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【間奏 宇和野先輩の憂鬱とゴリラ・ゲーヴ】
間奏①ー2
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★
一仕事終えたふたりは肩を並べ窓から外を眺めている。僕はひそかにふたりの会話に耳をそばだてる。
「アスファルトが真夏の日差しを吸い尽くして、地上の光景を揺らめき立たせているわね」
「ひとことで言えば陽炎っすね」
「そうともいうわ。でもこんなときは、あれがやってきそうよね」
「ああ、『ゴリラ・ゲーヴ』っすね」
「そうね、『ゴリラ・ゲーヴ』よね」
ゴリラ・ゲーヴ? 瑞穂は黒澤を一瞥してくすりと笑った。
なんだそのふたりだけの暗号は! そんな秘密の取り決め作っちゃって、そのシチュエーションがうらやましいだろおい!
「思えばわたしたち、――いえ、日本人はその夏の風物詩を、かつての名前で呼ばなくなっているわよね」
「確かに。流行ってほんとうに恐ろしいっすよね」
「言葉が言葉を殺すなんて皮肉ね。それってメディアの影響なのか、それとも皆がそろいもそろって右向け右なのかな」
なんだ、いったいなにを話しているんだ⁉ ふたりは理解できているようだがどういうことなんだ⁉
「しっかしそのネーミング、どっから来たんすかね」
「スペイン語でいうところの『小戦争』という意味らしいわ。そのせいか、まるで自然が悪意を人間に向けているように感じるよ」
「世界をおかしくしてしまったのは人間自身だと皆、わかっているくせに、ですよね」
「確かに、責任はわたしたちにあることなのに」
だめだ理解が追いつかない。
ふたりの世界観はもはや手の届くところではなくなってしまったのか。
「だからみずほ先輩はそんな殺意のこもった名前で呼ぶのを避けて、けれど時代に遅れないようにと、呼称にささやかなアレンジをしているんっすね」
「そうよ、よくわかったわね。――あっ、来たわ、『ゴリラ・ゲーヴ』が!」
なっ、なんだと⁉ 瑞穂はその恐ろし気な『ゴリラ・ゲーヴ』を呼んだというのか⁉ ヒイイ……!
瑞穂は空を見上げている。すると今の今まで晴れやかだった空が暗雲に覆われてゆく。あっというまのことだった。目が眩むほどに天が眩しく輝き、地が裂けるような轟音が鳴り響く。
ゴリラ・ゲーヴ、それは無数の槍のように校庭に降り注ぎ真夏の世界を一変させた。それが激しく地上を打ちつけると、帰路につく生徒たちはカバンから傘を取り出しはじめた。傘を忘れた者たちはカバンを頭上に掲げ、あわてて建物の下に避難した。
小戦争豪雨――かつては「夕立」と呼ばれていた夏の風物詩。
紛らわしいわ! お前らふたりで一生『ゴリラ・ゲーヴ』呼んでろォォォ!
僕はぐつぐつと煮えたぎる嫉妬の念を隠すのにせいいっぱいだった。
★
「なかなか止まないっすね……」
「ええ。これは長引きそうな気がするわ」
それからもふたりは並んで外を眺めている。肩と肩がくっつきそうになるたびに僕の心が悲鳴をあげる。
「ところでみずほ先輩は傘、持ってきましたか」
その質問に瑞穂は答えるのをためらった。
いや、瑞穂は傘持ってたろ。生徒会室に入ってきたとき、傘を傘立てにさしたのを目撃したぞ。
けれど瑞穂は答えのかわりに質問を返した。
「かつき君は持ってきたの?」
まるで顔色をうかがうように黒澤を見上げる。おねだりをする猫のような瞳だ。
「ああ、ありますよ。ロッカーに置いてありますから」
「そう。――わたしは忘れちゃったわ」
そっ、そういう作戦かよ瑞穂ォォォ‼ そのあざとさ、一度でいいから僕に向けてくれェェェ‼
たまりかねて立ち上がり、傘立てから瑞穂の傘を取り上げる。
「そういえばこれ、瑞穂のじゃなかったか?」
ふたりの視線が僕に向けられる。瑞穂の視線はひどく冷ややかだ。
「――それ、日傘ですから。こんな日には使えませんっ!」
「えっ、えっ⁉」
どう見ても普通の傘にしか見えない。すると瑞穂の目つきが刃のように鋭くなり僕の心臓を射抜く。
――余計なこと言わないでもらえますか。
そんなメッセージを発しているように思えた。圧倒的な威圧感に僕は楯突く気力を失った。
「はい、日傘でした……」
虚しく玉砕すると同時に、黒澤はあっさりと忖度を発揮する。
「じゃあ、一緒に俺のに入って帰りますか」
「ありがとう。きみの好意に甘えさせてもらうわ」
そしてふたりは僕に手を振り別れを告げた。
雲の切れ間から斜陽が差し込む。校門へ向かうアスファルトの舗道は、濡れてつやつやとした煌めきを放っている。雨があがったらしい。
けれど去りゆくふたりは相合傘。その仲睦まじい背中姿に、僕は失意のドン底に突き落とされていった。
一仕事終えたふたりは肩を並べ窓から外を眺めている。僕はひそかにふたりの会話に耳をそばだてる。
「アスファルトが真夏の日差しを吸い尽くして、地上の光景を揺らめき立たせているわね」
「ひとことで言えば陽炎っすね」
「そうともいうわ。でもこんなときは、あれがやってきそうよね」
「ああ、『ゴリラ・ゲーヴ』っすね」
「そうね、『ゴリラ・ゲーヴ』よね」
ゴリラ・ゲーヴ? 瑞穂は黒澤を一瞥してくすりと笑った。
なんだそのふたりだけの暗号は! そんな秘密の取り決め作っちゃって、そのシチュエーションがうらやましいだろおい!
「思えばわたしたち、――いえ、日本人はその夏の風物詩を、かつての名前で呼ばなくなっているわよね」
「確かに。流行ってほんとうに恐ろしいっすよね」
「言葉が言葉を殺すなんて皮肉ね。それってメディアの影響なのか、それとも皆がそろいもそろって右向け右なのかな」
なんだ、いったいなにを話しているんだ⁉ ふたりは理解できているようだがどういうことなんだ⁉
「しっかしそのネーミング、どっから来たんすかね」
「スペイン語でいうところの『小戦争』という意味らしいわ。そのせいか、まるで自然が悪意を人間に向けているように感じるよ」
「世界をおかしくしてしまったのは人間自身だと皆、わかっているくせに、ですよね」
「確かに、責任はわたしたちにあることなのに」
だめだ理解が追いつかない。
ふたりの世界観はもはや手の届くところではなくなってしまったのか。
「だからみずほ先輩はそんな殺意のこもった名前で呼ぶのを避けて、けれど時代に遅れないようにと、呼称にささやかなアレンジをしているんっすね」
「そうよ、よくわかったわね。――あっ、来たわ、『ゴリラ・ゲーヴ』が!」
なっ、なんだと⁉ 瑞穂はその恐ろし気な『ゴリラ・ゲーヴ』を呼んだというのか⁉ ヒイイ……!
瑞穂は空を見上げている。すると今の今まで晴れやかだった空が暗雲に覆われてゆく。あっというまのことだった。目が眩むほどに天が眩しく輝き、地が裂けるような轟音が鳴り響く。
ゴリラ・ゲーヴ、それは無数の槍のように校庭に降り注ぎ真夏の世界を一変させた。それが激しく地上を打ちつけると、帰路につく生徒たちはカバンから傘を取り出しはじめた。傘を忘れた者たちはカバンを頭上に掲げ、あわてて建物の下に避難した。
小戦争豪雨――かつては「夕立」と呼ばれていた夏の風物詩。
紛らわしいわ! お前らふたりで一生『ゴリラ・ゲーヴ』呼んでろォォォ!
僕はぐつぐつと煮えたぎる嫉妬の念を隠すのにせいいっぱいだった。
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「なかなか止まないっすね……」
「ええ。これは長引きそうな気がするわ」
それからもふたりは並んで外を眺めている。肩と肩がくっつきそうになるたびに僕の心が悲鳴をあげる。
「ところでみずほ先輩は傘、持ってきましたか」
その質問に瑞穂は答えるのをためらった。
いや、瑞穂は傘持ってたろ。生徒会室に入ってきたとき、傘を傘立てにさしたのを目撃したぞ。
けれど瑞穂は答えのかわりに質問を返した。
「かつき君は持ってきたの?」
まるで顔色をうかがうように黒澤を見上げる。おねだりをする猫のような瞳だ。
「ああ、ありますよ。ロッカーに置いてありますから」
「そう。――わたしは忘れちゃったわ」
そっ、そういう作戦かよ瑞穂ォォォ‼ そのあざとさ、一度でいいから僕に向けてくれェェェ‼
たまりかねて立ち上がり、傘立てから瑞穂の傘を取り上げる。
「そういえばこれ、瑞穂のじゃなかったか?」
ふたりの視線が僕に向けられる。瑞穂の視線はひどく冷ややかだ。
「――それ、日傘ですから。こんな日には使えませんっ!」
「えっ、えっ⁉」
どう見ても普通の傘にしか見えない。すると瑞穂の目つきが刃のように鋭くなり僕の心臓を射抜く。
――余計なこと言わないでもらえますか。
そんなメッセージを発しているように思えた。圧倒的な威圧感に僕は楯突く気力を失った。
「はい、日傘でした……」
虚しく玉砕すると同時に、黒澤はあっさりと忖度を発揮する。
「じゃあ、一緒に俺のに入って帰りますか」
「ありがとう。きみの好意に甘えさせてもらうわ」
そしてふたりは僕に手を振り別れを告げた。
雲の切れ間から斜陽が差し込む。校門へ向かうアスファルトの舗道は、濡れてつやつやとした煌めきを放っている。雨があがったらしい。
けれど去りゆくふたりは相合傘。その仲睦まじい背中姿に、僕は失意のドン底に突き落とされていった。
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