ヒトカミ粧

見早

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第三章 二口痛シ痒シ

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 人か、獣か、虫か、はたまたそれ以外。姿の分からない異形の神を探し当てることなど、できるのだろうか。

「いっそ、祠を一晩中見張っているしかないんですかね」

 客間の畳に寝転んだ刹那から返事はない。夕寝から目覚めた八咫を、真顔で弄んでいた。
仕方なく、目の前に積んだ雑誌の山から創刊号を探し出す。子葉の最初の物語「二口」は、読み切りの短編だった。物語は、駆け出しの作家が、雨に打たれる怪物にボロ傘を差し出す場面から始まる。

『刹那よぉ、あの書生に気に入られたらしいな』

 死にかけだった怪物は男に救われ、恩返しをしたいと願う。やがて人に化け、人里へ降りるが、怪物は厄介な「衝動」を抱えているせいで男のそばに近寄れない。

『ちょいちょいお前の方見てたぜ? まぁ、黙ってりゃ悪くねぇツラだからなぁ』
「叩き割るぞクソ鏡」

 怪物は生来、人を喰らいたい衝動に苛まれていた。飽くことのない食欲は、怪物の意に反して起こってしまう。

『おうおう、やれるもんならやってみな! 吾がいなけりゃ誰が神力を集めるってんだ?』

 怪物には「言葉を話す口」が顔に、「物を喰らう口」が腹にあり、恩人を腹の口に入れたい衝動に駆られるが――。

「粉々に砕け散った貴様を使い続けてやる。歯を食いしばれ」
『残念! 俺にゃ食いしばる歯がねぇ――』
「うるさい!」

 騒がしかった間が、しんと静まり返ってしまった。八咫はともかく、眠れる暴力神に火をつけてしまっただろうか。

「先ほどから貴様は何を読んでいる?」

 意外にも、刹那は落ち着いた口調でこちらを振り返った。「現代の字が読めない」、と正直に言う刹那に拍子抜けして、「二口」の概要を話してやる。

「この話、手がかりにならないでしょうか?」

 たとえば、怪物を異形と置き換えてみる。八咫の話だと、異形は「死に際の生き物を喰らい糧にしてきた邪神」――この「喰らう」という行為が重なる気がする。子葉は異形に関わっているのではないだろうか。そう問いかけると、刹那はゆっくり体を起こした。

「手がかりならば、私も捕まえたが」

 刹那は握り拳を突き出し、俺の鼻先で開いて見せた。小さな黒い毛玉に、ひとつ目が生えている化け物。それと視線が合った瞬間、毛玉は涙を一筋流して霧散していった。

「八咫」
『おう。そいつぁー異形に纏わりつく物の一部だな。神階にすら属さず、己の名を忘れた連中が異形に縋りついてくるんだとよ』

 いつ、どこでそんな物を捕まえたのか問いかけると、刹那の細い指が俺を指した。

「貴様の肩に留まっているのを、先ほど見つけた。いつから居たのかは分からないが」

 異形の神に纏わりつく物が肩にいた。つまり俺は、どこかで異形と接触していたことになる。

「今日話をしたのは――」

 売れっ子作家の子葉。その弟子で書生の伍。子葉の熱狂的読者滋子。

『なぁ咲、異形は人の形をしてるとは限らねぇんだぜ』

 八咫の言う通りだ。初めてここを訪れた時、俺の足に絡んできた子葉の飼い猫。いつの間にか留まっていたかもしれない虫。あらゆる生き物が候補になる。

「それでも俺は、子葉さんが異形の神だと思います」

 子葉が、異形の神の伝承に詳しいことはよく分かった。ただ知り過ぎている気がする。この「二口」の話に出てくる怪物など、八咫から聞いた異形の神そのものではないか。

『邪神が物書きの真似事なんかするかねぇ? それよか俺は、滋子って娘が怪しいね。祠によく出入りしてんだろ? おまけに詳しい素性は不明ときた』

 すると刹那も、「あの娘を抱えた時、異様に軽かった」と八咫を援護する。確かに、滋子が異形ではないと言い切れるほどの証拠はないが。

『それにしてもお前、意外と学があるよなぁ。花街の横丁に住んでんのによぉ』
「意外って何ですか、失礼な」
『骨董屋のじいさんからいろいろ習ったんだったか?』

 八咫と出会って三日余り。そんなことを口走ったことはないはずだ。千里眼で知り得たことを、色師が喋ったのだろうか。

『化粧は母親からか?』

 どうしたらこれ以上話を広げなくて済むのか。考える間にも、八咫の口はよく回る。

「咲さーん、起きてますか?」

 襖の向こうから、調子の良い声が聞こえてきた。よく喋る鏡を懐に押し込み、小走りで襖を開けに行く。

「伍さん。何かご用ですか?」
「師匠が特別に、創刊号の初稿を見せてくれるそうですよ」

 売れっ子作家の生原稿を見られるなど、滅多にない。にっこりと笑う伍の後を追い、二階へと続く階段を上った。刹那が何か言っていた気がするが、今はそんなこと気にするものか。

「師匠は屋敷のあちこちに執筆部屋を持ってて、その日の気分で書く場所を変えるんですよー」
「そうなんですね。内側を見せてもらえるって、何だかすご、く――」

 通常、階段の途中にあるはずのないものと目が合い、思わず足を止めた。人型をした素焼きの陶器だ。丸い頭にぽっかりと開いた三つの深淵が、こちらをじっと見つめている。

「伍さん、この埴輪は……」

 ただの置き物にしては、何か妙だ。あの目の奥から視線を感じる。

「え? 何っすか?」

 先を行く伍が振り返った瞬間、埴輪が消えた。確かにそこにいたはずなのに、最初から何もなかったかのように。あんなにはっきりとした見間違いがあるだろうか。しかしそこにいないのだから、確かめようがない。首を捻りながらも、伍の後へ続くことにした。

「ほら、ここっす」
「あれ? 子葉さんはどこですか?」

 案内された部屋には、誰の影もなかった。原稿用紙の散乱する、十畳ほどの座敷。文机には原稿用紙と万年筆が乱雑に放置されている。

「あははっ、子葉さんはいないっすよ」

 ゾクリ。覚えのある気配が背筋を駆け上がった。

「ここには君と……我《おれ》だけだから」

 すぐさま背後の襖を振り返るも、ピタリとくっついていて開かない。

「そう焦らないで、少し話でもしましょうよ。いやぁ、君が読書家で助かりました」

 窓も開いていないのに、部屋の床を埋め尽くす原稿用紙が舞い上がる。それらは天井や窓、畳に張り付き、「逃がさない」と言っているかのようだった。

「赤い着物の女は神っすね? 名も無き弱小神みたいですが、あれからは色師の匂いがした。すると君たちは――」

 本で読んだ描写と重なる、真っ黒な巨体に薄っぺらな手。そして黒い表皮を這い回る無数の目玉、腹に開かれた二つ目の「口」――伍は、先ほど読んだばかりの「怪物」へと姿を変えた。

『この我を人に堕としめんとする、主神の遣いというわけか』

 乾いた口は何も答えることができない。見開いた目を逸らすことは許されない。沈黙の合間に鳴る遠雷に気づいたことで、ようやく八咫の声が聞こえるようになった。

『おい、気をつけやがれ! こいつは数多の贄を喰らい神力を高めてきた、正真正銘の邪神――異形の神だ』

 刹那の放つ威圧とは比べ物にならない。息を吸うだけで、肺が圧し潰されそうだ。

「確かに私たちは、神粧の儀を行うためにあなたを訪ねてきました。これが神への『罰』であることも理解しています。でも……あなたは、人と共に在りたいのでは?」

 黒い巨体を忙しなく這いずり回っていた目玉が、ピタリと止まった。

「あなたは本を好み、こうして子葉先生と暮らしているじゃないですか」

 異形の神が伍という青年に化け、人里に降りた理由は分からない。しかし、この神が人に近づきたがったことは確かだ。

「そろそろ黙ってくれないっすか? 何を言われようと、僕の答えは『否』ですから」

 伍の声が黒い巨体から響く。目の前にいるはずなのに、判別のしようがない妙な形。腹に開いた口だけは、地獄への入り口さながらにぽっかり開いている。

『我は飽くなき異形――其方の皮から骨まで、余すことなく堪能しよう』

 黒く薄っぺらい手が頬に伸びてくる。身構えたものの、手は乱暴を働こうとはしない。ただ触れているだけの指先からは、深い悲しみが流れ込んできた。

『本能が……蝕む……我は……何モノだ……?』

 異形の声、なのだろうか。やがて声は甲高い悲鳴と重なり、頭が割れそうなほどに増幅した。孤独、悲嘆、怨念……負の音に、体が押し潰されそうになる。
 コレハ、不味イ――。

 屋根を打つ轟音と雷鳴が遠ざかっていく。やがて思考すら飛びそうになった、その時。

「小僧!」

 雨混じりの硝子粒が頬に刺さり、痛みで正気を取り戻した。赤い何かが窓を破って、畳の間へ飛び込んできたようだ。

「……せつ、な?」

 霞む目を擦る間もなく、刹那の蹴りが異形の巨体に直撃する。

『おい咲、刹那っつったか!?』

 八咫の上擦った声は、鈍い音に掻き消された。刹那は異形の、餅のような弾力の体に弾き飛ばされてしまったのだ。

『色師の遣い――無名神が我に敵うと?』

 畳にめり込んだ刹那はすぐさま飛び上がると、異形をキッと睨みつけた。

「クソが……よく喋る上の口と合わせて、下の口も潰してやる」

 目では追えない速さで、刹那は拳と蹴りを繰り返している。一方異形は、巨大な口をさらに開き欠伸をしていた。

「あのさぁ、そろそろ良いっすか? 僕、飽きてきたんすけど」

 異形の薄っぺらい手が動き出した。壁や天井をひっそり這う手に、刹那は気づいていない。
「危ない!」、と駆けだした途端に裾が絡まり、畳へ顔面を打ちつけた。痛みを感じる間も惜しんで、刹那と異形を仰いだ瞬間。真紅の生温い飛沫が、頬に降りかかった。
異形と向かい合っている刹那の右肩が、無い。石臼のように巨大な歯が、刹那から千切った肉を噛みしめていた。

『刹那! おい……!』

 八咫の声で、何とか意識を保っていられる。それでも足に力が入らなくなり、血溜まりの中に膝をついた。刹那の下敷きになっている原稿用紙に、鮮烈な「赤」が染みていく。

『次はお前だ』

 薄っぺらな手に絡め取られると、再びあの嘆きが聞こえてきた。

『我は、人か? 獣か、あるいは虫か……』

 唐突に襲いかかる暗闇に、既視感を覚える。これはアレだ。雪見の時と同じ、神の記憶――そう理解した途端、暗闇がパチンと弾け飛んだ。目の前に現れたのは、二口の異形。この世のあらゆる生き物が混ざり合った、今よりも随分禍々しい様相をしている。

 異形は己が何者かを知るために、人や獣を喰らう。ただ、喰らうことには苦しみが伴うようだ。それを和らげるために、また喰らう。死に際の人や家畜を喰らう異形は、「邪神」として人々から畏れられるようになった。異形の怒りを鎮めるため、やがて祠が建立される。月日が流れ、街の様子は変わっていく。田畑の野は埋め立てられ、木の家屋は石造りの庁舎へと変化する。いつの間にか人々は、異形への畏れどころか存在すら忘れるようになった。
 忘れ去られ、顕現することすらできなくなった異形の神。そんな異形の祠を、ある日ひとりの男が訪れる。

『吾輩は作家だ! 紙を無駄にするだけの男などでは決してない! そうだろう?』
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