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第八章 去リシ神
一
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暗闇の先にあったのは、色塗れの座敷に、漆塗りの巨大な箪笥。愛生の話では、刹那の呪いと神紋について知る『オーナー』とやらが、戸の先にいるという話だった。
「八咫さん」
だがここは、いつも色師がいる彩色の間だ。ただ、座敷から出られないはずの色師がどこにもいない。
「これは、どういうこと……ですか?」
懐の八咫はだんまりを決め込んでいる。代わりに、奥の襖から高い声が上がった。
『三段目の棚を開けって……色師からの言伝』
隣の刹那は、瞬きもせずに畳の目を見つめている。ひとまず白の言う通り、箪笥に向かっていった。十段ほどもある階段箪笥によじ登り、言われた通り三段目を開く。すると、隙間から色の波が溢れ出てきた。反動で落ちそうになったところを、安定感のある腕が受け止めてくれる。刹那に礼を言おうと振り返ったその時。箪笥から止めどなく流れる色に、視界すべてを塗りつぶされた。
「刹那さん!」
「……チッ! これは色し――」
色が体内まで入り込んでくる。やがて見慣れた幻が、頭の中で鮮明になっていった。これは、間違いなくアレだ。しかし何かがいつもと違う。
「小僧、大事ないか?」
付喪神の幻を見た時と同じように、刹那も一緒だった。はっきりと姿は見えないが、確かに刹那が背後にいる。
「そうだ――思い出した。これは過去視だ」
これまで神粧の儀で、俺が目にしてきたアレ――その正体を、何故刹那が知っているのだろうか。尋ねる間もなく、色の波は何かの形を描き出した。座敷が彩度を失い、灰色の世界に変わっていく。残ったのは、板も畳もすべてが真っ白な部屋だ。
「あぁ、そうだ――私たちは、この場所で生まれた……」
すると何もなかった部屋の中心に、人の形をした者と、人の骨が現れた。円を描くように横たわった両者は、同時に起き上がり、互いの姿を認めた。
『お前、は……』
赤い骨が、聞き慣れた女の声を発する。
『うん? キミは誰だい?』
赤髪の人が、聞き慣れた男の声を発する。
『私は、終わるものを送る役を与えられしもの――名は、去リシ神』
『これは御親切にどうも! 私は、生を受け入れる役を与えられしもの――名は生ヅル神』
とっさに隣の刹那を見上げるも、乱れた前髪に隠れて表情は分からなかった。
『同時に生まれたってことはさ、キミは私の対にあたるんだろうね。いやぁこれからよろしく! でも珍しいなぁ。他の神々と違って、主神はそうそう換えがきかない御役目だろう? 主神が二柱も生まれるなんて』
主神が二人――?
考える間も与えられず、二柱の対話は進んでいく。
『キミと私は、相当深い縁で結ばれた魂だったんだろうねぇ。恋人の赤い糸か、それとも主従の縄か……あれ? もしかしてキミ、前世の記憶残ってる?』
俯き、激しく骨を鳴らしている去りし神に、生づる神は首を傾げた。赤く輝く目を細める神に対し、骸骨はかすかに呟く。
『……なんだ、この姿は……』
手のひらを見て、去りし神は気づいたのだ。己が、死を模した姿をしていることに。
「私を……見るな……」、と繰り返し嘆く骸骨の姿に、視界がぐにゃりと歪んだ。鼓動が苦しいほどに速くなり、真っ直ぐ立っていられなくなる。間違いない、あれは――。
『お、お前に、こんな姿を見せるくらいなら……生まれてこなければよかった……!』
骸が咽ぶ振動に合わせて、俺の体も揺れていた。いつも正しく導いてくれる骨が、強く美しい女が、泣いている。
早く側に行かないと――足を動かしても、近づくことはできない。やがて骨の傍らでじっとしていた神が、丸くなった骸の背骨に手を添えた。色とりどりの光が指先に灯り、骸のうなじに紅花型の紋を刻む。
『キミの記憶と、名を封じさせてもらったよ』
鮮やかに光る指先が骨を撫でると、そこに肉が生える。
『このままでは、キミの嘆きが災禍となってしまう』
赤く細い管が無数に通り、表面を白い肌が覆う。それを繰り返すうちに、骨は女の姿――俺の隣に立つ女と、まったく同じ姿になった。
『キミはこの日より、無名の神――刹那だ』
隣でかすかに揺れている、赤い袖。それを意識すると、呼吸すら上手くできなくなる。どんな慰めも、きっと今は戯言にしかならない。手のひらに爪を喰い込ませ、もう二度と取り返せない時を見つめ直した。
生づる神の神紋を刻まれてから、去りし神――刹那は、まるで人形のようだった。去りし神、それに他の神が声を掛けてもまるで反応がない。そのまま永い時が過ぎた、ある日。
『おやぁ? 珍しいお客さんだ』
常世に、ひょっこりと人間が迷い込んできた。
『アタシは色師。よろしくどうぞ、××ちゃん』
元の世に帰してほしい、とその人が生づる神――色師に願うと、色師は妙な条件を出す。
『この女神と連れ添って欲しいんだ』
何故色師はそのような提案をしたのか。分からないうちに、男はすでに妻を迎えていると答えた。さらに男は、「自分が次に生まれ変わった時、必ず約束を果たそう」、と色師に宣言する。
『じゃあキミが何度生まれ変わっても見失わないよう、ココに印を刻むからね』
色師が、男の左胸を指したその時。自然と、自分の左胸に手がいった。そんな、あれは――同じだ。男の胸に刻まれた、紅花の紋。そして、俺の胸に刻まれている紋。
隣を見上げると、鈍く光る赤眼には神紋がはっきりと映っていた。記憶の中の刹那と同じように、微動だにしていない。
色師は約束通り、死んでは生まれる男の魂を追い続けた。その度、別人として生まれ変わった魂と刹那を引き合わせるも、人と神の間に愛は芽生えない。
『上手くいかないなぁ。でも、おかげで片割れは愛想よくなってきたねぇ』
愛の形は友情や尊敬など、別の形で現れることもあった。人形のようだった刹那は、少しずつ反応するようになる。
『そうか……神と人は、真に結ばれないんだ。もし刹那が人になれば、災厄を防ぐことができる。それに、彼女が渇望する愛だって手に入れることができるだろう』
気づきを得た色師は、印をつけた魂からひとまず目を離した。そして「神が人になる方法」を神々に聞いて回るうちに、ある神に行き着いたのだ。顔のよく見えないその神は、『神を御役目から下ろせば良い』、と言った。色師の「命を吹き込む力」を利用すれば、それが叶うという。
『ただし主神は特別だ。お前さんたちは換えのきかねぇ御役目を負っている。だから、新しく主神になり得る人間の魂――天胎に、御役目を引き継がなきゃならねぇ』
天胎――それは確か、愛生が何度か口にした言葉だった。
どんな風に使っていたのか、それを思い出す前に色師は動きはじめる。
「主神を神にする方法」を知った色師は、今度は「人を神にする方法」を調べ出した。
『そう、人が神になるには、たくさんの願いの力が必要になるんだね。それに天胎に足る魂を見つけ出すには、何千、何万の魂を集める必要がありそうだ』
そこで色師は、六神で最も古い魚の神、愛生を言いくるめ、「一条の光」を創り上げた。劇団は「救い」を謳い、多くの人を集める。そうして多くの願いを集め、多くの魂を選別する仕組みが機能するようになった頃。
『……力が、上手く出ない。常世の終わりが近いんだろう』
色師の神力が弱まったせいか、刹那にかけた神紋が緩み、骸の姿に戻ってしまった。狼狽える刹那に、色師は動揺をまったく見せずに微笑んだ。そして『これは呪いだ』と言い聞かせる。
知っている通り、刹那は色師の嘘を信じた。色師は八咫を呼び寄せ、『六神の神力を集めれば、呪いを解く手がかりが見つかるかもしれない』、と告げる。その方法こそが、神粧の儀――神の御役目を下すため、色師が考案した方法だ。
『神粧の儀を行うには、アタシの神力を込めた色具を使うからね。神力が混ざらないように、色具を扱うのは人間でないといけないんだ! だから人間の協力者を探しておいで』
これは、刹那を人の世へ向かわせるための口実だったのか。人の世――花街へやって来た刹那は、協力者の人間を探すために通りをさまよっていた。そして定められたように、色師の印が付いた人間――俺が、刹那に惹かれていく。
「…………すべて、解した」
かすかに震える声が、はっきりと頭に響いた直後。色の作り出していた幻は崩れ去った。元の彩色座敷が姿を現し、箪笥の三段目の底に錆びた鍵だけが残る。
俯いた刹那のうなじから、紅花の紋が焼け落ちるように消えた。同時に、俺の左胸も焼けるように熱くなる。襟を開くと、生まれつきあった痣は跡形もなく消えていた。
刹那は無言で鍵を拾い、それを化粧箱の中にしまい込む。
「……八咫さん。色師さんは、どこへ行ったんですか?」
『アイツは消えたよ。主神を人にするための色具を作るにゃあ、とんでもねぇ神力が必要になる。最後の力を振り絞ったんだろうな』
刹那――否、対として生まれた主神、去りし神のために色師はすべてを懸けた。
「どうして、そこまで……?」
自分だけでなく、八咫を使って、刹那を欺いて、そして――俺を使って。
『知らねぇよ。アイツがいなくなった今、それを知る術はねぇな』
あの骸は、刹那の本当の姿。それを嘆く刹那のため、ひいては災禍を防ぐため、色師は刹那を人にしようとした――何度頭で噛み砕こうとしても、上手くいかない。
「刹那さん。刹那さんは――」
人になりたいか。そう尋ねようとして、喉が塞がった。いつもは激しく燃えている瞳が、暗く凪いでいる。そこには何も映っていない。
「このままでは、私は……私は、お前を……」
震えている刹那の手を掴むと、薄ら骨が透けていた。思わず離しそうになった手を、刹那が握り返してくる。
「帰るぞ」、と有無を言わさず、刹那は俺を小脇に抱えて縁側から飛び降りた。そして軽々と着地し、神通りの少ない大路を駆けていく。三途橋に向かっているのだろう。
「刹那さんが望むなら、俺は最後の仕事をします。望まなくたって……刹那さんがどんな姿だって絶対に離れない、だから――」
側にいさせて欲しい――必死の懇願は、刹那の唸り声によって断ち切られる。「人になどなりたくない」、と刹那は吼えるように言った。
「お前との出会いは必然だった! そしてお前は奴に、私を想うよう仕組まれた……」
噛み締めた唇から血を流す刹那に、腹の底から衝動が湧き上がる。
「違う! 誰の思惑でもない、俺はあなたを――」
「お前のそれは……『色師に作られた想い』だろう?」
声が、出ない。俺の想いが、作り物――?
「見ただろう、お前の魂は何代も私と引き合わされてきた。時折お前を懐かしく思ったのは、きっとそのせいだ」
それが事実だとしても。想いが作り物、だって――?
「行くぞ。色師は消え、儀も終わった。お前はお役御免だ。さっさと人の世へ帰るがいい」
「帰れません! そんな……」
「いいから行け!」
手も足も、頭すらも重く感じる体を、強引に川へ投げ落とされた。
沈む。
何も見えないドブ川に、体が飲み込まれていく。
「八咫さん」
だがここは、いつも色師がいる彩色の間だ。ただ、座敷から出られないはずの色師がどこにもいない。
「これは、どういうこと……ですか?」
懐の八咫はだんまりを決め込んでいる。代わりに、奥の襖から高い声が上がった。
『三段目の棚を開けって……色師からの言伝』
隣の刹那は、瞬きもせずに畳の目を見つめている。ひとまず白の言う通り、箪笥に向かっていった。十段ほどもある階段箪笥によじ登り、言われた通り三段目を開く。すると、隙間から色の波が溢れ出てきた。反動で落ちそうになったところを、安定感のある腕が受け止めてくれる。刹那に礼を言おうと振り返ったその時。箪笥から止めどなく流れる色に、視界すべてを塗りつぶされた。
「刹那さん!」
「……チッ! これは色し――」
色が体内まで入り込んでくる。やがて見慣れた幻が、頭の中で鮮明になっていった。これは、間違いなくアレだ。しかし何かがいつもと違う。
「小僧、大事ないか?」
付喪神の幻を見た時と同じように、刹那も一緒だった。はっきりと姿は見えないが、確かに刹那が背後にいる。
「そうだ――思い出した。これは過去視だ」
これまで神粧の儀で、俺が目にしてきたアレ――その正体を、何故刹那が知っているのだろうか。尋ねる間もなく、色の波は何かの形を描き出した。座敷が彩度を失い、灰色の世界に変わっていく。残ったのは、板も畳もすべてが真っ白な部屋だ。
「あぁ、そうだ――私たちは、この場所で生まれた……」
すると何もなかった部屋の中心に、人の形をした者と、人の骨が現れた。円を描くように横たわった両者は、同時に起き上がり、互いの姿を認めた。
『お前、は……』
赤い骨が、聞き慣れた女の声を発する。
『うん? キミは誰だい?』
赤髪の人が、聞き慣れた男の声を発する。
『私は、終わるものを送る役を与えられしもの――名は、去リシ神』
『これは御親切にどうも! 私は、生を受け入れる役を与えられしもの――名は生ヅル神』
とっさに隣の刹那を見上げるも、乱れた前髪に隠れて表情は分からなかった。
『同時に生まれたってことはさ、キミは私の対にあたるんだろうね。いやぁこれからよろしく! でも珍しいなぁ。他の神々と違って、主神はそうそう換えがきかない御役目だろう? 主神が二柱も生まれるなんて』
主神が二人――?
考える間も与えられず、二柱の対話は進んでいく。
『キミと私は、相当深い縁で結ばれた魂だったんだろうねぇ。恋人の赤い糸か、それとも主従の縄か……あれ? もしかしてキミ、前世の記憶残ってる?』
俯き、激しく骨を鳴らしている去りし神に、生づる神は首を傾げた。赤く輝く目を細める神に対し、骸骨はかすかに呟く。
『……なんだ、この姿は……』
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「私を……見るな……」、と繰り返し嘆く骸骨の姿に、視界がぐにゃりと歪んだ。鼓動が苦しいほどに速くなり、真っ直ぐ立っていられなくなる。間違いない、あれは――。
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『キミの記憶と、名を封じさせてもらったよ』
鮮やかに光る指先が骨を撫でると、そこに肉が生える。
『このままでは、キミの嘆きが災禍となってしまう』
赤く細い管が無数に通り、表面を白い肌が覆う。それを繰り返すうちに、骨は女の姿――俺の隣に立つ女と、まったく同じ姿になった。
『キミはこの日より、無名の神――刹那だ』
隣でかすかに揺れている、赤い袖。それを意識すると、呼吸すら上手くできなくなる。どんな慰めも、きっと今は戯言にしかならない。手のひらに爪を喰い込ませ、もう二度と取り返せない時を見つめ直した。
生づる神の神紋を刻まれてから、去りし神――刹那は、まるで人形のようだった。去りし神、それに他の神が声を掛けてもまるで反応がない。そのまま永い時が過ぎた、ある日。
『おやぁ? 珍しいお客さんだ』
常世に、ひょっこりと人間が迷い込んできた。
『アタシは色師。よろしくどうぞ、××ちゃん』
元の世に帰してほしい、とその人が生づる神――色師に願うと、色師は妙な条件を出す。
『この女神と連れ添って欲しいんだ』
何故色師はそのような提案をしたのか。分からないうちに、男はすでに妻を迎えていると答えた。さらに男は、「自分が次に生まれ変わった時、必ず約束を果たそう」、と色師に宣言する。
『じゃあキミが何度生まれ変わっても見失わないよう、ココに印を刻むからね』
色師が、男の左胸を指したその時。自然と、自分の左胸に手がいった。そんな、あれは――同じだ。男の胸に刻まれた、紅花の紋。そして、俺の胸に刻まれている紋。
隣を見上げると、鈍く光る赤眼には神紋がはっきりと映っていた。記憶の中の刹那と同じように、微動だにしていない。
色師は約束通り、死んでは生まれる男の魂を追い続けた。その度、別人として生まれ変わった魂と刹那を引き合わせるも、人と神の間に愛は芽生えない。
『上手くいかないなぁ。でも、おかげで片割れは愛想よくなってきたねぇ』
愛の形は友情や尊敬など、別の形で現れることもあった。人形のようだった刹那は、少しずつ反応するようになる。
『そうか……神と人は、真に結ばれないんだ。もし刹那が人になれば、災厄を防ぐことができる。それに、彼女が渇望する愛だって手に入れることができるだろう』
気づきを得た色師は、印をつけた魂からひとまず目を離した。そして「神が人になる方法」を神々に聞いて回るうちに、ある神に行き着いたのだ。顔のよく見えないその神は、『神を御役目から下ろせば良い』、と言った。色師の「命を吹き込む力」を利用すれば、それが叶うという。
『ただし主神は特別だ。お前さんたちは換えのきかねぇ御役目を負っている。だから、新しく主神になり得る人間の魂――天胎に、御役目を引き継がなきゃならねぇ』
天胎――それは確か、愛生が何度か口にした言葉だった。
どんな風に使っていたのか、それを思い出す前に色師は動きはじめる。
「主神を神にする方法」を知った色師は、今度は「人を神にする方法」を調べ出した。
『そう、人が神になるには、たくさんの願いの力が必要になるんだね。それに天胎に足る魂を見つけ出すには、何千、何万の魂を集める必要がありそうだ』
そこで色師は、六神で最も古い魚の神、愛生を言いくるめ、「一条の光」を創り上げた。劇団は「救い」を謳い、多くの人を集める。そうして多くの願いを集め、多くの魂を選別する仕組みが機能するようになった頃。
『……力が、上手く出ない。常世の終わりが近いんだろう』
色師の神力が弱まったせいか、刹那にかけた神紋が緩み、骸の姿に戻ってしまった。狼狽える刹那に、色師は動揺をまったく見せずに微笑んだ。そして『これは呪いだ』と言い聞かせる。
知っている通り、刹那は色師の嘘を信じた。色師は八咫を呼び寄せ、『六神の神力を集めれば、呪いを解く手がかりが見つかるかもしれない』、と告げる。その方法こそが、神粧の儀――神の御役目を下すため、色師が考案した方法だ。
『神粧の儀を行うには、アタシの神力を込めた色具を使うからね。神力が混ざらないように、色具を扱うのは人間でないといけないんだ! だから人間の協力者を探しておいで』
これは、刹那を人の世へ向かわせるための口実だったのか。人の世――花街へやって来た刹那は、協力者の人間を探すために通りをさまよっていた。そして定められたように、色師の印が付いた人間――俺が、刹那に惹かれていく。
「…………すべて、解した」
かすかに震える声が、はっきりと頭に響いた直後。色の作り出していた幻は崩れ去った。元の彩色座敷が姿を現し、箪笥の三段目の底に錆びた鍵だけが残る。
俯いた刹那のうなじから、紅花の紋が焼け落ちるように消えた。同時に、俺の左胸も焼けるように熱くなる。襟を開くと、生まれつきあった痣は跡形もなく消えていた。
刹那は無言で鍵を拾い、それを化粧箱の中にしまい込む。
「……八咫さん。色師さんは、どこへ行ったんですか?」
『アイツは消えたよ。主神を人にするための色具を作るにゃあ、とんでもねぇ神力が必要になる。最後の力を振り絞ったんだろうな』
刹那――否、対として生まれた主神、去りし神のために色師はすべてを懸けた。
「どうして、そこまで……?」
自分だけでなく、八咫を使って、刹那を欺いて、そして――俺を使って。
『知らねぇよ。アイツがいなくなった今、それを知る術はねぇな』
あの骸は、刹那の本当の姿。それを嘆く刹那のため、ひいては災禍を防ぐため、色師は刹那を人にしようとした――何度頭で噛み砕こうとしても、上手くいかない。
「刹那さん。刹那さんは――」
人になりたいか。そう尋ねようとして、喉が塞がった。いつもは激しく燃えている瞳が、暗く凪いでいる。そこには何も映っていない。
「このままでは、私は……私は、お前を……」
震えている刹那の手を掴むと、薄ら骨が透けていた。思わず離しそうになった手を、刹那が握り返してくる。
「帰るぞ」、と有無を言わさず、刹那は俺を小脇に抱えて縁側から飛び降りた。そして軽々と着地し、神通りの少ない大路を駆けていく。三途橋に向かっているのだろう。
「刹那さんが望むなら、俺は最後の仕事をします。望まなくたって……刹那さんがどんな姿だって絶対に離れない、だから――」
側にいさせて欲しい――必死の懇願は、刹那の唸り声によって断ち切られる。「人になどなりたくない」、と刹那は吼えるように言った。
「お前との出会いは必然だった! そしてお前は奴に、私を想うよう仕組まれた……」
噛み締めた唇から血を流す刹那に、腹の底から衝動が湧き上がる。
「違う! 誰の思惑でもない、俺はあなたを――」
「お前のそれは……『色師に作られた想い』だろう?」
声が、出ない。俺の想いが、作り物――?
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それが事実だとしても。想いが作り物、だって――?
「行くぞ。色師は消え、儀も終わった。お前はお役御免だ。さっさと人の世へ帰るがいい」
「帰れません! そんな……」
「いいから行け!」
手も足も、頭すらも重く感じる体を、強引に川へ投げ落とされた。
沈む。
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