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舌鼓
1.地下牢の芸術家
しおりを挟む当家で最も大切な部屋――食堂には、長テーブルに向かって5脚のイスが並べられています。上席は当主である義父、対面に次期当主である私。そして家を離れているものの、マダーマム家に籍を置く3人の叔父さま方のイスが間に3脚。
そして長年空席だったイスに今夜、初めてお目にかかる男性が腰かけていらっしゃいました。
「あら、もしかして」
声をかけつつ食堂に入ると。こちらを振り向いた彼は私の姿を捉え「ロ……」と目を見開いた後、すぐに口を閉じました。さらに何かまずいものでも見たかのように、こちらからさっと視線を逸らしてしまわれたのです。
「フルーラ、会うのは初めてですよね。こちらは私の2番目の弟アールです」
その方はひと目で生粋のマダーマムと分かるほどの容貌――黒髪に病的なほど白い肌、義父よりも暗い色の赤い瞳をお持ちでした。もう10年の間旅に出ていたとおっしゃる割には、ずっと王都にいらっしゃったかのように身支度が整っています。
「初めまして、アール叔父さま。フルーラです」
スカートの端を摘んでお辞儀し、形式上の挨拶をしたところ。叔父さまは何
も答えず前を向いたままお食事を再開されました。
ここまで愛想がない方に、今までお会いしたことがあったでしょうか――夕飯は済ませてきましたが、ひとまず自分の席へ着くことにしました。
「アール、そこまで姪を邪険にせずともよいでしょう? 長い旅の話を聞かせてやってください」
それでも沈黙を貫く叔父さまに対し、何事にも動じない義父は話をするよう促し続けます。それでも叔父さまが手の中の銀食器を曲げていらっしゃるのに気づくと、ついに見ていられなくなりました。
「お義父さま、あまりお話していると遅れますよ。深夜に天文塔のお仕事があると昨晩おっしゃっていましたよね?」
「久々の兄弟の会話を楽しむくらいの余裕はありますよ。若い頃は殺し合いもしましたが、今はすっかり落ち着いて話せるようになったものです」
朗らかな笑顔を叔父さまへ向けつつ、義父は首にある古傷を撫でました。
義父はさて置き、アール叔父さまは落ち着けているようには見えないのですが――無言でサラダを貪る叔父さまを見つめていると。皿の中のそれが、ただ
の香草ではないことに気がつきました。
「叔父さま、サラダばかりで足りるのですか?」
相変わらずの無視です。まだ最初の「ロ」という1音しか耳にしていません。
「彼は『毒食家』、つまり毒草を異常に好みましてね。これでも満足だそうですよ」
代わりに答えてくださった『繭食家』の義父も、異常な量の繭を食べていらっしゃいますが。「毒」というワードにはどうしても興味を惹かれます。
「アール叔父さまも毒を消化できるの? 今のこの家では、私だけかと思っていたわ」
するとほんの少しだけ、叔父さまはこちらを振り返りました。何かおっしゃるのかと期待しましたが、再び皿の上に視線を落としてしまいます。
やがて「ご馳走様」と囁いた叔父さまは、さっさと食堂を出ていかれました。
しばらく滞在するというお話でしたが、なぜ今10年の旅から帰っていらっしゃったのでしょうか――それに聖女さまのお部屋にあるのと同じ、あの『緑の海』についても聞いておかねばなりません。
気配を消して後を追ったところ。叔父さまは自室ではなく、談話室の隠し階段を降りて地下牢へ向かわれました。そこは今や秘密の倉庫ですが、昔はアール叔父さまがアトリエとして利用していたと伝え聞いています。
「少しお話ししませんか? 旅の話を聞きたいのですが」
鉄格子の向こうで画材を広げる叔父さまに声をかけたところ。やはり無視を貫く叔父さまは、旅の途中で描いたらしき絵を四方の壁に貼り付けはじめました。『麦畑を見下ろす坂道』、『白土で作られた家々』、『流星群の荒野』――どれも精巧に描かれた風景画です。
「近くで見てもよろしいですか? 叔父さま、もしかして喋れないの?」
「……喋りたくないだけだ」
やっと耳にしたお声は、低くはっきりとしたものでした。苛立ちの中に温度を感じる、不思議な声色です。
「やっと話してくださいましたね。次期当主に、と遠縁から養子に入った私が気に入りませんか?」
「今できるのは『旅の話』だけ……それ以外のことを話す気ならば出ていけ」
思わず一歩引いてしまうかのような視線に、胸が大きく高鳴りました。
禁書の棚で見たミセス・シフォンの彼への評価は「マダーマム家らしからぬ善良な生徒」――ですが、やはり叔父さまもマダーマム家の一員。震えるような牙を隠しもっていらっしゃいます。
「では失礼します」
ひと言断り、格子の内側へ足を踏み入れると。叔父さまは脚立を使い、天井にまで絵を貼りはじめました。
まったく知らない異国の景色ばかりですが。臨場感を肌に感じるのは、この絵がまるで本物を切り取ったかのように描かれているからに違いありません。
「この地下牢は叔父さまの部屋だったって聞いてはいたけれど、本当だったんですね」
無口な芸術家は、これらの絵を描くために旅をしていらっしゃったのでしょうか。そう尋ねても、叔父さまは結局私と話をするつもりはないようです。
「でも奥の部屋に眠っている絵より、ずっと精巧で生き生きしているわ」
そう口にした瞬間。張りつめた雰囲気に、ピリつくような殺気が混じりました。
アール叔父さまを見上げると、何事にも無関心そうだったお顔が怒りに歪んでいます。
「見たのか?」
叔父さまの豹変に動じる素振りを見せず、「ええ」と頷きました。
「たくさんの風景画や博物画、それと気になる絵があって……」
今ならば『緑の海』について触れられるかもしれない――そう期待したのですが。
「お前と話すことはない、出ていけ!」
抗えない力で腕を掴まれ、檻の外へ出されてしまいました。
「……フルーラさま。お身体の具合がすぐれないのですか? お髪の艶がほんの少し落ちていらっしゃいます」
「味わって詳しく確かめても?」と息を荒げるマチルダを振り返り、湯あみ後の髪を手入れしてくれていた手を弾きました。
「一本でもつまみ食いしたら許さないわよ。ただ……ちょっと気になることがあるだけ」
そう正直に話すと、香油で濡れた指先が頬に触れました。どうやら話しながら、肌のケアを続けてくれるようです。
「もしかして、3番目のお方が関係していらっしゃるとか?」
「あら、珍しく鋭いわね」
アール叔父さまの態度は人を遠ざけようとするものですが、このまま引き下がるのは面白くありません。彼はいったい何をしに帰ってきたのか――結局『緑の絵』についても訊けていませんし。
「あの方は基本どなたに対しても不愛想ですから、あまりお気になさらず」
「マチルダは、私が叔父さまに冷たくされて落ち込んでいるとでも思っているの?」
笑みつつ振り返ると、マチルダは頬を染めて固まってしまいました。
「いえ、決してそんな……あぁ、そんな目で見ないでください」
「興奮してしまいます」と呼吸を深くするマチルダを見上げ、「叔父さまがどうしてお帰りになったのか聞いていない?」と尋ねたところ。すでにスイッチが入ってしまったのか、彼女は私の髪に視線を遣ったまま固まってしまいました。
「まさか今更、マダーマム家特製の香油に酔ったわけでもないでしょうね? マチルダ、答えなさい」
ドレッサーチェアから立ち上がり、熱に浮かされている頬に顔を近づけると。ようやく我に返ったマチルダは、「何も存じ上げません」とだけ呟きました。
マチルダが知らないということは、使用人は誰も知らないでしょう。そして一番知っていそうな義父は、まったく当てになりません。
「そう、分かったわ。知りたいことは自分の足で確かめるしかないということね」
義父が仕事に出かけ、屋敷中が寝静まった午前0時。ようやく談話室の隠し階段に動きがみられました。地下牢から上がってきた影は、テラスへ直結しているガラス製のドアを開け、庭の方へと出て行きます。
「こんな夜更けに、どこへ行かれるおつもりかしら」
この暗闇でも垣根の迷路を難なく抜けたアール叔父さまは、裏口を通って敷地外へ出て行かれました。幸い今夜は霧が薄く、30メートル以内の距離でしたら見失うことはありません。
「他の兄弟のところへ会いに行ったとか……はないわね」
会いに行くとしても、こんな深夜に行く必要はないでしょう。
時々呼吸と気配を絶ち、東区の大通りまでたどり着いた叔父さまの後を追っていると。
「あ……」と聞き覚えのある声が背後から上がりました。この芯がない低音は――。
「あら、今夜は東区の歓楽街を徘徊中?」
黒のマフラーで口元を隠し、雪の残る道の端に立っているのは、仮の恋人ジェルベ・ハーモニアです。
「キミも、何でこんなところにいるんですか?」
ハッとしてレンガ道の先を目で追いましたが、大通りの中にはすでに叔父さまの姿はありません。
「あぁ、やってくれたわね」
気を逸らした間に、気配が分からなくなるほど遠くまで行ってしまわれたようです。
首を傾げるジルに、「久々に帰ってきた叔父を尾けていたのに撒かれてしまった」と抗議したところ。「キミは人を調べるのが好きなんですね」と呆れ気味に返ってきました。
「明日はあなたもラヴィンナさんのご実家に招待されているのでしょう? 早くベッドに入られたらいかがですか?」
「その言葉、そっくりお返しします。今夜のところは帰りましょう。屋敷の門前まで送りますから」
たしかにそちらも非常に重要なイベントですが、今は叔父さまです。
「もう少し粘ってみるわ」
並んで歩こうとするジルを置き去りにし、目立たない程度の加速で大通りを走り出しました。
「あっ、ちょっと!」
今ならまだ近くにいらっしゃるはず――という考えは楽観的過ぎたようです。気配の痕跡と匂いをたどり、少し落ち着いたバルの多い通りへ出たのですが。叔父さまがどちらへ向かわれたのか、手がかりが途切れてしまいました。
「待って、キミ、足速すぎっ……」
今にも倒れそうな声に、まさかと振り返ったところ。
「ジル? ついて来たのですか?」
「だって、話の途中でしたし」
これは予想外です。
世の殿方の大半と同じく、彼はちょっと押しただけで転がってしまうような軟弱さですが。乗馬にも慣れているようでしたし、足腰は良いのでしょう。
「……ジル、少し話しませんか?」
賑やかなバルの裏にかけられているハシゴを上り、後ろを慎重について来るジルを屋根へ引き上げました。さすがに3階の屋根に乗れば、街灯が明るくても星の輝きが近く見えます。
「どうして叔父さんを尾行しようだなんて思ったんですか?」
隣に腰を落としたジルは白い息を吐き、深緑の瞳に星を捉えていました。暖をとろうと肩をくっつけると、油断していたのかビクッと肩が震えます。
「初対面なのにとっても冷たいから、面白くなってしまいまして。もっとアール叔父さまのことを知りたくなったの」
「分からない」と頭を捻るジルに、「分からなくて結構」と微笑んだところ。
「キミは前に、『生涯をかけて聖女さまへ心を捧げるつもりだから、男性と結ばれる気はない』って言っていましたよね。魔人病研究も彼女のためという話でしたし……どうしてそこまでシスター・アグネスを慕っているのですか?」
なぜそのようなことを知りたがるのでしょうか。唐突な問いかけに「秘密」と答えることは簡単ですが、今夜は少しだけ気分が良いようです。
「母と似た匂いがするから」
半分本当、半分嘘の答えに、ジルは不思議そうな顔で首を傾げました。
「母……実の母君ということですよね? 今のマダーマム家に女性はフルーラさんだけですし」
「ええ。もう10年以上前だけれど、母が屋敷に住んでいたことがあったわ。もう顔も覚えていないのだけれど」
顔を見るどころか、ドア越しに存在を感じ言葉を交わすだけだった彼女。「母」と認識していたのは、義父がそう教えてくれたからという理由だけです。
「私が正式に養子入りした後、屋敷からいなくなってしまったの。マダーマム家の遠縁だと聞いているけれど」
「父君に心当たりはないのですか? もしかしたら、母君のことを何か……」
「もういいの」、と思わず声に力を込めると。ジルは静かに口を閉じ、「すみませんでした」と俯きました。
彼は「教会に拾われる前は孤児だった」と自ら話していましたから、何か思うことがあったのでしょう。
「でも母君に似ているから、シスター・アグネスを慕っているというのは本当ですか?」
思わぬ追求に、「え?」と隣を振り向くと。ジルは何かを言いかけて口を閉じ、やがて「それは純粋な気持ちなのか」と妙な質問をしてきました。
「もちろん、聖女さまを愛する気持ちに迷いなどありませんが。何が言いたいのですか?」
「いえ別に……心当たりがないのなら、いいんです」
いつの間にか触れていた手の甲がじんわりと熱を帯びています。それにいつもは合わない視線が、横を向く度にぶつかるのはどういうわけなのでしょう。
「ジル。体が熱くなっているけど、具合が悪いの?」
「え? そんなことはないと思いますけど……確かに何だか暑い気はします」
「気にせず話を続けて」と促してくるジルは、やはり熱っぽい気がしますが。
「私ばかり話していてはフェアじゃないわ。あなたのことも聞かせてちょうだい」
まったく予定外の邂逅でしたが、彼の隠していることを暴くには良い機会です。
身を寄せるほどに暖かくなる体へ体重を少し預け、まずはジルが深夜徘徊をする理由を改めて尋ねることにしました。
「たまに家が息苦しくなって、遠くへ行きたくなるっておっしゃいましたよね。その言葉については、どうも嘘とは思えなくて」
「……嘘ではないですから。あの家で『スペア』として生きることを、今さら後悔しているんです」
養子を迎える理由は各家それぞれでしょう。それでも、天文塔八大貴族となればその理由は明確――跡継ぎの補填です。
「本当に今さらね。あなたがハーモニア家へ養子入りしたのは13の時でしょう? 引き取られた理由は分かっていたのではないですか?」
「分かっていたつもりだったんです。自分を必要として受け入れてくれる場所があるなら、行ってみようかなと……ですが実際は違いました。自分は亡くなった長女のスペアであり、役目を継ぐもの。義家族はとても良い人たちですが、『僕自身』が必要なわけじゃない」
ようやく合点がいきました。彼が神学校への進学を密かに希望しているのは、おそらく教会に戻りたいからなのでしょう。ですがご自分でも分かっていらっしゃるように、養子は役目を継ぐことを期待されるものです。
たとえそうだとしても、1番優先されるべきことは己の意志ですが――。
「受け入れられるかどうかではなくて、自分が居たい場所にいればいいじゃない」
「え……?」
「義父に悪いと思いながら従っていたら、一生後悔することになるわ。あなたの本当の気持ちを話したうえで居場所を決めた方が、どちらにとっても幸せな結果になるんじゃないかしら」
この方は寂しがりな上に、ひどく真面目な性根なのでしょう。
「私は義父の意向に従うフリをしながら、当主になったら自分の好きにしようと考えているわ。あなたに協力していただいている『恋人契約』もそのひとつよ」
冷えかけていた手を握り、小さな輝きを宿した瞳の下に手を添えると。ジルは「キミはすごいね」と無垢な表情でこぼしました。
「同じ養子の境遇で、当主になるよう教育されてきたっていうのに」
「あら。当主の座はそう簡単には手に入らないかもしれませんよ?」
見聞旅行前にお会いした義妹さん――レアといったでしょうか。彼女の強気な宣言を思い出しつつ言うも、ジルは目を瞬かせるだけでした。
「キミと一緒にいると、理解できないことばかりだと思っていたんですけど……ありがとうございます。おかげで少し、心が軽くなりました」
この時初めて、彼の口角が上がるところを目にしました。笑うと幼くなる表情をなぜか直視できません。
「フルーラさん、どうかしましたか?」
自身の動揺を隠すには、相手を同じ目に遭わせることが得策です。すぐさまジルの方に向き直り、広い懐に入り込むと。
「えっ……! 何ですか?」
笑ってしまうほど簡単に焦りはじめました。
「船室でのことを思い出すから恥ずかしいんですかぁ?」と煽るように見上げると。ジルは長い沈黙のすえ、「別に」と言いつつ背中に手を回してきました。
このようなこと、できるような度胸はないはずなのですが――さらに様子がおかしいことに、抱きしめる手に少しずつ力が加わっています。
「ジル、忘れたの? 恋人契約のルール2つ目、復唱なさい」
「僕からキミに触るな、ですか? でも何だか体がいうことをきかなくて、離れたくないんです」
寝ぼけていらっしゃるのかと思いましたが、どうやら原因は別にあるようです。「キミからすごく良い匂いがする」、と酩酊状態になっているジルを見て確信しました。
これは媚薬――マダーマム家特製の香油にあてられているのでしょう。
「そういえば、今は湯から上がった後だったわね」
ジルの体が妙に熱くなっていたのも、マチルダが丁寧に塗り込んでくれたコレのせいだったのでしょう。私ですら最近になってようやく耐性がついてきたのですから、一般人が耐えられるものではありません。
「ごめんなさいジル。せめて醒めるまでは一緒にいてあげますから、その辺りの宿で休みましょう」
「え……何で……?」
思考がとろけ始めているジルを抱え、地上へ降りることにしました。
媚薬が喋らせたとはいえ、「良い匂いがする」とジルは口走っていましたが――。
「美味しそうな匂いがするのは、あなたの方なのだけれど」
応援ありがとうございます!
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