ひごめの赤い石

紙川也

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第3章 障療院、そして二冊あった本

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 ミチは紗をちらっと見た。
 紗はノートになにか書いており、顔をあげない。
 ミチは紗に対して、(どこにでもかならずこういう女子っている)と思った。
 優等生、まじめな女子。はきはきとものを言い、学校の先生から信頼され、男子のことは子ども扱い。
 ミチはとなりの図書室へ行くことにした。

 図書室では、小さなみれが紗とおなじようになにかを書いているところだった。
 ミチは、みれが赤いマジックペンを紙に走らせていることに気づいた。
 すごく熱心な顔だ。
 みれは書きおえるとじいっと紙面を見つめ、それからふうっとため息をついた。
 満足そうでもあったし、これから行うことへの決意という感じもあった。
 ミチはみれの様子をながめた。
 あんまり熱心なので、一体なにをしているのか気になったのだ。
 みれはパステルブルーのスカートのポケットからなにかをとりだした。小さな手のひらに乗るほどのサイズの丸いもの。
 石だ、とミチは気づいた。
 灰色の、そのへんで拾ったとでもいうような、どこにでもありそうな小石だ。
 みれがたったいま、書きつけた白い紙でその小石を包んだ。
 それからみれは、なにかをうかがうような目を学習室の入り口へ向けた。
 そこではじめてみれがミチに気づいた。(あっ。)という顔をした。
 みれの眉毛がきゅっと寄った。真剣な顔だ。

 みれが小さくて細い人差し指を口元にあてた。
 しいっ、というしぐさだ。
 ミチはうなずいた。
 なんだかわからないがこんなに真剣なのだ、じゃまをしてはいけないと考えた。

 みれは図書室の窓にそうっと手をかけた。
 サッシが木で、窓ガラスはほんの少しゆがんでいる。
 古い窓だ。ひごめ館の建物はみんなこれだ。
 みれは窓を開けた。あごを引いてぎゅっと外を見つめた。

 みれが紙を包んだ小石を外へ放り投げた。

 白いつぶては青空と山へ向かって放物線をえがいた。
 一瞬だけ、ミチはつぶてが向こうの山へ届くような気がした。
 だけど建物と山のあいだには距離がある。そのあいだには池がある。
 白いつぶては高くあがり、すぐに下降をはじめた。
 ミチには小さな女の子が窓から石を投げてそれが下降線をえがくまでの時がひどくゆっくりに見えたが、実際にはわずかのあいだのできごとだ。

 ひゅん、となにかが窓の外を横切った。

 ミチは目を大きく見開いた。
(黄色――)

 はじめ見まちがいかと思った。
 何かが白いつぶてのあとを追って下降し、すぐにまたミチやみれの目線の高さまで上昇した。
 それは黄色い鳥だった。
 かもめのような姿の、でもかもめとちがってあざやかなイエローの鳥。
 目が赤い。宝石みたいに光っている。
 ミチは窓のそばへかけよった。窓から身をのりだした。
(鳥、黄色い鳥だ。それにあの目)
 あの壁画に描かれた鳥だ、とミチは思った。

 鳥はくちばしに白いものをくわえていた。みれの投げた小石だ。
 小石から紙だけがはがれてひらひらと風に舞った。
 ひゅん、とまた黄色い鳥が一羽飛んできた。
 そいつはさあっと旋回してみれの書いた紙をくちばしでくわえた。
 それからまた一羽、さらに一羽。
 バサッというはばたきの音が窓の外でひびいた。バサバサ、バサバサ、はばたきの音が増えていく。黄色い鳥もどんどん増えていく。
 はじめの一羽がくちばしでくわえた白い紙をべつの一羽がくちばしでつついた。
 紙はかんたんに裂けた。
 みれがマジックペンで書いた赤い文字も裂けた。
 二枚になった紙を、またべつの鳥がくちばしでねらう。
 黄色い鳥たちはみれの紙にむらがった。
 あっという間に紙が細かく避けていく。細かく、さらに細かく。
 糸くずほどに細かく避けた紙が空中に漂う。風がさあっと吹いて、紙の破片を巻きあげた。
 赤くいろづきはじめた山に、白い紙吹雪が舞った。

 ミチはいっそう体を乗り出した。
 すると一羽の鳥がミチへ顔を向けた。赤い目がつりあがった、ような気がした。

 バサッと大きな羽音を立ててその鳥がミチへ向かって突進した。
「うわっ」
 ミチは思わず声をあげた。
 固そうなくちばしがミチめがけてまっすぐ向かってくる。まるで矢だ。
 とっさにミチは片腕で目元を守った。手首の内側にビリッと痛みが走った。
 鳥はすぐに旋回してミチからはなれた。ミチが腕を下げてパッと顔を出すとすぐに次の鳥が向かってくるのが見えた。ほかの鳥もそれにつづく。
「うわ、うわっ、痛いっ、うわっ」
 ミチは声をあげて鳥を手で追い払おうとした。
 バサバサバサッとたくさんの羽音がひびく。
 ミチの腕にくちばしがあたり、翼があたり、足の爪があたった。
 最初の一撃のあとは痛いと思うひまもなかった。
 ミチは必死で両腕をふりまわした。そしてとっさに腕で目をおおった。
 目をつつかれたらたまらないぞと思ったのだ。だけどまぶたは開いたままでいた。鳥たちの様子から目を離したくなかった。

 ミチの視界のはしっこに、黄色いものがひらひらと落ちていくのが見えた。
 羽毛だ、とミチは思った。

 ふいにミチの着ているパーカーのフードがぐいっと引っぱられた。
 ミチは後ろへのけぞった。背後から顔のすぐ横を通ってのびる、人の手が見えた。紺色の袖が見えた。その手がすばやく窓を閉めた。
 がたんっ、と乱暴な音を立ててサッシが窓枠にぶつかった。
「なにやってるの」
 怒ったような声が、ミチのすぐそばで聞こえた。ミチは後ろを振りかえった。
 紗がミチのパーカーのフードをつかんでいる。
 きつい顔は横を向いていた。紗はみれを見ていた。
 みれが上目づかいで紗を見た。
「だって」

「どうしたんですか」
 となりの学習室から砂森が入ってきた。
 ミチはいそいで砂森を見た。そして言った。
「鳥、鳥がたくさん飛んできたんです」
 砂森が一瞬、(あっ)という顔になった。でもそれはわずかの間で、砂森はさっと落ちついた表情にもどった。そして確かめるように言った。
「もしかして黄色い鳥ですか」
 砂森の言葉にミチは勢いこんだ。
「そうです。黄色い鳥がぼくに向かって飛んできました」
 砂森がうなずいた。それからミチにたずねた。
「ミチくんはその鳥を見たのは、はじめてですか」
「はい。あ、でも」
 ミチは口ごもった。はじめてだけど二度目でもある。実際の鳥を見てふれる前に、鳥の壁画を見ている。
 どう説明すればいいのか迷ったミチに、砂森が言った。
 それは意外な一言だった。
「大丈夫、本当にいる鳥じゃないから」
「え」
 ミチは砂森の言葉の意味がわからなかった。
 砂森とミチはしばらく、おたがいを見つめあうかっこうになった。砂森はそれ以上なにもいわない。なんだかひどく、やさしげな顔だ。もともとやさしそうな雰囲気の青年だが、さらにいっそうやさしそうな、というよりいたわるような顔でミチを見ている。
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