ヒトカミ粧

見早

文字の大きさ
上 下
8 / 39
第二章 盲狐の嫁入り

しおりを挟む
 まずは、巫女たちが「花嫁を見つけた」と本殿まで雪見を連れて行くところからだ。

「雪見が狐に憑かれたってぇのは本当か?」

 あれほど外で騒いでいたのだ。本橋屋や親族、野次馬たちは、当然それを疑っている。そんな彼らの前で、雪見はただ事ではない様子を見せる。ひとまず、「妾はこの女子にとり憑いた妖狐なり」と主張してもらうことにした。これで完全に狐が憑いたと信じたことだろう。

「こりゃ大変だ! 狐落としができる者など、この辺りにいるのか?」

 そうなったところでこちらの出番だ。

「お取込み中のところ失礼っ!」

 最近声を張ることなどないせいか、声が少し裏返った。それでも平静を装い、人だかりをすり抜けていく。あたかも今通りがかった者という風に。

「私は『狐落とし専門家』でございます。こちらに狐憑きの気配を感じ、馳せ参じました」

 刹那の小さな手を半ば無理やり引きながら、様子のおかしい花嫁を演じている雪見の前までやって来た。それはもう、神職らしい恰好で。

「おい……貴様に矜持はないのか?」

 刹那の憐れみを帯びた囁きに、せっかく装っていた平静が崩れそうになる。

「しっ! 頼みますから、静かにしていてください」

 まさか男に生まれたこの身で、『神がかりの巫女』に化けるなど思いも寄らなかったが――女装が今更なんだというのか。万が一野次馬に顔見知りが混ざっていたら大惨事なため、念入りに変装した結果だ。

「こちらの花嫁が狐憑きのようですね。私がこの方の体から妖狐を追い出し、手伝いが退治してみせましょう」

 何とか「只者ではなさそうな微笑み」を絶やさず、頭の中の台本を読み上げた。隣の刹那は、生気のない顔でそっぽを向いている。

「狐落としの専門家だとぉ? こんな童が?」
「銭を騙し取るつもりかもしれんぞ」

 次々と湧き上がる疑念の声も想定内だ。

「ご安心を。今回料金はいただきません。私たちは無事婚礼の儀を済ませていただきたいという一心で、こちらに参った次第です」

 これで何とか不満を収める予定だったのだが、疑いの目はまだ続いていた。

「あの娘から、何やら妙な気配を感じるのぅ」

 折り重なる声にも負けないそのしわがれ声は、聞き覚えのあるものだった。群衆の中、刹那に真っすぐ指先を向けるのは、社に来て最初に見たお婆さんだ。

「えー、とにかく! 妖狐が体から出ていく様子は、皆さまにもご覧いただけるかと思います。それが狐落とし成功の証となるでしょう」

 始めてしまえばこちらのものだ。白無垢を引き裂く勢いで悶える雪見に向き直り、祈祷の道具役をしてくれる八咫を掲げた。さらに後ろで待機している遣い狐たちに、目で合図を送る。

「古狐 古狐 はや立ちかへれ 本の社へ」

 以前、助六じいさんとした雑談の中にあった祈祷(?)を唱える。この出鱈目な呪文を合図に、雪見の後ろから巨大化した遣い狐が姿を現すことになっている。なっているのだが……。
 遣い狐は動こうとしない。痺れを切らした野次馬がざわめきだしても、そのままだった。

「やはり我らにはできん! 人に真の姿を晒すなど」

 雪見の足元に巻き付いて離れない遣い狐の姿に、言葉が詰まる。
 そうだ。自分の本性を現すことは、とても恐ろしいことだ。何でもいいからやれ、などと俺が言えたことではない。
 それでも――。

「あなた方は雪見さんのために、この作戦に乗ってくれたのでしょう? 俺も同じ気持ちです。雪見さんにもあなたたちにも、幸せになってほしいから」

 励ましにもなっていないかもしれない。
それでも「雪見のため」、という言葉を改めて掛けると、遣い狐たちは頷いてくれた。

「おおっ……! まさか、本当に……!」

 無数の視線、どよめきの中、巨大な白狐は姿を現した。雪見の背後から飛び上がった狐は、台本通り刹那に向かっていく。居眠りを始めていた刹那もまた、遣い狐が表に登場すると狐の尾を捕まえてくれた。そのまま本気でやっつけてしまわないか雪見は心配していたが、そこは大丈夫だ。枷が発動しているおかげで、刹那の力は幼子並みになっている。
 やがて巨大な狐の姿が跡形もなく消えると、見物人たちはしんと静まり返った。

「さて、旦那様。きちんと妖狐を落とせたかどうか……お嫁様に触れて確かめてくださいませ」

 狐が自分に憑くことを恐れれば、若旦那は雪見に触れようとしないはず。しかし雪見のことを誠に思うならば――嫌な試し方だが、今はこれしか思いつかない。一仕事終えた後の狐たちと刹那に目を配り、最後に若旦那へ視線を戻した。

「雪見……? 雪見なのか?」

 ためらいなく近づく本橋屋に向けて、雪見は泣きそうに微笑んだ。

「はい、旦那様。ご心配おかけいたしました」
「雪見!」

 良かった、良かった、と雪見を抱き寄せる本橋屋の様子に、自然と顔が綻んだ。あの女好きは、今は雪見のことを本気で想っているらしい。遣い狐たちにもそれが分かったのか、涙ぐむ本橋屋を温かく見つめている。それにしても、「演じる」ことについては俺も多少なりと自信があったつもりだが、雪見の演技力には自信を無くしそうだ。
 狐憑きから回復した花嫁とそれを喜ぶ花婿に向けて、野次馬から歓声が巻き起こる中。

「咲。しばしよろしいですか? 最後に頼みたいことがあるのです」

 離れようとしない本橋屋をなだめ、祝福の的になっている雪見が近づいてきた。

「お色直しをお願いします」

 お色直しといっても、崩れた化粧を直すくらいのことだろう。花嫁の衣裳部屋になっている座敷へ向かうまでは、そう思っていたのだが。

「この晴れの日に相応しい化粧を、どうかもう一度、其方にしてほしいのです。我――私では上手くいかなくて」

 立派な漆塗りの鏡台を前に、雪見は深々と頭を下げた。変装用の化粧、それから父の舞台用の化粧などは何度もしてきたが、花嫁に化粧をするのは初めてだ。

「お……私で良いのでしょうか」
「咲にお願いしたいのです」

 雑誌で見た絵を思い出せば、何とかそれっぽくなるだろうか。
嫁入り道具として揃えたという雪見の化粧道具を借りて、初めての大仕事へ挑む。元の姿に戻った刹那は急かすことを諦めたのか、八咫をこちらに押し付け、「その辺で暇をつぶしてくる」と出ていってしまった。
 化粧の最中。雪見は時に笑顔を見せながら、時に寂しげなため息を吐きながら、本橋屋との馴れ初めについて語る。神と人の恋物語は、以前雑誌で読んだものと同じ道筋だった。出会い、惹かれ、結ばれる――人同士と何ら変わりない。

「やはり主様は、あの男を本意から慕っていると仰るのですね?」

 化粧を見学している狐のうち一匹が声を上げると、その中心にいる雪見は微笑んだ。

「ええ。私が人となったことが何よりの証でしょう。愛するものと同じ世に下り、共に歩めるようにしていただいたのです。此方の咲――化粧師様に」

 穏やかな雪見の横顔に、緊張していた背中がより真っ直ぐになった。

「神粧の儀は六神への罰と聞き及んでおりましたが、私にとってはむしろ有り難きことでした。不誠実な受け止め方をしてしまい、主神には申し訳が立ちませんが」

 雪見の神粧を、ただの罰という言葉で片づけてはいけない。雪見は望んで人となったが、やはり覚悟して己の姿――在り方を変えたに違いないのだから。

「全て承知いたしました。皆、よろしいですね?」

 ある一匹の鳴き声を合図に、白狐たちは一斉にこちらへ集まってきた。勢いあまって膝に飛び乗ってきた狐もいる。

「咲様、いえ化粧師様。どうか我らに、神粧の儀を施していただけませんでしょうか」

 狐たちは揃って、これからも雪見の傍で仕えたいと申し出た。こちらを見上げる琥珀の瞳は、不安と期待に満ちている。

「本当にそうしたいって言うのなら、良いですけど」

 すると狐たちの歓喜に混じって、八咫の豪快な笑い声が響いた。

『やったな咲! 完全に色師の千里眼を覆しやがったか』

 雪見の花嫁化粧が何とか終わった後。ずっと膝で丸まっていた一匹の狐を降ろし、板間の隅に置いてある化粧箱を取りに行った。

「では、始めます」

 一列に並ぶ狐たちを前に、色具の支度をする。昨日、雪見に使って余った「純白」の色具だ。
 神粧の儀は、人にする化粧とは違う。色師の神力が混ざっているという色具を、ただ神の顔に乗せれば良い。そうすれば自動的に、人の顔が浮かび上がる。
 みんな同じ顔にならないよな、これ――?
 一匹目の狐に刷毛を向けながら、ふと不安が過った。五つ子程度ならば何とかなりそうだが、流石に十を超える同じ顔は誤魔化しきれない。
 いざ、と乳白の毛に刷毛をつけたその時。視界に薄もやが立ち込めた。八咫に問いかける間もなく、何も見えなくなってしまう。今認識できるのは自分の声と、それから鼻をくすぐる甘い匂い――。

『雪見、こっちへおいで。土産があるんだ』

 真っ白な中からの声が、次第にはっきりとしてくる。それが男の声であると分かった途端、視界いっぱいに晴天が広がった。確かに自分は屋内の座敷にいたはずだ。それが今は、殿の縁側らしき場所に座っている。

『まぁ××様。美味しそうなお団子ですね』

 女の声がしたと認識した瞬間、隣に一組の男女が現れた。男は時代遅れの髷に上等な袴、女は巫女の格好をしている。縁側に並んで腰かけ、団子の包みを広げているところだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

ドマゾネスの掟 ~ドMな褐色少女は僕に責められたがっている~

ファンタジー
探検家の主人公は伝説の部族ドマゾネスを探すために密林の奥へ進むが道に迷ってしまう。 そんな彼をドマゾネスの少女カリナが発見してドマゾネスの村に連れていく。 そして、目覚めた彼はドマゾネスたちから歓迎され、子種を求められるのだった。

処理中です...