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触感
狩人の受難:4.クイーンの欠席
しおりを挟むひとりが当たり前だったスクール生活の終わり際に、フルーラ・マダーマムが飛び込んできてから早2か月。終業のチャイム後、自然と彼女を探して校内をうろつく間に、今日はいるはずがないと思い出しました。
今頃彼女は伝説の処刑人――ルイーズ・マダーマムの邸宅に滞在中のはず。
マダーマム家前当主の奥方と会ったことはありませんが、きっとフルーラは奥方から何かしらのヒントを得るに違いありません。彼女のルーツ、つまり実の両親について。
「……本当に良かったのか?」
実の両親を知るべきか否か、柄にもなく迷っている彼女の背中をつい押してしまいましたが。すぐ傍に潜んでいた真実へたどり着いた時、彼女は心の底から「良かった」と思えるのでしょうか――。
「あーあ、またですかコムギちゃん」
礼拝堂の方から聞こえた大袈裟な声に、もやのかかる思考を打ち切られました。日頃から美しく手入れされている花壇の前にいるのは、見覚えのある黒タイ(7年生)の3人組、それから麦わら帽子を深く被った赤毛の女子生徒がひとり。
「ラヴィンナさん?」
園芸用品を抱えた彼女は「ごめんなさい」と繰り返しつつ、長身の彼らに圧迫されて身を縮めています。
これは以前どこかで見た光景とまったく同じ状況ですが――見知った相手が詰め寄られている以上、声をかけないわけにはいきません。
「あの」、と声をかけると、彼らの視線が一気にこちらへ向きました。
この顔ぶれは王家に所属する家々の子息。そして頬に泥をつけている中央の彼は、王都民ならば誰もが知る王室ファミリーの一員、シャルル第二王子です。
「これは珍しいですね、ハーモニアさん。校内ですれ違っても一切目を合わせようとしない貴殿が、私にいったい何のご用でしょうか」
極力接点をもたないようにしていたので忘れていましたが、王室外での彼は相当に嫌味たらしいお方でした。さらに「類は友を呼ぶ」というように、彼の友人も他人に指を差して笑うようなタイプの方々のようです。
「何って、別に……その」
「ジル先輩、アタシがまたやらかしただけだから、大丈夫だ」
「気にしないで」とラヴィンナさんは言いますが、きっとフルーラならばこの状況で彼女を放置するようなことはしないでしょう。
速まる呼吸を感じながらも拳を握り、普段ならば会話をすることもはばかられる第二王子を睨みつけました。
「彼女は何度も謝っているのに、それでも責め続けるとか器が狭くないですか?」
「は…………」
目を見開いて停止したシャルル王子を目の当たりにした瞬間、自分が思っていた以上のことを口走ったことに気がつきました。
誰かさんのイメージを借りようとしたせいで、必要以上に煽るような口調になってしまったようです。
「ら、ラヴィンナさん、こっち!」
後悔する間もなく土に濡れた手を取り、誰もいない礼拝堂の中へ駆け込みました。
そのまま大時計へ向かう階段を駆け上り、屋上につながる鍵付きのドアを目指して巨大な歯車の隙間を走り抜けると。
「ジル先輩、鍵は!?」
「大丈夫、フルーラさんから預かっているから」
秘密の屋上に出るまでは、逃げることに夢中だったのですが――姿勢を低くして地上を見下ろすと、シャルル王子はまだその場に固まっていました。隣に並んで下をのぞき込んだラヴィンナさんは、彼らの動揺する姿を見て笑いをこらえています。
「下に見てた相手にプライド粉砕されて、相当ショックだったんだべ。でもありがとな、ジル先輩! フルーラみてぇでカッコよかった」
「フルーラさんみたい……か」
4つ年下の彼女と比べられると情けない気はしますが、それでも口角を上げてしまいました。
堂々と前を向く彼女を傍で見るうちに、少しだけでも目の前の人と、そして自分の気弱と向き合えるようになったのでしょうか。
「今日は珍しくフルーラとハルオミくん、休みなんだよなぁ。そだ、ジル先輩って数理学得意ですか?」
突然の問いかけに「え?」と訊き返すと。ラヴィンナさんは麦わら帽子を外し、背負っていたカバンから取り出したテキストを広げました。
「せっかくだし少し教えて欲しい」という彼女に、「特待生に教えられることはない」と返しますが。
「この間のホリデーで帰ったら、一番上の兄ちゃんから『もし退学したら大人しく戻って嫁に行け』って言われたんだ。その時はもしもの話なんてあるわけないって笑い飛ばしたんだけども」
常に学年で10番以内を保たなければならない特待生の彼女が、年末のテストで12番に落ちてしまったといいます。
家業が違えど、やはりどの家にも何かしらの事情はつきもののようです。
「いくら兄弟いっぱいジリ貧農家の長女だからって、目標を諦めて好きでもねぇ相手のところへ嫁ぐなんて真っ平ごめんだ」
「目標?」
すると照れたように微笑んだ彼女は、色あせた麦わら帽子に視線を落としました。
「ウチの傾いたままギリギリ走ってる経営を立て直せる、立派な経営者になること。そうすれば、母ちゃんにもっと楽させてあげられっかなぁって」
現実的かつ立派な目標――家族思いの彼女へ尊敬の念を覚えつつも、言葉の出ない喉を閉塞感が襲います。
「ジル先輩はもうすぐ卒業ですよね。やっぱり代々の家業を継ぐんですか?」
「代々っていっても、天文塔への仕官だけど」
このまま黙っていれば本当にそうなってしまうでしょう。
神学校へ行きたいと、何度か義父へ相談しようと思ったものの。長女のスペアとして求められた自分が、はたしてそのようなことを言う権利があるのか。
ですが以前フルーラが放った「受け入れられるかどうかではなく、自分が居たい場所にいればいい」――あの言葉がいまだ耳に残っています。
故郷の森、海辺の教会、ハーモニア家、食人鬼狩り――自分は今どこにいたいのか。
「余計なお世話かもしれねぇけど、卒業したらフルーラとはどうすんですか?」
「え……どうするって?」
「だって恋人なんだべ? フルーラん家の晩餐会で、そう言ってたでねぇか」
たしかに、参加者全員の前でそんなことを公言されていましたが。どうするも何も彼女とは契約上の恋人です。
そもそも互いに相容れない立場にあることを、自分は最後まで隠し通すことができるのでしょうか。
「実はホントの恋人じゃねぇ、とか?」
的を射抜かれ、思わず肩を揺らしてしまいまいました。
真剣な琥珀色の瞳を見つめ返し、「なぜそう思ったのか」と尋ねると。
「なーんか時々、2人が恋人ってよりか『ご主人様と犬』に見える時があんだよなぁ。あっ」
失言だったと気づいたのか、彼女は手で口を塞ぎました。
情けない話ですが、今の関係を見ると自分でもそう思います。たしかにフルーラ・マダーマムは人の気も知らないで翻弄してくる女王様で、自分は牙を隠すしかない犬に過ぎませんが。
「だっ、大丈夫です! フルーラとまともに付き合えんのなんて、ジル先輩くらいだとアタシは思いますっ!」
気を遣ってくれている感じは否めませんが、彼女が慰めようとしてくれていることは汲み取りました。
フルーラが晩餐会の時に言っていた、「嘘から出た誠」という言葉――あれが本当になればいいのにと思う反面、「狩人」であることは辞められません。
彼女にはこれ以上、『ジェルベ』という人間を曝してはいけないと分かっています。分かっているはず、なのですが――。
「おい!」
背後からの唐突な声に振り返ると。
「掃除婦の……ローザさんか!?」
とっさに立ち上がったラヴィンナさんに続いて、ミス・ローザに向き直ると。彼女の片目から放たれる鋭い眼光に、言い訳を考える思考が強制停止させられました。
「お前ら何回屋上の鍵をパクれば気が済むんだよ」
「すみませんでした! すぐに出ていきますから」
ラヴィンナさんの荷物を一緒に抱え、その場から立ち去ろうとしたところ。
「待てよ。帰れなんて言ってねぇだろ」
「え……?」
確実に出禁を言い渡されると想定していたのですが。ミス・ローザは「今度から堂々と借りに来い」とぶっきらぼうに言い放ちました。
「『禁止』ってのは『やれ』って意味だ。若いうちにどんどん規則を破っておけよ」
隣のラヴィンナと無言で視線を交わす間に、ミス・ローザはこちらへ背を向けます。
「ただしこのことは教師たちに秘密な。オレがクビになっからさ」
「はぁ……ありがとうございます」
ただ呆気に取られ、去っていく彼女の後ろ姿を見つめていると。ふとある考えが浮かび上がってきました。
「あの、ローザさん。以前どこか別の場所でお会いしませんでしたか?」
声は少し違いますが、その口調に背格好――どこか引っかかるものがあるのですが。
「ナンパならもっとうまくやれよ、お坊ちゃん」
豪快な笑い声を響かせながら、ミス・ローザは階下へのはしごを降りていきました。
成績を憂うラヴィンナさんと数理学の復習をし、家路に着くと。幸い今日は誰の出迎えもありませんでした。
家主と同じく朗らかな執事や従僕に挨拶を返しつつ部屋へ向かい、ソファにスクールバッグを投げ出します。
「はぁ……」
カーテンで強い西日を遮り、制服のままベッドに横たわると。空っぽにしたはずの頭に、「彼女はまだ伝説の処刑人と面会中なのだろうか」と疑問が湧いてきました。
ふとした拍子に彼女のことが頭に浮かぶ――この状態が何なのか、とっくに分かっているつもりなのですが。ラヴィンナさんとの会話、「フルーラとはどうするつもりなのか」という言葉を思い出すと、頭がキンと冷えたように引き締まります。
フルーラ・マダーマムは自分を利用しようとしているだけ。そもそも自分には、魔人病の治療法を模索する彼女を応援する資格もない――仮の恋人を本当にすることなんてできるはずがないのに。
「でも……」
年明けにミスター・マダーマムのアトリエから出た瞬間は、「もう彼女には触れない」と決心したはずだったのですが。スポーツデーの時の教室で、その決心は呆気なく崩れてしまいました。
あの時初めてまともに触れた肌は、礼拝堂で彼女の秘密を目撃した時から想像していたものより、ずっと柔らかくて温かかったのです。途中からそこが教室ということを忘れて、ストッキング越しではなく、直接彼女の中に触れたいということしか考えられなくなっていました。
もし礼拝堂で目撃したアレについて話したら、彼女はどんな反応をするのか――想像するだけで、浅ましくも体が熱を帯びてきます。
「ダメだ、耐えろ、耐えないと」
神に仕えようとするこの身で、快楽のためだけに熱を発散するなどあってはならないことなのですが。彼女の声や、表情、感触を思い出すと、意思に反して欲が膨れ上がって行きます。
彼女を知るまで、こんなに我慢できなくなることなどなかったのに――。
痛いほどに張りつめた下半身へ、そっと手を伸ばしたその時。
「ジル」、とはっきりした呼び声がドアの向こうから聞こえてきました。
「時間があるなら少し話さないか?」
軽やかな義父の声に、体を支配していた熱が一気に冷めていきます。
「……分かりました、義父さん」
義父が提案したのは、庭に出てアーチェリーをしながら話そうというものでした。
部屋で許されざることをしようとしていた罪悪感は拭えませんが、熱が発散できてこれはこれで良かったのかもしれません。
「もう2か月ほどで卒業だな」
「……そうですね」
すると義父は一度番えた矢を下ろし、こちらへ向き直りました。
「前に話した通りだが。当家の先代は15年前、教会側との金銭的癒着が暴かれ失脚している。その時ゼロになった信頼を立て直すため、あの子が亡くなった悲しみの中でも何とか職務をこなしてきたわけだが……私ももう歳だ」
今すぐにここから立ち去りたい気分ですが、義父の穏やかなはずの目が、「逃さない」と主張しています。
「15年前のグルマン事件……あの忌々しい食人鬼に娘を奪われた悲しみは永劫癒えることはないだろう。だが、そのこととお前をウチに迎えたのは関係のない話だ」
それでも、今改めて「家業を継いでくれるか?」と尋ねられたということは。やはり自分は役目を期待されて引き取られただけの存在――。
「ジル。何か言いたいことがあるんじゃあないのか?」
「え……?」
義父がどういった意図で尋ねているのか。
短くなる呼吸と頭の中の脈を意識している間にも、「いいえ」と曖昧に呟いていました。
そのまま60メートル先の的のさらに先へ視線を飛ばし、義父から何か言い出すのを待っていると。
「昨日お前が天文塔をうろついていたと同僚から聞いたんだが、本当か?」
まさか見られていたとは――極力、顔見知りとの接触は避けていたのですが。
「天文塔の仕事に興味なさそうだったのに、突然どうしたんだ」
「恋人の仕事ぶりを見たくなったのか?」と茶化され、とっさに「昨日の処刑は彼女の担当じゃありませんでした」と答えた直後。
「知ってるってことはだ、やはり天文塔にいたんだな?」
自分の過ちを反省する間もなく、義父は「天文塔の仕事に興味を持ってくれているのなら嬉しい」、と笑い声を上げました。
あらゆる方面へ誤解が深まり、もう何を言ったら良いのか分からなくなってきたところ。
「『彼女』から電話よ、お兄さま」
眉根を寄せたレアが、いつの間にか庭へ降りていました。
「彼女って?」
「彼女に決まっていますでしょう! ほら、早く行かれたら?」
朝以上に機嫌の悪いレアに急かされ、応接間の電話に出ると。
『こんばんは、ジル。今出先のお屋敷からかけているのだけれど』
「フルーラさん……?」
『天文塔ではご協力ありがとうございました。おかげさまで、アール叔父さまの過去については収穫があったわ』
つい先ほど脳内再生していた声が、電話越しとはいえ直接耳に入るとは――ざわつく胸を押さえ、「実の両親については何か分かったのか」と尋ねました。
『それが教えてもらえなかったの。まぁ仕方ないけれど、叔父さまの隠し事が分かっただけでも良かったわ』
少しほっとしたような声色に、こちらも密かに息を吐きました。
『今回働いてくれたご褒美をあげるから、今度会う時をお楽しみに……あぁ、そうだったわ。これから食人鬼狩りの待ち合わせ場所とやらに向かうのだけれど。もし明日私が登校してこないようでしたら、家に一報入れてくださらない?』
「え……? 今、食人鬼狩りって」
『すみませんがよろしくお願いします』
「そんな危ないところ行っては」
「ダメ」と言い終える前に、すでに電話は切られています。
「まったく、あの人は……!」
ため息とともに焦りを吐き出し、すぐさま自室へ駆け戻りました。
カーペットの下にこっそり増設した床収納を開き、銀仮面とナイフ、それから仕事用のコートをカバンに詰め込みます。
「あらお兄さま、どこかへお出かけ?」
「もうすぐディナーの時間ですが」と怪訝なレアの横を通り過ぎ、「すぐ帰る」と言い残して玄関のドアを閉めました。
彼女がもしメンバーの誰かと鉢合わせたら――今は最悪の事態を免れるために、一刻も早くタクシーを拾わなければ。
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