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第五章 濡羽ニ櫛
二
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腹の上に突然現れた、幼姿の神。その体は重みを感じず、少し酒のような匂いが漂っていた。
「あなたは誰ですか? 儀のことを知っているということは――」
「待て。おキヨが起きてしまうかもしれん」
強引に庭へ連行された後。月明かりの下に照らされた神は、その背に黒い翼を広げた。
「ワシは烏梅(うばい)じゃ。うむ、其方は咲というのか」
「カラス……? もしやあなた、鳥の神なんですか!?」
「まったく声のデカいヤツじゃ! おキヨが目覚めると言っておろう!」
そちらも十分大きいが、という文句は呑み込み、本題について尋ねることにした。
「神粧の儀をしてほしいって、本当ですか?」
「ああ。今すぐにでも頼む」
どういうことだろうか。色師の話では、獣の神以外の六神は神粧の儀に反対しているはずだ。
「実は、必要な道具が二つとも行方不明なんです」
化粧箱は刹那が持っている。神力を集めるための八咫は川の底で行方不明だ。ただ刹那に関しては、最初に聞いた温泉宿へ向かっている可能性がある――無事黒をやり込めていれば、だが。そう説明すると、烏梅は頭から爪先まで大ガラスの姿に変化した。
『ならばお宿へ向かおうぞ。ほれ、疾く支度せよ』
「あ、でも、おキヨさんに黙って行くわけには……」
『ワシが言伝を残してやるゆえ、心配無用じゃ』
キヨの方がどうかは分からないが、烏梅はキヨを知っているらしい。同じ山に住んでいるのだから、当然のことだろうか。
カラスの背に乗せられるまま空を飛んでみて、大きな発見があった。鳥は陸も空も自由に往けるが、人間は陸を歩くようにしかできていない。
「気持ち悪い……」
「情けないのーお主! ほら、こっちじゃ」
青く染まった視界がようやく晴れると、霞がかった摩天楼が見えてきた。これが山道で聞いた、薬湯の宿だろう。息つく間もなく、烏梅は人型になった手で俺の腕を引っ張っていく。無人の玄関を抜け、さらに櫛などの装飾品が並ぶ土産物屋を過ぎ、「湯」と書かれた暖簾の前まで連れてこられた。
「そら、万病に効く薬湯へ浸かれば吐き気も治まるじゃろう」
「いやそれよりも、少し横に……」
忙しない神は聞く耳もたず、「いいから入れ!」と背中を押してきた。いつの間に渡してくれたのか、手には糠袋入りの桶がある。明け方だからか、脱衣所や露天風呂に人の姿はない。せっかくだから入ってみるか――。
「着物、後で返しに行かないとな」
露天から眺められる霧の山を見渡すうちに、気分は落ち着いてきた。烏梅から預かった糠袋で体を洗い、化粧を落とさないよう気を付けながら煙立つ湯に体を浸ける。
「うぁっつ!」
先ほど桶で湯を掛けた時は、ちょうど良い湯加減だったはずなのに。体が、とういうよりも左胸が焼けるように熱くなった。胸には生まれつきの痣がある以外、特に傷などは付いていない。触ってみても特に変わったことは――。
「これは神紋(しんもん)じゃな」
「しんもん? って、どうしてここに!?」
何の前触れもなく、烏梅が真後ろに立っている。ひとまず体だけでもカラスの羽で覆ってもらい、ようやく烏梅の顔が見られるようになった。
「お主が風呂で倒れていたらと、心配して来てやったのに」
「それで! 神紋って何のことですか?」
桶で体を隠したままでは寒いため湯船に浸かると、何故か烏梅も隣に入ってきた。
「いちいちうるさいヤツじゃ! 我が家の風呂に入って何が悪い?」
話が一向に進まないため、仕方なく折れることにする。ここは鳥の神の一族が営む温泉宿で、随分昔から人間相手に商売をしているらしい。
「それでお主の胸にあるソレじゃが……うーむ、読み取れん。詳しくは分からぬが、どこぞの神がお主に付けた『目印』のようじゃな」
これは生まれた時からある、花の形のような痣だ。何かの間違いではないか、と訴えると、烏梅はあり得ない角度まで首を捻ってみせた。
「ワシ以上の神力をもった神にやられとるのぉ。何のために誰が何時付けたものか、ワシでは解読できん」
「そういえば以前、異形の神から『祝い』を受けたことがあります。こう、首筋にがぶっと」
「残念じゃが、それとこれとは関係がないのぅ。異形の小僧の神紋程度、ワシに読めぬはずがないわ」
神の年齢や力は見た目通りではない。これまでの道のりで分かっていたつもりだが、いまだに頭が混乱する。結局痣の正体は分からないまま、のぼせる前に風呂から上った。
支度を終えるまで外で待っていてくれた烏梅は、「先に来て欲しいところがある」、と人の腕を引っ張っていく。
「無名神を探す前に、説得せねばならん相手がいてのぅ」
連れてこられた先は奉公人用の勝手口だった。戸の隙間から見えるのは、宿の人たちが忙しなく食事を用意する様子だ。ここへ入っていけ、という烏梅は俺の背に隠れている。
「おや、お客様」
手前で皆を指揮している若衆が、こちらに気づいて戸をくぐり抜けてきた。細身で背はひょろっと高いが、まろやかな顔が烏梅と似ている。
「申し訳ございませんが、こちらは一般の方の立ち入りは禁止して……烏梅?」
背後の烏梅が小さく跳ねた。神は知っている神の気配を察知できるようだから、身内相手にこんなことをしても無駄だとは思っていたが。
「せ、精が出るのぅ三兄者!」
これまでの神は、主たる存在はひとつで、その他は主に仕える形を取っていた。しかし鳥の神は、まるで家族のような形を取っているらしい。
「また懲りずに人間と遊んでいるのですか? 以前大兄様から罰を受けたというのに……人間は商売相手であって、そう易々と真の顔を曝すものでは――」
「まぁ待つのじゃ。ワシはこれから人間になるのだから、三兄者へ挨拶に来たというわけよ」
すると戸の奥で忙しなく働いていた奉公人――鳥の神の一族たちが、一斉に動きを止めた。目前の三兄にいたっては、カラスの本性が剥げてしまっている。
『烏梅、それは、大兄者の承諾を得てから申しておるのか?』
不味い。三兄の重苦しい圧力が、こちらにまで及んでいる。俺が化粧師と気づいたのだろう。
「いや、だからまずは三兄者、その後二兄者、そして最後に大兄者へ伝えようと――」
「烏梅!」
今度は背後から、突風のような怒号が飛んできた。廊下の奥から、人型に羽を生やした大男が飛んでくる。全体的に厳ついが、やはり烏梅と似た顔の男だ。
「二兄者! どうかワシの言を聞いて……」
「案ずるな!」
二兄は、狩りをする猛禽さながらの勢いで突っ込んできた。
接触の瞬間目を瞑ったものの、予想していた衝撃はない。代わりに足が床から離れていく感じがする。二兄に抱えられたまま、列車の線路のように長く真っ直ぐな廊下を過ぎていく。
「二兄者、どこへ向かわれるのか?」
「うむ、案ずるな末妹よ! お客人、こちらは土産だ!」
たくましい筋肉の隙間から出てきたのは、濁り酒で満たされた一升瓶だった。烏梅いわく、これは宿の名物であるお神酒らしい。
「あ、ありがとうございます……」
ひとまず俺たちは、鳥の神の一番上の兄弟のところへ連行されているらしい。やがて廊下の途中に流れていた襖の中でも、ひと際質素で威圧を放つ襖の前に降ろされた。
「ワシは末妹の意志を尊重しよう! だが、それは大兄者の承諾あってのことだ!」
「……二兄者、感謝する」
一瞬も止まる気配のない二兄を見送り、烏梅と襖の前へ向き直った。
「入れ」
重い――肩に大岩を乗せられたかのような重圧が、たった一声でかかった。薄っすら汗をかきながらも、烏梅は襖に手をかける。
「咲。ワシはお主を全力で守るつもりじゃが……大兄者は怒りの沸点が低い」
「うわぁ……」
神に直情型が多いことは嫌というほど分かっているが、改めて言われると緊張する。とりあえずお神酒をしっかり抱え、構えの体勢を取った。
「よく来たな、烏梅。それにお客人……咲、というのか」
老人だ。二兄、三兄、そして烏梅とは遥かに見た目年齢の離れた男が、高く積まれた座布団に正座していた。それも百畳はあるかと思われる座敷に、独りで。下座に烏梅と並んで正座すると、鳥の神の大兄は小さく咳ばらいをした。
「すべて、分かっている。色師に仕える化粧師よ。言葉は無用だ。ゆえに……ワシは許さん」
烏梅は言い返さなかった。頭を伏せたまま、かすかに震えている。
「あの、どうして反対するんですか?」
「これ、咲! 頭を垂れろ!」
そんなことをするために、俺は烏梅について来たのではない。烏梅の制止を無視していると、大兄は鳥の爪で自分の頬を掻いた。
「うん、聞かぬか。ならば人間――我らの糧となれ」
頬を掻いていた爪が、人の皮を破った瞬間。裂けた皮ふの隙間から、無数のカラスが飛び出してきた。黒い羽が飛び交い、大兄がまったく見えなくなってしまう。
烏梅の姿もない。それでも声がするということは、この大ガラスのどれかが烏梅なのだろう。
『咲、ここを出るぞ! ワシに掴まれ!』
「掴まれって、どれが烏梅さんですか!?」
こっちだと言われても、見渡す限り黒一色だ。
『咲、ワシに願え! 何でも良い、疾く!』
「烏梅さん……『ここから出してください』!」
言い切ると同時に、黒く柔い壁が吹き飛んだ。大ガラスが小ガラスを畳に落とし、黒光りする羽を座敷いっぱいに広げる。
『咲、乗れ!』
羽を掴もうとすると、巨大な足に胴を掴まれた。烏梅が障子窓を破る衝撃に備え、腕を前で構える。
『烏梅……!』
烏梅の巨体にも勝る特大ガラスが、宿の屋根を伝って追いかけてくる。
『……大兄者、さらば』
しかし宿から出ることができないのか、特大カラスは飛び去るこちらをじっと見つめていた。
「あなたは誰ですか? 儀のことを知っているということは――」
「待て。おキヨが起きてしまうかもしれん」
強引に庭へ連行された後。月明かりの下に照らされた神は、その背に黒い翼を広げた。
「ワシは烏梅(うばい)じゃ。うむ、其方は咲というのか」
「カラス……? もしやあなた、鳥の神なんですか!?」
「まったく声のデカいヤツじゃ! おキヨが目覚めると言っておろう!」
そちらも十分大きいが、という文句は呑み込み、本題について尋ねることにした。
「神粧の儀をしてほしいって、本当ですか?」
「ああ。今すぐにでも頼む」
どういうことだろうか。色師の話では、獣の神以外の六神は神粧の儀に反対しているはずだ。
「実は、必要な道具が二つとも行方不明なんです」
化粧箱は刹那が持っている。神力を集めるための八咫は川の底で行方不明だ。ただ刹那に関しては、最初に聞いた温泉宿へ向かっている可能性がある――無事黒をやり込めていれば、だが。そう説明すると、烏梅は頭から爪先まで大ガラスの姿に変化した。
『ならばお宿へ向かおうぞ。ほれ、疾く支度せよ』
「あ、でも、おキヨさんに黙って行くわけには……」
『ワシが言伝を残してやるゆえ、心配無用じゃ』
キヨの方がどうかは分からないが、烏梅はキヨを知っているらしい。同じ山に住んでいるのだから、当然のことだろうか。
カラスの背に乗せられるまま空を飛んでみて、大きな発見があった。鳥は陸も空も自由に往けるが、人間は陸を歩くようにしかできていない。
「気持ち悪い……」
「情けないのーお主! ほら、こっちじゃ」
青く染まった視界がようやく晴れると、霞がかった摩天楼が見えてきた。これが山道で聞いた、薬湯の宿だろう。息つく間もなく、烏梅は人型になった手で俺の腕を引っ張っていく。無人の玄関を抜け、さらに櫛などの装飾品が並ぶ土産物屋を過ぎ、「湯」と書かれた暖簾の前まで連れてこられた。
「そら、万病に効く薬湯へ浸かれば吐き気も治まるじゃろう」
「いやそれよりも、少し横に……」
忙しない神は聞く耳もたず、「いいから入れ!」と背中を押してきた。いつの間に渡してくれたのか、手には糠袋入りの桶がある。明け方だからか、脱衣所や露天風呂に人の姿はない。せっかくだから入ってみるか――。
「着物、後で返しに行かないとな」
露天から眺められる霧の山を見渡すうちに、気分は落ち着いてきた。烏梅から預かった糠袋で体を洗い、化粧を落とさないよう気を付けながら煙立つ湯に体を浸ける。
「うぁっつ!」
先ほど桶で湯を掛けた時は、ちょうど良い湯加減だったはずなのに。体が、とういうよりも左胸が焼けるように熱くなった。胸には生まれつきの痣がある以外、特に傷などは付いていない。触ってみても特に変わったことは――。
「これは神紋(しんもん)じゃな」
「しんもん? って、どうしてここに!?」
何の前触れもなく、烏梅が真後ろに立っている。ひとまず体だけでもカラスの羽で覆ってもらい、ようやく烏梅の顔が見られるようになった。
「お主が風呂で倒れていたらと、心配して来てやったのに」
「それで! 神紋って何のことですか?」
桶で体を隠したままでは寒いため湯船に浸かると、何故か烏梅も隣に入ってきた。
「いちいちうるさいヤツじゃ! 我が家の風呂に入って何が悪い?」
話が一向に進まないため、仕方なく折れることにする。ここは鳥の神の一族が営む温泉宿で、随分昔から人間相手に商売をしているらしい。
「それでお主の胸にあるソレじゃが……うーむ、読み取れん。詳しくは分からぬが、どこぞの神がお主に付けた『目印』のようじゃな」
これは生まれた時からある、花の形のような痣だ。何かの間違いではないか、と訴えると、烏梅はあり得ない角度まで首を捻ってみせた。
「ワシ以上の神力をもった神にやられとるのぉ。何のために誰が何時付けたものか、ワシでは解読できん」
「そういえば以前、異形の神から『祝い』を受けたことがあります。こう、首筋にがぶっと」
「残念じゃが、それとこれとは関係がないのぅ。異形の小僧の神紋程度、ワシに読めぬはずがないわ」
神の年齢や力は見た目通りではない。これまでの道のりで分かっていたつもりだが、いまだに頭が混乱する。結局痣の正体は分からないまま、のぼせる前に風呂から上った。
支度を終えるまで外で待っていてくれた烏梅は、「先に来て欲しいところがある」、と人の腕を引っ張っていく。
「無名神を探す前に、説得せねばならん相手がいてのぅ」
連れてこられた先は奉公人用の勝手口だった。戸の隙間から見えるのは、宿の人たちが忙しなく食事を用意する様子だ。ここへ入っていけ、という烏梅は俺の背に隠れている。
「おや、お客様」
手前で皆を指揮している若衆が、こちらに気づいて戸をくぐり抜けてきた。細身で背はひょろっと高いが、まろやかな顔が烏梅と似ている。
「申し訳ございませんが、こちらは一般の方の立ち入りは禁止して……烏梅?」
背後の烏梅が小さく跳ねた。神は知っている神の気配を察知できるようだから、身内相手にこんなことをしても無駄だとは思っていたが。
「せ、精が出るのぅ三兄者!」
これまでの神は、主たる存在はひとつで、その他は主に仕える形を取っていた。しかし鳥の神は、まるで家族のような形を取っているらしい。
「また懲りずに人間と遊んでいるのですか? 以前大兄様から罰を受けたというのに……人間は商売相手であって、そう易々と真の顔を曝すものでは――」
「まぁ待つのじゃ。ワシはこれから人間になるのだから、三兄者へ挨拶に来たというわけよ」
すると戸の奥で忙しなく働いていた奉公人――鳥の神の一族たちが、一斉に動きを止めた。目前の三兄にいたっては、カラスの本性が剥げてしまっている。
『烏梅、それは、大兄者の承諾を得てから申しておるのか?』
不味い。三兄の重苦しい圧力が、こちらにまで及んでいる。俺が化粧師と気づいたのだろう。
「いや、だからまずは三兄者、その後二兄者、そして最後に大兄者へ伝えようと――」
「烏梅!」
今度は背後から、突風のような怒号が飛んできた。廊下の奥から、人型に羽を生やした大男が飛んでくる。全体的に厳ついが、やはり烏梅と似た顔の男だ。
「二兄者! どうかワシの言を聞いて……」
「案ずるな!」
二兄は、狩りをする猛禽さながらの勢いで突っ込んできた。
接触の瞬間目を瞑ったものの、予想していた衝撃はない。代わりに足が床から離れていく感じがする。二兄に抱えられたまま、列車の線路のように長く真っ直ぐな廊下を過ぎていく。
「二兄者、どこへ向かわれるのか?」
「うむ、案ずるな末妹よ! お客人、こちらは土産だ!」
たくましい筋肉の隙間から出てきたのは、濁り酒で満たされた一升瓶だった。烏梅いわく、これは宿の名物であるお神酒らしい。
「あ、ありがとうございます……」
ひとまず俺たちは、鳥の神の一番上の兄弟のところへ連行されているらしい。やがて廊下の途中に流れていた襖の中でも、ひと際質素で威圧を放つ襖の前に降ろされた。
「ワシは末妹の意志を尊重しよう! だが、それは大兄者の承諾あってのことだ!」
「……二兄者、感謝する」
一瞬も止まる気配のない二兄を見送り、烏梅と襖の前へ向き直った。
「入れ」
重い――肩に大岩を乗せられたかのような重圧が、たった一声でかかった。薄っすら汗をかきながらも、烏梅は襖に手をかける。
「咲。ワシはお主を全力で守るつもりじゃが……大兄者は怒りの沸点が低い」
「うわぁ……」
神に直情型が多いことは嫌というほど分かっているが、改めて言われると緊張する。とりあえずお神酒をしっかり抱え、構えの体勢を取った。
「よく来たな、烏梅。それにお客人……咲、というのか」
老人だ。二兄、三兄、そして烏梅とは遥かに見た目年齢の離れた男が、高く積まれた座布団に正座していた。それも百畳はあるかと思われる座敷に、独りで。下座に烏梅と並んで正座すると、鳥の神の大兄は小さく咳ばらいをした。
「すべて、分かっている。色師に仕える化粧師よ。言葉は無用だ。ゆえに……ワシは許さん」
烏梅は言い返さなかった。頭を伏せたまま、かすかに震えている。
「あの、どうして反対するんですか?」
「これ、咲! 頭を垂れろ!」
そんなことをするために、俺は烏梅について来たのではない。烏梅の制止を無視していると、大兄は鳥の爪で自分の頬を掻いた。
「うん、聞かぬか。ならば人間――我らの糧となれ」
頬を掻いていた爪が、人の皮を破った瞬間。裂けた皮ふの隙間から、無数のカラスが飛び出してきた。黒い羽が飛び交い、大兄がまったく見えなくなってしまう。
烏梅の姿もない。それでも声がするということは、この大ガラスのどれかが烏梅なのだろう。
『咲、ここを出るぞ! ワシに掴まれ!』
「掴まれって、どれが烏梅さんですか!?」
こっちだと言われても、見渡す限り黒一色だ。
『咲、ワシに願え! 何でも良い、疾く!』
「烏梅さん……『ここから出してください』!」
言い切ると同時に、黒く柔い壁が吹き飛んだ。大ガラスが小ガラスを畳に落とし、黒光りする羽を座敷いっぱいに広げる。
『咲、乗れ!』
羽を掴もうとすると、巨大な足に胴を掴まれた。烏梅が障子窓を破る衝撃に備え、腕を前で構える。
『烏梅……!』
烏梅の巨体にも勝る特大ガラスが、宿の屋根を伝って追いかけてくる。
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しかし宿から出ることができないのか、特大カラスは飛び去るこちらをじっと見つめていた。
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