肉食令嬢×食人鬼狩り

見早

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咀嚼

4.森に生きた跡

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 義父に対抗して立てた目標のひとつ、「8年間の在学で首席を維持し続ける」が3年と6か月目にして崩れた本日。隣のラヴィンナは、廊下に張り出された成績表をぽかんと見上げています。

「これは……」
「あら、首席おめでとう。あなた前回のテストでこけていたものね」

 特待生の座を守れてよかったですね、と純粋に祝福したつもりだったのですが。

「どどどどしたんだ、フルーラ! まだ調子戻ってねぇのか?」

 ラヴィンナが騒ぎ出すやいなや、こちらを遠巻きに見ていらした生徒の方々も囁きをこぼすようになりました。

「あのマダーマムが首席落ち!?」
「しかも100番以内に名前が載っていないぞ……」

 名無しの生徒方がいくら騒ごうと構いませんが、「ホントは体調悪りぃんだべ!?」と肩を揺さぶってくるラヴィンナはこのままにしておけません。

「いいえ、絶好調よ。答案には名前だけ書いて白紙で出したわ」
「白……!? なんでそんな」
テストそんなことよりも、今は大切なことがあるから」

「赤いひらひらスカートに関係あんのか?」といった耳打ちに、「さぁ」と答えると。眉根を寄せるラヴィンナに手首を掴まれ、こちらを取り囲む群衆の中から連れ出されました。

 やがて人気のない校舎の影で足を止めたラヴィンナは、周囲を確認してからこちらへ向き直ります。

「こんな時に申し訳ねぇんだけど、ひとつ伝言頼まれてて。フルーラに会いたいって人がいんだ」

 改まって何を言い出すかと思えば――このタイミングで私に会いたいなんて、ミセス・シフォン以外いらっしゃらないでしょう。

「アタシも、フルーラはその人と会った方が良いと思う。もう待ってっかもしれねぇから、とにかく行ってあげて」

 走り去るラヴィンナを見送り、ひとまずその方が待つという西の通用門へ向かうことにしました。

 どうせ白紙の件でしょう。お説教は過去最長を更新しそうですが、そんなことに時間を費やしてなんていられません。

 ミセス・シフォンから逃げる算段を考えていると、いつの間にか西門付近に着いてしまいました。ですが待っていたのはミセス・シフォン――ではなく、久々に顔を見た彼です。

「ご機嫌よう、ハーモニア先輩」

 こちらを見ずにたった一言、「話したいことがあります」と呟いた彼は、こちらに手招きをして街の方へ歩き出しました。

 何をするのかと思えば、タクシーを拾い、西区の方向へ行くよう指示したのです。

「ねぇ、どこへ行かれるおつもり?」

 いくら繰り返しても、彼は口を引き結んだまま、車窓に映る中央区の通りを眺めています。やがて車が止まったのは、すっかり無人になった狩猟屋敷の手前でした。

「西区の森……」

 最後にこの森を訪れたのは、今は亡きグリア子爵の安否を確かめるためでした。

 あの時はまだ、目の前を歩く彼がNo.7だなんて思いもしませんでしたが――。

「そういえば、あの後子爵はどうなったの?」
「彼は断罪されました」

 No.7とNo.11、どちらが子爵を屠ったのか尋ねましたが、彼は答えませんでした。再び無言のまま、薄い雪化粧の残る森林を進んでいくと。森の奥深くに、古くも立派な小屋が見えてきます。

「ここは僕の故郷なんです」

 ようやく口を開いたかと思えば、彼は小屋の錠を慣れた手つきで外しました。

「7つの時ビショップ・ノットに引き取られるまで、ここで狩人のおじいさんに育てられました」
「そう。教会の前はここで暮らしていたのね」

 現在も頻繁に出入りしているのか、小屋の中はある程度清潔に保たれています。

 一見普通の小屋ですが――彼が壁を叩くと、隠し壁の中からライフルが数丁とよく研がれたサバイバルナイフが現れました。さらに床下の収納には、お手製の罠のようなものも多数投げ込まれています。

「森に張り巡らされたあなたの罠に、私はまんまとかかったわけね」
「あれは……すみませんでした。まさかあの日、キミがここへ来るなんて思いもしなかったので」

 すっかり黙って俯いた彼に構わず、「それで話ってなんですか?」と切り出したところ。

 彼は口を開けたり閉じたりを繰り返しています。見かねてため息を吐き出すと、彼は苦しげに「ごめん」と呟きました。

「私、狩猟はしたことないの。射撃は苦手なのだけれど、教えていただけるかしら」

 すると少し顔を上げた彼は何かを考えたすえ、軽めのライフルをこちらへ渡してきました。屋外へ出ると、使用方法の説明がはじまります。

「あぁ、大丈夫よ。仕組みは分かるわ。ただノーコンなだけだから」
「キミにも苦手なこと、あったんですね」

 ようやく少し調子が戻ってきたようです。ほっとした彼の顔に、思わず肩の力が抜けていきました。

「私を何だと思っていたのでしょうね。ところでまだ冬場ですけれど、獲物はいるのですか?」

 すると彼は玄関横に掛けていた藁の束を取り、「こっちへ」と森の奥へ入っていきます。ライフルを抱えながら彼の後を追っていくと、やがて姿勢を低くした彼は木の影で足を止めました。無言で指し示す方向には――木の又の隙間にある小さな穴から、白い毛のウサギが顔を出しています。

「野ウサギは冬でも活動します。夏には茶色かった毛も、冬には真っ白になるんです」
「ふぅん、さすが詳しいのね」

 彼は藁を編んだ束を巣穴の前に放り投げました。途端にウサギが1羽穴から飛び出し、藁に近づいてきます。そして彼は銃口を構えるやいなや、ためらいなく引き金に力を込めました。

「あ……」

 目を奪われたのは、獲物が仕留められる瞬間ではありません。一切の人間的感情を取り去った横顔――彼は「獣」でありながら獣を「狩る者」なのです。本来は自然の循環の一部に組み込まれて生きてきた人間で、森の外へ連れ出されてから、己の牙を隠すようになったのでしょう。

「そう、生き辛いはずね」
「フルーラさん、もしかして音苦手でした? それともウサギが好きだったとか」

 すっかり気の抜けたお顔に戻っている彼に向けて、浅いため息を吐きました。

 ウサギは食用も出回っていますが、都の女性や子どもの間では愛玩対象としてお菓子や玩具のモチーフになっています。まさか私がそのひとりとして見られるとは。

「いいえ。あなたの本当の顔を見て、少し驚いていただけ」

 キョトンとしている彼に構わず、ブーツの踵で雪を踏み分けながらウサギの亡骸に近づいていきました。

「美味しそうね。冬とは思えないくらい、丸々とした肉付きじゃない?」

 すると彼は突然笑い出しました。珍しく声を上げて笑う様子に、思わず背後を振り返ります。

「キミは本当に食いしん坊ですね」
「あら、その言い方は心外ね。この世のありとあらゆる肉を愛する『美食家』と言っていただけるかしら」

 ありとあらゆる肉――自分で発言しておきながら、胸に小さな痛みが走りました。

「要領は把握したわ。さぁ、次の狩場へ案内してちょうだい」

 そうしてしばらく狩猟に勤しんだ後。余すことなくいただく予定の獲物を抱え、小屋の前まで戻ってきました。

「結局すべてあなたの獲物ね。まぁ動かない的ですら当たらないのですから、私に狩りは向いていないのでしょう」
「本当に飛び道具は苦手なんですね」

 こちらが火を起こす間にも、彼は獲物の処理をはじめました。慣れたナイフ捌きを眺めつつ、小屋に保管されていた薪の上で石を打ち付けます。

「でもウサギは罠猟の方が簡単ですから。今度は罠の作り方をお教えします」

 これまで見たこともないほどに、森の中の彼は生き生きしています。

 はたして「今度」があるのでしょうか――ジビエを焼く間、妙に静かな隣を振り返ったところ。彼は少し残ったウサギの生肉をそのまま食べていました。

「え。それ、大丈夫なの?」

「主に衛生面で」と指摘すると、彼は頬を染めて「ええと」と呟きました。

「新鮮な肉はきちんと処理をすれば、このままでも美味しく食べられます。むしろこの方が柔らかいし甘みが感じられて……」

 火を通していない肉などあり得ない、と思っていましたが。たしかに天然の冷気にさらされた新鮮な肉には興味をそそられます。

 はしたなくも喉が鳴ると、彼は笑ってこちらへ肉を差しだしました。

「食べてみますか?」

 これは試さない手はありません。煤だらけになった自分の手を見遣り、彼の手からそのままいただくことにしました。

「あら、本当に美味しいわ。チキンに近いけれど、独特の風味とほのかな甘みがあるわね」

 新境地との出会いに感動したまま彼を見上げると。彼は「そうですか」、と焦った様子で顔を逸らします。手袋越しの指についた肉片まで舐めたことで、何か思い出したのでしょうか――以前もっとすごいことをしたクセに、やはり彼の羞恥ポイントは分かりません。

 こんがり焼けたご馳走をいただく間、手袋を脱いだ彼はようやく「話したかったこと」を語りました。

「僕の最初の記憶はこの森から始まっていて。森で狩猟を生業にしていた老人に拾われたんです」

 彼の狩猟技術はすべて、そのハントというおじいさまから叩き込まれたといいます。

「『ジェルベ』は彼に与えられた名前なんですが、彼は自分の本名を教えてくれなくて。街に出た時みんなが彼を『ハント』と呼んでいたので、それで僕もそう呼ぶようになって」
「ハントさんは街に獲物を卸していたのね」
「ええ。ですから金銭のやりとり、商人との交渉術、他人とのかかわり方――そんなものを森の外で教えてくれました」

 ハント氏の所在を訪ねると、彼は寂しげに頬を緩めました。

「12年前、都を追われた食人鬼がこの森に逃げ込んできたんです。彼は僕を逃がすため自ら犠牲に……そして追って来た食人鬼に襲われそうになった時」

 窮地の彼を助けたのが、都から食人鬼を追ってきたノット叔父さま。

 すっかり食事の手を止めた彼は、燃え盛る薪を見つめています。

「一生かけても返しきれない恩を少しでも返そうと、教会に引き取られた後は自ら僧兵に志願しました。本来の使い方とは違いますが、僕には『狩り』の心得がありましたから……しばらくして、新たに創設された食人鬼狩りの『狙撃手』としてスカウトされたんです」
「そう、やっぱり食人鬼狩りは黎明教会が母体なのね。だとしたら、ノット叔父さまも……」

 たしかドクター・フィルは、ノット叔父さまが尊敬していた方が引き起こした『グルマン事件』がきっかけで、叔父さまは研究から手を引いたとおっしゃっていました。

 もし叔父さまも食人鬼狩りに関わっているとしたら、なぜ「病の治癒」という選択を捨てたのでしょうか。魔人病に蝕まれるロリッサを愛していながら、なぜ。

「フルーラさん、大丈夫ですか?」

 控えめな心配の目を向ける彼と視線がぶつかり、思考が止まりました。

「ねぇ。あなたは叔父さまに恩を返したいと言うけれど、ハントさんの敵を討ちたいとは思わないの?」
「あぁ、それはないです。あの人がいつも言っていました……『食べるものは食べられるもの』だって。それがこの世の摂理で、逆らう必要も怖がる必要もない。だから自分を置いて逃げろと、最期の瞬間もあの人は」

 立ち昇る火の粉を静かに見つめる彼の手に、そっと自分の手を重ねました。穏やかな熱を灯す手は、どうしたら良いのか分からず固まっています。

「食人鬼狩りなんてやめなさい。教会のために10年以上働いたのだから、恩はもう十分でしょう。それで、たいして思い入れのない家を継ぐのもやめるの。他のことに気を取られていないで、あなたが本当にやりたいことをやったらいかが?」
「そんな無茶な……」
「でもここだとあなた、ちゃんと生きているように見えたわ。学校でも礼拝でも死んだような目をしていたあなたの『本当の顔』が見られたのは、これでやっと二度目よ」

 最初はどこなのか、と尋ねる彼に微笑んで耳を寄せ、「枯れ井戸の中」と囁くと。彼は突然「あっつ!」と声を上げ、肉を刺していた木の枝を落としました。

「聖職者になりたいくせに。この程度で動揺していたらやっていけませんよ、先輩?」

 赤くなった彼の親指に雪を塗り、軽く炙られた皮ふを舐めていると。無言のまま手を引かれ、暖まりつつある腕の中に抱きしめられました。

「あら、私のこと『大っ嫌い』なんでしょう? 何をしていらっしゃるんですかぁ?」

 安っぽい煽りが無視された後、懇願するようにこちらを見下ろす彼の手がアゴに触れました。近づく唇にそっぽを向くと。

「……はぁ」

 深く長いため息を吐いた彼は、無罪を主張するように両手を挙げました。

 この方は何を考えているのでしょうか――。

 手持ち無沙汰になり、目の前の首筋をひと舐めしたところ。「やはりこの肉は特別」と思うと同時に、忌々しい本能への嫌悪が湧き上りました。

 それでも芳醇な匂いに惹かれ、白い肌を舐めたり噛んだりしていると。急に首元が涼しくなり、うなじに小さな痛みが走りました。直後、痛みを打ち消すように生暖かい感触が首元を滑ります。

「ええと。『そんなつもりはなかった』って言えば、まだ取り返しはつくかしら?」
「何言ってるんですか。キミが誘ったんでしょう」

 指を舐めた程度で赤くなっていたクセに、いつの間にかスカートの中へ侵入していた手はためらいなく太ももを撫でています。首筋を甘噛みしていた口が耳に移り、耳を撫でていた手が胸元に降りてきました。

「調子が悪いんですか? 人にいいようにされているのに、大人しくしてるなんて」
「そいういう気分なの。今だけ好きにさせてあげる」

 執拗に耳の輪郭をなぞる舌に気を取られていると。内ももを滑る指が、下着の上から湿った肉の割れ目に触れました。もどかしい刺激に耐えている間もなく、ぬめりを帯びた指が陰核を弾きます。

「っ……」

 枯井戸でのことが大分練習になったのでしょうか。こちらが万全でも、気を抜けば声が漏れてしまいそうです。

「待って」と太ももの裏に当たる硬いものを掴み、強制停止させました。

「やっぱりされるのは性に合わないわ」

 大人しく動きを止めた彼を押し倒し、抵抗される前にまずはベルトを外します。

「えぇ……あの、これ以上は小屋に」

 言いかけた口を手で塞ぎ、張りつめた肉の塊を外気にさらすと。諦めた様子の彼は、手を私の腰へと回しました。

「あまり寒いと縮んでしまうかしら? たくさん触ってあげますから、頑張ってくださいね」

 こうしていると胸の痛みや頭重感から解放されます。聖女さまとは別種の、落ち着く肉の匂いが漂っているせいでしょうか。

「果てる時は申告しないとダメですよ。出すのは口の中一択ですから」
「だからそれはいけないって……!」
「こんなことをしている時点でアウトでしょう?」

 そろそろ口内へ迎えて差し上げましょう、と大きく口を開いたところ。ふわりと下半身が浮き、後ろへ引き寄せられました。体の下を覗き込むと、冷たくなった下着が彼の鼻先に当たっています。

「勝手なことしないでくれません? コレ噛みちぎりますよ」

 生意気にも、この程度の脅しには屈しなくなったようです。彼はためらいなくストッキングを破り下着をずらすと、冷気にさらされた肉のヒダに熱い息をかけてきました。

「すごい、生きてるみたいにうねってる」
「……実況しないでください。それよりストッキングをダメにされるの2回目なのですが?」

「まとめて弁償します」といい加減なことを発した後。彼は無言になり、代わりに艶を帯びた水音が響くようになりました。

 自身の奥から勝手にあふれる声と体液に苛立ちを感じつつ、こちらも口と手を動かし続けます。

 必ず絶頂させるという強い意志の元に――ですがこの調子では、頂点まで上りつめるのはこちらの方が早そうです。

 人の体を弄り回すうちに要領を得たのでしょう。膣内の壁を舌で擦りながら指で陰核を摘んだり、腹の上から胎を押したりしてきます。

 中の痙攣が激しくなるのを感じた瞬間。とっさに声を抑えようとして、陰茎の先端を強く吸うと――生温い液が口いっぱいにあふれました。

 せめて吸い尽くして差し上げましょう、とくわえ続けていると。起き上がった彼に体を抱えられました。

「……そんなに美味しいんですか? それ」

 濃厚で飲みきれなかった分を口に溜めていたのですが。「もったいない」と口を閉じようとすると、口角に指をねじ込まれ、白濁した汁がこぼれてしまいました。

 どうやらご自分の出したものと私の唾液が混ざる口内へ釘付けになっているようです。しかも処理したばかりの肉が固さを取り戻し、膣口に当たっています。

 戯れに口の中の物をすべて飲み込み、空になった口内を見せて差し上げると。彼は仕方のない欲望をさらに膨らませました。

「ふぅん。こういうのが好きなんて、割と変態なんですね」
「キミに言われても……」

 冷静な物言いをしつつも、熱い肉塊は痙攣がまだ収まっていない入り口を探っています。そのまま擦り付けることで感触を確かめ、いつかのように満たされない欲求を慰めているようです。

「いれてもいいですよ」

 一瞬動きを止めた彼は、「そんなのダメに決まって……!」と言いかけて口を結びました。

 やがてすっかり真顔になって、視線の高さを合わせるように私の体を持ち上げます。

「どうして急にそんなことを」
「ここにくる前、子種を殺す薬を飲んでいるの。人体にはちょっと毒になる薬だけど、私なら大丈夫だから」

 別に些末なことだったのですが。彼は苦い顔で奥歯を噛みしめ、深いため息を吐き出しました。

 意外な反応に固まっていると、冷えた体を抱き寄せられます。

「しません……だからそんな薬を飲むなんて、もう二度としないと誓ってください」
「分かったわ。誓ってあげる」

 嘘ですが。

「『聖女さまへ心を捧げるつもりだから、男性とは結ばれない』って最初に言いましたよね。あれ、ウソなんです」

 本当はグルメの血を後世に残したくないから――秘めていたことをお話しすると。彼は言葉を失くし、溶け合っていた半身を離しました。

「でもね、聖女さまを愛する心は本当だったの」

 思わず余計なことを口走ったと気づいた直後。彼は「だった?」と妙に鋭い勘をはたらかせました。

「確信はないけれど、シスター・アグネスは……いいえ、本当にそうかは分からない」
「良ければ話してくれませんか?」

 安心させるような声色を放つ彼の胸に、重くなった額を預けました。自分の恐ろしい憶測を、はたして口にして良いものでしょうか。

「シスターと幼い時代をともにしたあなたが羨ましかった。でも、もしかすると彼女は」

 屋敷のドアの向こう側にいた彼女と同一人物かもしれない――そう口にすると。彼は静かに唇を噛み、「直接尋ねたらどうか」と提案してきました。

「もし真実がキミにとって耐え難いものでも、僕があなたを支えます」
「どうして?」

 無責任な言葉に、思わず飾りを取り去った声を上げてしまいました。

「私のこと嫌いなんでしょう。お生憎さま、私もあなたが嫌いよ」

 彼と門の前で会ってから森で過ごす間ずっと、私は目を逸らしていたのです。

 患者を諦め断罪する食人鬼狩りかれらは、治療を志すこちらとは相入れない存在です。魔人病患者への救いは「死」ではなく「治」だというのに。

 No.7であり続ける限り、彼は敵――その事実をお伝えするため、大人しくここまでついて来たはずでしたが。

 やっと顔を上げた彼は、真っ青な唇で空白を紡いだ後、再び俯いてしまいました。

「僕のことが嫌いでも構いませんが、どうか一度シスターと向き合って話をしてください」
「あなたもしかして、何か知っているの?」
「僕の口からは何も。これは彼女にしか話せないことです」

 疑問が確信に変わった瞬間。肩を震源にはじまった震えは、全身にまで広がっていきました。

 心配する彼の手を押しのけるも、諦めずに触れてこようとします。

「放っておいて! あなたが食人鬼狩りをやめないのなら私たちは敵よ。『恋人契約』も破棄するわ」

 この時、彼が顔を上げていたのかは分かりません。傷ついた顔を正面から見てしまえば、とてつもなく恐ろしいことが起こる予感がしたのです。

 長い沈黙の末。「分かりました」、と彼は爆ぜる薪よりも小さな音量で呟きました。

「僕も恩人を裏切れませんから」

 すぐにここを去らなければ――衣服の乱れを適当に直し、震える足に力を込めます。

「遠くから祈っています……『あなたの道行きに幸多からんことを』」

 祈りの手を組む彼は、最後まで顔を上げませんでした。
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