赤い月

夏目綾

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第一話

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一年を通して雪が降り続く凍土の帝国、スメールキィ帝国。そこは永らくザハロフ家が支配し、絶対的な政治体制を敷いていた。
その体制に揺らぎはなく、この世の贅を尽くした宴が毎晩のように宮殿で開かれているほど。
まさに帝国の栄華を物語るようであるが、盛者必衰、翳りは確実に見え始めていた。
度重なる遠征の失敗、穀物の不作、しかして続くザハロフ家の贅沢な暮らし。
民衆の不満は募るばかりである。
民衆だけではない。見返りも少なく振り回される軍隊の人間たちも本来守るべき皇室を憎み始めていた。

そんな中にいて皇室に忠義を誓い職務を全うしようとする軍人がいる。
彼の名前は、ミハイル・ムソルグスキー。年の頃は18。勇将、ボリスラーフ・アヴェリン中将に才を見込まれ、彼つきの軍人として一般の家庭の出ながら出世コースを歩んでいた。
だが、彼は出世よりも皇帝一族を守り、ひいては民衆のために働きたいと考えているこのご時世には珍しい思考の持ち主であった。
自分が皇帝に支えることで平和を保ち、それこそが民衆の幸せにつながると思っていたのだ。

「おい、ミーシャ!よくもそんな平気な顔で立っていられるよなぁ!」
雪が降り注ぐ中、背筋を伸ばし、一ミリとも動かないミハイルの肩に手をかけてきたのは、同じくアヴェリン中将に仕える軍人、エドゥアールド・グロモア。
ミハイルより一つ年上でなんでも話せる仲であったが、ミハイルとは違った思考の持ち主で、帝国なんぞ滅びれば良いと常日頃から思っている人物だ。
「エーディク、今日は寒さがまだましだからね。そこまできつくないさ。」
「違う、馬鹿!皇帝一族の道楽のための警護なんぞよくもやれるよなという意味だ!」
それを聞いて、ミハイルは、あぁ・・・と自分の背後に建つ美しい宮殿を見上げる。
ミハイルたちは、今夜、皇帝の妹にあたる一家が催した舞踏会の警護にあたっていた。
「俺たちは雪の中立たせておいて、自分たちは暖かい部屋で遊び呆けているなんて、最低さ!」
「それが軍人というものだろう。」
「ハイハイ、優等生に聞いた俺が馬鹿だったよ。」
エドゥアールドは銃を背負い直すと、風をしのげる大きな木の近くへとブツブツ言いながら行ってしまった。
ミハイルは、そんなエドゥアールドに微笑むと再び宮殿を見つめる。

今宵の警護は皇后陛下が催す舞踏会。ミハイルはいつもよりどこか高揚していた。
皇帝の妃、エレーナ・ザハロフは、社交界のリーリヤ・・・百合の花と呼ばれ絶世の美女として名高い。目の覚めるような金髪にサファイアの瞳。そして、リーリヤの由縁の如く、清楚ながらも凛とした佇まい。すでに子供も二人もうけてはいるのだが、その美しい容姿に翳りは何一つ見えない。

さて、話を戻し、ミハイルは、ただその美女の警護を任されているから高揚していたわけではない。ミハイルは、実は以前にエレーナと出会っていたのだ。
それは軍に入隊して間もない頃、園遊会の警護で彼女の前を通った時あまりの緊張で銃を落としてしまった。上官は彼を叱ろうと手を振り上げた。その時それに気づいたエレーナは扇子を出し制止したのだった。そしてその後、こともあろうかその扇子をミハイルに与えたのだ。
銃は重いから無理はない。銃を扇子に変えましょう。そうすればもっと貴方も皆も平和になります。
そう彼女は微笑んで言った。
いかにも何不自由なく育った金持ちの発想である。でも不思議とミハイルには、嫌な様には聞こえなかった。それはおそらく彼女の生まれながらの品性と知世がそうさせているのだと、むしろ感銘を受けた。そして同時に彼女達を支えればこの世界は守れると思った。ミハイルは、その時の扇子を今も大事にしまってある。あの日を忘れないために。

そんな昔の話を思い出している時であった。宮殿の扉が急に開き中から使用人達を引き連れたエレーナが出てきた。
「みなさま、お寒いでしょう、中に入って紅茶でもいかが?今日は息子ユーリの誕生日、特別な舞踏会なの。」
驚いた上官が、それでは我々の意味がありませんと、言うとエレーナは屈託のない笑みを浮かべて返した。
「この帝国は永遠です。誰も襲ってきはしません。」
ミハイルは、その言葉を聞いて、やはりこの方は変わらないなと思った。もちろん良い意味で、だ。
彼女は贅沢をしても悪気など何もないのだ。贅沢は生まれながらの義務であり、悪気のなさは知性の上に成り立つ無知がしらしめていることなのだ。

また思いにふけっていると、どんっと足元に何かが当たった。見てみると子供だ。しかもこの子は・・・。
「アレクサンドル様!?」
エレーナの下の息子、アレクサンドルである。
母親と一緒に外に出てきたらしい。
「サーシャ、まって!お外は寒いから戻って!」
そう言って出てきたのは今日の主役、アレクサンドルの兄、ユーリである。
兄弟ともに幼いが母親譲りの美しさは受け継いでいる。金髪碧眼、絵画の天使のように愛らしい兄弟だ。ユーリは今日で6歳、アレクサンドルは4歳である。見るに兄の方がどちらかといえば控え目で、弟はやんちゃそうだ。
アレクサンドルは、ユーリの言うことなど聞かず雪の降る庭を走り回っている。よほど舞踏会がつまらなかったのだろう。
「ごめんなさいね、驚かせてしまって。」
「エレーナ様!?」
エレーナ自らミハイルに声をかけてきた。
ミハイルは慌てて頭を深く下げる。
「いいのよ、頭を上げてちょうだい。」
「は、はぁ・・・。」
ミハイルが困惑していると、アレクサンドルが大きな声を出して空を指差した。
「お母様、赤いお月さまー!」
アレクサンドルの指差した先には雪荒ぶ隙間から真っ赤な満月がのぞいていた。
「まぁ・・・。」
あまりにも不気味なものだからエレーナが言葉を失っていると、周りの軍人も使用人もヒソヒソと不吉なのではないかと言い出した。場の雰囲気は悪くなる一方だ。
それに気遣ってミハイルは思わず、エレーナにこう言い放つ。
「エレーナ様!この燃え盛る月は帝国の栄華を祝うためのものでしょう。私はこの国を、あなた方を守ります。」
すると最初はぽかんとしていたエレーナだったが、すぐに微笑み返した。
そして息子二人を集めるとこう言った。
「ふふ、そうね。この子たちの明るい未来を守って下さい。お願いしますね。」
「ハッ!」
ミハイルは敬礼をした。
それを真似してアレクサンドルも敬礼をする。ユーリは母親に抱きつき、その様子をじっと見つめていた。
「さぁさ、皆様、お入りなさい。」
エレーナは子供たちを引き連れまた宮殿内に入っていく。

「おいおい、やるねぇ、優等生。」
「エーディク。」
「俺には逆立ちしてもいえない言葉さ。皇室におべっかなんて。」
「僕はそんなつもりで言ったんじゃ・・・。」
「わかっているよ。ただな・・・いや。それよりもだ、よくもまぁ、のんきにお茶でもだ!全く嫌味な奴らさ。」
「エーディクはいかないのか?」
「馬鹿、何言っているんだ、行くに決まっている。そういうのはな、行かないと損だ。」
ミハイルは、いかにもエドゥアールドらしいと笑った。口は悪いが根は悪い奴ではない。

しかし・・・ミハイルは空をもう一度見上げた。
凍える雪を溶かすような色で空に君臨する月には、やはり不気味なものがある。
(いや、何を思っているのだ。だからこそ自分が守らねば。)
ミハイルは首を振ると、エドゥアールドに促され宮殿へと入っていた。
願わくばこの平和が永遠に続くようにと。
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