花嫁シスター×美食家たち

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poisson:食

4.「毒サラダのゆくえ」

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『ソルベ』――フルーツの果汁やリキュールを凍らせた菓子。メイン料理の間にお口直しとして提供される。
 マダーマム家に備わっているご立派な図書室で、百科事典を引いてみたものの。マチルダのおばあ様からうかがったこと以上の情報はありません。
 結局、昨晩はリアンとルイーズと楽しくお食事しただけで、課題の答えには至りませんでした。それでもルイーズが最後に言っていた言葉――「あの子を閉じ込めているのは守るため」の真意を確かめなければ。
 そのためにも、今はアールとエルへ会いに行かなければならないというのに。どういうわけか、地下室へ行こうとすると足が進まなくなるのです。

「課題、まだ終わってなかったんだ」

 突然の背後からの声に、思わずソファから飛び上がってしまいました。ここまで近づかれても気がつかないなんて、勘が鈍ってしまったのでしょうか。

「モア、学校はどうしたのですか?」
「今日は休み。安息日だって忘れてる?」

 私服のモアは、相変わらず目の下にクマを作っていました。きっとまた一晩中作業していたのでしょう。彼は晩餐会の衣装に関することを任されているようですから。

「時間があるのなら、ちょっと教えて欲しいことが……」
「しっ、静かに。追われてるから」

 モアは入り口のドアノブを縄で結び、窓の鍵まですべてかけています。

「そこまでするなんて、誰に追われているのですか?」

 ようやくソファに腰を落ち着けたモアは、声を押し殺して「リアン」と答えました。さらにモアの唇が耳元に寄ります。

「卒業したら、ウチ御用達の仕立て屋に弟子入りする話はしたでしょ? それがリアンにバレた」

 家を出て仕立て屋になりたいという話は聞いていましたが、リアンに反対されていたことは初耳です。しかもリアンは、モアに天文塔への就職を段取りしているのだとか。

「モア? どこへ逃げたのですか?」

 廊下の方から聞こえてくる呼び声に、モアと視線を合わせたままお互いの口を手で塞ぎました。この艶を含んだ低音は、リアンのものです。
 やがて声が遠ざかっていくと、モアは重苦しいため息を吐き出しました。

「で? 教えて欲しいことって何」

 魔人病とマダーマム家。その歴史について、さらに詳しく知る必要があります。リアンは「今のこの家に魔人病はいない」、とおっしゃっていましたが。その言葉が嘘ではない証拠はありません。
 実は課題にかこつけて、そちらを調べるためにここへ来ていたのですが。

「……いいよ。ちょっと待ってて」

 晩餐会の予行会が行われたあの夜。モアが「いっそ気が済むまで調べればいい」と言った通り、どうやら協力はしてくれるようです。
 やがて梯子を滑り降りてきたモアは、明らかに他の蔵書よりも大きい本を抱えていました。年季の入った黒革の装丁をテーブルの上で開くと、初項には大樹の絵が描かれています。「Gustav(ギュスターヴ)」、「Lien(リアン)」――名前のついた実が成っているこれは家系図でしょうか。

「見て、ここ。この家には代々、何世代かにひとり美食家(グルメ)が生まれるようになってる」

 モアはナイフとフォークのマークがある実を指しました。

「マダーマム家(ウチ)でいう美食家は食人家(カニバリスト)のこと……でも食べるのは、死人の肉だけだった。昔処刑屋は、元罪人や地位のない外国人の仕事で、忌避される職業だったから」

 そのため、働いても貧しい処刑屋は食料も満足に手に入らない。そこで自分が処刑した罪人の肉を、弔いの意味も込めて食したというのです。身寄りのない遺体は返す必要がないから。

「今のマダーマム家の原型を作って、貴族として爵位を賜った人――初代ファウスト。裕福になっても、もう食べる必要がない罪人の肉を好んで食べたって話」

 食人鬼のように、殺人を犯してまで人の死肉を喰らったわけではないにしても。人の肉を喰らう男がマダーマム家のルーツ――。

「後世になって分かったらしいけど、人肉食には依存のリスクと脳への負担がある……それが魔人病って呼ばれてるものの正体なんだって」

 それから現代に至るまでに、ファウストと同じ嗜好を持つ子孫――美食家が稀に生まれるようになったといいます。ビショップが言っていた通り、やはり魔人病は遺伝するようです。

「でも、今のマダーマム家に美食家はいない」

 モアもリアンと同じことを言いますが、私は確かにこの目で見ているのです。ひと月前の霧が深い夜、食人鬼がこの家へ逃げ込んだところを。
 それに確かな証拠品だって――いっそ見せてしましょう、と拾った指輪をモアに差し出しました。

「じゃあアンタは、ウチに変な噂ばかり立ってるから調べにきたわけじゃないの?」

 深く頷き、日時まで詳しく説明すると。古紙に記されたナイフとフォークに、憂い混じりの視線が落ちました。深く、じっくり、何かを考えています。
 やがて新たなページを開いた指先が示したのは――『Gourmandise(グルマンディーズ)』。
 このような綴りを目にするのは初めてでしたが、音には覚えがあります。さらに添えられている紋章は、マダーマム家の家紋と同じでした。

「それって町の神父様がおっしゃっていた、異食クラブ?」
「……知ってたんだ。ファウストが創設者で、この家にはメンバーだった人間がたくさんいる。その中には美食家もいたって。それから、よその家の食人家も」

 するとあの時、町の神父様がおっしゃっていたように、食人鬼はグルマンディーズに属する誰かという可能性もあるのでしょうか。

「今のマダーマム家で、メンバーになっている方は?」
「お父様が会員なのは知ってる。会長は別らしいけど」

 驚愕、というよりも納得、というべきでしょうか。だからといって、当主ギュスターヴが食人鬼と決まったわけではありません。
 ギュスターヴが会長でないのは意外ですが。

「あとは再来週の晩餐会に、グルマンディーズのメンバーが招待されるって聞いた」

 そのため、ギュスターヴの部屋にはグルマンディーズの名簿があるかもしれない、とモアは小声で言います。

「でも名簿なんか見たってどうしようもないよね。しらみ潰しに事情聴取するにも時間かかるし」
「でも他に手がかりがあるのでしょうか?」

 結局この指輪は、アールの指に入りませんでした。それどころか、誰の指にも。リアンとノットはご自分のをお持ちですし。
 ですがまだ、エルへの疑いは消えていません。
 噛み痕の消えた胸に手を当て、唇を噛みしめていると。

「アンタ……アールのことは信じても、エルのことは疑ってるんだ」

 本当にこの方は、人の思考が読めるのでしょうか。うまく言葉が紡げないでいると、モアは大樹の家系図を閉じました。

「ここにいても見つかるのは時間の問題。地下へ行く」
「えっ、地下って!」
「静かに。エルと話してみたいんでしょ? 彼を引きずり出すのに、協力してあげるから……」



 リアンの目を盗み、談話室から地下へ降りると。
 格子の向こうで丸テーブルに着いているアールは、銀のフォークでサラダをつついていました。覆い布がかけられたキャンバスを眺め、ぼうっとしながら。

「こんにちは、アール」

 モアが声をかけようとしないので、意を決して挨拶をすると。
 振り返ったアールはモアと私を交互に見た後、さり気なく後ろのキャンバスを隠しました。
 やはりアレには触れてほしくないようですが――それにしても。想像していたよりずっと自然に、アールと向き合うことができました。ここへ来る直前は、どういうわけか彼の顔を見られない気がしていたのですが。

「……こんな時間に珍しいな。それもモアと一緒って」

 それでも、アールは視線を合わせてくれません。
 シスターとキスをした、ということは、彼にとって相当罪なことだったのでしょうか。

「リアンに追われてる。匿って」

 ようやく格子の前に進み出たモアに対し、アールはひとつため息を吐きました。それでも追い返さないということは、「好きにして」ということなのでしょう。

「それにしても、物騒なものを召し上がっていますね」

 毒のトッピングで死にかけたことが可愛いと思えるほど、皿には明らかに毒素の強い植物が乗っています。
 あれはイチゴではなく毒イチゴ。それにあの形はカタクリ――ではなく、トリカブト。お父様に習った野草の知識が、まさかここで役立つとは思ってもみませんでしたが。
 この量を生で食べられるのは、やはり彼がマダーマムだからなのでしょうか。

「一応言っておくけど、アールが特異体質なだけだから。いくらなんでも、あの量の毒を分解できる胃袋は他に誰も持ってないし」
「そう、アールは毒が好きなのね。肉は食べないの?」

 アールはフォークを止め、「肉は好まない」と言います。ですがエルは、人の血肉を楽しそうに味わっていました。もしやアールとエルでは食の嗜好が変わるのでしょうか――格子の前で膝を抱え、いつものように長話をする体勢をとったところ。
「ねぇ」、とモアが耳打ちをしてきました。

「そんな話をするために来たんじゃないでしょ」

 今日の彼はアールのようですから、「どうしようもありません」、とアールに向き直ると――背後から伸びてきた手に、両足首を掴まれました。

「えっ、な、何?」

 そのまま開脚させられそうになり、とっさにスカートを押さえると。見上げた先のモアは、不思議そうに首を傾げます。

「今さらなに恥ずかしがってんの。それとも『情緒』ってやつがようやく分かった?」

 いえ、何も分かりません。なぜモアがこのような奇行に走っているのかも。

「いいから話合わせて。多分うまくいく」

 囁きが耳をくすぐった瞬間、抵抗する腕が落ちかけました。これがエルを呼ぶために必要な行動だとしても。アールの前で体をまさぐられる理由が分かりません。
 フォークを皿に落としたアールは、イスから腰を上げたものの、口を半開きにして固まっています。ですがモアに、「アールはこの子が好きなの?」と問いかけられると――骨が鳴るほどの力で格子を握りしめ、鋭い眼光でこちらを睨みつけてきました。

「モア……今すぐやめろ」

 エル――ではないようですが。
 ふだん温厚な彼が放つ研ぎ澄まされた殺気に、思わず体が震えます。

「どうして? 兄貴のものじゃないなら、別にいいでしょ」
「そうじゃない。その子は花嫁修業に来たわけでもなければ、キミの人形でもないんだからな」

 低く静かな怒声に構わず、モアの指先が足の付け根に触れました。冷たい指の腹が太ももの内側を滑り、下着の上から「聖なる場所」の入り口をなぞります。
 これは必要なこと。そう、分かっているのですが――アールが見ているかと思うと、今すぐにモアを仕留めて足を閉じたくなってしまいます。

「分かってるよ。でも僕は好き……この子なら、本当にウチの家族になってもいい」
「その言葉も演技ですよね?」

 深い呼吸を保ちながら、傍にあるモアの顔を見上げたところ。「余計なこと言わないで」、と冷淡な左手に口を塞がれました。さらに悠々としていた指の動きが速くなり、「聖なる場所」の上あたり――ノットの特訓で明らかになった弱点を、集中して引っ掻くようになりました。
 快楽に負けている音が、モアの細く長い指をすり抜けて溢れてしまいます。

「この子、今ここで僕のものにするけど……いいの?」

 これは演技だというのに。なぜ体が本気で「気持ちいい」を受け入れているのでしょうか。
 下着の中に侵入したモアの指が水音を立てるようになり、頭の中がドロドロに溶けてきた頃。

「……っクソ、何でここでやるんだよバカ弟が!」

 激しく鳴る格子の音に、はっと我に帰りました。膝から崩れ落ちたアールは耳を塞ぎ、顔を伏せています。
 これは最早、冗談では済まなくなるのではないでしょうか。

「ふーん。どうしようもないから、そうやって貝になるつもりなんだ……じゃあ遠慮なく」

 モアの胸に背をくっつけ、立たせられたその時。好機――と蹴りの構えを取ったのですが。振り上げた足は、モアの細腕に難なく受け止められてしまいました。

「ほんと度胸あるよね、アンタ。そういうところが好き。好き、好き……」

 急激に加速する鼓動を抑えようと、大きく息を吸い込んだ瞬間。二の腕に熱い息がかかりました。そして血よりも濃い色の舌が、腕の血管が透けている部分から指先までをゆるゆると撫でていきます。

「ごめん……兄貴、思ったより強情みたい。ちょっと本気でやるけど――」

「演技だから」、と囁く口に、いつの間にか服がはだけていた胸の頂を強く吸われました。

「いっ……!」

 一点に走るこれは、懐かしい「痛み」の感覚。そして後からついてきた衝撃は、下半身の力が抜けるような「快感」。

「これ、知らな……っ……」

 痛みと快楽の波が交互に押し寄せる、この感覚――特訓では教えられませんでした。
 胸の形が変わりそうなほどの刺激が、ようやく止んだかと思うと。今度は両足を抱えられ、アールの前に「聖なる場所」を晒されました。
 彼はまだ床に伏せっていて、見られる心配はないようです。心配はない、のですが――。

「ねぇ、聞こえてるんでしょ。本当にこの子食べてもいいなら……ちゃんと見ててよ、エル」

 無機質な「エル」の呼び声に、伏せていたアールがゆっくりと顔を上げました。
 あぁ、まだ2度目だと言うのに――あの目を見るだけで分かります。ギラついた赤い光を宿した目。彼は間違いなく、「エル」です。
 エルは一言も発することなく立ち上がると、憤怒を燃やした瞳で見つめてきました。それも、頬に呼吸を感じるほどの距離で。

「あれ、もっと濡れてきた……エルに見られたから? 妬けちゃうね」

 声の調子が一段上がったモアは、エルに「手が足りないから手伝って」と言いました。何のことか問いかける間もなく、格子に剥き出しの胸を押し付けられます。
 とっさに掴んだ格子の隙間からエルの指が伸びてきて、胸の頂を左右同時に摘まれた瞬間――ずっと噛み殺していた息が、喉の奥からすべて吐き出されました。

「あ……やっと可愛い声出たね。エルに触られたから? ほんとムカつく」

 上も下も、弱点をすべて同時に弄られるうちに、焼けつくような視線を感じました。ずっと閉じていた瞼を開くと、アール――いえ。エルの浅い息が頬にかかります。
 大好きなソルティバニラ味と同じ。無条件に食欲が刺激される甘い匂いが、エルから漂っています。先ほどよりも近い唇に、どうしようもなく触れたい心地になっていると。

「それはダメ。アンタ死ぬよ」

 モアの濡れた手に遮られ、「気持ちいい」しか考えられなくなっていた頭が少し回りはじめました。
 そうです。毒草サラダを食した彼と唇を合わせたら、昇天――これが最期の口付けになってしまいます。

「でも……いい匂い、おいしそう……」

 とろけたままの頭で、そう口にした瞬間。唇を引き結んだエルが、一瞬視線を逸らしました。不意を突かれたように、軽く目を見開いて。
 そういえば、どなたかが言っていました。「至高の香味とは、愛する者の放つ芳香」――なぜ今思い出したのでしょう。

「ねぇ、やっぱり挿入れていい?」

 耳元の声に、ふわふわしていた意識がぎゅっと引き締まりました。

「え……モア、モア? それも演技ですよね? それに前、女性の裸体を見ても何も思わないって――」

 太ももの内側に触れた、熱い塊。これは以前見たアレです。いえ、モアのは初めて目にしますが。

「それとこれとは全然違う……アンタの内臓が汁だらだら垂らすから、勃った」

 まったく理不尽なことでは、と抗議する間もなく。

「おい、目を覚ませ淫乱シスター! そいつ今理性飛んでるからな」

「殺してでも止めろ」、と叫ぶエルの声に背を弾かれました。
 瞬間。頭のてっぺんから指先まで全身の筋肉が震え、身を焦がすような熱い血が滾ります。
 そう。何があっても、どんな犠牲を出しても、純潔を失うわけにはいきません。今なら確実に決まる――。
「せいっ!」、と渾身の力を込めた背面頭突きは、ちょうどモアの額を捉えました。
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