ヒトカミ粧

見早

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第六章 生ヅレバ去ル

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 赤い骸を背負い、どうやって彩色の間まで運んだのか、よく覚えていない。気がつけば、布団に入っている刹那の横でうたた寝していた。

「あっ、咲ちゃん起きた? 重かったでしょ、ご苦労様!」
「……色師さん? 刹那さんは……」

 珍しく箪笥から降りている色師は、「慌てない、慌てない」と布団の横に膝をついた。色師が掛け布団を剥がすと、肋骨の中には見覚えのある黒い泥が詰まっている。

「これは……!」
「執神、黒の神紋だねぇ。注がれた神力が体を蝕んで、そのうち刹那は消滅しちゃうかも」
「どうやったら治るんですか!?」

 骸骨に表情はないが、苦しんでいるのは分かる。刹那は時折手足を震わせたり、うめき声をあげたりしていた。
 色師はひとつも焦った様子なく、黒塗りの爪を三本、目と鼻の先に突き出してくる。

「一、神紋を黒に解かせる。二、黒を消滅させる。三、黒を封印する……さ、どれにする?」

 どれと言われても、全部不可能な気がする。六神をも凌ぐ力をもつ執神とやり合える神は、知っている限り刹那しかいない。しかしその刹那は病の床だ。

「でも、説得すればもしかしたら……」
「それは一番無理だろうねぇ」

 戦いの最中はともかく、平時は話の通じる相手だった。三途橋で話した時のことを思い出し、そう訴えるも、色師は首を横に振る。

「黒が何のために神紋を刻んだと思う? アイツの性格上、こーいう手を使って刹那を仕留めることはしなくない?」
「弱らせて、弱りきったところに……」
「仕留めにくる。ここ、常世までね」

 黒との闘いは避けられない、ということか。

「んー、そんなに深刻な顔しなくても良くない?」

 顔の前に垂れている「色」布を、色師は呑気にも吹いて遊んでいた。
刹那があの布をめがけて殴りたくなる気持ちが、今なら少し分かる。

「でも、誰が執神ほどの神と戦えるんですか? 俺は化粧くらいしか能がないし」
「おーい咲ちゃん、こっちこっち」

 顔を覗き込んでくる赤髪の大男から視線を逸らし、楼閣の外を眺めた。濃紺の空を、今日も金魚提灯が悠々と泳いでいる。

「常世にいる神全員に、協力をお願いするとか……」
「咲ちゃん! アタシ! アタシちゃんがいるでしょ?」

 強引な手に頬を挟まれ、「色」の字と向き合わされた。その手が一瞬、老人のようなしわだらけに変わる。
 瞬きを挟んで、もう一度確認する。しかし俺の頬に触れているそれは、いつもの滑々とした若い手だった。

「ちょっと聞いてるー?」

 そうだ、今は色師のことだ。確かにこの色塗れの神は、八百万の神の主――主神という肩書きを持ってはいるが。

「色師さん、戦えるんですか?」

 座敷から出たところを一度も見たことがない。それどころか、箪笥から降りていることすら珍しい。そんな出不精の神が、はたして黒を相手にできるのだろうか。

「もっちろーん! 滅多に使わないアタシの神力がぁ……ハッ、今目覚める」

 まったくもって胡散臭い。

「あっ、信じてない? これでもアタシ、超高性能型のカミサマなんだからネ」

 ただしこの座敷からは離れられない、と色師は付け加えた。超高性能を謳う割に、制約が大きいようだ。

「そもそも刹那さんを移動させなければ、黒さんは真っ先にこの座敷を目指して来ますよね?」
「黒だけならね。今の執神は対の神だ、黒のいるところには白もいる。実は黒より白の方が厄介なんだよ」

 そういえば、白が戦っているところを見たことがない。それに初めて会った時、「僕じゃあ君を殺せない」、と謝られた。単に戦闘が苦手なのだろうか。それとも他の理由が――?

「きっと白はアタシを警戒して、黒を座敷へ近づけさせないようにするだろう。誰かが白の気を黒から逸らしてくれればいいんだけどねぇ」
「そんな誰かって……」
『吾はお前が適任だと思うぞ』

 懐から八咫を取り出すと、何も映していない鏡面が淡く光っていた。

『黒が刹那に執着するみてぇに、白はお前さんに興味があるみてぇだからよ』

 確かに。最初から刹那ではなく、白は俺に接触を試みてきた。
その後もだ。神粧の儀を妨害されつつも、何度か言葉を交わすことはあった。

「俺にやらせてください。白の気を逸らす役」

 黒白の襲撃時、俺はただ見ていることしかできなかった。が、今回は違う。

「刹那さんを助けるのに必要なことは、全部させてください」

 ピタリと動きを止めた色師に構わず、「色」の奥にある瞳を真っ直ぐに見つめる。

「あぁ……キミたち、いやキミにならば、やはり刹那を託せる――よし! さっそく作戦会議といこうじゃあないか!」

 さて、と気合を入れ直したその時。ふと背後から視線を感じた。振り返った先には、割れた硝子の箱、その傍らには接ぎの跡がある素焼きの陶器――埴輪が置いてある。

「あれ、最近どこかで見たような……」

 丸い頭にぽっかり空いた三つの穴。そこから目が離せなくなった瞬間。彩色の座敷が闇に塗りつぶされ、代わりに漂白された部屋が現れた。

「何だこれ……!」

 思い当たるものはただ一つ。これは、神の記憶が見える時の状況に似ている。しかし、こんなよく分からない場所へ飛ばされるのは初めてだ。家具も畳すらもない部屋の中を調べていると、あの埴輪と見慣れた青銅鏡が真っ白な床板の上に現れた。

『八咫――神ノ立願器ヨ。其方ノ役ヲ知ラヌ、生ヅル神ヲ……厳重ニ見張ルノダ。奴ハ其方ヲ、真実ヲ暴ク道具トシカ認識シテイナイ』

『でもよぉ、■■! バレたら吾、割られるぜ? アイツ、対の去リシ神より容赦ねぇって執神のじじいが言ってたぞ』

「立願器」、「生ヅル神」、「去リシ神」――耳慣れない言葉を必死に噛み砕こうとしていると、視界がぼやけてきた。音まで遠くなっていく。

『……分かっ……見張……』

 二柱の会話に感覚を研ぎ澄ませているうちに、闇が弾けた。気がつけば、元の彩色の間に正座している。色師はまだ支度をしているのか、箪笥のてっぺんで物を散らかしている。

「あの、八咫さん」

 あの真っ白な部屋にいたのは、間違いなく八咫だ。

「教えて欲しいことがあるのですが」

 懐から出して話しかけるも、八咫は深い眠りに落ちていた。




 執神「黒白」。その姿が常世の渡橋へ降り立った途端、夜店に集まっていた神たちは一斉に逃げ出した。

『あー、常世にお住まいの皆様へ』

 黒の低音が、増幅して辺りに響く。

『我々■■に仕える執神は、これより任務を開始いたします。部外者の方々は即刻退避するように。さもなくば動くものは殺しますので、悪しからず』

 残る神がいれば協力をお願いしようかと思っていたが、これでは皆逃げてしまうではないか。金魚提灯も残らず去った大通りには、決戦袴に鉢巻きを締めた俺だけが残る。八咫も懐に居るのだが、先刻から眠ったままだ。
 黒と白、対の軍服に刀の出立ちは、人の世で遭遇した時と変わらない。しかし神の世に入った彼らの力は、人の世よりも数段増したようだった。

「色師さん、アレに勝てるのかな……」

 初めて刹那の骸化を見た時と似た戦慄が、たすき掛けの背中に走る。特に黒は、近づけば無事では済まないと一目で分かる黒い空気を醸し出していた。きっとあれは、刹那を蝕んでいる泥と同じものだろう。
 色師と打ち合わせた通り、俺が先鋒だ。まずは黒白に接触しなければ――。
 三途橋から動き出そうとしていた二柱の前に駆け寄り、まず白の前に立ちはだかる。

「ちょっと待った!」

 相変わらずの「無」を宿した白濁の目がこちらに向いた。一方黒は、すでに理性を飛ばしているのか俺の方に見向きもしない。

「神粧の儀を止めたいならば、刹那さんだけでなく俺も止めるべきでしょう?」

 白はため息と共にそっぽを向くと、黒に手で何やら合図をした。すると黒は橋板を蹴り、大通りを豪速で突き進んでいく。いつすれ違ったのか分からないうちに、黒の背はもう見えなくなっていた。白もこちらを無視したまま、黒について行こうとする。
「白!」、と呼びかけた時、白のまつ毛が揺れたように見えた。それでも白は止まらない。
人の足で追いつける気はしないが、急いで戻らなければ。久しぶりの全力疾走で閑散とした大通りを進んでいると、突然体が軽くなる。上にかかる影を仰ぐと、そこには逃げたはずの金魚提灯たちがいた。俺の襟に金具のような尻尾を引っ掛け、運んでくれようとしているらしい。
 街の神々は戦う意志を失くして逃げたのではなく、陰に隠れて様子をうかがっていたのだ。出会った神々の力を借りて、ようやく色師の楼閣まで戻ることができた。遥か上にある彩色の間の縁側に、ちょうど黒白が降り立っている。

「すみません、あと一仕事。俺をあそこまで上げてくれませんか?」

 中の階段を使っていたら、上までどのくらいかかるか分からない。すると金魚提灯たちは願いを聞き入れ、彩色の間まで送ってくれた。
 今度こそ白の気を引かなければ。二柱の背後に降り立ち、白の傍に歩み寄ったその時。

「黒、待て」

 座敷に入る直前になって、白は黒の首と繋がる鎖を引っ張った。獣のように荒い呼吸の黒を、白が鎖一本でいとも簡単に抑えている。

「ここには色師の気配がある。罠かもしれない」
「白……ワタシ、そろそろゲンカイ、デス……ココは、彼女のニオイが、強いカラ……」

 黒の体は、時折二重にも三重にもぶれていた。やっと人の形を保っている姿に、異形の神と対峙した時のことを思い出す。

「白! 話をさせてください!」

 叫んだ拍子に、白の手から鎖が離れた。途端、制御を失った黒が座敷に飛び込んでいく。

「あっ、馬鹿犬……」

 それでも白は何かを警戒しているのか、座敷に入ろうとはしなかった。残された片割れは焦る様子もなく、ゆっくりこちらを振り返る。

「あなた方のことを、もっと正しく知りたいんです。神粧の儀を妨害すると言って、いつも白は俺を見逃してくれる……危害を加えようとはしないじゃないですか」

 時間稼ぎとしか捉えられないこの状況でも、白は動こうとしない。やがて薄紫の唇が、重く深い息を吐き出した。数日前にあった唇の噛み跡は、すっかり消えている。

「僕は、君をよく知ってる。君が犯したことも、その後君がした、見当違いな贖いも」

 白の声が、少女のように高くなる。別の何かへ変身するかのように、体の輪郭が揺れる。

「……あなたは、だれ……ですか?」

 白は見知った笑顔を浮かべている。

「幼馴染が分からないなんて――」

 軍服が海老茶色の小袖へ、白髪が黒の編み髪へ、変わっていく。

「薄情ね、咲さん」

 変装でも、虚像でもない。今目の前にいるのは確かにお露だ。助六じいさんの孫娘――幼い頃から馴染の少女。俺を見る時のその優しい目は、疑いようもない。

「信じてくれたみたいね。そう、アタシはずっとあなたを見ていました。あなたは、生まれた時から『例外』だったから」

 声が出ない。

「十五まで、まぁ真っ当な人生を送っていたのに。間違いとは言え桜花さんを傷つけて、負い目から逃れるために悪事をはたらいて……本当に、救いようのない『人でなし』ね」

 今目の前にいるのは、お露。それが信じられなくなる。何だかんだ、お露は俺の悪事を知っても見放さないでいてくれた。話を聞いて、時には慰めてくれた――それが、このお露と同じだというのか。

「他にも知ってるよ」

 冷汗が、額に絶えず流れる。否定のできない言葉が胸に突き刺さり、息ができない。

「あなたはいつの日からか、咲さんじゃなくて『お咲ちゃん』になったわね。母上に習って化粧を覚えたから? スリをするのに正体を隠したかったから? ううん、違うよね」

 イヤだ。

「偽の顔を作り上げて、許されざることをした素顔を覆い隠した。桜花さんを傷つけた『咲』を捨てて、別人を演じてたの。そんなことしたって、やってしまったことは消えないのにね」

 イヤだ――。

「それだけじゃ飽き足らず、あなたは自分自身に――」
「黙れ性悪神が」

 気高い声と同時に、赤に濡れた鎖がお露――白に絡みついた。途端に、白は縁側から座敷の中へと引き込まれていく。後を追うと、ここにいるはずのない骨が座敷の隅に這っていた。

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