかったなぁ――などと感じる。
(さて、この肉をどうしたらいいんだろう……埋める? 虫や動物が集って可哀想だ。生ゴミとして処分? まさかそんな酷い事を)
咲世子さんの肉が、粗末な扱いを受けるなんて考えられない。そこで僕は、少し気が触れたような事を思いついた。
(咲世子さんを食ベてしまおうか……そうしたら彼女を僕のものに出来る)
兄さんには申し訳ないけれど『僕のもの』という言葉には、大変な優越感が含まれる。そして、咲世子さんが僕の血肉となり、僕を生かすと思えば――寒気なのか震えなのか、それとも他の何かの為、ぞくぞくが止まらなかった。
僕はそんな滅茶苦茶な状態で、まだ凍っている小間切れ二百グラムを手に取った。解凍するなんて余裕はなく、トレイからそのままフライパンに入れる。じゅうじゅう言う音は普通の肉と変わらないが、匂いは決定的に違った。少し獣臭いような感じだろうか。
小間切れは凍っていたから、きちんと焼けるまでは時間が掛かる。焦らされているような気分になり、僕の咽喉がごくりと鳴った。
(これを食べれば咲世子さんは僕のものだ。咲世子さんが僕の身体中を駆け巡るんだ。あの咲世子さんが、僕だけのものに)
頭の中はこんな事ばかり。だから、二つ目の超えてはいけない一線を超えただなんて思ってもいなかった。
だから僕は「計画的な失踪、もしくは自殺なのでは?」などと思い始めていた。でも、そうだとしたら、謎は少し深まる。咲世子さんは表向き、家庭の時間を大切にする兄さんと一緒に暮らし、幸せな日々を送っていたからだ。
表向き、などと言ってしまうのには、ちょっとした理由がある。実は僕も咲世子さんの事が好きだった。いや、今でも好きらしい。長い黒髪に白い肌、清楚な雰囲気を絶やさない咲世子さん。僕は少し自覚するのが遅く、その頃には二人がくっ付いていただけだ。なので、表向きは――なんていう言葉が出てくる。裏なんか多分無いのに。
それはさて置き。
咲世子さんは兄さんのものだけれど、僕だって彼女が心配な事に変わりは無い。だから自分なりに咲世子さんを探していた。こつこつと、彼女が行きそうな場所を訪ねて回る。
そんな、ある夜の事だった。僕は大通りでドン! という音を聞き、何だろうと思って見てみたら交通事故、しかも轢き逃げという卑劣な行為を目にしてしまう。逃げようとした車は既に確保されており、運転席の犯人も通行人に取り押さえられていた。
その間、被害者への懸命な救護が続いている。でも、桃色の肉が大量に散乱しているので「多分ダメだな」と悟るしかない。
やがて救急車と警察が来た。僕も含め目撃者は簡単な事情聴取を受ける。僕は返答しながら、まだ残る人間の肉を見ていた。
(けっこう鮮やかな色をしているんだな、なんだか予想と違う……)
僕は交通事故という非日常で、普通の感覚を失っていたのだと思う。でなければ、事情聴取が終わって、鑑識が入り現場にカバーを掛けても、人間の肉片を見つめ続けるなんてあり得ない。
そこに、いかにも怪しげな人物が現れた。成金風のファッションをしたおじさんで、髪はオールバックでテカテカしている。背はだいぶ低い。そうして杖を持ち、ぎらっとした大きな腕時計を見せながらニヤニヤしていた。
「……もしもし、人間の肉に興味はありますか? いや、その視線、絶対に興味がありますね?」
「ええと、僕は別に……」
「今なら特殊なお肉がお買い得ですよ。サヨコとかいう美しい女性の……美味しそうな響きだと思いませんか?」
それを聞き、僕は小男の胸倉を掴んだ。そのまま警察の目が届かない路地へ連れていく。
「さっきサヨコと言ったな?」
「は、はい……!」
一分前まで余裕だった小男は、すっかり震え上がっている。まぁ胸倉を掴んだまま持ち上げられているし、僕の表情もがらりと変わったので致し方ない。僕は腕力だけには自信があった。喧嘩でも負けた事がない。
「案内しろ。間違った場所に連れて行ったら、どうなるか判るな?」
「はい!」
僕の本気を見て取ったのか、小男は尿を垂れていた。
そうして連れてこられた場所は、路地の中の路地を歩き、しかも地下に隠れたドアの前。看板や表札などは無い。小男が杖で四回ドアを叩くと、扉はぎいっと開いた。
中は冷凍庫多めの、街のお肉屋さんという感じだった。ただ、僕が殺気立っているので雰囲気は最悪だ。小男を持ち上げているから、奥から厳つい人間も現れた。僕がそちらへ小男を投げると、乱暴さに驚いている。
「僕は場合によって貴方がたを殺すかもしれない。死にたくなければ大人しくしていろ」
これで全員が静かになった。というか、店主らしき人間以外は厳つい男も含め、サッと逃げていく。
「さぁ、咲世子さんの肉はどこですか?」
僕は店主だろうゴムのエプロンをした男に訊ねる。すると店主は、とある冷凍庫を指さした。僕は一気に緊張する。もしかして、いや間違いであって欲しい。
でも、ショーケースの中には咲世子さんの笑顔の写真があった。それはシール状になっていて、肉が並んだ白いトレイの透明フィルム部分に貼ってある。『この人のお肉です』なんて下らない宣伝文句と共に。
「……店主、これは本当にこの女性の肉か?」
「は、はい、証拠ならここに!」
店主が出してきたのは、咲世子さんのワンピースと靴。確認のためワンピースの匂いを嗅げば――いつもの華やかな香水の匂いがしたから、彼女のものだ。僕はワンピースと靴を受け取る。間違いなく咲世子さんの遺品だから。
これ等は僕を逆上させる出来事だが、店主はまだ気づいていないらしい。
「……人肉売買は楽しそうだなぁ」
僕が話を聞き出すため、ふわっとした雰囲気に緩める。すると店主は誤解したのか、嬉しそうに笑んだ。
「この商売は良いですよ~、こうやってお客様に喜ばれて。そんなにその女の肉が欲しいようなら全部差し上げますので、客引きの不躾はご勘弁を」
「この商売が良い? じゃあお前も肉になれ」
僕の中の感情が、超えてはいけない一線を超えてしまう。
だから、その辺にあった冷凍の肉の塊で、何発も店主の頭を殴った。客引きの頭も殴った。怒りにまかせての出来事だったが、案外あっけなく二人とも倒れ、ぴくぴくと痙攣している。僕は冷たい瞳で痙攣と呼吸が止まるまで見下ろした。
「これで少しは街が綺麗になる」
僕は咲世子さんの肉を、あるだけレジ袋に入れていった。そうして目立たないよう、何回か家と肉屋を往復して運び切る。僕のアパートまでは十二分くらいだろうか。往復で二十四分だから、けっこう時間が掛かってしまった。
(はぁ、疲れた)
僕は最後の肉を手に、玄関のドアを開ける。レジ袋を下ろすと、咲世子さんの肉を解かさないよう冷凍庫に入れた。残念ながら冷凍庫に入らないものは冷蔵部分に収納する。その途中で、パックのフィルムに貼ってある二枚目のシールが見えた。
(部位別に分かれてるんだな……何が『咲世子バラ肉千九百八十円』だ!)
もしもコレが嘘だとしたら、どんなにいいだろう。
僕はベッドの上に腰掛け、隣に咲世子さんのワンピース、床に靴を逆さにして置いた。まるで咲世子さんが傍に居るような気分になる。でも、彼女は――。
(はぁ、今は何も考えられない)
僕は精神的にも肉体的にも疲れてしまい、そのまま横になろうとする。
そこで緊張感か一気に解けた。僕の額に冷や汗が浮き、気分も悪くなってトイレで何度も嘔吐する。
(今日、僕は咲世子さんの肉を手にした。人間も殺した……)
咲世子さんの探索には一応のケリがついたけれど、僕が望んでいたものとは程遠かった。出来れば特別な感じで「弟くんには見つかっちゃったね」みたいに言って欲しかったし、兄さんと何かトラブルがあるのなら一緒に暮らしたって良かった。でも、その彼女はただの肉に。
僕はうがいしてから口元を拭い、冷凍室の中をもう一度見る。そこには白いプラスチックのトレイが二十個以上積んであり、冷蔵室のものと合わせたら二~三十キログラム程度になりそうだった。独り暮らしなので、逆に冷凍室が大きい物を買っておいてよかったなぁ――などと感じる。
(さて、この肉をどうしたらいいんだろう……埋める? 虫や動物が集って可哀想だ。生ゴミとして処分? まさかそんな酷い事を)
咲世子さんの肉が、粗末な扱いを受けるなんて考えられない。そこで僕は、少し気が触れたような事を思いついた。
(咲世子さんを食ベてしまおうか……そうしたら彼女を僕のものに出来る)
兄さんには申し訳ないけれど『僕のもの』という言葉には、大変な優越感が含まれる。そして、咲世子さんが僕の血肉となり、僕を生かすと思えば――寒気なのか震えなのか、それとも他の何かの為、ぞくぞくが止まらなかった。
僕はそんな滅茶苦茶な状態で、まだ凍っている小間切れ二百グラムを手に取った。解凍するなんて余裕はなく、トレイからそのままフライパンに入れる。じゅうじゅう言う音は普通の肉と変わらないが、匂いは決定的に違った。少し獣臭いような感じだろうか。
小間切れは凍っていたから、きちんと焼けるまでは時間が掛かる。焦らされているような気分になり、僕の咽喉がごくりと鳴った。
(これを食べれば咲世子さんは僕のものだ。咲世子さんが僕の身体中を駆け巡るんだ。あの咲世子さんが、僕だけのものに)
頭の中はこんな事ばかり。だから、二つ目の超えてはいけない一線を超えただなんて思ってもいなかった。
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