花嫁シスター×美食家たち

見早

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hors d'oeuvre:秘匿

3.「聖人と魔人」

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「でもですよ? 1年も経ってしまったら、事件の痕跡なんてなくなっているのでは?」

 窓とカーテン、ベッドだけのこじんまりとした部屋を、ノットは何度も隅から隅まで見回ってます。

「当時もここを調べましたが、改めて来ることで何か分かるかもと思ったのです」

 こういった地味――いえ、繊細な調査に自分があまり向いていないことは自覚しています。大抵は「悪いやつをボコれ」という指令しか降りてきませんから。
 ひとまず被害者のシミュレーションでもしてみましょう、とベッドに横たわりました。

「ロリッサ、何をサボっているのですか?」
「サボっていません! ノットもここへ寝て、被害者の気持ちになってみてください」

 背負い投げの要領でノットを寝かせ、その隣に並びました。このベッド、大人2人が寝ても結構な余裕があります。

「……シスター・ロリッサ、今ここで誓ってください。もう二度と人を強引にベッドへ引き込まないと――」
「ねぇノット。もしここでブスッとやったら、ドバドバですよね?」

 横を向くと、ノットは呆れと怒りに唇を歪ませていました。「そんな頭の悪い娘に育てた覚えはありません」、と顔が言っています。

「ですから、もし食人鬼(グルマン)がここへ被害者を連れ込んで殺害アンド食事したとしたら……ベッドのシーツも床も、もしかしたら壁や天井にだって血が飛び散りますよね? でも天文塔やノットの調査でも、証拠が見つからなかったのはどうしてですか?」

 ノットは天井を見つめたまま、「犯人は後片付けが上手い」と口にしました。血痕、凶器、争った形跡、その他犯人に繋がる落とし物やメッセージなどは何も残っていないとも。

「お手上げじゃないですか。わざわざ来た意味ありますか?」
「ええ。『何も残っていない』、というのも犯人の性格や思考に対するヒントになりますから」

 首を傾げていると、ノットは上半身を起こしました。私は被害者のつもりになってこの部屋を見ていましたが、ノットは食人鬼の目線から見ていたというのです。

「犯人が何も痕跡を残さなかったということは、食事のためにそれなりの準備があったと見て良いでしょう。解体するための道具、臭いを消すための薬剤、それから……血や皮膚などが床や壁に付着しないよう防止するシートのようなものなど。ざっと考えられるのはこの辺りでしょうか」

 ぽかんとして真剣な横顔を見上げていると、「何か質問でも?」、と碧眼がこちらに向きました。

「ノットが博士号を取ったのって、何の分野でした?」

「地理学ですが。あぁ、家業のこともありまして、解剖学には精通していますから」

 そうでした。こう見えて神父ノットはマダーマム家の次男なのです。いまだに信じられない事実ですが。

「それにしても手際が良いですね。解体は手のかかる作業ですし、それなりに体力もいるはずだというのに」

「じゃあ犯人は男の人で決定?」と尋ねると、ノットの視線が真っ直ぐこちらに注がれました。

「あなたみたいに、見かけによらずたくましい女性もいますよね」

 普段であれば褒め言葉として受け取るところですが、この場合は何か含みがあるように感じます。どうお返しして差し上げましょうか、と拳や足をチェックしていると、「待て」の合図が入りました。

「それから、忘れてはいけないことがあります。犯行の動機です」
「食べたかったから」
「……それ以外で」

 他に何があるというのでしょうか。

「動機なら、被害者の共通点を探れば分かるんじゃないかしら?」
「ええ、ふつうはそうですね。ですが被害者4人は『全員女性』という以外、特別な共通点はありません。貴族、聖職者の妻、娼婦、浮浪者と身分は関係なし。住んでいる場所に遺骨の見つかった場所、すべてが点でバラバラです」

 マダーマム家の誰かが犯人だとして、「食べたかったから」以外に彼女たちを殺害した理由はあるのでしょうか。

「いいですか? 『真実はあり得ないことの向こう側にある』のです。固定観念を一度破り、ゼロから見ていくことも大切なのですよ」
「それ、ノットの好きな推理小説の受け売りでしょう? でも、そうですね……」

 そもそもです。ここで殺されたかもしれない彼女、リィンベル嬢は、なぜ食人鬼に大人しくついて行ったのでしょう。脅されたか、顔見知りだったからか――。

「ノット、私の上に乗ってみてください」

「はい?」と眉根を寄せるノットの腕を引っ張ると、渋々従っていただけました。なぜか食人鬼役のノットは目を閉じていますが。

「……何か分かりましたか?」

 思考がメトロノームのように揺れ、いまいち考えがまとまりません。ふわふわした前髪を眺めているうちに、子どもの頃を思い出しました。ノットの金髪を羨ましく思ったことを。

「眠い……」

 連日の夜更かしが祟ったのでしょうか。それとも兄代わりの顔を見ていて安心したのでしょうか。「ロリッサ?」、と呼ぶ低音が遠ざかっていきます。
 ノットが怒ったような困ったような顔で何かを喚いていますが、こればかりは抗えませんでした。

 心地よい揺れが連れてきたのは、遠い日の記憶です。
 あの頃はノットやアグネスの足元を走り回ってよくイタズラをしかけたものですが、そんな私にもひとつ「恐い」と感じるものがありました。
 私の守りたいとする小さな世界――海辺の教会がいつか無くなってしまわないか。
 私には他に拠り所がないものですから。そのことをノットに打ち明けた時、彼は約束してくださいました。
 何かを、約束、したのですが――。

「……ナさま、サリーナさま」

 視界いっぱいに広がっていた琥珀色に反応して、頭が一気に覚醒します。人を驚かせた張本人が腕を掴んでくれたおかげで、ベッドからの転落だけは免れました。

「マチルダ、どうしてここに?」
「お屋敷の中ですから当然おります」

 よく見ると確かに、ここは黒と銀に侵食された空間――マダーマム家のゲストルームです。
 宿で熟睡した私をノットが運んで来てくれたのだと、マチルダは話してくれました。それにしても事件現場と思わしき場所で熟睡してしまうとは、我ながら驚きです。

「ノットはどこに行ったのですか?」
「お仕事の続きに出るとうかがっております」

 忙しい時に余計な手間をかけさせてしまうとは――後でノットに謝罪しなければなりません。

「サリーナさま、2番目のお方と親しいようですね。あの口うるさい賢者や……コホン、ノットさまもサリーナさまを特別に思っていらっしゃるようですし」

 マチルダはため息を吐くと、一昨日のフェンシングの前にあった出来事を語りはじめました。エルダー伝いの呼び出しは、やはりノットからだったのだと。それも、私の夕食の皿から毒を抜き忘れたことを叱られたのだとか。そのせいでマチルダはより苛ついていたのですね。

「2番目のお方はさておき、今夜は1番目のお方のお部屋ですが。お体は問題ありませんか?」
「ええ。もちろん行きます」

 ひとまずノットから頭を切り替えて、今はリアンです。外での証拠が見つからないならば、「狂食の館」で見つける他ありません。
 前回は割と良い雰囲気で解散できましたから、きっとリアンは快く迎えてくれることでしょう。そう、淡い期待を抱いていたのですが――やはり拘束は絶対のようです。部屋に入るなり、手足に金属の枷をはめられました。

「よくぞいらっしゃいました、サリーナさん! 互いの嗜好(フェティ)について語り合った我々はもはや同志、今夜も語り明かそうではありませんか」

 百歩、いえ千歩譲って拘束は容認するとして。私が自分の嗜好について話した覚えはありません。

「それで、考えてくださいました? 私は当主の座を得る、あなたは侯爵家夫人となる、ウィンウィンのビジネスライクな結婚について」

 多少なりと認識の違いはあるものの、リアンはまだこちらの話を聞く姿勢はとってくれます。そこで以前ノットが答えてくれなかった疑問を、リアンへぶつけてみることにしました。

「マダーマム家には、不在にしているご家族がいらっしゃるとうかがいました。その方は今、どうしていらっしゃるのですか?」

 そう、雑談感覚で訊いたつもりだったのですが。

「……今、何と?」

 リアンの顔から、初めて笑顔が消えました。それも完全に。以前ギュスターヴから感じたものと同種の震えが、こわばった背筋を駆け抜けた瞬間。

「あなた、踏み込みすぎたようですね」

 早急な手に上着を引き剥がされ、腕の鎖を頭上に吊るされました。どんなに乱暴に引っ張られても「痛い」はありませんが、「なぜ」はあります。ですがリアンは質問に答えてくれません。あのお喋りなリアンが、です。
 本格的に地雷を踏み抜いた、ということでしょう。
 これまで気づくことのなかった、天井の鈎針。あれはこうして鎖攻めにした相手を吊るすためのものだったのですね。水揚げされた怪魚さながらに吊るし上げられた私を、眼鏡の奥で光る灼熱の眼が睨んでいます。

「これはお仕置きですよ。安易に人様の家の事情に首を突っ込んだあなたへの、ね」

 さて、困りました。拷問に対する訓練はビショップの意向により、あまり受けた覚えがありません。このまま一晩中吊るされれば、自重で腕が壊死するかも、くらいは分かりますが。

「その人には、家族みんなで隠さなければならない秘密でもあるのですか?」

 できるだけ刺激しないよう、小声で尋ねたつもりでしたが。リアンはサイドテーブルに転がっていた羽ペンを手に取ると、ペン先を眼球すれすれに突きつけてきました。

「ほら。真っ直ぐ私の目を見て。『申し訳ありませんでした、リアン様』と言いなさい。そうすれば今のうちに降ろして差し上げます」

 リアンは私が「お客様」だからこの程度で済んでいるのだと言いますが、悪いと思っていないことを謝るのは信条に反します。

「なぜ少し聞いただけで、こんな目に遭わなければならないのでしょうか?」
「どうやら『優しい私』はお気に召さないようですね。では……」

 右目を捉えたペン先が動き、少し身構えたものの。ペン先は目の前から遠ざかっていきました。代わりに黒い羽の部分が、吊られて剥き出しになった脇腹を撫でていきます。

「か弱いご令嬢に拷問、それも二つ同時は良心が痛みます。好奇心旺盛、その上強情であるが故こんな目に遭われるなんて……あぁお可哀そうに!」

 容赦なく羽を体中に這い回すリアンは、笑っていました。革手袋の隙間から、隠し切れない笑みがこぼれています。
 あぁ神様、お父様。
 私はこの男――マダーマム家の長男を甘く見ていました。この羽虫が這うような感覚は、痛みよりもずっと不味いです。閉じているはずの神経が、無理やり開かれている心地になって。

「おや、どうかしましたか? その足」

 からかい混じりの問いかけに足元を見下ろすと、無意識のうちに太ももをすり合わせていたことに気づきました。吊り下げられている手は、まだ大分もちそうだというのに。
 なぜ、私はこのような行為をしているのでしょうか。

「これ、あの時と……」

 羽に下腹部を撫でられるたび、軽い電撃のようなものが体内に走るこの感覚――昨晩を思い出します。ノットの指示に従って、熱を発散した時のことを。
 あの時いつの間にか太ももの間を濡らしていた液体と同じものが、今も下着に染みている気がします。

「ダメ……私は私を、制御できないと。制御できないのは、未熟者……」
「いったい何をブツブツと――」

 カチリ、と音が響いた直後。ようやく外れた手枷と同時に床へ降り立つと、丸くなった赤い瞳と視線が合いました。
 色素の薄い唇が「なぜ」の形を作りかけていたのにも構わず、スーツの襟に掴みかかります。

「好き勝手弄り倒してくださいましたね。さぁ、どうお礼をして差し上げましょうか――」

 黒のネクタイが緩み、グレーのシャツのボタンが一つ外れたその時。リアンの首に包帯が巻かれていることに気がつきました。

「ケガ?」

 よく観察する間もなく、リアンの手がもの凄い力で、シャツから両手を引き剥がします。

「あなた……本当にブライト家のご令嬢ですか?」

 怒りと蔑みが消え去った瞳には、ただ純粋な疑問が宿っていました。
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