花嫁シスター×美食家たち

見早

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3.「リーク」

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 目の前にいるのは、本当にアールなのでしょうか。
 ふとよぎった考えを口にした途端。アールは胸を弄ぶ舌を止め、固まってしまいました。
 さらにビクともしなかった左手の拘束が緩んだ瞬間――「……せいっ!」と唯一自由の利く頭を振りかぶり、鍛え抜かれた石頭をアールの額へお見舞いしました。

「お、前……やっぱりバカ……だろ……」

 これで意識を失わないとは、さすがマダーマム家の人間です。額の薄皮は破れたようですが。
 ぐらついたアールをベッドに投げ倒し、即座に格子のドアをすり抜けました。倒れたままのアールにも、放置したままの錠前にも、今は構っている余裕などありません。
 石段を駆け上がる最中に、さまざまな疑問が頭を旋回します。中でも鮮明な恐怖から導き出された言葉は一つ――食人鬼(グルマン)の名でした。



「魔人病」患者の特徴――正常な意識や記憶を少しずつ蝕み、やがてはさらに人肉を欲する狂人に変えてしまう。ビショップは先日、たしかにそうおっしゃっていました。
 地下室で会った彼は、本当にアールだったのか――?
 朝が来ても昼になっても、昨晩のことばかりが頭を占めていました。せっかくノットが調査へ連れ出してくださったというのに。

「毎日眠そうですね、あなたは。まさかまたリアンに何かされたのではないでしょうね?」
「濡れ衣です。リアンは話せばわかる人でした」

 レンガ道を早歩きで行く隣のノットを見上げると、眉をひそめてまじまじと見つめられました。そんなに顔色が悪いのでしょうか。

「そうですか? あのリアンと話し合えるなんて、あなたはすごいですね」

 アールのことをパイルへ伝えるかどうかはさておき――これから町の教会へご挨拶するというのに、あちらの神父様にひかれてしまわないでしょうか。ショーウィンドウ越しに確認してみますが、顔色はいまいち分かりません。

「ロリッサ、前を見てください」

 呼びかけのおかげで、すれ違ったご婦人と肩をぶつけずに済みました。
 お礼を言わなければ、とノットの側に寄ると、右手に温かい指が絡みます。

「こうすれば、危なくないでしょう?」

 そういえば小さい頃、町へ行く際は必ずこうして手を繋いでいました。ノットだけでなく、ビショップも、アグネスも、みんなこうしてくれたのです。

「懐かしい気持ちになりますね、これ」

 そのまま親子のように手を繋いで、南町の教会――通称町の教会へ到着しました。海辺の教会とは違い、ここは特に高貴な身分の方々が出入りしていらっしゃるようです。
 ノットと共に荘厳な門をくぐると、教会を取り仕切る神父様が出迎えてくださいました。ノットと同じプリエストの位を賜っていらっしゃるようですが、ご年齢的には彼の方が大分先輩のようです。

「ようこそいらっしゃいました、神父ノット。そしてシスター・ロリッサ」

 精気の抜けたお顔をしていらっしゃるこちらのお方。彼が食人鬼(グルマン)第2の被害者、ゾルディ夫人の旦那様です。
 初対面ですが、ビショップからお話を聞いたことがあります。生涯未婚の聖職者が多い中、教義のグレーゾーンを突いて若い奥様を娶られたと。

「こちらへどうぞ。誰にも聞かれないように」

 礼拝堂に併設されている小部屋に落ち着くと、早速ノットは例の件について切り出しました。町の神父様は手を震わせながらも、事件のあらましを語ってくださいます。
 食人鬼の初犯から約4か月後。第1被害者と同じく、行方不明となった神父夫人の遺骨が、こちらの教会へ送られてきたこと。さらに事件の数週間前から、夫人は夜中に度々どこかへ出かけていたといいます。

「それはもしかして、不て……」

 シスター・アグネスから学んだ知識を活用しようとした瞬間、ノットに口を塞がれました。どうやら口にしてはいけないことだったようです。

「夫人がどこへ行っているのか、あなたは尋ねなかったのですか?」

 当然問い詰めた、と神父様はお答えになりました。ですが夫人は、出かけていること自体を否定されたようです。しつこく問い詰めて嫌われたくない、とそのまま不問にしていたのだとか。

「そうして黙認しているうちに事件が起こってしまった、というわけですね」

 低く穏やかなノットの言葉に、町の神父様は小さく頷きました。
 夫人は夜中にどこへ出かけていたのでしょう。
 もし、昨晩異変を見せた彼が犯人だとしたら――彼は幽閉の身ですが、外に出る手段がないとは言い切れません。彼の存在を秘匿している家族の誰かが、こっそり連れ出していることだって考えられます。

「神父様ご自身は、犯人にお心当たりはないのですか?」

 きっと天文塔の職員にも、同じことを何度も訊かれたことでしょう。それでも町の神父様は、嫌な顔をせず答えてくださいました。
「個人への心当たりはない」、と。

「ですが私は、『グルマンディーズ』という秘密クラブが怪しいと考えているのです」

『グルマンディーズ』――初めて耳にしました。神父様によると、それは特殊な嗜好を持った美食家の集いだということです。

「相当に変わった連中だと聞きました。中には近年問題になっている、『魔人病』に罹っているものもいるとか。来月開催されると噂の晩餐会……あのマダーマム家の主催行事に、グルマンディーズの連中が招待されるのでは、とも聞いています」

 美食家(偏食家の方が合っている気がしますが)揃いのマダーマム家の中には、グルマンディーズに所属してる人がいてもおかしくないのではないでしょうか。
 もしかすると、あの豹変した彼も――。

「グルマンディーズ……調べる必要がありそうですね。お話ありがとうございました。ゾルディ様のご冥福を、心よりお祈り申し上げます」

 かすかにノットの手が震えていることに気づき、真っ直ぐ伸びた背にそっと手を触れました。するとこちらを向いた丸い瞳が、ゆっくり細められていきます。

「お暇しましょうか、シスター・ロリッサ」

 帰り際、町の神父様は思いもよらない行動に出ました。ノットをこちらの教会へ引き抜こうというのです。確かにノットは、若くしてプリエストの位を賜っているほど優秀ですが。

「私には良い友人がおりましてね。プリエスト・ノットほどのお方なら、最年少にしてビショップへの昇格も叶うかと――」

 喋り出したくてたまらない唇を噛み締め、ノットの反応を待っていると。

「すみませんが、お断りいたします。海辺の教会はもはや私にとって職場ではなく、もう一つの家ですから」

 朗らかに断りを入れるノットの手を引き、さっさと町の教会から離れていきました。
 そう、ノットの言う通り。私たちは家族です。お父様はもちろん、ノットだって教会からいなくなるなんて考えられません。

「ロリッサ、そんなに急いでどうしたというのですか?」
「別に急いでいませんよ。ええと、そう! 先ほどお話の中で、『グルマンディーズ』というクラブの名が出てきましたが。今度の晩餐会に、実際彼らは招待されているのですか?」

 我ながら自然に誤魔化せた、と感動していたところ。ノットは首を横に振りました。

「それは分かりません。招待客のリストを作るのは、当主の役割ですから」

 往来で足を止めたノットに合わせて立ち止まると、純白の手袋に包まれた手を目の前に差し出されました。これはまた、「危なっかしいから手を繋げ」ということでしょうか。
 素直に手を取ると、手のひらに優しい力が込められました。

 それにしても。食人鬼が、1、2人目の標的を彼女たちに絞った理由は何なのでしょうか。3人目以降の遺骨を路上にうち捨てたのは、「魔人病の影響で衝動的に食事を行ったから」、と仮定したとしても。リィンベル嬢とゾルディ夫人を選んだのには、何らかの意図があるように思えます。
 ですが彼女たちを殺しても、マダーマム家の誰かにメリットはなさそうだ、とも思うのです。そもそも面識はあったのでしょうか。
 リィンベル嬢は学生でしたし、アールやノアと面識はあるかもしれません。それから彼女のお父様は天文塔の官僚というお話でしたから、ルイーズとリアン、もしかするとギュスターヴとも顔見知りかもしれません。ですが、2人目の被害者は――?
 もしくは最初から食人鬼に理性などなく、たまたま目をつけた獲物の1、2番目がハーモニア伯のご令嬢と教会神父の奥方だった、というのでしょうか。ですがゾルディ夫人は、何度も夜の外出をしていたそうですし――。

「ロリッサ。あそこで少し休憩してから帰りませんか? 飴もそろそろ無くなったでしょうから、買い足しておきましょう」

 ノットの声に意識が引き戻され、屈託のない笑顔に対し微笑みで答えました。いつの間にポッピング菓子店まで歩いていたのでしょう。

「今のあなたが唯一美味しいと感じる、貴重な食べ物ですからね。切らさないようにしなければ」
「美味しい……食べ物……」

 混線する頭に浮かんだのは、捕食者のような目をした彼――アールでした。噛まれた痕がじわりと疼き、とっさに胸を押さえます。

「ロリッサ……? 胸が苦しいのですか?」
「えっ? えぇ、いえ、別に! ちょっと痒かっただけです」

 あの時ここに噛みつき、流れる血を飲んだのは、私を食べようとしていたからでしょうか。ですが一昨日やそれ以前の彼は、不愛想ながらも言動の端々に優しさを感じる青年でした。
 何より最初にお会いした時、顔を近づけるだけで真っ赤になっていましたし。あんな大胆な行動に出るような方とは、到底思えなかったのですが。
 これも魔人病の影響だとしたら――?
 やはりアールのことを、パイルに伝えるべきでしょうか。もし電話をするなら、今は絶好のタイミングです。

「おや、あれは」

 ノットの視線を追うと、大通りを挟んで向かいの郵便局前に、見知った顔を発見しました。
 学校帰りらしきモアと、見知らぬ制服の女性――いえ。あれは確か、先日モアとポッピング菓子店を訪れた時に鉢合わせた女性です。
 隣のノットを見上げると、呆れたようなため息を吐きながら踵を返しました。さり気なく私の手を離して。

「ノット、声をかけなくて良いのですか?」
「冗談はよしてください」

 ですがモアと話している女学生は、何やら苦しそうな表情をしています。対してモアは平然とした様子ですが。

「ねぇ、本当に良いの? 何だか変な雰囲気ですよ」
「弟のアレはいつものことですから、関わらなくてよろしい。行きますよ」

 この作り物らしき笑顔は、「聞いても絶対に答えません」という時のものです。

「……分かりました」

 素直に諦めたフリをすると、ノットは先に菓子店へ向かい、ドアを開けてくださいました。
 ノットが答えてくれないのならば、本人に直接聞けば良いだけのことです。ちょうど今夜はモアの部屋を訪ねる番ですから。
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