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舌鼓
2.彩る器
しおりを挟む初めてお友だちと「約束」というものをした朝。すでに屋敷へお帰りになっていたアール叔父さまは、何食わぬ顔で朝食の毒草サラダを堪能していらっしゃいました。
「ねぇアール叔父さま、昨晩はどこへ行ってらしたの? 庭の方へ行かれる姿がベランダから見えたのだけれど」
「……気のせいだろ」
気のせいなはずないのですが。
眉根を寄せたお顔を横目に、叔父さまと同じサラダを食していると。
「フルーラ。そろそろ当家主催の晩餐会が迫っていますが、器の飾り付けになるものは見つかりましたか?」
何だか話題を逸らされた気がしなくもないですが。義父はやはり、叔父さまの外出先を知っているのでしょうか。
「まだ検討中なのだけれど。もしかすると今日、南部の田舎で良い仕入れ先が見つかるかもしれないわ」
「5年に一度の当家ビッグイベントです。招待客リストは私が用意しましたが、今年の会場セッティングはすべて貴女へお願いしていますからね。頼みましたよ、フルーラ」
会場セッティングのすべてというのは、屋敷内外の装飾、レイアウト、専属シェフとのメニューに合わせた器のデザイン打ち合わせ、その他諸々を私が決めなければならないということです。
今は叔父さまやジルの調査、聖母草の亜種探しで多忙なのですが――これも次期当主としての義務ですから仕方ありません。
残りの肉を最後まで胃袋に収め、「ご馳走様でした」と先に失礼させていただきました。
南部行の列車内で合流したジル、ハルオミは道中眠そうでしたが。今はラヴィン農場の広大な農地に目を奪われているようです。
「見てくださいハーモニア先輩! 冬なのに青い葉っぱが茂ってますよ」
「うん、あれって食用なのかな」
多少の起伏がある土地には、秋にしか育たない希少な薬草が均等に植えられています。この辺りは冬でも温かいのでしょう。
「なかなかの規模ね。王都各地に卸しているだけあって、とんでもない種類だわ」
当初ラヴィンナは「家族経営でこじんまりとやっている」と謙遜していましたが、これは世辞抜きに唯一無二の規模です。どれだけの従業員を雇えば、この量を管理できるのでしょう。
晩餐会の飾りに使える花だけでなく、聖母草も大量に群生しているのでは――と農地を見渡す間に、自然と反するシャッター音が響きました。安息日だというのに仕事熱心なハルオミが、こちらにカメラのレンズを向けています。
「それにしても意外ね。記者ごっこで忙しいあなたが、週末を友人のために空けるなんて」
「フルーラ・マダーマムのプライベートに密着できる機会なんてそうそうありませんから。今日は張りつかせていただくっすよ」
「僕は映さないで」とジルが距離をとったところで。鼻の頭を赤く染めたラヴィンナが、大きなバスケットを下げて駆けてきました。やはり実家でも、麦わら帽子と長靴は必須アイテムのようです。
「みんな来てくれてありがとう! あぁ、学校の友だちがウチに遊びきてくれるなんて、夢じゃねぇよな」
「今日はビジネスの話も兼ねてきているから、その点もよろしくね。それで後ろの方たちは?」
ラヴィンナは気づいていなかったようですが。彼女の後ろには、ラヴィンナとよく似た顔の男女6人がぞろぞろと行列を作っています。私たちと同世代らしき男性が抱えている坊やは、まだ1歳に満たない齢でしょうか。
「えええ! 兄貴たち、なんでついて来てんだ!?」
「お前がスクールの友だち連れてくるっつうからご挨拶に来たんだべ! 皆さんよく来てくれだなぁ」
一番年長の方らしき男性は戸惑うラヴィンナの肩を叩き、「一番上の妹がお世話になってます」と人懐っこい笑顔でおっしゃいました。どうやらラヴィン家は、祖父、祖母、父、母、兄、兄、兄、ラヴィンナ、双子の妹、弟――大家族で構成されているようです。赤ん坊はまだ働けないにしても、これだけ人手があれば家族だけで回せるのでしょう。
「こいつ兄弟ん中じゃあ一番頭が回るんですけど、まさか都会のガッコさ出てくとは思わなくて。泥だらけの田舎娘ですけど、仲良くしてやってください」
先日の昼下がり、サロンで二度目のお茶をラヴィンナとともにした時のことです。ラヴィンナは「家の経営楽にすんのに、アタシが商売学んで王都で交渉役やるんだ」と意気込んでいましたが。その努力を兄弟の方々はご存知なのでしょうか――。
「もう兄貴らは引っ込んでてくれ! さ、フルーラ、さっそく見たがってた『ひらひらスカート』の花畑に行ってみっか」
「『聖母草』よラヴィンナ。将来王都で商売する気なら正式名称で覚えなさい」
こちらの忠告を大して聞かず、「花畑でピクニックすんべ!」とラヴィンナは走り出しました。
「ラヴィンナ、手を繋いでいたら走りにくいのだけれど」
「あっ、ちょっと待ってくださいよ! ラヴィン先輩意外と足速っ」
ようやく足が止まったのは、近くに小さな滝がある森の中でした。滝壺から跳ねた水がかかっている場所には、一面に白い花畑――聖母草の群生地ができています。
「これは……すごいわね」
少量の栽培ですら希少だというのに。
花弁を踏まないよう、そっと花の中に座り込むと。かすかに甘くも上品な香りに肺が満たされました。
「落ち着くべ、そのお花さんの匂い」
「ええ。鎮静効果があるのよね」
花々にキスを落として可愛がるという、謎のスキンシップをラヴィンナがとっている傍ら。ハルオミは不服そうな顔でシャッターを切っています。
「これじゃただのモデル宣材写真になっちゃいますねぇ。ボクらは川でも辿りますか、ハーモニア先輩。ハーモニア先輩……?」
花畑の中へ静かに腰を降ろしたジルは、青空を遮るブナの木々を見上げていました。
「もうっ、スクールでも大自然でもぼーっと生きちゃって。羨ましい限りっすよ」
ハルオミが滝の方へ向かっていくと、ラヴィンナもその後に続きます。
「あっ、ハルオミくん! 慣れてないと迷うからアタシも行くよ」
そうして2人きりにされたものの、ジルはまだ空を仰いでいました。
「空を見上げることが好きなのですか? それとも森の風景が?」
昨晩、星を映していた深緑の瞳を思い出しつつ尋ねると。虚ろな視線がこちらに向けて下がりました。
「教会に引き取られる前は森で暮らしていたんです。ここは少し人の手が入っていますが、僕がいた森はもっと原始的で……獣に命を奪うか奪われるか、そんな緊張感の中生きていました」
もしかすると。以前おっしゃっていた弓は趣味ではなく、生きる手段だったのでしょうか。
「そう。『好き』ではなくて、懐かしんでいるのね」
ならば邪魔しないでおきましょう、と花畑に視線を戻したところ。ジルは少しこちらと距離を置いて、花畑の中に膝をつきました。
「ずっと例の亜種を探しているんですか?」
「ええ。今のところ、それだけが治療の希望なのよ」
「たしかシャーマンの話だと赤いんですよね、その花」
するとジルは態勢を低くし、密集する花々をかき分けはじめました。
「探してくれるのですか?」
「シスター・アグネスを治したい気持ちは僕も同じです」
言葉が胸に詰まり、感謝の言葉もそれ以外も、何も出てきませんでした。
お互いに無言のまま、しばらく夢中になって探し続けていると。
「あっ、すみませ……」
コツンと頭がぶつかり、こちらも謝罪を述べようと顔を上げた瞬間――息を交換できる距離に唇がありました。大きく見開かれた瞳が潤み、逃げようと身を引くジルの手をとっさに掴むと。
「な、何ですか?」
「思い出したのね、昨晩のこと」
天体観測の夜のことも、船室でのことも、ジルは私を直視しないことで気を保っている様子でした。ですがたった今、昨晩のことを鮮明に思い出したのでしょう。
「ずっと澄ましたお顔でいるから、忘れちゃったのかと思いました」
指を絡めると、子猫のような力で肩を遠ざけられました。
「『私の許可なしにあなたから触ってはいけない』ってルール、また忘れたんですか?」
「これは不可抗力じゃないですか……!」
力比べをしつつ近づいていき、急に力を抜いてみると。反動でジルの体が覆い被さってきました。すぐに胸から離れたジルの頭へ花弁が舞い降り、ブラウンの髪に雪が積もっているかのようです。
「あーあ、これはペナルティ決定ですね。爪を剥ぐのはどの指にするか、20本の中からご自分でお決めになる?」
こうして微笑むと、いつもすぐにお顔を逸らしてしまうのですが。妙なことに、ジルは真っ直ぐこちらを見つめてきました。
「キミはそうやって僕を惑わせて、何がしたいんですか?」
「何って」と言いかけて、一度口を結びました。繰り返さなくとも、彼はすでに私の答えを察しているかもしれませんから。
「昨晩だって、キミのせいで体がおかしくなったのに」
「ですから治りを早めるよう、処理をして差し上げたでしょう」
「何が不満なのです」と首を傾げると。ジルは奥歯を噛みしめ、何かを決意したように口を開きました。
「フルーラ~! そろそろ昼飯に……」
ラヴィンナの声で、ジルはすぐに口を閉じてしまいました。すぐさま私の上から退いたものの、意外にも素早いラヴィンナはすでに花畑へ足を踏み入れています。
「えっと。2人ってそういう関係だったんだな?」
「違っ、これは花を探してたら事故で!」
言い逃れようと必死なジルに、ラヴィンナの後を追ってきたハルオミが苦笑を返しました。
「この状況で言い逃れようって、ムリがすぎるんじゃ――」
「なーんだ事故かぁ」
まさか納得してしまったでしょうか。
「ラヴィン先輩、それマジのマジ? ホント心配になるなこの人」
むしろ「恋人同士」と認識していただいた方が、今後色々とやりやすいと思ったのですが。
焦るジルの姿が楽しめましたから良しとしましょう。
「んじゃランチにすっか。ささっと気合入れて作ってきたんだ」
農家さんの手作りランチはいかがなものでしょうか、とバスケットの中身を拝見したところ。チーズやベーコン、根菜、葉野菜と彩りの良い食材が挟まれたガレットサンドが、4人では食べきれないほど詰め込まれていました。飲み物は体を温める香草を煎じたお茶で、完璧にバランスが考えられています。
「見事ねラヴィンナ。寝不足の体にはちょうどいいわ」
思わずこぼれた言葉に、ランチシートを広げていたハルオミが真っ先に反応しました。
「マダーマム先輩って年中寝不足ですよねぇ。魔人病の研究とやらは結局進んでいないそうですし、あっ! もしかして、昨日帰って来たっていう叔父さんとうまくいってないとか?」
そろそろ彼を『アイドル』や『ごっこ』ではなく記者と認めるべきでしょうか。ハルオミに先日帰ったばかりの叔父の話をした覚えはないのですが、いったいどこから情報を仕入れてくるのやら。
「そうね、うまくいっているとは言い難いわ。もし2番目の叔父について何か分かったら教えてくれないかしら?」
「良好な関係を築くため」、とハルオミに微笑みかけると。彼はキョトンとして作業する手を止めました。
「アンタからボクにお願いとか妙だなぁ。そんなにミステリアスな人なんっすか? そのアール・マダーマムって」
彼が唐突に帰ったわけ、『緑の海』の絵、あの冷え切った態度――分からないことばかりですが、あえて「そこが魅力でもあるのだけれど」と呟いたところ。ずっと放置していたラヴィンナが、「フルーラには個性的な叔父さんがいっぱいいんだなぁ」とガレットサンドを差しだしてきました。
「ありがとう。まだ温かいのに、すぐ食べないともったいないわね」
同じく放置していたジルをこっそり振り返ると、彼はすでにサンドを半分ほど平らげています。こちらを見ないようにしているのか、視線は再びブナの枝に向いていました。
「んで花畑は楽しめたか? この後売りもんの方をじっくり見に行くべ」
「ええ、ここへ来るまでにいくつか目星はつけたわ」
一番の探し物は見つかりませんでしたが、せめて晩餐会用の飾り花を仕入れて帰るとしましょう。
食後すぐに商品用の花を見物し、温室で育てられていた中からいくつかを吟味したところで。
「あちらからここまで、この花の赤とゴールド色を全部いただくわ」
「えぇっ!?」
ラヴィンナだけでなく、なぜかジルとハルオミまで目を丸くしています。冗談を言っていると思われているのでしょうか。
「こ、個人で買う規模じゃねぇけど……本気か?」
「ええ。後日運搬用のトラックを寄越すわ。それから時々、あの聖母草の花畑に立ち入る権利が欲しいのだけれど。いくらで売ってくださる?」
最初から最後まで本気だったのですが。ラヴィンナは半笑いのまま固まってしまいました。
続いて交渉事務所兼食堂であるという杉丸太造りの小屋へ移動し、晩餐会の件をお話ししたところ。一応は納得していただけたようです。
「そうね。急なお話だったから、これくらいの金額でいかが?」
お友だち価格で色をつけ、原価の3倍ほどの金額を提示すると。ラヴィンナは「こんなの受けれねぇ!」、と1枚板のテーブルに置いた小切手をこちらへ返してきました。
正しく価値を計った結果なのですが。小切手を無理やり握らせると、ラヴィンナはせめて晩餐会を手伝うと言い出します。
「手伝うって言っても、あなたにできそうなことは……あぁ。そこまで言うのなら、あなたが美味しい『器』になれるかどうか資質をテストしてあげましょう」
「『器』? よく分かんねぇけど、アタシにできそうなことなら何でもやるよ」
意気込むラヴィンナの横で、ジルは何やら視線を左右に散らしています。
「ラヴィンさん、その、うかつに何でもとか言わないほうが」
「大丈夫だジル先輩! フルーラがせっかくアタシに任せてくれるって言うんだから」
「それで、器になるっていうのはどういうことなんっすか?」
さすが記者さん。興味津々にカメラを構えていらっしゃいますが、どうせ撮れるものなどないでしょう。
「見たいならいいけれど、あなたにはまだ早いんじゃないかしら?」
「あれ~? 緑タイだからってバカにしてます?」
ハルオミに気をとられている間に、ジルは「嫌な予感がする」と小屋の外に出て行きました。
「ではテストを開始しましょうか」
まずは申し分ない大きさの杉テーブルにクロスを敷き、ラヴィンナに準備を促します。
「今、なんて?」
「聞こえなかったの? 『着ているものをすべて脱いで』、と言ったのよ」
「そんなのできるわけない」と真っ青になって逃げ出すラヴィンナの腕を掴み、「何でもするって言ったわよね?」と囁いたところ。ラヴィンナは律儀にも足を止めました。
「うぅ……言っちまった」
着せ替え人形のようになったラヴィンナのエプロンやセーターを脱がせつつ、体を冷やさないよう暖炉の火に薪を追加します。
「まっ、せめてハルオミくんが見てないとこで」
「ハルオミならもう逃げ出したわ」
クロスを敷いたあたりで、ハルオミはとっくに小屋を出て行きました。気を散らす方たちがいなくなったところで一糸まとわぬ姿にさせ、テーブルの上に仰向けで寝るよう指示します。
最後の抵抗をするラヴィンナの手を頭上に束ね、自前の黒布で目隠しを施した後。ちょうどランチで余っていた木苺ジャムと砕いたクルミを垂らしました。
「冷っ……! えっ、な、何してんだ!?」
「だから晩餐会に並べる器の資質をテストするのよ。ポイントは『動かない』、『声を上げない』、『瑞々しい肉質』くらいかしら」
当家の特別な晩餐会では、メインを陶磁器の皿に乗せてお出しすることはありません。
「はぁ……あなた着痩せするのね。3点目のポイントは合格よ」
「器ってまさか、アタシがか?」
視覚的高揚、背徳感、美しさ――それらをすべて備える『肉の器』こそ、料理の味を高める最適解なのです。
「そのまさか」、と艶めかしく輝く鎖骨に舌を這わせると。
「ヒッ! や、ダメだ、こんなはしたねぇこと……!」
彼女の肌は敏感なのでしょう。何をされているのかが分かっているようです。
「あなたは今器よ。器は声を上げないの」
「でもフルーラぁ……あっ、ひっ!」
舌の感覚がくすぐったいのでしょう。それでも冷えて尖った胸の先端を吸い続けていると、声が甘く鼻にかかるように変わっていきました。
この芳ばしく焼けた肌は、きっとまだ誰の手にも触れられたことがないのでしょう。無垢な体に、彼女のまだ知らない快楽を教えて差し上げたいところですが――今は試験の最中。私的な欲望が入ってはいけません。
弄びたい気持ちをぐっと堪え、垂らしたジャムをすべて舐め尽くしたところで舌を離しました。「ご馳走様でした」、と少し粟立った肌を布で拭い、目隠しを外し、元通り服を着せて差し上げると。
「……死ぬかと思っだ」
天井を見上げるラヴィンナの顔には、涙や涎の跡が光っています。「よく頑張ったわね」と頬を撫でれば、余韻に震える手がこちらの手に重なりました。
「でも動くし声は上げるし、まったく器に向いていないわね。不合格よ」
「ふ、不合格で良がった……」
「ただ晩餐会で使用する花を卸してくれるだけで良いわ」
元通り服を着せたラヴィンナが笑顔を取り戻したところで、小屋の外に繋がるドアを開けると。
「待たせたわね。この器は不合格だったわ――あら?」
小屋の外へ避難していたはずの、ジルとハルオミの姿がありません。ですが一歩外へ出てドアを振り返ると。2人は壁に背をもたれ、耳を塞ぎ座り込んでいました。
「寒かったでしょう。試験は終わりましたから、中へ入ったらいかが?」
「ええと……何にも聞いていないですから」
「同じくっす」
あの程度の声で怖気づいてしまわれるなんて。
これも何かの縁と思い、彼らを当家の晩餐会へ招待しましょうと考えていたのですが。この調子では本番で気絶してしまうかもしれません。
応援ありがとうございます!
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