肉食令嬢×食人鬼狩り

見早

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1.マーダークイーンの日常

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「ミス・マダーマム、今週末は何の日でしょう?」

 今週末――11月25日。退屈で生産性のない『芸術祭』のことなど、すっかり頭から抜け落ちていました。

 ティーセットと新聞紙の向こうでずっと笑みを絶やさない担任のミセス・シフォンへ「第291回王立学校芸術祭」とだけ回答し、視線を本日の1面へ戻すと。

「ええ、そうですとも。だから今の時期、授業は午前中まで。午後は生徒の皆さんが制作物の準備に取り組んで、校内が活気に沸いているのよね」

 誠にその通り。授業は半日で終わり、いつもより早く愛すべき聖女さまの元へ行けるはずの今日。不幸にもミセス・シフォンが月1で私だけに義務付けているカウンセリング――『尋問ティータイム』が重なってしまったのは、日頃の行いが悪かったとしか言いようがありません。

 ただひとつ救いなのは、昼食の獅子肉サンドを食べながらでも良いと許可してくださったことでしょうか。

「まさか、クラスの合同制作に参加しろとおっしゃるのではありませんよね? 大変申し訳ありませんが、放課後は外部講習に加え研究施設での治験等々、スケジュールが白紙の日はございませんの」
「ええ、ええ、分かっておりますよ。あなたが校外活動に熱心で、クラスの催しよりも優先なさっていることはね。そのせいで成績が下がるどころか、入学以来学年首席を維持しているのだもの。ええ、その点に関しては何の文句も言う気はありません」

 非常に回りくどい角度から本題へ入っていくのは、ミセス・シフォンお得意の手法です。どうやら義父も叔父さま方も、学生の時分は彼女に目をつけられていたようですが。

「先生、早く本題へ入ってくださらない? あと17分後には、うちのメイドが迎えにきてしまうの」

「では」と湯気立つティーカップを置いたミセスは、尋問開始以来保っていた微笑みをすぅっと消しました。

「もう4年生なのだから、交友関係を広げたらいかが?」

 はい、来ました。もう何度目のお節介か分からないその言葉――「クラスの中でも放課後クラブに入っていないのはあなただけ」と続けるミセスの話を聞き流しつつ、紙面2つ目のトピックへ視線を滑らせると。

『2名のほろ酔い紳士を襲撃した食人鬼グルマン、イーストエンドで失踪。ウワサの食人鬼狩りグルマン・イーターによる粛清か?』――たしかに新聞部の緑タイ(3年生)が今朝わめいていた通り、ここ最近のホットニュースといえば『食人鬼』に『食人鬼狩り』です。

「『食人鬼狩り』……また食人鬼の遺体を持ち去ったのかしら」
「ミス・マダーマム! いい加減新聞を閉じなさい!!」

 ついに本性を露わにしたミセス・シフォンは、テーブルを叩いた勢いでイスから立ち上がりました。その1.5秒前にティーセットを持ち上げていたため、熱い紅茶が新聞紙へ跳ねることだけは阻止できましたが。マチルダの迎えまで、このまま説教コースのようです。

「私は他の先生のようにはいかないわよ。病んであなたの担任を降りた若い方々と違ってね! もう30年以上マダーマム家のお子さんたちを見ているのだもの。処刑人の貴女に『首を狩る』と脅されても、しつこく面談を続けますから」

 白髪を逆立てる勢いでブロード紙をひったくられ、思わず笑いがこぼれてしまいました。

「私、シフォン先生のこと嫌いじゃないですよ。少なくとも、コソコソと人のカウンセリングを覗くような方たちよりは」

 サロンのガラスに映る人影へと視線を向ければ、こちらを見物していた生徒の方々が散っていきました。
 観客のせいで勢いを削がれたのか、ミセスは萎んだ風船のような顔でイスに腰を沈めます。

「私が思うに。あなたが孤立しているのは、家業だけが原因ではないと思うの。どうしてあんな恐ろしい名で呼ばれるのか自覚はおあり?」
「『殺人女王マーダークイーン』っていう素敵なあだ名のことかしら。そうね、時々仕事道具の鎌を教室に持ち込むから?」
「それも一因だと思うけれど、1番はあなたの態度です」

 態度――比較的優等生であろうと努めてきたこちらとしては、まったく身に覚えのない指摘でした。

「つまりミセスはこう言いたいの? この私に、誰にでも媚びるような性格に変わって、時間の無駄でしかない『友だち』というものを増やせと?」

 本日はじめてミセスのお口を閉じることに成功したその時、解放のチャイムが鳴り響きました。

「時間ですね、先生。ではご機嫌よう」
「あ……み、ミス・マダーマム! お待ちなさい!」

 聖女さまとの逢瀬を1秒たりとも無駄にできません。
 金切り声を上げるミセス・シフォンを横目に、ベルガモットの匂いが立ち込めるサロンを後にしました。



 潮風の丘をのぼる途中、聖女さまの鳴らす教会の鐘に耳を傾ける。この瞬間がこの世で2番目に有意義な時間だと、以前ご本人へ打ち明けたところ。聖女さまは困ったように頬を緩め、「世の中にはもっと有意義なことがあるわ」とおっしゃいました。

 意味深な物言いで困らせてしまったのでしょうか、と当時は悶々としたものですが。幸い聖女さまは、秘めた想いに気づくことはなかったようです。

「うわっ……!」

 幸福な回顧を邪魔するのは一体どなたでしょうか。

 唐突な背後からの声に振り返ると。青空教室へ向かう子どもたちの勢いに押されている、紫タイ(8年生)の先輩が地面に片膝をついていらっしゃいました。

 彼は当家と同じ、天文塔貴族ハーモニア家のご子息だったでしょうか。色素の薄いブラウンの前髪が顔を半分ほど隠しているせいで、お顔をはっきり拝見したことはありませんが。

「お名前は何だったかしら」

 校内でお会いしたことは皆無、教会内で何度かお見かけしたことがある程度の認知度です。記憶をたどっている間に、髪の隙間から覗く深緑の瞳と視線がぶつかりました。

「そう、ジェル何とかさんね」

 頭に浮かんだことを思わず口にすると。一瞬にして耳を染めた彼は瞳孔を見開いて視線を打ち切り、足早に丘を昇っていってしまいました。

「何か気に障ったのかしら」

 こちらと同じく芸術祭の準備をサボって黎明教会へやって来た「ジェル何とかさん」は、礼拝堂にでも向かわれたのでしょう。聖女さまの青空教室にはいらっしゃいません。
 そもそも王立学校レベルの生徒が、純粋に学ぶ目的でこの青空教室へ参加するはずないのですが。

「せんせー、今日はなんのベンキョーするの?」
「シスター・アグネス! アタシ算術はイヤよ」

 恵まれない子どもたちに混ざり、快晴の空の下ノートを広げる最大の理由――それは子どもたちの前で教鞭を取る聖女さまのお顔を、思う存分拝見できるからに他なりません。
 聖女さま、もといシスター・アグネスの艶やかな亜麻色の髪と瞳、白くて美味しそうな頬の肉――。

「オレ知ってるぜ、その高そうなせー服! おーりつ学校とかいう、きぞくしか行けないとこのなんだろ」

 囁きにしては大き過ぎる声で我に返ると。隣の席のまだ10にも満たないほどの子が、瞳を輝かせてこちらを見上げていました。

「王立学校よ。坊や物知りね」
「やっぱりな! でもイーストエンド暮らしのオレらといっしょに教わってるってことは、オマエあんま頭よくないんだな」

 挑発するように笑う少年に対し、まったく何も感じないほどまだ大人にはなれませんが。私相手に物怖じしないところを見ると、「彼は将来大物になるのでは」と期待してしまいます。

「なら、あなたの賢いオツムから知恵を分けてもらおうかしら」

 戯れに、砂ぼこりで硬くなった褐色の髪を撫で回すと。「おいやめろ! ハゲるだろうが!」と小さな彼は声をあげて笑い出しました。

「マルク、フルーラ! 仲が良いのは喜ばしいことですが、他の子も授業を聞いていますから。もう少し静かにね」
「あぁごめんなさい、シスター・アグネス」

 何という幸いでしょう。滅多にお目にかかれない「怒り顔」が、こちらに向けられる日が来るなんて――聖女さまの視線がよそへ移っても、しばらく余韻を噛み締めていると。

「怒られたのに変なやつ」

 幸運を運んでくれた小さな彼は、それきり聖女さまの言いつけを守って口を閉じていました。
 やがて授業が終わり、子どもたちを丘の下まで見送る聖女さまの手伝いをした後。

「シスター・アグネス。この後いつもの『懺悔』をお願いしたいのですが」

 速まる鼓動を呼吸で制しつつ、キョトンとしていらっしゃる聖女さまを見上げると。祈りの手を組んだ彼女は、ふっと寂しそうに微笑みました。

「シスターの私よりも神父ビショップ――あなたのノット叔父さまが本堂にいらっしゃると思いますよ。お顔を見せに行くついでに、お話を聞いていただいては?」
「意地悪をおっしゃらないで。叔父さまではなくて、私はあなたと……」

 己の意見を言い淀むなど、次期当主としてあってはならないことです。それでも顔が熱くなるせいで、うまく言葉が出てきません。

「ふふっ、冗談です。私の部屋の鍵を開けておきますね」

 イタズラめいた微笑みを残していく聖女さまの背中が小さくなった頃。足の力が抜け、地面へ崩れ落ちそうになりました。

「あぁあ…………貴い」

 この世でもっとも有意義な時間を与えてくださる聖女さまの慈愛を噛みしめつつ、通い慣れた本堂2階の部屋へお邪魔すると。「いらっしゃい」と優しい眼差しで迎え入れてくださった聖女さまは、海が見える窓辺のイスを勧めてくださいました。

 潮風を受けて揺れている『緑の海』の絵に加え、以前私がお送りした『聖母草』の押し花が、素朴な木製の額縁で壁に飾られています。

「シスター。実験で使用した聖母草を干して、また押し花を作ったの。少しずつですが、あなたと私を苦しめる『病』に効く薬の開発は着実に進んでいます。ですからどうか、もう少しだけお待ちになってください」

 徹夜で資料を漁るのも、放課後に王立病院の研究開発所へ出入りするのも、すべては彼女を病から解放するため。『肉に焦がれる病』――魔人病を完治させるためです。

「宝物がまたひとつ増えたわね」と押し花を抱きしめる聖女さまに、昇天しそうなほどの快感が喉奥から足先へ駆け抜けていきました。

 何とか正気を保ちつつ、隣りへイスを並べた聖女さまへ具体的な研究の進捗を報告していると。「食人鬼」というワードが出たところから、柔和なお顔が陰りはじめました。

「フルーラ、気を悪くしないで欲しいのだけれど。私たちは同じく『肉に焦がれる者』ですが、あなたと私は違います。あなたの体質は特別ですから。私は病が進行すれば二度と人には戻れないでしょうし、最近は『衝動』の感覚が少しずつ短くなって……」
「そんなこと絶対にさせないわ! だからこそ私は研究を続けているのです。病の進行した被験体サンプルが手に入れば、もっと研究も進みます」

 俯く聖女さまの前に跪き、「諦めようとしないで」と亜麻色の瞳を仰ぐと。ためらいがちな手が、そっと頭に触れました。

「せ……シスター・アグネス?」

 そのまま聖女さまは何も仰いません。どさくさに聖女さまの膝へ頬を寄せると、暖かいもも肉の感触が伝わってきました。あまりの心地良さに、張り詰めていた感覚が緩んでいきます。

 あぁ、聖女さま――あなたさまの肉は一体どんな味がするのでしょうか。

「フルーラ、また徹夜で調べ物をしていたのですか? ずいぶん眠たそうですが」

 お叱りの声でふと我に返り、速攻で己の危険思考を打ち切りました。
 聖女さまに残された時間が少ないというのに、私は何を考えていたのでしょうか――。

「いいえ、大したことありません。それより早く『魔人病』の治療薬を開発しないと」

 名と顔を知らない実父も、幼い頃ドア越しに言葉を交わした実母も、ましてや「婿候補」なんてものも今は必要ありません。

 私には愛すべき聖女さまがいらっしゃるのですから。

「さっき『被験体が手に入れば』なんて言っていたけれど、無茶はしないでくださいね。食人鬼に近づくこと自体危険ですし、近頃は食人鬼狩りが出ると聞きます」
「ええ。無茶はしませんから、シスターもどうか諦めるようなことを仰らないで」

 夕焼けの赤が揺れる瞳を覗き込んだ拍子に、すっかり日が落ちていることに気づきました。窓の方を向くと、「そろそろ今日はお迎えの時間かしら?」と聖女さまは立ち上がります。

「マズいですね、今日は早く帰れと言われているのに。お義父さまに叱られるわ」

「神父ビショップにお願いして迎えを呼んでいただきましょう。大丈夫、彼ならうまく言ってくださいますよ」

 名残を惜しむ間も十分にないまま、聖女さまの部屋を出たものの。黎明教会れいめいきょうかいの神父――ノット叔父さまの部屋に着いたところで、戸を叩こうとする手が止まりました。

 シスターは「叔父さまがうまく言ってくれる」と仰っていましたが、義父と1番目の叔父の仲は最悪。義父と3番目のモア叔父さまも仲良しとまでは言わなくとも、最低限の会話くらいはしていますが。義父とノット叔父さまが平和的に会話しているところを、この目で見たことがないのです。

 これは自分で電話するしかないでしょうか――深呼吸し、部屋のドアを叩こうとしたその時。

「ええ、イースト……の西通りの裏……」

 ほんのかすかな話し声がドア越しに伝わってきました。叔父さまだけの声が聞こえてくるということは、きっと話し相手は受話器の向こうでしょう。

 イーストエンド、西通りの裏路地、散乱した人骨――間違いなく食人鬼のことを話しているようです。さらに耳をすませば、「教会の僧兵が新たな標的の存在を確認した」といった趣旨の内容が聞こえてきました。

「今夜にも向かわせる手筈で……はい、では」

 もし今夜、黎明教会の僧兵や食人鬼狩りよりも早くそこへ向かうことができれば。王立病院には滅多に回ってこない食人鬼の被験体が、こっそり手に入るのではないでしょうか。

「フルーラ? 来ていたのですか」

 音を立てたわけでもないというのに、さすが叔父さまです。ちょっとした気配の乱れを感じ取られたのか、訪ねる前にドアが開きました。

「ご機嫌よう、ノット叔父さま」

 最近お忙しいのでしょうか。マダーマム家の中では稀少な金のお髪が乱れ、普段は優しい光を讃えている碧眼が濁っていらっしゃいます。

「こんなに遅くなって、叱られても知りませんよ」
「そう、このままだと叱られそうなの。迎えを呼ぶから電話機を貸してくださらない?」

 ノット叔父さまならば快く貸してくださると期待したのですが。叔父さまはこちらを見つめたまま、固く口を結んでいます。「何ですか?」と尋ねれば、「またシスター・アグネスの部屋へ?」とお顔が険しくなりました。

 叔父さまはシスターと私が2人きりで会うことをよく思っていないようなのです。以前理由を尋ねた時、「そんなことはありません」としらを切られてしまったのですが。

「安心して。彼女を篭絡して、教会側の事情を聞き出そうだなんて思っていませんから」
「そうではなくて……はぁ。迎えを呼ぶなら早くしましょう。ディナーの始まる時刻に遅れたら、リアンに何をされるか分かりませんよ」

 マダーマム家の掟のひとつ、『食事は家族全員で』――当家を出てから15年経つ叔父さまも、さすがにお忘れではなかったようです。

「でもお義父さまのお仕置き、最近手ぬるいのよね。少し前までは恐ろしくて参考になる責めでしたが、40後半ともなると力が落ちてしまうのでしょうか」

「ほら」、と薄くしか残っていない手首の鎖痕をご覧に入れると、ノット叔父さまは深いため息で応えられました。

「まったく……まだ未成年の子どもに何てことを」
「叔父さまたちが子どもの頃のお仕置きは、こんなに生温いものではなかったのでしょう?」

「今度教えてくださらない?」と期待を込めて見上げたところ。

「勉強熱心なのは良いことですが、その興味を別の方面へ発揮しましょうね」

 眉間のシワを深くした叔父さまは、こちらに背を向けダイヤルを回しはじめました。

「叔父さまがかけてくださるの?」
「リアンには私からよく言っておきます。『不健全な教育は控えるように』と」

 やはり、と言うべきでしょうか。私ほどの齢に黎明教会へ入会なさったという1番目の叔父さまは、「外向きの価値観」を大切にしていらっしゃるのです。

 ですがソコは人それぞれ。家の伝統を重んじるという点では、義父と私の考えはやはり似ているのでしょう。

「フルーラ、これからマチルダが迎えに来るそうです……いいですか? 先ほど部屋の前で何か聞いていたとしても、危険な行動はしないように」
「あら、やはりバレていましたか」

 今夜家を抜け出して被験体を取りに行けば。研究対象を手に入れるついでに、少しは張り合いのあるお仕置きが受けられるでしょうか。
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