花嫁シスター×美食家たち

見早

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sorbet:友

2.「里帰り」

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 久しぶりの潮風を浴びながら門をくぐり、敷地の掃除をする弟妹たちへの挨拶もそこそこに礼拝堂を過ぎました。
 玄関を通る間も惜しんで窓から侵入すると、ノットの甲高い声が後頭部に突き刺さります。「はしたない!」、といつもの文句で。
 本当は2階の屋根に飛び上がって、ビショップの部屋の窓を叩きたいほどだったのですが。せめて1階から入った冷静さを評価して頂きたいものです。

「お父様!」

 ドアも叩かず入ってしまったせいか、それとも私がここにいることが不思議なのか。窓辺のテーブルで筆を執っていたビショップは、目を丸くして何度も瞬きをしています。

「ロリッサ? どうしてここに――」

 最後に見た時と変わりないビショップを、5割ほどの力で抱きしめました。長らく感じていなかった優しい温度、ほっとする匂いに、目の奥が熱くなります。
 ビショップは「どうしたんだい」、と繰り返しつつも背中に腕を回してくださいました。

「具合、まだ良くないんですか?」
「あぁ、そのことか。少し状態が落ち着いたからね。お前に手紙でも出そうと思って、ちょうど書き終えたところだったんだが……無駄になってしまったな」

 ビショップが見せてくださったのは、まだ乾いていない宛名の書かれた封筒です。
 こうして字を見ると思い出すのですが、やはり「r」だけヘンテコな形になっています。

「だから申し上げたでしょう。ビショップは『軽い風邪』だと」

 はっと我に返ると、部屋の入り口にノットが立っていました。さり気なくビショップの腕から抜け出し、憂い混じりの碧眼から視線を逸らします。

「だって、外出できないほど弱っていらっしゃるのかと思ったので」
「まったく、シスター・ロリッサもシスター・アグネスも心配性だな。それで、仕事を放り出してきたわけではないだろうね?」

 ビショップは微笑みを携えたままでしたが、すぐに気づきました。これは少し怒っていらっしゃるな、と。

「放り出してはいません! ちょっと心配だったので、一時帰省です」

 いくら娘たちに甘々のお父様といえど、任務となると話は別。生半可な気持ちでは、手酷いお仕置きを受けることになります。

「ノットが上手くやってくれるなんて期待してはいけないよ。自分で行くと言ったのだから、まずは自分で危機管理をしないと」
「……はい、ビショップ様」

 ビショップは「ノットと2人で話があるから」、と早々に私を部屋から追い立てました。そうはいってもノットと一緒に帰る予定ですから、どこかで時間を潰さなければなりません。自室へ戻ることも考えましたが、これ以上ホームシックになっては困ります。
 廊下の窓からチラッと見えた眼帯のシスターを追いかけ、表へ出ることにしました。

「シスター・アグネス! 花壇の水遣りなんて珍しいですね」
「あ? ロリッサか! 何でここにいるんだよ?」

 アグネスはじょうろを落とすと、大きく腕を広げてくださいました。遠慮なく駆け寄り胸に飛び込むと、そのまま腰を掴まれて高く持ち上げられます。
 まったく、アグネスは私がいくつになってもコレを止めようとしないのです。

「弟たちが見ているので降ろしてください! それで、花壇の水遣りはビショップの楽しみだったでしょう。どうしてアグネスがしているのですか?」
「体が万全じゃないのに、外をウロウロさせるわけにもいかねぇだろ? オレがビショップの代わりにやるっつったんだ」

 普段アグネスは、お料理やお洗濯を仕切っています。家事リーダーの彼女は多忙なのです。そんな彼女を手伝おうとすると、「お前は弟たちと遊んでやってくれ」、とぎこちない笑顔で告げられたことを思い出しました。
 今考えると、皿を割ったりシャツを破いたりする私を家事から遠ざけていたのでしょう。

「よし、ここは終わりだ。次行くぞ」

 手伝いを申し出ると、やはり断られましたが。それでもアグネスともっと話したかったため、カルガモのように付きまとうことにいたしました。
 水のたっぷり入ったじょうろを抱え、アグネスが向かったのは裏庭にある温室です。昔は灯台代わりだったという小屋を改造し、ビショップの完全なる趣味として建てたものでした。
 本人は「薬草が効率よく育てられる」、と主張していらっしゃいますが。いくら役立つといっても、礼拝堂より大きな温室を造る必要はあったのでしょうか。

「わぁ、こんなに茂っていましたか? すごく色とりどりですね」
「お前はずっと出禁になってたもんな。ビショップのやつ、いろんな国の草やら花やら集めてきてんだよ。アイツ教会以外にもお友だちが多いだろ?」

 そう。あれはもう8年ほど前だったでしょうか。温室の薬草を勝手に使って滋養強壮剤を作り、それを全員の食事に混ぜたことがありました。もう思い出したくもありませんが、あの時のアグネスのお仕置きは凄まじく、一週間はアグネスを見る度震えが止まらなかったほどです。
 すっかり丸くなったのか、それとも私以上のイタズラを試みるような子は今いないのか。花に水を遣るアグネスの横顔は、以前よりも柔和な気がします。

「この花は何ていうの? 葉っぱがすごく大きいですね」

 水を張ったプールのような場所に、見たこともないピンクの花が浮いています。さらに注目すべきは、水の中から突き出ている葉っぱです。それは私が腕を広げても足りないほどの大きさでした。

「あぁ、確か蓮(ロータス)っつったか。この葉っぱ面白いんだぜ」

 アグネスがじょうろの水を葉の上にかけると、水が玉のようになって中心に集まっていきます。傘の布地よりも水を弾いているようです。
「ほら、ここ触ってみろよ」と促され、水の玉が滑り落ちた後の葉に触れてみると。

「え……? まったく濡れていません!」
「だろ? 東の国から取り寄せたらしいが、これはすげぇよな」

 そうして珍しい草花を回る内に、水遣りも半分が終わりました。ただ後ろで立っているだけはもどかしいですが、土を運ぶのを手伝おうとするだけでも制止が入ります。

「そんで、手紙にも書いたけど。いい男は見つかったかよ」
「は……?」

 マダーマム家の花嫁修業は、食人鬼(グルマン)を探し出すための潜入捜査。それは事前準備を手伝ってくださったシスター・アグネスだって、当然お分かりのはずです。

「別にいいじゃねぇか。どうせここにいたって出会いねぇし、任務のついでに男見つけてこいよ」

 まったく、この姉貴分様は。シスターの本分を誰よりも学んだ上で、時々このようなことをおっしゃるのです。

「本来シスターは『神の花嫁』、神父も『神に仕える者』です。任務中はその辺りの判定がゆるゆるですが、私は誰とも――」
「『神に操を立てたシスターは、生涯誰とも結ばれることはありません』、ってか? 古い、古いぜロリッサ! お前はまだしも、オレなんかシスターになる前から純潔じゃねぇ。けどビショップは、そんなのどうでもいいって言ってくれた。だろ?」

 それに関しては、首を縦に振るしかありません。ビショップは保守派の皆さんとも仲良くなさっているご様子ですが、どちらかといえば進んだ考えをお持ちです。「聖職者も節度を守れば、人としての幸せを享受すべき」、といつもおっしゃっています。ですが私には、それが良い方だけでなく悪い方にも傾く気がしてならないのです。
 その懸念は当然ビショップも感じているようで、お仕事とそれ以外を厳しく分けていらっしゃいますが。

「そうだ、お前の好きなヤツ当ててやろうか。婿候補の兄弟は4人なんだろ? まぁノットのヤツは抜いて、お前が手紙に書いてた感じだと……」
「アグネスはノットを慕っていますからね」

 さり気なく告げると、アグネスの手からじょうろが滑り落ちました。修道服の裾が濡れてしまったにもかかわらず、大きく見開いた琥珀の片目が真っ直ぐこちらを見つめています。
 私たちの立場上、指摘して良いものかずっと迷っていたのですが。やはり「当たり」だったのでしょう。10年も前から表れていた、その根拠をいくつか挙げていくと。アグネスはじょうろに残っていた水をこちらに振りまいてきました。

「ちょっと、図星だからってやめてください」
「今はお前の話なんだよ! で、お前、アールってヤツのことが好きだろ」

「悩んだフリしてやったが、最初からそう思ってた」、と興奮気味に話すアグネスの声が遠くに聞こえました。
 アールに対して「疑念」以外の感情が湧いたことがない、と言うのは嘘になるでしょう。
 あんなことやこんなこともありましたが――。

「任務だもの。好きとかどうとか、そんなの考えたことなんて……」

 ない、という言葉が喉を通りませんでした。そう断言することを、体が拒むかのように。

「そいつのことだけ妙に詳しく書いてるし、イヤでも気づくぜ。この間は空の絵を描いてただの、最近キャンバスを隠して見せてくれないだの。そんな情報、本命の調査に必要あるか?」

 ただの雑談と同じ感覚で書いていたのですが。それがどうやって「好き」という感情に繋がるのか。

「私、他の弟妹たちとも会ってきます」

 アグネスの顔を見られないまま、出口へ向かって駆け出しました。勝手に顔を覆う熱が、潮風で冷めるように。足を駆って、駆って――ふと目の前に現れた影に気づき、足を止めようとした瞬間。

「ごめんなさい!」

 私と衝突してもビクともしない人間は、アグネスかビショップ、それからノットくらいです。今回は、そのうちのノットが目の前に立っていました。

「大丈夫ですか? 本当にあなたは落ち着きがないのですから」

 胸に倒れ込んだ肩を、ノットが起こしてくれた直後。「ありがとうございます」、と見上げた碧眼には、薄闇のベールがかかっていました。優しかった手に力が込められ、いつまでも離れていく気配はありません。

「ノット……?」

 ぶつかったことを、そんなに怒っているのでしょうか。少し辛そうな表情をいつまでも見上げていると。

「夜には帰らないといけませんから、それまでご自由にどうぞ。兄弟たちがあなたに会いたがっていますよ」

 暗がりに突然咲いた笑顔は、いつもと少し違っていました。笑っているけれど、歪な形。浅くなる呼吸を感じながらも、緩められたノットの手からすり抜けます。
 その場に笑顔で留まっているノットを振り返りつつ、家族の待つ家へ駆け出しました。

「せっかくだし夕飯食べて行けよ」、とアグネスから提案を受け、久々の賑わいに囲まれている間も。やはりノットは上の空に見えました。
 弟妹たちと話している時は、いつも通り笑っているように見えますが――かつてない不安を覚え、帰る間際にビショップの部屋を訪ねることにしました。
 すでに寝巻きへ着替えていたビショップは、私の姿にほんの少し目を見開いたものの。何をどう話したものか、と入り口で立ち止まっていると、軽く腕を広げてくださいました。

「お父様、ごめんなさい。ちゃんとすぐに任務へ戻りますから、今は少しだけ……」

 どんな場所よりも安心できる腕の中――ビショップが、強く抱きしめてくださいます。ここが私の帰る場所、と改めて認識できるように。

「どうした、ノットと喧嘩したのか?」

 喧嘩ではありませんが、さすがお父様です。微妙な空気を感じ取っていらっしゃったのでしょう。
「違う」、とだけ告げて厚い胸板に額を擦り付けました。

「本当にお前は、いくつになっても可愛いな……食べてしまいたいくらいだ」

 頭のてっぺんに降り注いだ吐息に、ふと顔を上げると。ランプの灯りを映した瞳は、どこかで見たような色を宿していました。まるで暗闇の中に光る、獣のような――。

「その冗談、アグネスには言っていませんよね?」

 もしアグネスが聞いたならば、「気持ち悪りぃ」と身震いすることでしょう。
 私がここへきて間もない頃――もう15年ほど前になりますが、当時13、4歳だったアグネスに「可愛らしい」と声をかけたビショップが、豪快な回し蹴りをくらっていたことは、今でも忘れられません。

「おや、何を笑っているんだい?」
「ちょっと懐かしいことを思い出して」

 少しヒゲの伸びたアゴに手を添えたその時、ビショップがふと顔を上げました。

「入ってきたらどうだ?」

 出入り口を振り返ってはじめて、そこにノットの気配があると気づきました。

「邪魔したくない」、とらしくないことを呟くノットに、ビショップが「お前もおいで」と声を掛けると。
 ようやく部屋に入ってきたノットは、相変わらず暗い顔のままでした。それでも、ためらいつつ腕を伸ばし、ビショップの腕の中にいる私ごと抱きしめてくれます。

「ははっ、大きくなったなぁ。まさかノットに抱えられるようになるとは」

 ビショップを固く抱きしめるノットの腕は、やはり少し震えているようでした。
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