ヒトカミ粧

見早

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第三章 二口痛シ痒シ

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『ほぉ、こりゃすげーな! 咲、お前みてぇなナリの女どもがあちこちにいるぜ?』

 高等学校や女学校が隣接する、ハイカラな学生街。洋化が進んだ帝都ほどではないが、ここもそれなりに発展した街らしい。こんなところに六神のひと柱、異形の神がいるというのだが。

「……そうですね」

 色師に必要だと渡された格好――リボンに袴、革靴の女学生に扮したものの、これは本当に意味があるのだろうか。後ろの神は赤い着物に散切り髪と、まったくいつも通りだ。

「それで、異形の神はどんな方なんですか?」

 次の六神の正確な居場所は色師にも分からず、お得意の千里眼も妨害されているらしい。

『位の通り、姿形が定まってねぇ奴だ。俺が最後に見たときゃ、巨大な黒毛玉に薄っぺらい手が生えたバケモノだったが、今は獣、人、虫……何に化けてんだかねぇ』

 ちらりと後ろを振り返ると、凪いだ赤眼は露店を眺めていた。

『まぁ手掛かり無しってワケじゃあねぇ』

 手掛かりとは、神は棲み処の近くから離れないということだった。この街が異形の神縁の土地であることは、ひとまず間違いないらしい。

「じゃあ、社はどこにあるんですか?」
『奴は雪見みてぇな善神とは違う。死に際の生き物を喰らい糧にしてきた、正真正銘の邪神だぜ? 社なんざあるのかねぇ』

 異形を見つけられたとして、そんな神を刹那は屈伏できるのだろうか。

「おい小僧、あのヘンテコは何だ?」

 誰かと思えば、ずっと明後日の方向を見ていた刹那だ。先ほどまで沈んでいた赤眼には、チラチラと火種が燻っている。

「蓄音機ですよ。あらかじめ吹き込んだ声が、後から何度でも聞けるんです」

 本当にこの神は、人の世について知らないようだ。しかし初めて刹那と出会ったのは花街の雑踏の中、人の世だった。そういえば、刹那はあそこで何をしていたのだろうか。

「この甘ったるい音は――」

 歌声に耳を傾けている刹那の横顔が、一瞬こわばったように見えた。洋詞の歌は聞き慣れないのだろう。

「一条愛生《いちじょうあいお》ですよ。帝都の歌劇団『一条の光』で、一番人気の歌姫です」

 数年前から雑誌で話題の、高い歌唱力と愛らしい面立ちで有名の歌姫。芸事や服飾など、流行の最先端である一条からは、俺も学ぶことが多い。
 ちょうど店先にあったビラを指すと、刹那は大きく目を見開いた。これまた、薄桃色の洋服が見慣れないのだろう。

「俺は店の人に話を聞いてきますね」

 ビラに釘付けの刹那を店先に残し、本棚に囲まれた狭い通路へと入っていく。並ぶ背表紙を見ているとつい手に取りたくなるが、今は我慢だ。そんな暇はない、と言い聞かせたばかりのところで、無視できない表紙を見つけてしまった。

「子葉《しよう》先生の新刊!」

 助六じいさんの所に最近入ってきた中でも、特に続きが気になるものが、この真田子葉が参加している同人雑誌だ。この場で買ってしまいたいが、そんな銭の余裕はない。

「真田子葉をご存じとは、君、中々の好き者っすねぇ」

 振り返った先には、学帽、洋服に長着、袴を身につけた青年――いかにも書生風の男がいた。

「僕、伍《いつ》っていいます。あっ、軟派じゃあないですよ? 僕も子葉の愛好家(ファン)で、つい声をかけちゃっただけっすから」

 伍と名乗る男は、こちらの警戒心を根こそぎ奪い取ってしまうほどに人懐っこい笑みを浮かべている。

「あの、突然で申し訳ありませんが。異形の神について、何かご存知ですか?」

 突然に突然で返したところ、伍は丸い瞳をより真ん丸にして首を傾げた。

「君も物書きっすか? そういうネタ集めに来たんでしょう? 見ない顔ですもん」

 全くの的外れだったが、これは都合が良い。

「それで、の神でしたっけ? そういうのに詳しそうな人、僕知ってます」

 この街の風俗についてならば、地主よりも詳しい人がいる。善意満点の笑顔で店の外へと手を引かれ、着いた先は立派な門構えの屋敷だった。

「あの、ここは?」
「真田子葉の邸宅っす。じゃあ、僕は用事があるので失礼しますー」

 まさか、あの子葉先生のご自宅へ連れて来られるとは。緊張と期待に全身が硬直し、小走りに去っていく伍をただ見ていることしかできなかった。

「おい、これはどうすればいい?」

 不機嫌な声に振り返ると、刹那はきちんと後をついてきていた。手元にある雑誌は、子葉が新進気鋭の作家たちと創刊した同人雑誌の最新刊だ。

「あの珍妙な恰好をした奴に押し付けられた」
「いらないならください!」

 広告活動というやつだろうか。本をタダでくれるとは、伍の家は相当裕福に違いない。

「では、行きます」、と刹那ではなく己に合図を出し、進もうとしない足を進ませた。雑誌をしっかり抱えたまま、年季の入った屋敷の戸を叩く。

「真田子葉様はご在宅でしょうか?」

 やがて細く開けた戸の隙間から、鋭い眼光が覗いた。

「……学生か。何用かね?」

 姿を見なくても、声だけで威厳のある人物と分かる。これが真田子葉――作品の内容から想像するよりも、ずっと厳つい初老の男だ。しかし彼の足元に巻き付くふくよかな三毛猫のおかげで、幾分か話しかけやすくなった。

「私たち、伍という方に紹介されて来たんです。あなたがこの街の世俗に詳しいとお聞きして」
「伍、だと?」

 値踏みするような視線が手元の雑誌に移った直後。子葉は「入りたまえ」と吐き捨て、奥へ行ってしまう。
 囲炉裏の板間に案内され、自己紹介もそこそこに訪問の目的を果たすことにした。

「この街に縁のある異形の神について、何かご存知ないでしょうか?」

 なぜか板間の隅で壁に向かっている子葉に問いかけると、咳払いがひとつ返ってきた。

「君は、神や仏が存在すると思うかね?」

 これはもしや、何か知っているのだろうか。

「小僧。手間がかかるようなら、ちょいと絞めてやるが――」
「も、もう少し待ってください!」

 隙あらば飛びかかろうとする刹那の肩を押さえ、子葉の意図を探ることに集中する。

「私は、いると思います」

 事実隣にいる。はっきりと答えてみたが、子葉はこちらを振り返らない。いつの間にか俺の膝にいた三毛猫は、子葉の方へと駆けていく。

「それでその、異形の神については――」
「街外れの林道に、古びた祠がある。以前はあそこでよく原稿を読み直したものだ」

 猫の背を撫でたまま、子葉は最後までこちらを向かなかった。



「祠など掃いて捨てるほどあるが、その祠は本当に異形のものなんだろうな?」

「たぶん」、と言うほかない。子葉に教わった通りの道順を行くと、やがて苔のむした鳥居と祠が見えてきた。何と奇妙な立地だろう。急な坂の横道に神域が残されている。

「おい、あの女――」

 祠の前に、真新しい自転車が停まっていた。その隣に並ぶ平たい石を安楽椅子代わりに、飴色リボンの女学生が雑誌――それも子葉の最新刊を食い入るように読んでいる。異様な殺気を纏いながら。

「あれが異形の神ですか?」
「分からん……が、あの娘がいる祠には、神が住んでいた跡がある」

 本片手にブツブツと呟いている以外、至って普通の女学生に見える。刹那が目の前に仁王立ちしても、こちらを見ようとはしない。

「貴様が異形の神か?」
「いや直球過ぎですって!」

 やっと気づいた様子の女学生は、澄んだ瞳で刹那を見上げた。

「私が異形? それも、神様……? 愉快な方達ですわね! ここに私の蔵書があると聞いていらしたのかしら?」

 コロコロ笑う女学生は、滋子と名乗った。名前に覚えはないが、どういうわけか顔は何となく見覚えがある。が、どこで会ったかはサッパリだ。滋子は手元の雑誌を膝に置き、祠の前戸を自分の家の棚さながらに開けている。中には数冊の本が収納されていた。

「あなたのおっしゃる通り、ここは異形の神様が祀られている場所と聞いていますわ」

 チラリと隣を見上げると、刹那は小さく首を横に振った。

「異形の神様は本がお好きなんですって。それで私、ここに書館を設けることにしましたの」

 滋子いわく、ここは坂の上の学校に通う学生が、よく休憩して本を読む場所らしい。

「神様はさておき、これなどオススメですわ。世間で流行りのステキな歌姫もよろしいですが、地元作家、真田子葉の浪漫小説など――」

 カッと目を見開いた滋子の視線は、俺の手元に注がれていた。

「まぁ! あなたも子葉先生の愛好家ですのね? 子葉先生は二年前まで全くの無名でしたの。以前は高校で教師をなさっていて、今は書生さんと同居中なのです。お二人とも殿方ですが、まるで恋人同士のように仲睦まじく、見ていてこう胸が締め付けられるような? その書生さんもまた、私の理想ド直球の美少年でして――」

 本好きを自負していたが、滋子はそれを軽く上回る「本の虫」だ。まさか作家の人となりや人間関係まで研究しているとは。

 息継ぎなしに喋り続ける滋子が、石段から降りようとしたその時。滋子の姿が、目の前からふと消えた。湿った石で靴底を滑らせたのだ。咄嗟に伸ばした手は間に合わなかったが、代わりに刹那が滋子を受け止めていた。浅い溜息を吐く刹那の横顔に、滋子の目が釘付けになっている。

「お、おお……」

 よほど驚いたのか、滋子は水揚げされた金魚のように口を開閉していた。

「お姉様――私、今の衝撃で貴女に心を奪われましたわ! おいくつなの? お住まいはどこ?」
「は? は、二十歳……? 落花町……?」

 滋子が「いつか必ずお礼に行きます!」と力を込めて告げると、刹那はぎこちなく頷いた。面白いことに、あの刹那が滋子に圧倒されているようだ。
 この出会いが存外、刹那が人と接する練習になったことは良い。ただ祠の場所が分かった以外、特に収穫のないまま日が落ちてしまった。
 鳴り止まない腹を抱えて提灯通りを歩いていると、刹那が往来で足を止めた。視線の先には、こちらを熱心に見つめている青年がいる。

「あっ! 咲さんとお連れの方じゃないっすか」

 書生風の男――伍が、人懐っこい笑顔で駆けてきた。その後ろにいるのは、なんと子葉だ。二人は連れ立って、総菜屋で買い物中だった。相変わらず子葉とは目が合わない。

「折角だ。咲女史とお連れの方も、我が家で一緒にどうかね? 君は伍の友人なのだから、お代はすべて吾輩持ちで結構」

 いつの間にか、伍の友人と認定されたらしい。あの後、伍がそう伝えたのだろうか。
 伍の絶え間ないお喋りの相手をしながら子葉宅に向かい、四人で小さな卓を囲むことになった。子葉は伍の隣で満足げに微笑んでいる。初見からは想像もできない優しい顔で。

「彼は見どころのある若者でね。学業の傍ら、吾輩の執筆を助けてくれているのだよ」

 耳を染めてはにかむ伍を、子葉はとろけた顔で見つめている。

「伍君とは二年前、例の祠で出会ってね。そうだ、異形の神について何か収穫はあったのかね?」

 すかさず滋子のことを話すと、子葉の頬がピンと引きつった。代わりに伍が、味噌汁をすする合間に事情を話してくれる。

「家のことはよく分かりませんけど、自転車で学生街まで通っているそうで。坂の祠か書店で見かけることが多いっすねぇ」

 晩飯を食べ進める間、滋子について分かったことはそれくらいだった。ついでに、子葉が女性を苦手としていることも。
 祠によく居るということは、まさか滋子は――いや。八咫は、異形が「人の姿をしているとは限らない」と言っていた。それに、滋子以外にも祠を訪れる人は多いだろう。
 満腹になった後、子葉は今晩の宿を尋ねてきた。

「決まっていないのかね? 結構、結構! うちに来なさい。伍君の友人ならば歓迎しよう」

 酒気を帯びた子葉は、伍に肩を貸してもらい上機嫌だった。最初の警戒心たっぷりな視線がまるで嘘のようだ。

「何? 咲女史は拙作の創刊号を読んでいないと? うちにあるものを読んでいきなさい。誠に、意欲のある学生は素晴らしい!」
「師匠ってば飲み過ぎ。咲さん、師匠が転んだら巻き込まれますから、離れた方がいいっすよ!」

 伍にそっと肩を押され、隣の刹那に背中が触れた。晩飯に加え洋酒までご馳走になっていた刹那は、天井に吊り下がる電球を仰いでぼうっとしている。

「お世話になる方向で良いですよね? どうせ明日もこの街を調べますし」
「ああ、構わない。これは――」

 突然、フワフワしていた刹那の表情が引き締まった。

「な、何ですか?」

 刹那の手が近づいてくると、体が反射で縮む。それに構うことなく、刹那は俺の鼻先で何かを掴み取った。

「虫ですか?」
「いや……ひと雨来そうだな」
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