ヒトカミ粧

見早

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第四章 イチヤ乱痴気

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 怪しい。コイツは出会い頭に、問答無用で刀を振ってきた奴だ。しかも刹那に執着している。

「私が心惹かれるのは強者のみです。咲様を殺めることは、正直気が乗らないのですよ」 

 停戦、と口にする黒を睨みつけていると、素早い手が伸びてきた。了承もしていないというのに、黒は人を橋の欄干に座らせる。「私、人と話してみたかったのです」、とはにかむ黒に、なんだか毒気を抜かれてしまった。

「はぁ……なら、少しだけ」

 この際だ。気になっていたことを訊いてみる。

「やはり黒さんも、命令だから神粧の儀を止めようとしているんですか?」

 そうならば、今俺を殺してしまえばあっさり終わるだろうに。しかし、黒の理由は白と少し違っていた。

「■■様の命令は絶対です。ただ、彼女が相手と知ったあの日……この任務に対するやる気は格段に上がりました。神階に属さぬ無名神でありながら、彼女の神力は素晴らしい。今貴方を殺してしまえば、もう彼女とやり合えなくなりますから」

 黒の道理は分かったが、一つだけどうしても解せない。しかし神相手にこういった話題を出すのはいかがなものか――いや、訊かなければ。

「神様のそういう事情はよく分かりませんけど……好き同士でもないのにああいうことするって、どうなんですか?」

 いつまでも首を傾げている黒に我慢ならなくなり、「接吻」とはっきり伝えた。何故、仮にも敵同士の男にこんなことを言わなければならないのか――。

「咲様はおかしなことを気になさるのですね。殺したい相手に興奮することって、良くあるでしょう?」

「ないよそんなの」、と突っ込みかけて思い止まった。神と人の感覚には、ズレがあるのかもしれない。
 結局、お喋り神は中々解放してくれなかった。挙げ句、「人と恋話までできるなんて感激です!」、と言い出す始末だ。やっと家路に着く頃には、日が傾きかけていた。

『ホントお前、人のクセに度胸あるねぇ。執神っていやぁ、神だって誰も近寄んねぇよ』
「八咫さん、いつの間に起きたんですか? まぁ、聞いてみたいことがありましたから……」
『刹那のことか?』

 八咫の声色に、からかいは一切混ざっていなかった。それでも答えることができない。

『おい本気(マジ)かよ……咲、お前あの猛獣に惚れちまったのか?』

 無言で橋を渡る間、白に「刹那を慕っているのか?」、と問われたことまで思い出した。刹那をもっと知りたいと思うのは、そういうことなのだろうか――。

 とある雑誌のことを思い出し、常世へ帰る前に実家へ足を運ぶことにした。押し入れの奥には、これまでに助六じいさんからもらった雑誌の山を保管している。

『そんな紙ペラで、色恋の何が分かるってんだ?』
「ちょっと黙っててください!」

 これは以前、お露が押し付けてきた恋文の文例集だ。「女装するなら女心を学べ」、と無理やり持たされたものの、読まずじまいになっていた。

『なぁ、そんなものよりお前の親父にでも聞いた方が早いんじゃないか?』
「親にそんなこと訊くって、もはや拷問でしょう。それに父さんとはそんな話をできる雰囲気じゃあ……」

 口の減らない八咫を懐に押し込み、文机代わりの鏡台へ移動しようとした、その時。

「帰ってたんだ」

 目が合ったのは、自分と同じ渋色の瞳――父だ。視線は俺の手元にある雑誌の表紙、『熱烈なる恋文例集』に注がれている。

「咲……想い人ができたの?」と、父の目に光が満ちた瞬間。

「うわぁぁぁぁぁ!」

 急上昇した熱に、頭の中が乱される。とにかくこの場から逃げようと、空いた押し入れに頭を突っ込んだ。

「年頃なのにそういうこと避けてるみたいだったから、父さんちょっと心配だったんだっ。もしかしてあの時のことが……」

「これ以上何も言わないでくださいお願いですから」

 突然しんとした父を振り返ると、「ごめん、何でもないよ」、といつもの笑顔に戻っていた。

「相手は誰? もしかしてお露ちゃん?」
「違います! そもそも、この気持ちが本当にその……こ、恋ってやつなのかは分からなくて」

 頭が真っ白のまま喋ったせいで、余計なことを口走ったようだ。父は目を丸くして、いつもと様子の違う、柔らかい笑顔を浮かべている。

「そうだねぇ。そういう時は、手っ取り早く自分の気持ちを確かめれば良いんじゃないかい?」

 父は草履を脱ぎ捨て、押し入れの前までやってきた。

「なっ!? そんなことできるわけ……」
「でもハッキリさせないと。いつまでも悶々としたままは嫌だろう?」

 それは嫌だ。このままでは、次の仕事に影響するかもしれない。
 父が用足しに出かけていった後。正座し、父の提案について半刻ほど考えてみた。これを実行すれば、俺が黒に抗議したことがそのまま自分に返ってくるではないか――。

『このまんまじゃあ、また刹那のやつにウジ虫って言われるぜ?』
「……確かに」

 炊事用に汲んである水瓶を覗き込み、覚悟を決めた。

「で、用事とは何だ?」

 常世の座敷では、色師に見られているかも分からない。刹那を実家の荒屋へ連れ出したものの、膝を突き合わせたまま何もできずにいた。
 今日の機嫌はそこまで悪くなさそうだが、説明なしに連れてきたせいか気は長くなさそうだ。あからさまに眉根を寄せている。

「だから、ええと、その……」
「はぁ――次ウジ虫になれば容赦しないといったはずだが?」

 胸倉を掴みにかかって来る刹那に、立ち上がって抵抗する。

「待ってください! 言います、言いますから!」

 確かめたいことがある――そのために「口を合わせたい」のだが、協力してくれないか。
一生分の度胸を振り絞った気になって話すと、刹那は「はぁ?」、と首を傾げた。殴られる、と目を瞑るも、襟を掴んでいた手が離れていく。

「何だそんなことか。さっさとやれ」
「え……え!? そんなことか、って……」

 刹那にとってはその程度のことなのか――?
 瞼を全開にしている刹那に、やりにくいから目を閉じて欲しいと言ったものの。自分の鼓動がうるさくて近づけない。

「一、二、三、四」
「え……なんですか、それ」
「十を超えたら殴る。五、六、七、八……」

 なんて理不尽な神なんだ――!
 それでも、数を刻む刹那の唇を見ている内に時は過ぎていく。

「九、十……」

 殴られる覚悟を決め、ぎゅっと目を閉じたその時。唇に柔いものが触れた。薄っすら目を開けると、長く濃いまつ毛がすぐそこにある。
 白粉の香りがする。かすかに息がかかる。背筋を駆け上がる雷のような衝動に、頭の中心を撃たれた瞬間。視界に真っ赤な花が咲き、急な吐き気に襲われた。すぐに土間へ降りて中の物を吐き出したが、胃が空っぽになっても悪心は治らない。

「おい貴様……死にたいのか?」

 刹那がどす黒い気を放っているのが見えるが、返事ができない。何とか呼吸を続けようとしていると、刹那は土間に降りてきた。背中をさすってくれている。

「すみませんでした……俺からお願いしたことなのに」
「いい、もう喋るな。顔が鯖のような色になっているぞ」

 ちょうどそこだった。先ほどまで刹那が座っていた辺り。ここに父が倒れて、顔から止めどなく血が――。

「おい!」

 我に帰り、肩に添えられていた刹那の手を掴んだ。この熱に触れていると、呼吸が楽になっていく。

「ちょっと、あの時のことを思い出して……もう一度、やってもいいですか?」
「はぁ? お前そんな状態で何言っているんだ」
「いいから確かめないと。ちゃんと、口はゆすぎましたから……」

 時々視界がぐらつくが、何とかいけそうだ。珍しくしおらしい様子の刹那に近づくと、刹那の背中が畳に倒れた。
 黙って目を閉じてくれた刹那の上に、体重を預けたその時。

「ただいま! お茶会明日だって忘れてて、父さんうっかり――」

 指先や足、すべてがピタリと動かなくなった。体の全部の機能が停止した、と錯覚するほど動かない。唯一動く目で、顔色ひとつ変えていない刹那を見遣る。戸に手を掛けたままの父も、一切動いていない。

「あっ――」

 父が何かを発しようとした途端、金縛りが解けた。刹那の上から俊速で退き、押し入れに滑り込む。そのまま戸を閉め、外界との接触を絶った。

「父さん別な用事あったんだー。一刻ばかり出てくるから、留守番頼んだよ! じゃあねー」

 役者にしては嘘くさい演技の後、戸が閉まる音がした。

「おい。お前の父親、出ていったぞ」

 押し入れ越しに、何も気にしていないような刹那が声を掛けてくる。

「それで、確かめたいこととやらは分かったのか?」

 薄暗くかび臭い押し入れの中、刹那のおかげで分かったことを反芻した。自分はこの暴力的で、空気が読めなくて、淑やかとは無縁な女神に――惚れてしまったようだ。
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